あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ

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―― 第一章 ―― 黒薔薇の刻印

【006】引っ越し

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 気づくと見合いが終わっていて、ぼんやりしている──正確には意識が朦朧としているうちに、桜子は帰宅していた。正座しているだけでも辛い。

「聞いているのか?」

 父の冷淡な声に、桜子は虚ろな視線を向ける。彼女の端正な黒い目は虚ろだ。

「結納前だが、三日後に住居を移すという話だ。既にこちらは金を貰ったし、持参金も不要だそうだ」
「っ……」
「週に一度は帰らせるとは言うが──『貯めておかなければな』」

 そういうと父は退屈そうな目をして笑った。

 いつも血を抜かれる部屋は、半地下にある。高い位置に鉄格子の嵌められた窓がある。その奥の柱にくくりつけられて、両腕にいくつも注射針を刺される。それらはチューブに繋がっていて、コポコポと音を立てて回収するための医療用金盥に血が落ちていく。そのまま桜子は、ずっと血を抜かれていた。

 コポコポ、コポコポ、コポリ。
 赤、黒。血液が流れていく。

 視界を砂嵐が襲う。瞼が重い。ぐったりとした桜子は、いつしか意識を失った。

 そして四峰伯爵家に引っ越す日の朝方に、意識が無かったところを無理やり叩き起こされて、部屋に戻され、冷たい水が入る桶と布を渡された。

 朝。
 日が昇ると、上質な和服に着替えさせられた。そして元々、桜子は荷物などほとんど持っていないのだが、何もないのは不自然だからと父が女中に用意させた着物や嫁入り道具を持って、馬車に乗り込んだ。確かに結納品は不要であると言われたらしいとはいえ、着物の一つもないのは不自然だろう。

 旅立ち際、兄が言った。

「猫の世話をしておいてほしいなら必ず戻れ」

 嘲笑しているように見えて、涙ぐんだ桜子はぞくりとしたけれど、兄が猫を抱いていたから連れてくることは出来なかった。そもそも四峰家に連れていっていいのかも分からなかった。

 到着した四峰伯爵邸は、洋館だった。これは四峰礼人の祖父が、軍を退役し色々と周囲に譲って、今も貿易商をしており、資産家の四峰財閥は複数の邸宅を所持しているから中で、本邸を一部移築し改装したからだ。ここが当面の礼人と暮らす家になのだろう。思い出してみれば、見合いの際にそんな話も出たかもしれない。貿易の関係で西洋風にしたのだったか。桜子は曖昧な記憶を辿った。

 目の下に厚いくまがある血の気の無い顔で、ふらふらと桜子は馬車から降りる。すると大勢並んだ使用人達が一斉に腰をおった。そして少しすると、一番前にいた初老の男性が挨拶をする。

「お初にお目にかかります。家令の山岡やまおかと申します。こちらは執事の遠藤えんどう、隣が女中がしら小春こはる。そして、桜子様付きの女中の詩乃しの、それから料理人の岡崎おかざきと馬車の御者の山辺やまのべです」

 本当はもっとたくさん紹介されたかもしれなかったが、意識がはっきりしない桜子は、立っているのが精一杯で、あまり聞き取れなかった。正確には、理解と記憶が難しかったといえる。まだ腕だけではなく、体の節々までもが痛む。

「礼人様は、急用で外出をなさいまして、まだお戻りになられません。桜子様、先にお部屋へご案内致します」

 家令の言葉に、桜子は頷いた。
 荷物は周囲が運んでくれる。
 案内された部屋は洋間で、寝台があるため、寝室は別だとわかる。

 少しの間荷物が整理されていくのを見ていた。それが落ち着いたと判断したとき、桜子は意を決して声をかける。

「少し休んでも構いませんか?」

 すると詩乃を始めとした女中たちが頷いた。
 桜子は初めて洋風の寝台に横になる。するとすぐに、睡魔に飲まれた。これまで横になった中で一番柔らかく身体が沈み、枕は少し硬いが疲労を吸収してくれるような心地のよさだった。


「……ん」

 どれくらい眠ったのだろう。誰かに優しく髪を撫でられた気がして、桜子は目を覚ました。瞼を開けると、ちょうど手が離れ、そこにはハッとした様子の礼人がいた。

「──夕食ですよ」
「あ……」
「食べたほうがいい。きみは痩せすぎだから」

 礼人が顔を背けた。起こしにきてくれた、それ以前に眠らせておいてくれたのだと理解し、起き上がりながら桜子は伝える。

「ありがとうございます」
「何が? とりあえず食堂に行こう」

 礼人の声を聞きながら、桜子は寝台から床に下りた。
 どこか礼人は、照れくさそうに見えた。



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