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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
副魔術師長の黒い声 1
しおりを挟む「少しよろしいですか、レティシア姫」
「な、なんですか……?」
殺人鬼の姿に、結奈の腰は引けている。
王子様に目一杯の肘鉄を食らわせたのは、選択ミスだったかもしれない。
よく考えられていれば、もう少しうまいやりようをとったのだろうが、あまりに怒っていて後先を考えなかったのだ。
副魔術師長サイラス。
長い銀髪に、それを薄くしたような目の色をしていた。
薄気味が悪いくらいに透き通っていて、黒い瞳孔がひどく目立つ。
口元に笑みが浮かんでいるのに、目には感情が見当たらなかった。
(ヤバい……ここで殺されたら、私、目が覚めちゃうんじゃないの?!)
それだけは絶対に避けたい。
いや、避けなければならない。
殺人鬼の姿を観察してみる。
フード付きの長いローブが、いかにもな魔術師。
童話や映画の中でも、魔法使いなどは、たいていこんな格好をしている。
だいたいが「悪い魔法使い」だけれど。
「2人で話したいのですが?」
「ふ、2人で……っ?……」
2人きりになどなれば、間違いなく殺される。
周りに人がいると迂闊なことはできない、ということに違いない。
「サイラス様、いかに副魔術師長といえど、姫さまは公爵家のご令嬢にございます。2人きりで、というのはあまりに不躾ではありませんか?」
グレイが臆する様子もなく、結奈の前に進み出てきた。
庇うように結奈を背にしている。
(そうだ、そうだ! グレイの言うとおり! 不躾だぞ、サイラス!)
グレイは元魔術騎士。
力強い味方に、結奈は拍手喝采。
これで殺人鬼ことサイラスを追いはらえると思った。
けれど、サイラスは平然としている。
まるでグレイなど見えていないかのように、結奈に向かって言った。
「レティシア姫、あなたは愛情深い御方のようですが……本当によろしいのですか? 私をこのまま帰してしまっても?」
含みのある言い方が気にかかる。
これは、問いというより「脅し」だ。
「そのようなお話は、公爵様がおられる時になさってはいかがでしょう? それとも……もうすぐ大公様がお帰りになられますが?」
グレイも、一歩も引かないという態度。
これも「脅し」になり得る発言だった。
聞きながら、結奈は迷う。
迷っている結奈の前で、初めてサイラスがグレイに視線を向けた。
困るでもなく、にこやかに微笑んでいる。
それが、とても怖い。
「それは良いですね。是非、大公様のお耳にも入れておきたいことですから」
ぴくっと結奈の耳が反応した。
なんだか、ひどく嫌な感じがする。
祖父の耳に入れておきたいことというのはなんだろう。
きっと良い話ではない。
「大公様はレティシア姫をたいそうにお可愛がりだとか?」
今度は、背筋に冷たいものが走った。
サイラスが話そうとしているのは、自分のことなのだ。
(この言い方……お祖父さまが聞いたら……怒るような、こと……?)
なにかはわからない。
けれど、不思議に確信があった。
祖父が怒るところなど見たことはないし、想像もできずにいる。
さりとて「ギャモンテルの奇跡」の真実を結奈は知っているのだ。
守りたい者を守るためには、祖父はなんでもするのだと。
自分の中にもある「想い」と同じ類のものなので、否定はしない。
が、積極的には勧められないことでもある。
しなくてすむなら、しないほうがいいのだ。
「わかりました。2人で話しましょう」
結奈は、あえて堅い口調に切り替えた。
サイラスは一筋縄ではいかない相手だと感じる。
王子様と話していた日常モードでは太刀打ちできそうにない。
ここは仕事モードに切り替えて、事務的に対応すべきだろう。
融通の利かない人や理不尽をぶつけてくる人など、職場や取引先にはいくらでもいた。
それを、結奈はしのぎ、やり過ごしてきたのだ。
「レ……姫さま、それは……」
「グレイ」
心配はいらないと、目だけで伝える。
仕事モードを切らせないため、会話は最小限にとどめたかった。
「お茶は不要ですね?」
「ええ、もちろん。それほど長居はいたしません」
ザラリとしているのに、変に物優しい口調でサイラスが応える。
薄い唇には、ずっと笑みが張り付いていた。
すべてにおいて「嘘くさい」そして「胡散臭い」と感じる。
実際に会ったことはないが「詐欺師」というのは、こんなふうなのではないかと思った。
(でもさ、副魔術師長って王子様の最側近なんだよね)
国王の最側近は魔術師長、王太子の最側近は副魔術師長。
父の宰相という立場がどんなものなのかを「勉強」中に得た知識だ。
本にも書いてあったし、グレイもそう言っていた。
だから、間違ってはいないはずなのだが、なんとも違和感がある。
(卑怯だし、偉そうだし、ムカつく奴だけど……あの粘着王子、どっか天然なとこあるんだよなぁ。こういうタイプとは違うってゆーか……)
無言でサイラスに背を向け、歩き出した。
サイラスも黙って後ろに続く。
背中に悪寒を感じつつ、階段を上がった。
玄関ホールを抜けて奥に進めば、小ホールや書斎、それに客室もある。
が、奥まで通す気になれなかったのだ。
それに、自分の部屋のほうが勝手がわかる。
もし不穏なことが起きそうになったら、元クローゼット部屋に逃げ込んでしまえばいい。
確か中から鍵もかけられたはずだ。
「そちらにどうぞ」
中に入り、結奈はサイラスにイスをすすめる。
いつもはグレイが使っているイスだった。
2人は恐縮していたが、自分だけが座っているという状態に耐えきれず、サリーとグレイ用のイスも用意してもらっている。
身支度を整えたあととか、寝る前とか、2人とは軽くお喋りをする。
そのため用のイスなのだ。
「いいえ、おかまいなく」
あっさりと拒否される。
2人とは違い、結奈も重ねてはすすめなかった。
サイラスは「ウチの人」ではない。
結奈的には、客とも思っていなかった。
「殿下をお待たせしておりますので、手短にお話いたします」
長居をするつもりがないというのは本当のようだ。
そのほうが、もちろんありがたい。
「レティシア姫はご存知ないと思いますが、現在、王宮は、とある噂で持ち切りなのですよ」
「噂? 私に話すということは、私に関することですか?」
「いいえ。レティシア姫と……大公様のことにございます」
首をかしげたくなるところだが、悪い噂だとの予感がしたため眉を寄せる。
なぜ祖父までもが噂になっているのかが、わからなかった。
「大公様がレティシア姫を、後添えにするつもりなのでは、とね。専らの噂なのですよ」
「は……? のちぞえ……?」
「奥様であるエリザベート様がお亡くなりになられて久しいですし、大公様が新しいお妃様を迎えられることは、ごく自然なことでございましょう?」
少しも自然なことではない。
祖父は今も祖母を愛している。
新しい妻を求めるはずはないし、ましてや。
「私を後添えに? ありえない話ですね」
祖父と結奈は血縁関係にあるのだ。
婚姻など馬鹿げている。
「ありえますとも。父が娘を、叔父が姪を妃として迎え入れることもあるのですから、祖父が孫を望んだとしても、さほどおかしな話ではありません。珍しくはありますし、外聞の悪い話であるのは間違いありませんがね」
心では、ありえないと思っていても、結奈の頭には、かつて読んだ歴史書や古典文学の内容が浮かんでいた。
現実の歴史的事実を踏まえれば、そう、けして、ありえないことでは、ない。
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