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4幕 家守の鏡
13 雨
しおりを挟む山を中腹まで登ると、視界が開ける場所に出た。
霧雨が煙る青灰色の空を背にして、まるで天をつく塔のように、岩山がいくつも並んでいる。その根元では川がゆったりと流れており、遠くで魚が跳ねるのが見えた。
「まるで今にも仙人が出てきそうな幽境ですね」
天祐が頭にかぶった笠の位置を整えながら、感想をこぼす。
「ああ。白領では見ない景色だ」
碧玉は雨に濡れた地面で転ばないように気を付け、天祐の隣に並ぶ。供の者達も足をとめ、目の前の景色に見入っている。一行はそれぞれ、登山に向いた軽装と笠をかぶっていた。この辺りの天気はころころと変わりやすいと聞いていたからだ。登山を中止するほどの雨ではないが、視界が遮られるのは面倒なので、笠を用意してきて良かった。
そうしている間に、雲間から光が差し込んで雨が止んだ。
「おお、神々しい光景ですね」
白蓮がほうとため息をつく。
「はは。仙人がいらっしゃるのは白領のほうでは?」
安が真面目な顔で口を挟んだ。
「ええ、領地を見守っていてくださるようですよ。困っていると、夢に現れて助言してくださるとか」
白蓮が否定しないので、安はわずかに目を見張る。
「冗談のつもりでしたが、さすがは白領ですね。さて、雨も止みましたし、進みましょうか。昼までには岩屋まで着きませんと、帰りに困ります。ここは日が沈み始めるとあっという間に暗くなるので危険なんですよ」
安は空を見上げて、心配そうにつぶやく。
「式神を使えれば良かったんですが、虎の妖怪を刺激するのもまずいですしね」
天祐は周囲を気にするそぶりを見せる。
「安殿のおっしゃる通り、あの妖怪は道には近づきませんが、遠くからこちらをうかがっていますよ」
「そうなのですか? 道士を警戒しているのかもしれませんね」
安は周りを見回し、首を傾げる。天祐が一言添えた。
「随分遠いですから、分からなくて当然です」
「そうだな。我々でも、なんだか嫌な感じがする程度だ。そうではありませんか、崔師父」
碧玉は頷いて、白蓮に話を振る。
「ええ」
同意する白蓮の後ろで、白家からついてきた道士はそろって頷いた。
「今日、同行している者には護符を渡しているので、はぐれても死にはしないはずです」
「それでも、白宗主様。謎かけされて答えを間違えれば、食べられてしまいますよ。白明鏡を作ってくださった白家の道士様があの虎を追い払い、そういう約束をしたのです。無暗に食べるのは許さないが、条件付きで許すと」
「それで退治の依頼をされないんですね」
「ええ。恐ろしい妖怪ですが、あれのおかげで、この辺りの山にある貴重な薬草の生息地を荒らされずに済んでいますので。賊だって恐れて近づきません。なんなら、桃領の治安を助けてくれているほどです」
「なるほど」
桃家の者を襲わないのなら、それ以外の者には脅威になる。桃家が虎の妖怪を放っておくはずだ。
(妖怪の脅威も、領地の守護に活用するとは……。桃家の者はあまり武術に秀でていないから、こうして身を守るしかないのだな)
碧玉からすれば、脅威を傍に置くなどごめんだが。いったいどういう約束があるのか知らないが、そこを逸れれば、その虎はいつだって危害を加えてくる恐れがある。
「ところで、紫曜。そなた、やけに静かではないか?」
おしゃべり好きな紫曜が何も言わないので、碧玉は不気味に思って問う。上の空だった紫曜は、きょとんと瞬きをした。
「ん? いや、道を通れば虎の妖怪は近づけないというから、何か法具でもあるのかと気になっていてな。恐らく風水を利用した結界術の応用だろうが……。道にだけ草が生えていないのを見るに、塩をまいているのかと考えていた」
さすがは法具作りの専門家だけあって、着眼点が違う。碧玉は改めて地面を観察した。
「そう言われると確かに、砂利が撒かれた道にだけ草が生えておらぬな」
「紫曜兄上、よくお分かりになりましたね。心配しなくても、塩は少量ですよ。塩害になって、薬草に影響が出てはいけませんから。他には、魔除けとして、桃の枝を燃やした灰、水晶のカスなんかを撒くことも。桃家の許しがなければ入れない地というだけで、許しさえあれば出入りはできます。人が踏みしめてできた道ですね」
安はそこで再び首を傾げる。
「その風水を利用した結界術というのは、私にはわかりません。白明鏡を作った白家の道士様が、何か手助けしてくださったとは聞いております」
「それほどとは、よほど親しくしていたのだな」
紫曜が感心した様子で言う。
「そんなに驚くことだろうか。そのご先祖様は、そなたみたいなお人好しだったのではないか」
「ああ、なるほど……。って、私を引き合いに出すな」
「頼む、すごく困っているんだ。どうか手を貸してくれ! と言われたどうだ」
「……助ける」
「そういうことだ」
碧玉と紫曜のやりとりに、あちらこちらから笑いがこぼれる。紫曜がにらむと、黒家の供はさっと目をそらした。
「安殿からはぐれたら、道まで逃げ込めばなんとかなりそうですね。では、参りましょう」
天祐が話をまとめ、一行は再び移動を始める。
急こう配の山をゆっくりと登り、太陽が高く昇る頃に岩屋までたどり着いた。岩屋というだけあって、大きな岩が道にせりだしている洞窟だ。
その時には、再び天気が変わり、雨が降り始めた。遠くで空を走る稲光が不吉だ。
「さあ、皆さん、中にお入りください。雷は危険なので、いったん雨が止むまで待ちましょう」
安が促すと、桃家の従者が入り口に立てかけてある戸板をずらす。洞窟の入り口が現れた。中は想像以上に広く、住居になっている。
衣服についた雫を払いながら、一行は急いで中へ入る。
「おお、これはすごい。人が住めるようになっているとは」
紫曜が好奇心いっぱいに岩屋の中を見回す。
入口付近には竈があり、簡単な調理場もある。入ってすぐの場所には、四人掛けの食卓と椅子が置いてあった。奥には扉で仕切られた部屋が二つある。
「桃家の先祖が神農を祀り、山で研究をしていた時の拠点なんですよ。今は薬草を採取しに来た者の宿泊場所になっていますが、昔は薬草保管もしていたようですね」
安はそう言うと、困った顔をした。
というのも、雨音が激しくなり、落雷の轟音まで響き始めたせいだ。
「今日はこれ以上の登山は危険なので、ここで一泊いたしましょう。あの薬草は崖の上にあるため、こんな状況で近づくには危険すぎます」
安の提案を否定する者は誰もいないが、紫曜が代表して受け答えをする。
「ああ、そうしよう、安殿。案内してくださっている貴殿まで巻き込んでは、伯父上に面目が立ちませんから。白宗主はどうですか」
「もちろん、そうします。白家の道士は妖怪相手には強いですが、さすがに雨や落雷はどうにもできませんからね」
天祐は冗談まじりに言い、場の空気を軽くした。安はほっと息をつく。
「良かった。では、明日の朝に再出発いたしましょう。ところで、あちらは竹の牀頭が二つあるだけの二人部屋で、他の方は雑魚寝となりますが……」
誰が使うかという問いに、紫曜が素早く口を挟む。
「それなら、安殿、私とともに泊まらないか。従兄弟同士で話すのも悪くない。もう一つは白宗主が使うといいだろう」
「それはいいですね、紫曜殿。では私は供の者と使わせていただきます」
できれば壁際で休みたいものだと考えていた碧玉は、突然、天祐にがしっと左腕を掴まれて驚いた。
「なんですか、白宗主様。私は雑魚寝で構いませ……」
「ええ、ぜひとも銀嶺殿とお使いになってください!」
「そうですよ。文官殿は体力も少ないのですから!」
碧玉が言い終える前に、白蓮と丹青が大きな声で主張した。同行した白家と黒家の供は碧玉の正体を知っているので、気遣ってくれているらしい。頼むから部屋を使ってくれという懇願さえにじんだ眼差しを向けられ、碧玉は礼として拱手した。
「では、ありがたく使わせていただく」
皆がほっとして空気を緩ませるのを、安や桃家の供はけげんそうにしている。
「それにしても、竈があるのは大助かりですね。鍋や食材を背負ってきた甲斐があります。今日は私に腕を振るわせてください」
灰炎が明るい調子で言い、浮き浮きと調理台のほうへ向かい、荷を下ろす。鍋を調理場にのせると、背負い籠だけ持ってきた。
「これでよし、と。さあ、お二人とも、濡れねずみですから着替えましょう。こんなこともあろうかと、荷を油布で包んでおいたのです。着替えは無事だと思いますよ」
「用意周到だな、灰炎。道理でやけに大きな荷を背負っていると思った」
灰炎はこだわりがあるから、碧玉は特に触れなかったが、背負っている籠に鉄鍋までくくりつけていたので、大荷物だったのだ。
「あれでそこまで重くはないのですよ。こつがありまして。上に重い荷を積むと、負担が軽くなるのです」
碧玉は生まれてこの方、荷運び役などしたことはないので、そんなものなのかと純粋に感心した。
「さあさあ、参りましょう。お風邪を召されてはいけません。……宗主様も」
灰炎は碧玉を優先するあまり、うっかり天祐をついで扱いしたが、天祐は特に気にしていない。
「私の心配はしなくていいぞ。幼い頃から、風邪など滅多と引かないんだ」
そういえば天祐は白家で冷遇されていた幼い頃ですら病気になったと聞いたことがない、健康優良児だった。
(もしや、天祐が寝込んだのは、霊力があふれた元服の日くらいではないか?)
碧玉はそんなことを思い出しながら、ひとまず部屋に入った。
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