後宮妃よ、紅を引け。~寵愛ではなく商才で成り上がる中華ビジネス録~

希羽

文字の大きさ
6 / 11

第六話:皇帝陛下の品質検査

しおりを挟む
 『玉肌香ぎょくきこう』の新たな供給ルートが確立して数週間。私の静蘭宮は、さながら小さな商会の本部のようになっていた。昼間は趙秀英と共に帳簿をつけ、夜は新たな商品の開発に没頭する。後宮の華やかな社交や寵愛争いとは無縁の、充実した日々だった。

 その日も、私と秀英は卓を挟み、次の主力商品である「美白美容液」の収支計画について議論を交わしていた。

「……白芷びゃくしの仕入れ値をもう少し抑えられれば、利益率はあと三割は上がりますわね」
「そのためには趙商会に、産地との直接交渉を……」

 その時だった。

「陛下のおな~り~!!」

 突如として宮の外に響いた甲高い声に、秀英は「ひっ」と短い悲鳴を上げて椅子から転げ落ちそうになった。私も、さすがに心臓が大きく跳ねるのを感じた。

 まさか、皇帝自らがこんな辺鄙な宮に、何の予告もなく現れるとは。

 慌てて平伏する私たちを気にも留めず、皇帝・蕭叡明ショウエイメイはゆっくりと部屋の中を見渡した。彼の視線は、壁際に並べられた薬草の束や、卓に広げられた帳簿、そして部屋に満ちる甘く複雑な花の香りに注がれている。

「ここが、後宮の流行を生み出しているという工房か」

 その声は、静かだが有無を言わせぬ響きを持っていた。

「面白い。私の宮殿に、このような場所があったとはな。案内せよ、李雪蘭」

 有無を言わせぬ命令だった。私は平静を装い、立ち上がると彼を部屋の奥、私の研究開発スペースへと導いた。そこには、すり鉢や薬研、蒸留器の代わりとなる陶器の数々、そして試験管のように並べられた小さな竹筒が整然と置かれている。

「……ほう。薬師の部屋のようだな」
「お恥ずかしながら、趣味でございます」
「趣味、か」

 皇帝は面白そうに口の端を上げた。彼は棚に並べられた『玉肌香』の製品──石鹸、保湿クリーム、そしてあの紅の小壺を手に取った。

「そなたは、これらで妃たちの心をつかんだというわけか。して、これらにはどのような価値がある?」

 私はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた。これは、人生で最も重要なプレゼンテーションだ。

 私は一つの石鹸を手に取り、語り始めた。

「こちらの石鹸は、洗浄成分である米ぬかに加え、保湿成分の蜂蜜を配合しております。汚れを落としつつも肌の潤いを奪わないため、洗い上がりがしっとりといたします。市場のものは洗浄力が強すぎるため……」

 媚びるでもなく、甘えるでもなく、ただ淡々と。私は製品の成分、製法、市場における優位性を、まるで前世で役員会議に臨むかのように説明した。叡明は黙って、しかし興味深げに私の言葉に耳を傾けていた。

 一通り説明が終わると、彼はあの紅の小壺を手に取った。

「なるほど、理屈は分かった。だが、化粧品の品質は、実際に試さねば分からぬものだろう?」

 そう言うと、彼は私に一歩近づいた。そして、私の顎にすっと指を添え、顔を上向かせる。整った顔が、吐息がかかるほどの距離に近づいた。

「そなた自身が、最高の見本とならねばな」

 叡明は指先で紅を少量すくい取ると、私の唇にそれを直接塗りつけ始めた。ひんやりとした紅の感触と、彼の指先の熱が、同時に唇に伝わる。

 私の頭は、この状況を冷静に分析しようとしていた。

(指で塗布した場合のテクスチャーの変化、体温による融解速度は……)

 だが、心臓は意思に反して、早鐘のように打ち始める。

「……なるほど、伸びが良い。それに、この艶は確かに見事だ」

 彼の囁きが、耳を掠める。私は平静を装い、声を絞り出した。

「はい。密蝋の配合比率を最適化し、唇の温度で最も滑らかに溶けるよう調整しておりますので」

 私のビジネスライクな返答に、彼はくつくつと喉で笑った。彼の指は私の唇から離れ、今度は首筋を通り、うなじへと滑っていく。

「では、この肌を作るというクリームも試してみたいものだな」

 指先がうなじの産毛に触れ、ぞくりとした感触が背筋を駆け上がった。これは品質検査などではない。私という人間を、女を、試しているのだ。

 私は衝動的に後ずさりしそうになるのを、ぐっと堪えた。ここで怯めば、私はただの「面白い玩具」で終わる。対等な取引相手にはなれない。

「……生憎ですが、陛下。そちらのクリームは夜用の保湿に特化したもの。日中にお試しになるのでしたら、紫外線防止効果のある別の製品をお勧めいたしますが」

 私の返答に、皇帝の動きがぴたりと止まった。

 そして次の瞬間、彼は大きな声で笑い出した。

「ハ、ハハハ! 面白い! 実に面白い女だ!」

 彼は私から離れると、心底楽しそうに言った。

「私の許しなく後宮で商いをするとは万死に値する大罪だ。だが……その罪を許すに値するか、今しばらく、そなたのあきないを見せてもらうとしよう」

 それは、黙認の言葉だった。いや、それ以上の、期待の言葉だった。

 皇帝・叡明は満足げに頷くと、踵を返し、嵐のように去っていった。

 その日の夕刻。張貴妃の宮。

「陛下が、静蘭宮の小娘のところへ……ですって!?」

 報告を聞いた張貴妃は、手にしていた杯を床に叩きつけた。

「私の妨害をすり抜けたばかりか、陛下のお目通りまで……。卑しい女狐めが!」

 嫉妬の炎が、彼女の美しい顔を醜く歪ませる。

 皇帝が自分ではなく、取るに足らない新人妃に興味を示した。その事実は、彼女のプライドをずたずたに引き裂いた。

「……もはや、生かしてはおけぬ」

 彼女の唇から、毒のような呟きが漏れた。

「次の手は、失敗など許されぬ。あの女を、後宮から……いいえ、この世から消し去るための、完璧な罠を仕掛けるのだ」

 その瞳に宿っていたのは、もはや単なる嫉妬ではない。

 獲物を確実に仕留めんとする、狩人の冷たい殺意だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】令嬢は売られ、捨てられ、治療師として頑張ります。

まるねこ
ファンタジー
魔法が使えなかったせいで落ちこぼれ街道を突っ走り、伯爵家から売られたソフィ。 泣きっ面に蜂とはこの事、売られた先で魔物と出くわし、置いて逃げられる。 それでも挫けず平民として仕事を頑張るわ! 【手直しての再掲載です】 いつも通り、ふんわり設定です。 いつも悩んでおりますが、カテ変更しました。ファンタジーカップには参加しておりません。のんびりです。(*´꒳`*) Copyright©︎2022-まるねこ

無能だと思われていた日陰少女は、魔法学校のS級パーティの参謀になって可愛がられる

あきゅう
ファンタジー
魔法がほとんど使えないものの、魔物を狩ることが好きでたまらないモネは、魔物ハンターの資格が取れる魔法学校に入学する。 魔法が得意ではなく、さらに人見知りなせいで友達はできないし、クラスでもなんだか浮いているモネ。 しかし、ある日、魔物に襲われていた先輩を助けたことがきっかけで、モネの隠れた才能が周りの学生や先生たちに知られていくことになる。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタにも投稿してます。

追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす

yukataka
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。

【完結】特別な力で国を守っていた〈防国姫〉の私、愚王と愚妹に王宮追放されたのでスパダリ従者と旅に出ます。一方で愚王と愚妹は破滅する模様

ともボン
ファンタジー
◎第17回ファンタジー小説大賞に応募しています。投票していただけると嬉しいです 【あらすじ】  カスケード王国には魔力水晶石と呼ばれる特殊な鉱物が国中に存在しており、その魔力水晶石に特別な魔力を流すことで〈魔素〉による疫病などを防いでいた特別な聖女がいた。  聖女の名前はアメリア・フィンドラル。  国民から〈防国姫〉と呼ばれて尊敬されていた、フィンドラル男爵家の長女としてこの世に生を受けた凛々しい女性だった。 「アメリア・フィンドラル、ちょうどいい機会だからここでお前との婚約を破棄する! いいか、これは現国王である僕ことアントン・カスケードがずっと前から決めていたことだ! だから異議は認めない!」  そんなアメリアは婚約者だった若き国王――アントン・カスケードに公衆の面前で一方的に婚約破棄されてしまう。  婚約破棄された理由は、アメリアの妹であったミーシャの策略だった。  ミーシャはアメリアと同じ〈防国姫〉になれる特別な魔力を発現させたことで、アントンを口説き落としてアメリアとの婚約を破棄させてしまう。  そしてミーシャに骨抜きにされたアントンは、アメリアに王宮からの追放処分を言い渡した。  これにはアメリアもすっかり呆れ、無駄な言い訳をせずに大人しく王宮から出て行った。  やがてアメリアは天才騎士と呼ばれていたリヒト・ジークウォルトを連れて〈放浪医師〉となることを決意する。 〈防国姫〉の任を解かれても、国民たちを守るために自分が持つ医術の知識を活かそうと考えたのだ。  一方、本物の知識と実力を持っていたアメリアを王宮から追放したことで、主核の魔力水晶石が致命的な誤作動を起こしてカスケード王国は未曽有の大災害に陥ってしまう。  普通の女性ならば「私と婚約破棄して王宮から追放した報いよ。ざまあ」と喜ぶだろう。  だが、誰よりも優しい心と気高い信念を持っていたアメリアは違った。  カスケード王国全土を襲った未曽有の大災害を鎮めるべく、すべての原因だったミーシャとアントンのいる王宮に、アメリアはリヒトを始めとして旅先で出会った弟子の少女や伝説の魔獣フェンリルと向かう。  些細な恨みよりも、〈防国姫〉と呼ばれた聖女の力で国を救うために――。

追放された令嬢、辺境の小国で自由に生きる

腐ったバナナ
ファンタジー
宮廷で「役立たず」と烙印を押され、突如として追放された令嬢リディア。 辺境の小国の荒れた城跡で、誰の干渉もない自由な生活を始める。 孤独で不安な日々から始まったが、村人や兵士たちとの触れ合いを通して信頼を築き、少しずつ自分の居場所を見つけていく。 やがて宮廷ではリディア不在の混乱が広がり、かつての元婚約者や取り巻き令嬢たちが焦る中、リディアは静かに、しかし確実に自身の価値と幸せを取り戻していく――。

【完結】無能と婚約破棄された令嬢、辺境で最強魔導士として覚醒しました

東野あさひ
ファンタジー
無能の烙印、婚約破棄、そして辺境追放――。でもそれ、全部“勘違い”でした。 王国随一の名門貴族令嬢ノクティア・エルヴァーンは、魔力がないと断定され、婚約を破棄されて辺境へと追放された。 だが、誰も知らなかった――彼女が「古代魔術」の適性を持つ唯一の魔導士であることを。 行き着いた先は魔物の脅威に晒されるグランツ砦。 冷徹な司令官カイラスとの出会いをきっかけに、彼女の眠っていた力が次第に目を覚まし始める。 無能令嬢と嘲笑された少女が、辺境で覚醒し、最強へと駆け上がる――! 王都の者たちよ、見ていなさい。今度は私が、あなたたちを見下ろす番です。 これは、“追放令嬢”が辺境から世界を変える、痛快ざまぁ×覚醒ファンタジー。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

【読切短編】婚約破棄された令嬢ですが、帳簿があれば辺境でも無双できます ~追い出した公爵家は、私がいないと破産するらしい~

Lihito
ファンタジー
公爵令嬢アイリスは、身に覚えのない罪で婚約破棄され、辺境へ追放された。 だが彼女には秘密がある。 前世は経理OL。そして今世では、物や土地の「価値」が数字で見える能力を持っていた。 公爵家の帳簿を一手に管理していたのは、実は彼女。 追い出した側は、それを知らない。 「三ヶ月で破産すると思うけど……まあ、私には関係ないわね」 荒れ果てた辺境領。誰も気づかなかった資源。無口な護衛騎士。 アイリスは数字を武器に、この土地を立て直すことを決意する。 これは、一人の令嬢が「価値」を証明する物語。 ——追い出したこと、後悔させてあげる。

処理中です...