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―― 第三章 ―― 祝言と聖夜
【041】観劇
しおりを挟む結婚式の大方の行事が終え、一週間ほどが経過した。
十二月の上旬、既にマフラーと手袋をはめることに違和感のない季節だ。女学院は毎年早く休みとなるので、既に冬休み。桜子は、四峰邸のリビングの椅子に座り、女学院から持ち帰った裁縫道具を広げて、中に入っていた編み棒を見る。女学院の授業の残りの毛糸もある。桜子は手芸が好き――……というわけではない。実を言えば、苦手だ。ハンケチを縫う授業では、尋子と薫子がクスクスと苦笑いしていたできだった。ハンケチはそれでも今度約束したから縫おうと思う。
ただ、淑女たるもの、レースを編んだりといったいくつかのことは覚えておいて損はないと女学院で習った。慈善事業のバザーで、手作りの品を持ち寄ることもあるからだ。せっかくのお休みであるから練習しようかなと考えていたのである。鞠子が、誘いの手紙をくれたのも理由だ。
そうして二時間ほど。
詩乃がそっと、そばに紅茶を置いたとき、桜子は我に返った。そして不格好なできばえの毛糸の紐……目的があって編んだわけではないただの紐を見て、気恥ずかしくなって目を閉じた。
「僭越ながら」
「は、はい」
「編み目の数が途中から変わっております」
「あ……」
「よろしいですか?」
「はい」
「ここは――」
それからさらに二時間ほど、桜子は詩乃に編み物を習った。すると昼食の時間が訪れて、女中頭の小春が呼びにきた。微笑ましそうな顔をしている。
「奥様、お食事の時間でございます」
そう呼ばれ、桜子はぎこちなく頷いた。
祝言の後から、桜子は奥様と呼ばれている。礼人は旦那様だ。礼人の祖父は大旦那様と呼ばれている。礼人が未婚の時は、旦那様と言えば、礼人の亡くなった父を指したらしい。
「参りましょう」
促されて立ち上がる。
桜子は、四峰伯爵夫人として、家を取り仕切る立場となった。これまでよりも、使用人達に指示を出し、カーテンの色や棚に飾る花の好み一つまで、伝えていく立場となったのは、女学院でも習ってきたから分かるのだが、まだまだ心許ない。桜子には母はいなかったし、礼人も母がいないから教えを直接請う相手がいないからだ。だがそこは名うての使用人達が手助けしてくれる。
食堂に行くと、礼人が静かにカップを傾けていた。
そして桜子が着席すると言った。
「桜子さん。午後は少し出かけよう」
「はい」
「観劇の券をもらったんだ。興味はある?」
「観劇ですか? 私、行ったことがなくて……」
「じゃあ一緒に行って、楽しいかどうか感想を聞かせて下さい」
こうしてオムレツという品を食してから、午後の上演に合わせて観劇に向かうため、二人は着替えて馬車に乗りこんだ。歩道の合間の街路を馬車が進む。車窓からは、異国の祝祭である聖夜の飾り付けをした、上流階級ばかりが買いに来る店が視界に入ってくる。平民はほとんど足を運ばない通りだ。帝都の中心部をそうして進みながら、緑の柊や金色の鈴の飾り付けを見ていたとき、礼人が言った。
「なにか聖夜の贈り物に欲しいものはありますか?」
人差し指と中指をこめかみに当て、礼人はまじまじと桜子を見ている。笑うでも怒るでもなく、でも不機嫌でないと分かるいつもの表情だ。
「その……」
礼人がそばにいてくれたら、それだけで充分。
桜子はそう述べたかったが、羞恥に駆られて口から衝いて出てこない。
「桜子さん?」
「……」
「まぁまだ時間はあるからね。急がないよ」
礼人はそう告げると、脚を組んだ。それを見ながら、桜子はふと考える。
「あの、礼人様」
「はい」
「そういえば何故天羽の家の私とお見合いをなさったのですか?」
明らかに家柄は釣り合わない。浄癒の血が理由とも、桜子には思えなかった。
「ああ」
礼人は桜子を見ると、小さく二度頷いた。
「正直なところ、父の遺言だったんです」
「遺言?」
「うん。父が亡くなる直前に、きみと添い遂げるようにと」
「そうだったんですか」
「父が何故そう言ったのかは分からないけれど――意味はあると俺は思っているけど、それとは別として、だけどね、桜子さん」
そうだったのかと考えつつ、桜子は小首を傾げる。
「はい」
「俺は桜子さんと結婚できてよかったと思ってるよ」
礼人が微笑した。胸に響く笑顔だった。ぐっと息を呑んだ桜子は、言ってしまおうかと決める。
「それならばクリスマスプレゼントには一緒に――」
そばにいてお喋りをしていて欲しい。
「一緒に?」
礼人が聞き返す。
途端桜子はまた気恥ずかしくなって、慌てて言葉をひねり出す。
「ケ、ケーキ! 一緒にケーキが食べたいです」
「? それは当然のことじゃないの? 物品を想定していたんだけれど」
礼人が苦笑している。桜子は頬を朱くしたまま、それを見られたくなくて、街並みへと顔を向けた。
そうこうしているうちに、劇場へと到着した。
帝都で最初に出来た劇場で、本日は踊り子と紳士が真実の愛を貫く舞台を上映するらしい。いまだ階級による婚姻が根強いので、その『真実の愛』に熱狂する老若男女が多いのだと、舞台が始まる前に支配人が挨拶で述べていた。礼人と桜子は、上流階級の者のみが通される特別席で、観客席を見る。幕が上がったのはそれからすぐだ。
始めは所作が分からず動揺していた桜子だが、四峰家の帰りの馬車に乗りこむ頃には、興奮から頬を染め、目を丸くしていた。その肘に触れ、エスコートしながら礼人が問う。
「どうだった?」
「すごかったです」
「ああいうお話が好きって意味?」
「いいえ、その……ドレスが」
「目の付け所が意外だったよ。そうだね、確かに華美だった。ああ、そうだ。聖夜の前夜に夜会があるんだ。招待されているし、桜子さんのきちんとした社交界デビューにもなるから、お招きにあずかろうと思ってる。ドレスを新調しないとね」
礼人はそう言って、到着した家の中へと桜子を促した。初雪は、まだだ。
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