あやかし帝都の婚姻譚 〜浄癒の花嫁が祓魔の軍人に溺愛されるまで〜

鳴猫ツミキ

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―― 第二章 ―― 紅い血の刻印

【034】沈む夕日

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 翌日の放課後も、桜子は教室で一人になった。

「東階段を通って……」

 夢で言われた言葉を反芻する。黒椿女学院の二階で東階段から図書室までの間というと、窓の他は英語資料室と国語資料室しかない。礼人は図書室の奥の小部屋で待機すると話していた。しっかりとマフラーを巻いてから、教科書類の入る風呂敷を持って桜子は教室から出た。既に人気のない校舎を歩き、東階段へ向かう。一段、二段。

 そして二階の廊下にたどり着いた桜子は、しっかりと前を向いた。
 大丈夫。
 礼人様もついていてくれる。そう念じ、なにより舞子を襲った敵、多くの女学生に牙を剥いた恐ろしい存在を、倒す一助になりたいと思いながら、一歩ずつ歩きはじめる。

 ずっと図書室の看板を見ていた。
 すると――ギィィと国語科資料室の前で音がし、横を向こうとした瞬間、桜子は自分が空の上にいる感覚に陥った。誰かが自分を西洋のお姫様のように抱いている。黒い外套姿、ああ、夢で視たものと同じだ。顔を見る。黒いシルクハットが見える。だが今度は、夢とは違い容貌がわかった。

「っ、斑目先生」
「うん。さすが、目を覚ますのが早かったね。血で、怪異への耐性があるんだろうな」

 何を言われているのか分からない。桜子を抱きしめるようにして夕日が堕ちようとしている空を歩き、時に飛ぶ斑目は、楽しげな瞳を桜子に向ける。

「やぁ、天羽さん」
「……斑目先生、これは……それにその格好」
「うん? 僕の正装、かな。どう? 似合うでしょう?」

 ニッと笑った斑目の口元、桜子はそこに白い牙を目視した。普段の学校生活では、無論そんなものはなかった。

「なかなかいい餌場だったんだけどね。残念だよ。まぁいいさ。別の狩り場を見つけるだけだ」

 桜子は動揺しながら、なんとか後方を見ようとする。
 礼人が自分の後をつけているはずだと考えていたからだ。本人でなくとも式神だとか、何らかの存在が。すると視線を追いかけた斑目が吹き出す気配がした。

「誰も来ないよ。現実の君は、僕に暗示をかけられて意識を落とした後、吸血されて意識を手放して、そして僕に運ばれているところだからね。これは僕に運ばれながら、君の精神に干渉している僕との雑談の風景というだけなんだよ」
「えっ」

 驚いて桜子が目を丸くする。くすくすと斑目は楽しそうに笑っている。

「いつもであれば、もう少し血を貰ったら記憶を消して、それで終わり。それだけなんだけどね、きみはアリアの血を引く。僕はそのアリアを吸血鬼にしたさらに上の存在、真祖に直接吸血されたから、昼でも活動が可能な、自分で言うのもなんだけれど、強い吸血鬼なんだよ。アリアと僕は、吸血鬼としては姉弟みたいなものなんだ。そしてアリア――というより、そのご主人。夫であった宣教師の血は、アリアを魅了しただけあって、極上の味をしていたという。僕もさっき君の血を味見して、同じ意見だ」

 唐突に言われても、桜子には理解が追いつかない。アリア? 宣教師? 極上の血の味? と、放たれた言葉が脳裏をめぐる。

「僕はね、きみを花嫁に迎えたい。アリアが宣教師を夫としたように、僕もまた極上の血の持ち主であるきみを、愛したい」
「え……?」

 いよいよ桜が困惑すると、ニッと斑目が笑った。

「そして一緒に、黒薔薇修道会を導こう」
「黒薔薇修道会……?」
「きみは僕の言うことを聞いているだけでいい。守ってあげるよ。僕が。弱いきみを」

 それを聞いた瞬間、ぐっと唇を引き結んでから、意を決して強い眼光で桜子が斑目を見た。

「結構です。わ、私は……自分の意思をしっかり持って、できることは自分で頑張ります。自分の道も自分で決めます。斑目先生の花嫁にはなりません! わ、私は確かに弱いかもしれないけど……守ってもらわなくていいです! 私には、私の意思があるから!」 

 強い口調で桜子が断言した瞬間、世界が砕け散った。ひびが入ったように空まで風景が割れていき、気付くと目の前には自分を後ろから抱き寄せるようにして首にナイフを突きつけている斑目の姿があった。その銀の光は怖かったが、咄嗟に桜子は斑目を突き飛ばし、前に走った。

「桜子!」

 するといつもは、『さん』と呼ぶのに、焦ったように正面にいた礼人が桜子を抱きとめた。

「――暗示空間を破壊? それほど強い意思ってことか。いいや、強い力……」

 斑目がなにやら呟いた時、銃声がした。桜子を抱き寄せたままで、険しい顔をした礼人が銃を撃つ。軍で支給された、武器生みの神子の作の一つで、中には銀の弾丸が入っている。吸血鬼をも、殺傷できる武器だ。

「分が悪いな」

 初めて笑顔でなく、斑目は目に不機嫌そうな色を浮かべた。その間も口元だけは笑顔だったが。

「今回は退くとしようかな。完敗、とはいわない。逃げさせてもらおう。逃げるのは恥ではないからね」

 そう言うと斑目が跳躍する。礼人がその足首を狙って狙撃したが、斑目が黒い外套を動かすと、弾丸の軌道が逸れた。そのまま斑目は、立っていた路地の塀の裏へと跳んで消えた。そちらを礼人は睨み付けている。

「追いかけて下さい」
「……」
「礼人様!」
「――いい。式神は放っているし、周囲には軍の者も巡回しているし、俺は、その、なんというか……っ」

 吐き捨てるように息をしてから、ギュッと強く礼人が桜子を抱きしめた。
 ふんわりと香ってくる良い匂い。桜子は咄嗟のことに目を丸くし、力強い温もりに驚く。

「心臓が止まるかと思いました。ごめん、危険な目に遭わせて」
「い、え……私は大丈夫です」
「『大丈夫』……きみの大丈夫を俺は信用していないし、大丈夫でないのは俺です」

 より強く抱きしめられたので、おずおずと桜子は、自分の腕を回し返す。

「桜子さんの方が大切なので、俺はここにいます。ついているよ。だから、斑目のことは追わない。まだ取り逃がしたとも言いきれないしね」

 桜子は結局自分が足を引っ張ってしまったのだと思いつつ、礼人の温もりを感じる。

「東階段をという指定で気付くべきだった。国語資料室も怪しいと」
「……礼人様……」
「桜子さん。無事でいてくれてありがとう」
「いいえ。礼人様こそ、礼人様はしっかり守って下さいました。守って下さりありがとうございます」

 そんなやりとりをしてから、二人は視線を合わせた。

「一応聞くけど、斑目の行き先に、どこか心当たりはある?」
「一緒に黒薔薇修道会を導こうと言われました。黒薔薇修道会とはなんですか?」
「――あやかし至上主義の暴徒集団だよ」
「……私はそこへ行くべきでしたか? アリアの血って?」
「アリアについてはゆっくり説明するけど、きみは行きたいの?」
「わ、私は……礼人様のおそばにいたいです」

 その言葉に礼人が虚を突かれた顔をしたあと、桜子を抱きしめ直す。

「ダメですか?」
「ううん。だったらずっとそうしていて。ずっとそばにいてほしい」
「はい」

 お互いの腕の温もりを感じながら目を合わせているうちに、夕日が沈んでいった。
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