婚約破棄された公爵令嬢は数理魔法の天才

希羽

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第二話:解放への準備

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 卒業論文発表会から数日、王立魔術学園内における私の立場は、明確に「異物」へと変わっていた。

 かつて公爵令嬢という地位と、第一王子の婚約者という立場に敬意を払っていた者たちは、今や私を腫れ物のように避けて通る。廊下ですれ違いざまに聞こえてくる囁き声は、もはや隠す気もないほどあからさまなものだった。

「あれが……神を冒涜したリディア様……」
「まるで悪魔憑きのようだわ……」

 しかし、そんな雑音は私の耳には届かない。彼らが噂話に興じている間、私は学園の図書館の最奥、古代魔術理論の書架の前で、背表紙の文字を指でなぞっていた。周囲の無理解など、知的好奇心の前では塵芥にも等しい。

(あった……『古代文明における幾何学と結界術式』。これで計算が合うはず)

 借り受けた古文書を小脇に抱え、ラウンジを抜けようとした時だった。ひときわ華やかな声が響き、私は足を止めた。中庭に面したテラスで、婚約者であるエドワード王子が、伯爵令嬢セシリアと談笑している。

「まあ、エドワード様! このお花、元気がありませんわ」

 セシリアがしおれたバラの鉢植えを指さし、悲しげに眉を寄せる。王子は待っていましたとばかりに優しく微笑んだ。

「セシリア、君の癒やしの力で、この花を元気づけてやってはくれないか?」
「はい、エドワード様のためなら!」

 セシリアは鉢植えの前でそっと目を閉じ、両手をかざす。彼女の指先から柔らかな翠色の光が溢れ、見る見るうちにバラは生気を取り戻し、美しい花を咲かせた。周囲にいた令嬢たちから、ため息のような歓声が上がる。

「さすがはセシリア様! まるで聖女の奇跡ですわ!」
「ええ、神に愛されているとは、まさにああいう方のことを言うのね」

 私はその光景を、冷めた目で見つめていた。

(なんて愚かしい……)

 私の目には、魔法の「流れ」が見える。セシリアが行ったのは、周囲の健やかな草木から生命力(魔素)を強制的に吸い上げ、対象のバラ一本に集中させただけのことに過ぎない。いわば、エネルギーの強引な再分配。一時的にバラは咲き誇るが、その代償として、周囲の植物はわずかに元気を失っている。なんと近視眼的で、非効率な魔法だろうか。

「――リディア」

 不意に、エドワード王子が私に気づき、侮蔑に満ちた声をかけた。

「見たか。あれこそが、神に愛された真の魔法だ。愛と祈りがもたらす奇跡だよ。お前のような、冷たい数字遊びとは次元が違う」

 王子に寄り添うセシリアが、私を見て怯えたようにその身を隠す。私は表情ひとつ変えず、ただ事実だけを口にした。

「ええ、拝見いたしました。消費される膨大な魔力と、周囲の生態系への負荷、そして極めて短い持続効果。それらを総合的に勘案するに、極めてコストパフォーマンスの悪い奇跡ですこと」
「なっ……貴様!」

 私の言葉に、王子の顔が怒りで朱に染まる。

「君は、セシリアの清らかな心をまで愚弄するのか! もはや君に人の心はないらしいな!」
「心の問題ではございません。事実の問題です、王子」

 それ以上、会話は続かなかった。王子は憎々しげに私を睨みつけると、セシリアを庇うようにしてその場を去って行った。これで、私たちの関係は完全に終わったと、誰の目にも明らかだった。

 それで、良かった。

 公爵家の自室に戻った私は、侍女を下がらせると、鍵のかかった机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。それは、この国の隣に位置する、商業国家の地図だった。

「追放先は、西の辺境。魔物の森との緩衝地帯……資源は乏しいが、未調査の古代遺跡がある。悪くない」

 私は数年前から、この日を予期し、周到に準備を進めてきた。

 父である公爵の名を使い、信頼できる者にだけ指示を出し、資産の一部を金や宝石に変えて隣国の商業ギルドに預けてある。アークライト公爵家の財産など、私には不要だ。必要なのは、私の知識と、それを実践するための最小限の資本だけなのだから。

 ペンを取り、私は慣れた手つきで手紙を書き始める。宛先は、隣国で私の資産管理を任せている商会長。追放が決まった後の、具体的な資金の動かし方についての指示書だ。

(この国では、私の理論は異端。でも、国境を越えれば、それは革新的な技術になる)

 私の数理魔法は、軍事、建築、農業、あらゆる産業に革命をもたらすだろう。そのためには、王子の婚約者という窮屈な立場は、むしろ邪魔でしかなかった。

 コンコン、と控えめなノックの音。

「お嬢様、王家よりお手紙が届いております」
「……入れて」

 侍女が、恭しく銀の盆を差し出す。そこには、王家の紋章が刻まれた、一通の豪華な封蝋付きの招待状が置かれていた。

 差出人は、王家。

 内容は、二週間後に王宮で開かれる、卒業記念パーティーへの招待。

 私はその招待状を手に取り、窓の外に広がる、夕暮れに染まる王都の景色へと目を向けた。美しく整えられた街並み。だが、それは非効率と伝統という名の古い法則に縛られた、巨大な鳥籠に過ぎない。

「役者は揃った。舞台も整った」

 招待状を持つ私の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

「――さあ、始めましょうか。私のための、解放の儀式を」

 断罪の舞台は、私の新たな人生の幕開けの舞台となるだろう。

 その日を、私は今か今かと待ちわびていた。
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