【完結】わたしの婚約者には愛する人がいる

春野オカリナ

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ローフェル編

記憶喪失の男

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 私が寝ているのは病院のベッドの様で、白い天井をぼんやり見つめていた。

 「声が聞こえますか?目はどうでしょう。この指が何本か分かりますか?」

 医師らしき人が訊ねている言葉は段々聞き取れるようになったが、自分が発している言葉は異国の言葉の様だった。

 どうやら私はこの国の人間ではないらしい。

 言語が違うようだ。だが、不思議な事に暫くするとこの国の言葉が喋れるようになった。

 そこで、私を助けてくれた人間に話を聞いてきてくれたらしい。私は隣国とこの国の境界である深い森の木に引っ掛かっていたらしく、もし、そのまま地べたに倒れていたら野犬か狼に食われていただろうと言うほどの大怪我で、周りには集落もなく、このままにはしておけないとこの国に連れてきてくれた。

 運が良かったのだ。温暖なこの国と違って北に位置する隣国は冬に入りかけていた。たまたま行商人の一隊に拾われたから良かったもののでなければ、死んでいただろう。

 記憶が無くとも命があることに私は感謝した。それに聞けばこの国は医療に長けている国だと言われ、それなら遠からず記憶も自然と戻るとこの時は安楽に考えていたのだが、甘かった。

 肝心の自分の名前が思い出せない。他の事は徐々に思い出せているのに、住んでいた所も家族のことも何も思い出せなかった。

 ただ、心のどこかで早く帰らなければならない。だが、それはどこで、誰の元へかが分からない。

 体は次第に回復していくが、記憶が無い私は毎日が不安に押しつぶされそうになる。まるで暗闇を手探りで歩いているような感覚に襲われる。

 このまま記憶が戻らなければどうすればいいのだろう。

 家族に生きている事さえも知らせられない。

 私がこの国の言葉を理解し、話せることと商売に詳しいことや当時助けられた場所が商団が行き来する林道だったことから、平民の裕福な跡取りか若旦那ではないかと思われていた。

 教育を受けている者の所作をしていたからだ。礼儀やマナーを知っている事からそう思われた。しかも助けられた時の服装がそう示していた。

 隣国に平民の行方不明者の捜索願が出ていないか問い合わせてくれたようだが、該当者はいなかった。

 結局、私は身元不明のまま、この国に留まる事になった。

 この国は私の様なトラブルに巻き込まれた可能性のある身元不明者は、神殿の救護施設に預けられ、そこで神殿で奉仕活動をしながら、身元が判明するまで過ごすことになっている。

 しかも判明しても本人だと分かる公の証明書が必要なのだ。

 それは昔、嘘の証明書を偽造して人身売買をしていた貴族がいたことから法が改正され、厳しく罰せられる様になった。

 「あんたみたいな男は、ここにいた方が安全だよ」

 「それはなんでだ?」

 「女受けしそうな顔をしているから、どっかの貴族の愛人にされるか。そういう商売をしている店に売り飛ばされそうだ。それに記憶がないと悪い人間に付け込まれるからな」

 「どうして私をここに連れてきたんだろう」

 「それは法で決まっているからだ。身元不明者は一旦、神殿預かりにして国の審査を通らなければ救護施設で暮らすようにな」

 「ずいぶん親切な法だな」

 「まあ、昔、物騒な事件が起こったからな。それで、国のお偉方が法を変えたのさ。おかげで俺たちも安心して暮らしていけるってもんよ」

 「それはいいな、わが国にも欲しいな…」

 我が国、それはどこだ。なんでこんな言い方が出来るんだ?貴族の様な…。私は平民なんだよな?

 わずかな疑問が浮かんでは消えする中、もう一年が過ぎていた。怪我の後遺症などはないようだが、依然と記憶だけが甦らない。

 その頃から赤いものを見ると頭が痛みだした。

 靄の中から声が聞こえる。

 早く思い出して帰ってきて私の元へ、待っているからいつまでも。

 優しく響く美しい声で赤い髪の女と少女が手招きする。

 私がそこへ行こうとするがいけない。掴もうとする手が空を描きながらもがいている。彼女らに近づけてその手を握ろうとした瞬間に現実に引き戻されるのだ。

 あれは誰なのだろう。私を待っているのは……。

 記憶が戻らないまま神殿での生活にも慣れ、いつの間にか私はこの施設の古株になっていた。そして施設の簡単な経営の雑務や、慰問に訪れる貴族の対応が任さる頃には、もう7年の歳月が流れていた。

 「もうこのまま、ここにいたらどうだろう」

 そんな事を院長にいわれ始めた頃に、隣国の王弟殿下が視察で救護施設を訪れたのだ。



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