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4幕 家守の鏡
17 話し合いと、謎かけの答え
しおりを挟む肌にまとわりつく湿度が不快で、碧玉は目を開けた。見慣れない岩の天井が見え、眉を寄せる。どこかの洞窟にいるようだ。
「なんだ? 何かおぞましいものを見たような……」
額に手を当てて起き上がると、安がこちらを見下ろした。その肩にヤモリが一匹乗っているのを見て、否応がなく思い出させられた。
「ああ、良かった。起きたようですね」
碧玉は安から数歩離れ、周りを見回す。
「心配しなくても、ヤモリ達は帰しましたから。この子以外」
「そうか……」
ひとまず碧玉は安堵した。普段はヤモリのことなどなんとも思わないが、群れで来られると気持ちが悪い。しかも崖から滑り台の形を作り、碧玉達を安全に下まで下ろそうとするとは。
「銀嶺殿は、崖からの落下の途中で気絶したのですよ。とても驚きました。人間というのは、思っていたよりか弱いので、やはり大事に守らねばなりませんね」
安はそんなことを言って、うんうんと頷いている。
「その話ぶり、安殿は人間ではないのか?」
碧玉は率直に問う。安は洞窟の入り口側に立っており、差し込んだ光のせいで、緑の目がキラリと光った。
「私は人間ですよ、今はね」
「昔は妖怪だったとか? しかし、それならば浄火が効かないはずはない。神仙の類だというなら、敬意をもって接しようではないか」
安は困った顔をしてしばし沈黙し、微苦笑を浮かべる。
「私のことはいったん横に置いておきましょう。それより、あなたのことです。白家の濃い血を継いでいるあなたのことは、桃領に入った時から気にかかっておりました。あの今代の白宗主よりも濃いのではありませんか?」
「領土内のことが分かるのか? ますます謎めいているが……そういえばおかしなことを言っておったな。天祐が私を虐待だと? どうしてそんな誤解をした」
「違うのですか?」
安は真剣な面持ちで、碧玉のほうへ詰め寄った。
「あなたの背中にはひどいむち打ちの痕があったではありませんか」
「安殿とはそもそもほとんど話していないのに、どうして私の背中のことを知っているのだ」
「それは……あなたが入浴している姿を見たもので」
「は?」
碧玉はふと、風呂に入っている時に物音がしたことを思い出した。
「だが、あの時は誰もいなかったはず」
「私は一時的にヤモリの視界を借りることができるんですよ。道術にも似たような術がおありでしょう?」
「魂繋ぎの術のことか?」
式神に魂の一部を預け、その視界を借りることができる術だ。天祐は無意識によく使っていたが、碧玉は式神に魂を預けるなどおぞましくて使えない。
「あれと似たようなことをしている……とお考えください。白家の食客の体調が悪いと聞いて、念のために様子見をしに行ったんですよ。ひどいようならば、私が診察に行こうかと思っておりました」
明らかに人間離れしたことを言っているのに、安の言葉には善意が溢れている。
(訳が分からぬが、この男、本当に乱暴者だったのか?)
とてもではないが、幼い妹に意地悪をする兄には見えない。碧玉は安の様子をいぶかしんだ。
「ヤモリの視界を借りたのは、宴席を抜ける隙がなかったせいですよ。邸内の警護は私の日常業務なもので、気にしないでください」
「つまり、日常的にヤモリの視界を借りて、邸内を監視しているということか?」
「監視とは……。異変がないか確認しているとおっしゃっていただきたい」
安は気を悪くしたようで、かすかに眉を寄せた。
(紫曜が言っていた、誰もいないのに視線を感じるというのは、この男がヤモリの視界を借りていたせいなのか?)
だんだんとつじつまが合ってきた。
「それで、本題です。あなたは白宗主に弱みでも握られて、ひどい目に遭っているのではありませんか。私は白家には恩があるのです。子孫のあなたが冷遇されているならば、助けなければなりません」
「子孫……?」
まるで長生きしているような言い方だ。
碧玉は安の口ぶりが引っかかったが、このままでは天祐に災いが降りかかりそうなので、きちんと教えておくことにした。
「天祐から冷遇などされておらぬ。はあ、分かった。白家に恩を感じているならば、私の正体について口外しないと誓えるな?」
「ええ、もちろん、秘密は守りますよ」
安がしっかりと頷いたので、碧玉は自分の過去について打ち明けた。
話を聞き終えた安は、信じられないと目を丸くしてよろめく。
「嘘でしょう。天下を統べる帝たるお方が、そのような下劣な人物だったとは! 白家の変事は耳に入っておりましたが、都からは桃領は遠すぎて、詳細は流れてこなかったのです」
どういうわけか、安は碧玉本人よりも衝撃を受けており、顔が青ざめて今にも倒れそうに見えた。
「おい、落ち着かぬか」
「では、白宗主はむしろあなたを守っておいでなのですね。……これはまずいことをしました」
安は気まずそうに目を逸らす。
「貴様、何をした?」
「白眉を呼んだもので……。彼らが謎かけを間違えて、喰われていないといいのですが」
そういえば大きな黄虎が現れたではないかと、碧玉は思い出した。洞窟から出て、頭上を見上げる。〈深山〉の崖は、はるか上にあるようだ。地道に戻っていては間に合わない。
「ちっ、しかたがない。式神で飛ぶか」
碧玉は懐から呪符を取り出し、呪を唱えて、大きな鳥の式神を召喚する。
「おお、素晴らしい術ですね!」
安は子どもみたいに目を輝かせて褒めた。
碧玉はそんな安を見ていると、肩透かしをくらう。問い詰めるべきだと思うのに、なぜかそんな気にならないのだ。
「謎かけの虎を刺激しないために式神は使わなかったが、今となっては無意味だろう。安殿も乗れ、上に戻るぞ」
「鳥に乗るなんて初めてです」
安は肩にのせていたヤモリをそっと地面に置いてから、碧玉のほうへ駆け寄ってきた。
碧玉が式神で山上まで飛んでいくと、天祐達が頭を突き合わせて話し合っているところだった。
「昨日、山の上で死んだ牛が、今日は山の下にある村を歩いている。これはなぜか。って、なんだよ。なんで死んだ牛が、翌日に生き返ってるんだ?」
頭を抱えているのは紫曜だ。天祐も首を傾げている。
「崔師父、術の類ということでしょうか」
「まさかそんなわけがないでしょう。この手の問答に、専門性などありませんから。しかし、この牛は山の上で死んだのに、翌日には山の下で歩いているだなんてどういうことでしょう」
碧玉はうんざりした気分になった。まさか全員そろって、虎が出した謎かけの答えに困っているとは思わない。
「昨日、山の上で死んだ牛が、今日は山の下にある村を歩いている。これはなぜか。簡単な話だ。答えは革靴になったから」
碧玉は空の上からそう答え、鳥に乗ったまま、薬草が生えている崖上のほうに着地する。
「えっ、銀嶺? ご無事だったんですね!」
「なんだ、貴様。足止めしろと言っておいて、戻ってきたのか?」
天祐が歓喜の声を上げ、白眉が面倒くさそうにぼやいた。
「天祐、誤解は解けたゆえ、心配しなくてよい。この男はいろいろと謎めいているが、善良だ」
碧玉は式神から飛び降りる。安も地面に降りたのを確認してから、式神の術を解除した。ひらりと呪符が舞うのを、すんなりと回収する。
「それで、謎かけの虎よ。答えは革靴になったから、であろう? 合っているなら、とっととその支配を解くのだ」
碧玉の不遜な命令に、白眉は不満げに応じた。
「ちっ、正解だ。おお、嫌だ嫌だ。白家のくさいにおいがする。お前を見ていたら、あの憎たらしい鏡を作り出した男を思い出す」
白眉は心底不愉快そうに言い、タシッと右脚で地面を叩く。
途端に天祐達は目に見えない束縛から解放された。
「銀嶺!」
天祐はすぐに碧玉のほうへ駆け寄り、怪我はないかと確認し始める。そんな天祐の額を、碧玉は人差し指で軽く小突いた。
「まったく、この愚か者! どうしてこんな簡単な謎かけに答えられぬのだ? 紫曜、そなたも情けないとは思わんのか!」
「銀嶺~」
「なんで私を名指しで怒るんだよっ」
天祐は額を手で押さえ、紫曜はすぐに言い返す。
「昨日死んだ牛が、どうして翌日に生き返るのか意味不明だったんだ」
口をとがらせて文句を言う紫曜を、碧玉はじろりとにらむ。頭痛を覚えながら、解説してやることにした。
「最初に山の上と言ったのに、その後、わざわざ山の下の『村』と言っているのだから、そこが手がかりだろうが。村を作るのは動物ではなく、人間だ。つまり山の上で死んだ牛の皮で、村人が靴を作って履き、地面を歩いていた。謎かけの虎よ、そういうことだな?」
碧玉が問うと、白眉は鼻面にしわを寄せて、めいっぱいの拒否感を示す。
「なんてことだ。あの道士と物言いまでそっくりではないか。これ以上、ここにいるなど我慢ならぬ。桃安よ、我はもう役目は終えたから帰らせてもらう」
「ああ、約束を守ってくれて感謝するよ、白眉。今度、礼として鹿肉でも持っていこう」
「どうせなら丸まると肥えた豚で頼むぞ」
白眉はちゃっかりと安に要求を突きつけ、くるりと身を翻す。人間ならば滑落するしかない斜面を、雲を蹴るように、軽やかに駆け下りていった。あっという間に木立に紛れて姿が見えなくなる。
「行ってしまいましたね」
崔師父がつぶやいて、肩から力を抜く。白眉を前に緊張していた一行は、ようやく気を緩めた。
「安殿、こんなことをしでかしたんです。もちろん、説明していただけるのでしょうね」
天祐はもちろん、他の面々の表情も固い。
「ええ、もちろんですが……。ひとまず下山しませんか。白眉はあの通りなので、式神を使っても大丈夫ですから」
安はほんの少しだけ困った顔をして、そう告げた。
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