27 / 31
第二十七話「ミレイユの決断」
長い夜が明け、北方の空に朝日が昇った。 不気味な紫色の雲は消え去り、澄み渡るような青空が広がっている。 屋敷の庭には、昨夜の激闘の爪痕――砕けた石畳や、焼け焦げた芝生――が残っていたが、不思議と空気は清々しかった。
「……終わったんですね」
テラスに出て、私は眩しい光に目を細めた。 隣には、傷の手当を終えたレオンハルト様が立っている。 包帯姿が痛々しいが、その横顔は穏やかだった。
「ああ。裂け目は完全に塞がった。当分は開くこともないだろう」
「よかったです。……本当に」
安堵と共に、全身の力が抜けていく。 私たちは生き残った。 家族全員で、あの絶望的な夜を越えたのだ。
庭では、子供たちがはしゃいでいた。 ノア様は、すっかり元気を取り戻し、アルフォンス様と雪玉を作っている。 そしてミレイユ様は……瓦礫の山となった花壇の前で、何かを探すようにしゃがみ込んでいた。
「ミレイユ様?」
私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、何かを背中に隠した。
「な、なんでもないわよ!」
強がりな声。でも、その目は少し赤かった。 彼女が隠そうとしたのは、たぶん、昨夜の戦闘で泥だらけになった、あのお気に入りの青いリボンだろう。
◇
午後になり、王都からの援軍が到着した。 国王陛下の命を受けた近衛騎士団と、救援物資を積んだ馬車列だ。 もっとも、戦いはすでに終わっていたため、彼らの主な任務は事後処理と被害状況の確認となった。
その一団の中に、見覚えのある豪奢な馬車があった。 扉が開き、コツ、コツという杖の音が響く。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
私は小さく溜息をつき、姿勢を正した。 現れたのは、ヴィルヘルミナ伯母様だ。 「氷の女帝」は、瓦礫の山となった屋敷の前庭を見渡し、眉をひそめた。
「なんと無様な。グレイフ公爵家の庭が、まるで戦場跡のようではないか」
厳しい第一声。 出迎えたレオンハルト様が、一歩前に出る。
「伯母上。これは名誉ある傷跡です。家族と領民を守り抜いた証ですから」
「ふん。守り抜いた、か。……結果オーライという顔をしているね、レオンハルト」
伯母様は冷ややかに鼻を鳴らし、私の方へと向き直った。
「クラリス。あなたに預けておいて、この惨状ですか。子供たちを危険に晒し、屋敷を半壊させ……それでもまだ、『母親』を名乗るつもり?」
刺すような言葉。 周囲の騎士たちが息を呑む。 けれど、私は動じなかった。
「ええ、名乗ります。屋敷は直せますが、失われた命は戻りません。私は子供たちの命を守り抜きました。その一点において、私は胸を張れます」
私が言い切ると、伯母様は目を細め、値踏みするように私を見た。 そして、視線を子供たちへと移した。
「……ミレイユ。こちらへおいで」
名を呼ばれたミレイユ様が、ビクリと身を強張らせた。 彼女はおずおずと進み出た。 その手には、泥だらけになったリボンが握りしめられている。
「久しぶりだね。……ずいぶんと汚れた格好をして」
伯母様は、ミレイユ様の煤けたドレスと、乱れた髪を見下ろした。 王都での夜会の時のような、着飾った美しい姿ではない。
「怖かっただろう? あんな怪物が空を飛び、轟音が響く夜など」
「……うん、怖かった」
「そうだろうね。……やはり、継母など当てにならなかったのではないかい?」
伯母様は、意地悪く、そして試すように囁いた。
「所詮は他人だよ。いざとなれば、自分の命が惜しくなる。昨夜も、本当はあなたたちを置いて逃げたかったのかもしれないよ?」
「……っ」
「可哀想に。実の母なら、もっと優しく、もっと安全に守ってくれただろうに。……やはり、この女では役不足だったのさ」
それは、ミレイユ様の心の奥底にある、一番柔らかくて脆い部分を突く言葉だった。 実母への憧れと、継母への不信感。 その隙間に、冷たい楔を打ち込むような問いかけ。
ミレイユ様が俯く。 握りしめたリボンがくしゃくしゃになる。 私は口を挟みそうになったが、レオンハルト様が私の腕を掴んで止めた。 首を横に振る。 (信じて待て)と、その目は言っていた。
沈黙が続く。 風が吹き抜け、伯母様が「やはりね」と吐き捨てようとした、その時。
「……ちがう」
ミレイユ様が顔を上げた。 その瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「違う……! クラリス様は、逃げなかった!」
「ミレイユ?」
「一番怖かったはずなのに……私たちが泣いてる時、ずっと前に立っててくれた! 怪獣の炎が来た時も、抱きしめてくれた! 『家には入れない』って、叫んでくれた!」
ミレイユ様は叫んだ。 昨夜の記憶。黄金の光の中で、私たちがどうやって生き延びたか。 その熱さを、彼女は肌で覚えていた。
「実のお母様のこと、私はよく覚えてない。……でも」
彼女は私の方を振り返った。 その顔は涙でぐしゃぐしゃだったけれど、今まで見たどの表情よりも美しく、愛おしかった。
「髪を梳かしてくれる手も、作ってくれるクッキーの味も、破れたドレスを直してくれる魔法も……全部、全部、温かかったもん!」
「ミレイユ様……」
「役不足なんかじゃない! 他人なんかじゃない!」
彼女は伯母様に向き直り、小さな足で地面をダンッ! と踏み鳴らした。
「この人がいいの! クラリス様じゃなきゃ、イヤなの!」
そして、彼女は息を吸い込み、ありったけの声で宣言した。
「だって……だって、クラリス様は、私のママだもん!!」
「――っ」
時が止まった。 王都の夜会では言い淀み、昨夜のベッドの中では「まだ言わない」と強がっていた言葉。 それを、彼女は今、誰に強制されるでもなく、自分の意志で叫んだ。
「ママは、ママよ! 誰がなんと言おうと、私の大好きなママなんだからぁぁぁ!!」
わぁぁぁん、と子供らしい泣き声を上げ、ミレイユ様は私の方へ駆け出してきた。 私は膝をつき、飛び込んできた彼女を全力で受け止めた。
「……ママぁ……!」
「はい。……はい、ミレイユ」
私は彼女を抱きしめ、背中を撫でた。 温かい涙が、私の肩を濡らす。 ああ、やっと。 あの一番強がりで、一番寂しがり屋だった長女が、心の鎧を脱ぎ捨ててくれた。
「ありがとう。……呼んでくれて、ありがとう」
私も泣いていた。 三人の子供たちからの拒絶で始まった日々。 「母はいりません」と言われたあの日から、どれだけの道のりだったろう。 今、その答えがこの腕の中にある。
レオンハルト様が、目を潤ませて私たちを見守っていた。 アルフォンス様も、ノア様も、もらい泣きをしている。
しばらくして。 感動的な抱擁を見せつけられたヴィルヘルミナ伯母様は、ふう、と深いため息をついた。 しかし、その表情からは、先ほどまでの険しさが消えていた。
「……完敗だね」
彼女は杖をつき、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「ここまで言われては、意地悪な伯母役も続けられないよ。……認めよう、クラリス」
伯母様は、私の肩にそっと手を置いた。
「あなたは、グレイフ家の嫁として……いいえ、この子たちの母親として、合格だ」
「……お義母様」
「よくやった。本当に、よく守り抜いた」
その言葉は、初めて聞く、心からの労いだった。 彼女はずっと、私を試していたのだ。 グレイフ家という重圧に耐え、子供たちの心を救えるだけの強さと愛情があるかどうかを。
「さて、感動の対面はこれくらいにして」
伯母様は表情を引き締め、懐から一枚の書状を取り出した。 その瞬間、場の空気がピリリと変わる。
「私がここに来たのは、ただの視察ではない。……王都で捕縛されたリディア・バーンズの証言から、ある事実が判明してね」
「事実?」
「ああ。今回の裂け目の崩壊……あれを手引きした『内通者』についてだ」
内通者。 王都で術式を干渉させ、魔獣を呼び寄せた実行犯。 王太子ルドルフとリディアは黒幕だったが、彼らの手足となって動いていた術者がいるはずだ。
「その名は……カイル・フォン・ホルスタイン」
伯母様が告げた名前に、レオンハルト様が息を呑んだ。
「カイル……? まさか、あのカイルか?」
「知っているのですか?」
私が尋ねると、レオンハルト様は苦渋の表情で頷いた。
「ああ。……かつて、俺と共に剣を学んだ親友だ。今は王宮魔術師団の副団長を務めているはずだが」
親友。 その言葉の重みに、胸がざわついた。
「彼は今回の騒動の混乱に乗じて姿を消した。だが、痕跡は残っている」
伯母様は北の方角、境界のさらに奥を指差した。
「彼は北へ逃げた。……おそらく、まだ何かを企んでいる」
裂け目は塞がったはずだ。 だが、それをこじ開ける技術を持つ術者が、まだ野放しになっている。 そして彼は、レオンハルト様の親友であり、このグレイフ領の地理にも詳しいはずだ。
「……決着をつけねばなるまい」
レオンハルト様が呟く。 その瞳には、親友に裏切られた悲しみよりも、家族を脅かした者への静かな怒りが燃えていた。
「待ってください、パパ」
私の腕の中で、ミレイユ様が顔を上げた。 彼女は涙を拭い、キッと父を見上げた。
「行くなら、私も行く」
「なっ……馬鹿を言うな。危険だ」
「危険だからよ! パパ一人で行かせたら、また無茶するでしょ? ママを心配させるでしょ?」
ミレイユ様は私の手を握り、そしてアルフォンス様とノア様の手も取った。
「私たちも家族だもん。……もう、パパを一人にはさせない」
「ミレイユ……」
「それに、私、言いたいことがあるの。そのカイルって人に」
彼女は小さな拳を握りしめた。
「『私の家族に手を出したら、許さないんだから!』って、言ってやるの!」
その剣幕に、レオンハルト様は呆気に取られ、そして吹き出した。
「ははは! そうか。……頼もしいな」
彼はしゃがみ込み、娘の頬についた泥を指で拭った。
「だが、戦場には連れて行けん。……その代わり、家を守っていてくれ。帰る場所があるから、俺は強くなれる」
「……むぅ。分かった。じゃあ、絶対に勝ってきてよね」
「約束する」
指切り。 父と娘の、新しい約束。
これで、長女ミレイユ様の心も完全に解けた。 「ママ」という言葉は、私たち家族を繋ぐ最強の魔法となった。
残るは一人。 長男、アルフォンス様。 彼は今、静かに父の背中を見つめている。 その瞳には、十歳の少年とは思えないほどの、強い決意の光が宿っていた。
「……父上」
彼が口を開く。
「カイル・ホルスタイン討伐……僕も、同行させていただけませんか?」
「……終わったんですね」
テラスに出て、私は眩しい光に目を細めた。 隣には、傷の手当を終えたレオンハルト様が立っている。 包帯姿が痛々しいが、その横顔は穏やかだった。
「ああ。裂け目は完全に塞がった。当分は開くこともないだろう」
「よかったです。……本当に」
安堵と共に、全身の力が抜けていく。 私たちは生き残った。 家族全員で、あの絶望的な夜を越えたのだ。
庭では、子供たちがはしゃいでいた。 ノア様は、すっかり元気を取り戻し、アルフォンス様と雪玉を作っている。 そしてミレイユ様は……瓦礫の山となった花壇の前で、何かを探すようにしゃがみ込んでいた。
「ミレイユ様?」
私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせ、何かを背中に隠した。
「な、なんでもないわよ!」
強がりな声。でも、その目は少し赤かった。 彼女が隠そうとしたのは、たぶん、昨夜の戦闘で泥だらけになった、あのお気に入りの青いリボンだろう。
◇
午後になり、王都からの援軍が到着した。 国王陛下の命を受けた近衛騎士団と、救援物資を積んだ馬車列だ。 もっとも、戦いはすでに終わっていたため、彼らの主な任務は事後処理と被害状況の確認となった。
その一団の中に、見覚えのある豪奢な馬車があった。 扉が開き、コツ、コツという杖の音が響く。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
私は小さく溜息をつき、姿勢を正した。 現れたのは、ヴィルヘルミナ伯母様だ。 「氷の女帝」は、瓦礫の山となった屋敷の前庭を見渡し、眉をひそめた。
「なんと無様な。グレイフ公爵家の庭が、まるで戦場跡のようではないか」
厳しい第一声。 出迎えたレオンハルト様が、一歩前に出る。
「伯母上。これは名誉ある傷跡です。家族と領民を守り抜いた証ですから」
「ふん。守り抜いた、か。……結果オーライという顔をしているね、レオンハルト」
伯母様は冷ややかに鼻を鳴らし、私の方へと向き直った。
「クラリス。あなたに預けておいて、この惨状ですか。子供たちを危険に晒し、屋敷を半壊させ……それでもまだ、『母親』を名乗るつもり?」
刺すような言葉。 周囲の騎士たちが息を呑む。 けれど、私は動じなかった。
「ええ、名乗ります。屋敷は直せますが、失われた命は戻りません。私は子供たちの命を守り抜きました。その一点において、私は胸を張れます」
私が言い切ると、伯母様は目を細め、値踏みするように私を見た。 そして、視線を子供たちへと移した。
「……ミレイユ。こちらへおいで」
名を呼ばれたミレイユ様が、ビクリと身を強張らせた。 彼女はおずおずと進み出た。 その手には、泥だらけになったリボンが握りしめられている。
「久しぶりだね。……ずいぶんと汚れた格好をして」
伯母様は、ミレイユ様の煤けたドレスと、乱れた髪を見下ろした。 王都での夜会の時のような、着飾った美しい姿ではない。
「怖かっただろう? あんな怪物が空を飛び、轟音が響く夜など」
「……うん、怖かった」
「そうだろうね。……やはり、継母など当てにならなかったのではないかい?」
伯母様は、意地悪く、そして試すように囁いた。
「所詮は他人だよ。いざとなれば、自分の命が惜しくなる。昨夜も、本当はあなたたちを置いて逃げたかったのかもしれないよ?」
「……っ」
「可哀想に。実の母なら、もっと優しく、もっと安全に守ってくれただろうに。……やはり、この女では役不足だったのさ」
それは、ミレイユ様の心の奥底にある、一番柔らかくて脆い部分を突く言葉だった。 実母への憧れと、継母への不信感。 その隙間に、冷たい楔を打ち込むような問いかけ。
ミレイユ様が俯く。 握りしめたリボンがくしゃくしゃになる。 私は口を挟みそうになったが、レオンハルト様が私の腕を掴んで止めた。 首を横に振る。 (信じて待て)と、その目は言っていた。
沈黙が続く。 風が吹き抜け、伯母様が「やはりね」と吐き捨てようとした、その時。
「……ちがう」
ミレイユ様が顔を上げた。 その瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
「違う……! クラリス様は、逃げなかった!」
「ミレイユ?」
「一番怖かったはずなのに……私たちが泣いてる時、ずっと前に立っててくれた! 怪獣の炎が来た時も、抱きしめてくれた! 『家には入れない』って、叫んでくれた!」
ミレイユ様は叫んだ。 昨夜の記憶。黄金の光の中で、私たちがどうやって生き延びたか。 その熱さを、彼女は肌で覚えていた。
「実のお母様のこと、私はよく覚えてない。……でも」
彼女は私の方を振り返った。 その顔は涙でぐしゃぐしゃだったけれど、今まで見たどの表情よりも美しく、愛おしかった。
「髪を梳かしてくれる手も、作ってくれるクッキーの味も、破れたドレスを直してくれる魔法も……全部、全部、温かかったもん!」
「ミレイユ様……」
「役不足なんかじゃない! 他人なんかじゃない!」
彼女は伯母様に向き直り、小さな足で地面をダンッ! と踏み鳴らした。
「この人がいいの! クラリス様じゃなきゃ、イヤなの!」
そして、彼女は息を吸い込み、ありったけの声で宣言した。
「だって……だって、クラリス様は、私のママだもん!!」
「――っ」
時が止まった。 王都の夜会では言い淀み、昨夜のベッドの中では「まだ言わない」と強がっていた言葉。 それを、彼女は今、誰に強制されるでもなく、自分の意志で叫んだ。
「ママは、ママよ! 誰がなんと言おうと、私の大好きなママなんだからぁぁぁ!!」
わぁぁぁん、と子供らしい泣き声を上げ、ミレイユ様は私の方へ駆け出してきた。 私は膝をつき、飛び込んできた彼女を全力で受け止めた。
「……ママぁ……!」
「はい。……はい、ミレイユ」
私は彼女を抱きしめ、背中を撫でた。 温かい涙が、私の肩を濡らす。 ああ、やっと。 あの一番強がりで、一番寂しがり屋だった長女が、心の鎧を脱ぎ捨ててくれた。
「ありがとう。……呼んでくれて、ありがとう」
私も泣いていた。 三人の子供たちからの拒絶で始まった日々。 「母はいりません」と言われたあの日から、どれだけの道のりだったろう。 今、その答えがこの腕の中にある。
レオンハルト様が、目を潤ませて私たちを見守っていた。 アルフォンス様も、ノア様も、もらい泣きをしている。
しばらくして。 感動的な抱擁を見せつけられたヴィルヘルミナ伯母様は、ふう、と深いため息をついた。 しかし、その表情からは、先ほどまでの険しさが消えていた。
「……完敗だね」
彼女は杖をつき、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「ここまで言われては、意地悪な伯母役も続けられないよ。……認めよう、クラリス」
伯母様は、私の肩にそっと手を置いた。
「あなたは、グレイフ家の嫁として……いいえ、この子たちの母親として、合格だ」
「……お義母様」
「よくやった。本当に、よく守り抜いた」
その言葉は、初めて聞く、心からの労いだった。 彼女はずっと、私を試していたのだ。 グレイフ家という重圧に耐え、子供たちの心を救えるだけの強さと愛情があるかどうかを。
「さて、感動の対面はこれくらいにして」
伯母様は表情を引き締め、懐から一枚の書状を取り出した。 その瞬間、場の空気がピリリと変わる。
「私がここに来たのは、ただの視察ではない。……王都で捕縛されたリディア・バーンズの証言から、ある事実が判明してね」
「事実?」
「ああ。今回の裂け目の崩壊……あれを手引きした『内通者』についてだ」
内通者。 王都で術式を干渉させ、魔獣を呼び寄せた実行犯。 王太子ルドルフとリディアは黒幕だったが、彼らの手足となって動いていた術者がいるはずだ。
「その名は……カイル・フォン・ホルスタイン」
伯母様が告げた名前に、レオンハルト様が息を呑んだ。
「カイル……? まさか、あのカイルか?」
「知っているのですか?」
私が尋ねると、レオンハルト様は苦渋の表情で頷いた。
「ああ。……かつて、俺と共に剣を学んだ親友だ。今は王宮魔術師団の副団長を務めているはずだが」
親友。 その言葉の重みに、胸がざわついた。
「彼は今回の騒動の混乱に乗じて姿を消した。だが、痕跡は残っている」
伯母様は北の方角、境界のさらに奥を指差した。
「彼は北へ逃げた。……おそらく、まだ何かを企んでいる」
裂け目は塞がったはずだ。 だが、それをこじ開ける技術を持つ術者が、まだ野放しになっている。 そして彼は、レオンハルト様の親友であり、このグレイフ領の地理にも詳しいはずだ。
「……決着をつけねばなるまい」
レオンハルト様が呟く。 その瞳には、親友に裏切られた悲しみよりも、家族を脅かした者への静かな怒りが燃えていた。
「待ってください、パパ」
私の腕の中で、ミレイユ様が顔を上げた。 彼女は涙を拭い、キッと父を見上げた。
「行くなら、私も行く」
「なっ……馬鹿を言うな。危険だ」
「危険だからよ! パパ一人で行かせたら、また無茶するでしょ? ママを心配させるでしょ?」
ミレイユ様は私の手を握り、そしてアルフォンス様とノア様の手も取った。
「私たちも家族だもん。……もう、パパを一人にはさせない」
「ミレイユ……」
「それに、私、言いたいことがあるの。そのカイルって人に」
彼女は小さな拳を握りしめた。
「『私の家族に手を出したら、許さないんだから!』って、言ってやるの!」
その剣幕に、レオンハルト様は呆気に取られ、そして吹き出した。
「ははは! そうか。……頼もしいな」
彼はしゃがみ込み、娘の頬についた泥を指で拭った。
「だが、戦場には連れて行けん。……その代わり、家を守っていてくれ。帰る場所があるから、俺は強くなれる」
「……むぅ。分かった。じゃあ、絶対に勝ってきてよね」
「約束する」
指切り。 父と娘の、新しい約束。
これで、長女ミレイユ様の心も完全に解けた。 「ママ」という言葉は、私たち家族を繋ぐ最強の魔法となった。
残るは一人。 長男、アルフォンス様。 彼は今、静かに父の背中を見つめている。 その瞳には、十歳の少年とは思えないほどの、強い決意の光が宿っていた。
「……父上」
彼が口を開く。
「カイル・ホルスタイン討伐……僕も、同行させていただけませんか?」
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています
かきんとう
恋愛
王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。
磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。
その中心に、私は立っていた。
――今日、この瞬間のために。
「エレノア・フォン・リーベルト嬢」
高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。
【完結】私を裏切った不倫夫に「どなたですか?」と微笑むまで 〜没落令嬢の復讐劇〜
恋せよ恋
恋愛
「早くあんな女と別れて、可愛い子と一緒になりたいよ」
不倫中の夫が笑う声を聞き、絶望の中で事故に遭うジェシカ。
結婚五年目に授かったお腹の子を失った彼女は、
「記憶を失ったフリ」で夫と地獄の婚家を捨てることを決意。
元男爵令嬢の薄幸ヒロインは、修道院で静かに時を過ごす。
独り身領主の三歳の男の子に懐かれ、なぜか領主まで登場!
無実の罪をなすりつけ、私を使い潰した報いを受けなさい。
記憶喪失を装った没落令嬢による、「ざまぁ」が幕を開ける!
※本作品には、馬車事故による流産の描写が含まれます。
苦手な方はご注意ください。主人公が絶対に幸せになる
物語ですので、安心してお読みいただければ幸いです。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
【完結済】破棄とか面倒じゃないですか、ですので婚約拒否でお願いします
紫
恋愛
水不足に喘ぐ貧困侯爵家の次女エリルシアは、父親からの手紙で王都に向かう。
王子の婚約者選定に関して、白羽の矢が立ったのだが、どうやらその王子には恋人がいる…らしい?
つまりエリルシアが悪役令嬢ポジなのか!?
そんな役どころなんて御免被りたいが、王サマからの提案が魅力的過ぎて、王宮滞在を了承してしまう。
報酬に目が眩んだエリルシアだが、無事王宮を脱出出来るのか。
王子サマと恋人(もしかしてヒロイン?)の未来はどうなるのか。
2025年10月06日、初HOTランキング入りです! 本当にありがとうございます!!(2位だなんて……いやいや、ありえないと言うか…本気で夢でも見ているのではないでしょーか……)
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※小説家になろう様にも掲載させていただいています。
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
婚約者は妹のような幼馴染みを何より大切にしているので、お飾り妻予定な令嬢は幸せになることを諦めた……はずでした。
待鳥園子
恋愛
伯爵令嬢アイリーンの婚約者であるセシルの隣には『妹のような幼馴染み』愛らしい容姿のデイジーが居て、身分差で結婚出来ない二人が結ばれるためのお飾り妻にされてしまうことが耐えられなかった。
そして、二人がふざけて婚姻届を書いている光景を見て、アイリーンは自分の我慢が限界に達そうとしているのを感じていた……のだけど!?
虐げられていた次期公爵の四歳児の契約母になります!~幼子を幸せにしたいのに、未来の旦那様である王太子が私を溺愛してきます~
八重
恋愛
伯爵令嬢フローラは、公爵令息ディーターの婚約者。
しかし、そんな日々の裏で心を痛めていることが一つあった。
それはディーターの異母弟、四歳のルイトが兄に虐げられていること。
幼い彼を救いたいと思った彼女は、「ある計画」の準備を進めることにする。
それは、ルイトを救い出すための唯一の方法──。
そんな時、フローラはディーターから突然婚約破棄される。
婚約破棄宣言を受けた彼女は「今しかない」と計画を実行した。
彼女の計画、それは自らが代理母となること。
だが、この代理母には国との間で結ばれた「ある契約」が存在して……。
こうして始まったフローラの代理母としての生活。
しかし、ルイトの無邪気な笑顔と可愛さが、フローラの苦労を温かい喜びに変えていく。
さらに、見目麗しいながら策士として有名な第一王子ヴィルが、フローラに興味を持ち始めて……。
ほのぼの心温まる、子育て溺愛ストーリーです。
※ヒロインが序盤くじけがちな部分ありますが、それをバネに強くなります
※「小説家になろう」が先行公開です(第二章開始しました)
編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?
灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。
しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
【完結】白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!