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第二十六話「ノアの初めての言葉」
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「レオンハルト様!!」
私の悲鳴は、轟音にかき消された。 裂け目から放たれた漆黒の奔流が、レオンハルト様を直撃した。 光が弾け、土煙が舞い上がる。 彼が立っていた場所は、巨大なクレーターのようにえぐれ、黒い煙が立ち上っていた。
「パパ……!」
ミレイユ様がへたり込む。 アルフォンス様がクロスボウを取り落とす。 私たちの希望の光であり、最強の盾であった彼が、闇に飲まれた。 その事実は、屋敷を守っていた光の結界をも揺るがした。
「嘘……嘘よ……」
私は膝をつきそうになるのを、必死にこらえた。 まだだ。 まだ、終わっていない。 彼が死ぬはずがない。あの人が、家族を残して逝くはずがない。
けれど、現実は残酷だった。 黒煙の中から、レオンハルト様の反応がない。 代わりに、裂け目からの不協和音――あの頭を削るような嫌な音が、勝利を確信したかのように一層高らかに鳴り響き始めた。
キィィィィィィィン……!!
「あ、あぁぁ……っ!」
私の腕の中で、ノア様が再び耳を塞いで絶叫した。 私の歌が途切れたことで、音の暴力が彼を直撃しているのだ。 小さな体が、壊れてしまいそうなほど激しく痙攣している。
「ノア様! しっかりして!」
私は彼を抱きしめるが、私の腕も魔力枯渇で震えていた。 歌おうとするが、喉が引きつって声が出ない。 恐怖と絶望が、私の声を奪っていた。
その隙を見逃さず、空から新たな魔獣の群れが急降下してくる。 ガーゴイルの鋭い爪が、薄くなった光の結界をガリガリと削る。 結界に亀裂が入る。 パリン、とガラスが割れるような音がして、一匹の魔獣が屋敷のテラスに侵入した。
「ギャァァッ!」
魔獣が私たちに向かって飛びかかってくる。
「母上!」
アルフォンス様が短剣を抜いて前に出るが、十歳の子供が敵う相手ではない。 私はノア様を庇い、背中を向けた。 激痛を覚悟する。
ドスッ!!
鈍い音が響いた。 しかし、痛みは来なかった。 恐る恐る振り返ると、そこには血まみれのギルベルトが、燭台を魔獣の口に突き刺して立っていた。
「……奥様、お子様方に……指一本触れさせませんぞ……!」
「ギルベルト!」
老執事の奮闘。 続いて、セレスや負傷した騎士たちも、椅子や農具を手に駆けつけてくる。 彼らは皆、満身創痍だ。 それでも、私たちを守るために壁となって立ちはだかっている。
「守れ! 公爵様が戻られるまで、一歩も引くな!」
ハインツ副長が叫ぶ。 けれど、多勢に無勢だ。 次々と結界が破られ、魔獣が雪崩れ込んでくる。 阿鼻叫喚の地獄絵図。
「……やだ……やだぁ……」
ミレイユ様が泣きながら、私のドレスを握りしめる。 アルフォンス様も、震える手で剣を構え続けているが、その瞳には絶望の色が浮かんでいる。
終わりなのか。 私たちはここで、食い殺されるのか。
その時だった。
私の腕の中で震えていたノア様が、ふと動きを止めた。 彼は、涙で濡れた顔を上げ、じっと一点を見つめていた。 その視線の先にあるのは、黒煙が上がる庭のクレーター。 父が消えた場所。
「……パパ……」
ノア様の瞳から、光が消えかけていた。 恐怖で心が閉ざされようとしている。 あの不協和音が、彼の精神を蝕んでいるのだ。 このままでは、彼は心を壊し、自らの魔力暴走で自滅してしまうかもしれない。
「ノア様、私を見て! ここにいますよ! 怖くないわ!」
私は必死に呼びかけた。 私の手袋をした左手で、彼の頬を包む。 温もりを伝えるために。 あなたは一人じゃないと伝えるために。
ノア様の焦点が、ゆっくりと私に合う。 黒革の手袋。 パパがくれた、魔法の手袋。 彼はその手袋に、自分の小さな手を重ねた。 そして、私の小指を、ぎゅっと握りしめた。
あの日。 初めて夜泣きが止まった夜と同じように。
「……っ……」
ノア様の唇が震える。 何かを言おうとしている。 でも、裂け目の音がそれを邪魔する。 キィィィィンという音が、彼の言葉を塗りつぶそうとする。
負けないで。 私は祈るように彼の手を握り返した。
ノア様は、大きく息を吸い込んだ。 その小さな胸が膨らむ。 彼は、目の前の恐怖(裂け目)を睨みつけ、そして一番安心できる存在(私)に、助けを求めるように、誓いを立てるように、口を開いた。
「……ま……」
掠れた声。 でも、それは確かに音となって空気を震わせた。
「……ま、ま……」
魔獣の咆哮にかき消されそうな、小さな声。 けれど、私には雷鳴のように響いた。
ノア様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、涙をボロボロと流しながら、ありったけの力を振り絞って叫んだ。
「――ママァッ!!」
その瞬間。 世界が止まった気がした。
ノア様の体から、純白の魔力が爆発的に溢れ出した。 それは攻撃的な氷ではなく、優しく、温かく、そして何者も寄せ付けない絶対的な拒絶と守護の光。 『鎮』の魔力だ。 私の歌を、彼はずっと聞いていた。 そして今、彼自身がその魔力を覚醒させ、恐怖の音を塗り替えたのだ。
キィィィン……という不快な音が、スゥッと消えていく。 代わりに、温かな鈴の音のような波動が広がる。 侵入してきた魔獣たちが、その光に触れた途端、灰になって崩れ落ちていく。
「……ノア様?」
私は呆然と彼を見た。 彼は泣きじゃくりながら、私の胸に顔を埋めた。
「ママ……! ママ、たすけて……! パパを、たすけてぇ……!」
「……ええ。ええ……!」
私は彼を抱きしめ、涙が溢れるのを止められなかった。 呼んでくれた。 初めて、はっきりと。 助けを求める相手として、母として、私を選んでくれた。
その声は、屋敷中に響き渡り、そして庭の黒煙の中にも届いていたらしい。
「……聞いたか」
地底から響くような、低い声がした。 黒煙が、内側から発生した猛烈な冷気によって吹き飛ばされる。
そこに立っていたのは、鎧の半分を砕かれ、額から血を流しながらも、青白い炎のようなオーラを纏ったレオンハルト様だった。
「……レオンハルト様!」
彼は生きていた。 そして、その瞳は、先ほどまでの「戦士」の目ではなかった。 愛する息子が、初めて母親を呼び、助けを求めた声。 それが、瀕死の父親を地獄の底から引き戻したのだ。
「あいつが……ノアが、喋った」
レオンハルト様が、ふらりと一歩踏み出す。 その足元から、ダイヤモンドダストのような美しい氷の結晶が広がり、地面を覆っていく。
「『ママ』と……助けてくれと、言った」
彼は、鬼のような形相で空の裂け目を睨み上げた。 そこには、無粋にも親子の感動を邪魔しようとする、次なる攻撃の予兆が見えていた。
「よくも……俺の息子を泣かせたな」
ヒュオオオオオオオッ!!
レオンハルト様の体から、桁外れの魔力が噴き上がった。 それは、今まで彼が見せてきた「氷」とは質が違っていた。 冷たいけれど、痛くない。 鋭いけれど、どこか懐かしい。 家族を守るための、絶対零度の守護結界。
「俺の家族に……俺の妻と子供たちに!!」
レオンハルト様が剣を天に掲げる。 砕けた剣身が、氷の魔力によって修復され、さらに巨大な光の刃へと変わっていく。
「二度と、その汚い音を聞かせるなァァァァッ!!」
ズドォォォォォン!!
彼が剣を振り下ろした瞬間、巨大な氷柱が天に向かって逆流した。 それは裂け目そのものを貫き、物理的に凍結させていく。 音の発生源である空間の歪みさえも、彼の怒りの冷気が封じ込めていく。
「ギャ……ァ……」
裂け目の奥から聞こえていた不気味な声が、凍りついて途絶えた。 不協和音が消滅する。 空を覆っていた紫色の雲が、氷の結晶となってキラキラと降り注ぐ。
圧倒的だった。 これが、父の力。 家族を守るために本気になった男の、底力。
レオンハルト様は、裂け目が完全に沈黙したのを確認すると、剣を消滅させ、ガクリと膝をついた。
「パパ!」
ノア様が私の腕から飛び出し、駆け出した。 アルフォンス様とミレイユ様も続く。 私も、震える足で彼のもとへ走った。
「……レオンハルト様!」
彼は血まみれで、息も絶え絶えだったが、駆け寄ってきたノア様をしっかりと受け止めた。
「……パパ、パパ……」
「……ああ。ノア。……聞こえたぞ」
レオンハルト様は、血に濡れていない方の手で、ノア様の頭を撫でた。 その目は、今まで見たこともないほど優しく、そして泣いていた。
「お前……喋れたんだな。……ママって、呼べたんだな」
「うん……ママ、たすけてくれた。パパも、たすけてくれた」
ノア様が泣きながら答える。 レオンハルト様は、感極まったように顔を歪め、ノア様を抱きしめた。
「よかった……本当によかった……」
「あなた……」
私が追いつくと、レオンハルト様は私を見上げた。 その表情は、英雄のそれではなく、ただの一人の夫としての安堵に満ちていた。
「クラリス。……君のおかげだ」
「いいえ。ノア様が……この子が奇跡を起こしてくれました」
私は二人に覆いかぶさるようにして抱きしめた。 アルフォンス様とミレイユ様も加わり、私たちは雪の降る庭で、一つの塊になった。
寒いはずの北の夜。 けれど、私たちの周りだけは、春のように温かかった。
空の裂け目は凍りつき、魔獣の群れは消え去った。 屋敷からは、助かった領民たちの歓声が上がり始めている。 私たちは勝ったのだ。
けれど、まだ全てが終わったわけではなかった。 戦いの興奮が冷めやらぬ中、ミレイユ様がポツリと言った。
「……ねえ。ノアだけズルい」
彼女は涙を拭い、鼻をすすりながら、私をじっと見つめていた。 その瞳には、決意の色が宿っていた。
「私だって……私だって、言いたいもん」
私の悲鳴は、轟音にかき消された。 裂け目から放たれた漆黒の奔流が、レオンハルト様を直撃した。 光が弾け、土煙が舞い上がる。 彼が立っていた場所は、巨大なクレーターのようにえぐれ、黒い煙が立ち上っていた。
「パパ……!」
ミレイユ様がへたり込む。 アルフォンス様がクロスボウを取り落とす。 私たちの希望の光であり、最強の盾であった彼が、闇に飲まれた。 その事実は、屋敷を守っていた光の結界をも揺るがした。
「嘘……嘘よ……」
私は膝をつきそうになるのを、必死にこらえた。 まだだ。 まだ、終わっていない。 彼が死ぬはずがない。あの人が、家族を残して逝くはずがない。
けれど、現実は残酷だった。 黒煙の中から、レオンハルト様の反応がない。 代わりに、裂け目からの不協和音――あの頭を削るような嫌な音が、勝利を確信したかのように一層高らかに鳴り響き始めた。
キィィィィィィィン……!!
「あ、あぁぁ……っ!」
私の腕の中で、ノア様が再び耳を塞いで絶叫した。 私の歌が途切れたことで、音の暴力が彼を直撃しているのだ。 小さな体が、壊れてしまいそうなほど激しく痙攣している。
「ノア様! しっかりして!」
私は彼を抱きしめるが、私の腕も魔力枯渇で震えていた。 歌おうとするが、喉が引きつって声が出ない。 恐怖と絶望が、私の声を奪っていた。
その隙を見逃さず、空から新たな魔獣の群れが急降下してくる。 ガーゴイルの鋭い爪が、薄くなった光の結界をガリガリと削る。 結界に亀裂が入る。 パリン、とガラスが割れるような音がして、一匹の魔獣が屋敷のテラスに侵入した。
「ギャァァッ!」
魔獣が私たちに向かって飛びかかってくる。
「母上!」
アルフォンス様が短剣を抜いて前に出るが、十歳の子供が敵う相手ではない。 私はノア様を庇い、背中を向けた。 激痛を覚悟する。
ドスッ!!
鈍い音が響いた。 しかし、痛みは来なかった。 恐る恐る振り返ると、そこには血まみれのギルベルトが、燭台を魔獣の口に突き刺して立っていた。
「……奥様、お子様方に……指一本触れさせませんぞ……!」
「ギルベルト!」
老執事の奮闘。 続いて、セレスや負傷した騎士たちも、椅子や農具を手に駆けつけてくる。 彼らは皆、満身創痍だ。 それでも、私たちを守るために壁となって立ちはだかっている。
「守れ! 公爵様が戻られるまで、一歩も引くな!」
ハインツ副長が叫ぶ。 けれど、多勢に無勢だ。 次々と結界が破られ、魔獣が雪崩れ込んでくる。 阿鼻叫喚の地獄絵図。
「……やだ……やだぁ……」
ミレイユ様が泣きながら、私のドレスを握りしめる。 アルフォンス様も、震える手で剣を構え続けているが、その瞳には絶望の色が浮かんでいる。
終わりなのか。 私たちはここで、食い殺されるのか。
その時だった。
私の腕の中で震えていたノア様が、ふと動きを止めた。 彼は、涙で濡れた顔を上げ、じっと一点を見つめていた。 その視線の先にあるのは、黒煙が上がる庭のクレーター。 父が消えた場所。
「……パパ……」
ノア様の瞳から、光が消えかけていた。 恐怖で心が閉ざされようとしている。 あの不協和音が、彼の精神を蝕んでいるのだ。 このままでは、彼は心を壊し、自らの魔力暴走で自滅してしまうかもしれない。
「ノア様、私を見て! ここにいますよ! 怖くないわ!」
私は必死に呼びかけた。 私の手袋をした左手で、彼の頬を包む。 温もりを伝えるために。 あなたは一人じゃないと伝えるために。
ノア様の焦点が、ゆっくりと私に合う。 黒革の手袋。 パパがくれた、魔法の手袋。 彼はその手袋に、自分の小さな手を重ねた。 そして、私の小指を、ぎゅっと握りしめた。
あの日。 初めて夜泣きが止まった夜と同じように。
「……っ……」
ノア様の唇が震える。 何かを言おうとしている。 でも、裂け目の音がそれを邪魔する。 キィィィィンという音が、彼の言葉を塗りつぶそうとする。
負けないで。 私は祈るように彼の手を握り返した。
ノア様は、大きく息を吸い込んだ。 その小さな胸が膨らむ。 彼は、目の前の恐怖(裂け目)を睨みつけ、そして一番安心できる存在(私)に、助けを求めるように、誓いを立てるように、口を開いた。
「……ま……」
掠れた声。 でも、それは確かに音となって空気を震わせた。
「……ま、ま……」
魔獣の咆哮にかき消されそうな、小さな声。 けれど、私には雷鳴のように響いた。
ノア様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、涙をボロボロと流しながら、ありったけの力を振り絞って叫んだ。
「――ママァッ!!」
その瞬間。 世界が止まった気がした。
ノア様の体から、純白の魔力が爆発的に溢れ出した。 それは攻撃的な氷ではなく、優しく、温かく、そして何者も寄せ付けない絶対的な拒絶と守護の光。 『鎮』の魔力だ。 私の歌を、彼はずっと聞いていた。 そして今、彼自身がその魔力を覚醒させ、恐怖の音を塗り替えたのだ。
キィィィン……という不快な音が、スゥッと消えていく。 代わりに、温かな鈴の音のような波動が広がる。 侵入してきた魔獣たちが、その光に触れた途端、灰になって崩れ落ちていく。
「……ノア様?」
私は呆然と彼を見た。 彼は泣きじゃくりながら、私の胸に顔を埋めた。
「ママ……! ママ、たすけて……! パパを、たすけてぇ……!」
「……ええ。ええ……!」
私は彼を抱きしめ、涙が溢れるのを止められなかった。 呼んでくれた。 初めて、はっきりと。 助けを求める相手として、母として、私を選んでくれた。
その声は、屋敷中に響き渡り、そして庭の黒煙の中にも届いていたらしい。
「……聞いたか」
地底から響くような、低い声がした。 黒煙が、内側から発生した猛烈な冷気によって吹き飛ばされる。
そこに立っていたのは、鎧の半分を砕かれ、額から血を流しながらも、青白い炎のようなオーラを纏ったレオンハルト様だった。
「……レオンハルト様!」
彼は生きていた。 そして、その瞳は、先ほどまでの「戦士」の目ではなかった。 愛する息子が、初めて母親を呼び、助けを求めた声。 それが、瀕死の父親を地獄の底から引き戻したのだ。
「あいつが……ノアが、喋った」
レオンハルト様が、ふらりと一歩踏み出す。 その足元から、ダイヤモンドダストのような美しい氷の結晶が広がり、地面を覆っていく。
「『ママ』と……助けてくれと、言った」
彼は、鬼のような形相で空の裂け目を睨み上げた。 そこには、無粋にも親子の感動を邪魔しようとする、次なる攻撃の予兆が見えていた。
「よくも……俺の息子を泣かせたな」
ヒュオオオオオオオッ!!
レオンハルト様の体から、桁外れの魔力が噴き上がった。 それは、今まで彼が見せてきた「氷」とは質が違っていた。 冷たいけれど、痛くない。 鋭いけれど、どこか懐かしい。 家族を守るための、絶対零度の守護結界。
「俺の家族に……俺の妻と子供たちに!!」
レオンハルト様が剣を天に掲げる。 砕けた剣身が、氷の魔力によって修復され、さらに巨大な光の刃へと変わっていく。
「二度と、その汚い音を聞かせるなァァァァッ!!」
ズドォォォォォン!!
彼が剣を振り下ろした瞬間、巨大な氷柱が天に向かって逆流した。 それは裂け目そのものを貫き、物理的に凍結させていく。 音の発生源である空間の歪みさえも、彼の怒りの冷気が封じ込めていく。
「ギャ……ァ……」
裂け目の奥から聞こえていた不気味な声が、凍りついて途絶えた。 不協和音が消滅する。 空を覆っていた紫色の雲が、氷の結晶となってキラキラと降り注ぐ。
圧倒的だった。 これが、父の力。 家族を守るために本気になった男の、底力。
レオンハルト様は、裂け目が完全に沈黙したのを確認すると、剣を消滅させ、ガクリと膝をついた。
「パパ!」
ノア様が私の腕から飛び出し、駆け出した。 アルフォンス様とミレイユ様も続く。 私も、震える足で彼のもとへ走った。
「……レオンハルト様!」
彼は血まみれで、息も絶え絶えだったが、駆け寄ってきたノア様をしっかりと受け止めた。
「……パパ、パパ……」
「……ああ。ノア。……聞こえたぞ」
レオンハルト様は、血に濡れていない方の手で、ノア様の頭を撫でた。 その目は、今まで見たこともないほど優しく、そして泣いていた。
「お前……喋れたんだな。……ママって、呼べたんだな」
「うん……ママ、たすけてくれた。パパも、たすけてくれた」
ノア様が泣きながら答える。 レオンハルト様は、感極まったように顔を歪め、ノア様を抱きしめた。
「よかった……本当によかった……」
「あなた……」
私が追いつくと、レオンハルト様は私を見上げた。 その表情は、英雄のそれではなく、ただの一人の夫としての安堵に満ちていた。
「クラリス。……君のおかげだ」
「いいえ。ノア様が……この子が奇跡を起こしてくれました」
私は二人に覆いかぶさるようにして抱きしめた。 アルフォンス様とミレイユ様も加わり、私たちは雪の降る庭で、一つの塊になった。
寒いはずの北の夜。 けれど、私たちの周りだけは、春のように温かかった。
空の裂け目は凍りつき、魔獣の群れは消え去った。 屋敷からは、助かった領民たちの歓声が上がり始めている。 私たちは勝ったのだ。
けれど、まだ全てが終わったわけではなかった。 戦いの興奮が冷めやらぬ中、ミレイユ様がポツリと言った。
「……ねえ。ノアだけズルい」
彼女は涙を拭い、鼻をすすりながら、私をじっと見つめていた。 その瞳には、決意の色が宿っていた。
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