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第1章 暗い闇と蒼い薔薇
副魔術師長の企て 4
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(俺は、彼女を好いている……だが、彼女の心は手に入らんのだ……)
胸の奥が、じりじりと痛む。
こんな経験も初めてだった。
初恋に気づいて5分、即失恋。
そんなことも、めったにないことだろう。
が、ユージーンは「初恋」のなんたるかも知らないし、失恋がなにかも知らずに生きてきたのだ。
彼女を好きなのだと気づいた際の、ふわっとした感覚や、今の胸の痛みがどこからくるのか、わからずにいる。
わかっているのは、彼女に笑いかけてもらえる日が、永遠にやってこないということだけだった。
夜会で大公に向けていた彼女の笑顔を思い出す。
幼い子供のように無防備で、とても愛らしかった。
彼女を正妃に迎えたら、自分にもあの笑顔を向けてもらえる。
自分都合で、思い込んでいた自分が嘆かわしい。
(あれは、いつも怒っていたではないか。そもそも俺は、あれの好みではない。笑いかける道理がなかろう)
そう、彼女はいつも怒っていた。
けれど、無視はしなかった。
父や母のように、ユージーンの存在をまるで「無い」もののようには扱わなかったのだ。
会話が成り立っていたのかはともかく、ちゃんと相手をしてくれた。
面倒くさいとまで言っていたのに。
大きくて黒い瞳。
吸い込まれそうな、あの黒の中、まっすぐに、真正面から、ユージーンを映していた。
あんなふうにユージーンを見る者は、他にはいない。
なんでも「お似合いです」としか言わない侍従のように、周りは当然にユージーンを特別扱いする。
王太子であり、王位継承者なのだから、特別ではあるのだろう。
ユージーン自身も、自分の特別さを責任と捉えていた。
だから、気づかなかったのだ。
誰も「自分」を見ていないことに。
彼はユージーン・ガルベリーであって、ユージーン・ガルベリーではない。
彼は王太子だった。
自分の中に存在していた皮肉な事実。
なぜ己だけが違うと思っていられたのか、不思議になる。
(俺でなくともよいのだ……ならば、ぜんまい仕掛けの人形でも置いておけ)
それはユージーンにも言えることなのだ。
また彼女の言葉が頭に浮かぶ。
まさしく的を射た言葉だったと、今ならわかる。
『あなたじゃなくてもいい』
『ちっとも偉くなんかないの』
その通りだった。
みんなが傅いているのは王太子であり、ユージーンに、ではない。
生まれながらにユージーンの「個」は、無視され続けている。
そんな簡単なことに、今まで気づけずにいた。
(だが……しかたなかろう……俺には、その道しかなかったのだ……それしか、俺は知らんのだ……)
ユージーンは、1人、執務室にいる。
イスの背に体を深くあずけ、肘置きに腕を投げ置いていた。
目を閉じ、彼女のことを思う。
たった1人、ユージーンを見てくれた彼女。
思えば、レティシアはユージーンを、ただの1度も「王太子」もしくは「殿下」と呼ばなかった。
いつも「王子様」と呼ぶ。
にもかかわらず、ユージーンも、それを1度も不快に感じなかった。
おそらく、声音に皮肉や嘲り、侮蔑といった負の要素が混じっていなかったからだろう。
とてもあっさりと「普通」に呼ぶのだ。
きっと彼女は、はなからユージーンを「偉い人」だの「特別な人」だのとは、認識していない。
だから、対等に振る舞うし、対等に話してくる。
彼女の前でだけ、ユージーンはユージーンだったのだ。
胸の奥が、またキリキリと痛む。
そんな彼女を遠ざけてしまった。
しかも、自らの手で、永遠にとどかない場所に追いはらっている。
取り返しのつかないことをした。
これから先、どんなに彼女の心を求めても、けして手には入らない。
命を落としかけるほど自分を傷つけた男を、誰が求めるだろう。
諦めるしかないのだ。
手を伸ばしてもとどかないとわかっていて、手を伸ばすなど愚かに過ぎる。
ユージーンは、ひたすら胸の痛みに耐えていた。
いずれ、この痛みもなくなるのかもしれない。
もしなくならなかったとしても、慣れることくらいはできるだろう。
(それでも、俺は王太子なのだ。王位を継ぐ責任がある)
そこにしか、ユージーンは己の存在意義を見出せずにいる。
ずっと、そう思って生きてきたからだ。
王太子である自分を否定すれば、過去のユージーンを否定することにもなる。
それは、なんのために生きてきたかわからなくなる、ということに等しい。
今さらゼロからやり直せるはずもなかった。
仮にやり直す方法があっても、彼女の心が手に入るわけでもない。
(サイラスに、また苦労をかける……俺がしくじったばかりに……)
彼の立てていた策を台無しにしたのは間違いない。
任せておけば万事うまくいったはずだ。
それを、余計な口出しをして邪魔をしてしまった。
サイラスは大きな計画変更を余儀なくされているだろう。
『殿下の望みが、私の望みですから』
そう言って、サイラスはいつでも自分の望みを叶えてくれていた。
今度もきっと奔走している。
面倒ごとをすべて引き受けて、なお自分のことを想ってくれているのだ。
何が最も正しいか、何が最善であるかを考え、教えてくれる。
サイラスに任せておけば間違いはないと思ってきた。
なのに、彼女のこととなると、感情が理性を押しのけてしまう。
(……彼女の心など、いらん。俺に必要なのは、ローエルハイドの血を継ぐ正妃なのだ)
感情に押し流されかかるのを、無理に抑え込む。
そして、自分に言い聞かせた。
彼女の心は手に入らないものだ。
が、彼女自身は手に入れられる。
サイラスが、はっきりと約束してくれたのだから。
ユージーンは、ふう…と、大きく息を吐き出した。
胸の、じくじくはおさまっていない。
それでも、ずっとここに留まってはいられないのだ。
(今度こそ間違わんようにせねばな。サイラスの苦労を、無にはできん)
ユージーンは王太子だった。
責任を果たすことが己の存在意義だと強く認識してもいる。
だからこその決断だ。
彼女の望む「愛し愛される」関係を、切り捨てる。
どの道、自分がいくら望もうと、その願いが叶うことはない。
ユージーンは執務机の上から、彼女についての報告書を手に取った。
それを屑籠に放り込む。
感情が騒ぎたてそうになるのを抑えるためだった。
ともすると、彼女の心がほしいと暴れ出しそうになる。
胸が、ひどく苦しい。
こんなことなら、彼女を好きだと気づかなければよかった。
そう思うと同時に、もしもっと早く気づいていたなら何かが変わっていただろうかとも考える。
さりとて、すでに進める道は1本しか残されていない。
引き返そうにも、引き返す道すらなかった。
彼女の心は諦める。
が、彼女を他の「誰か」に渡す気もない。
怒らない彼女でも、笑わない彼女でも、いないよりはいいと思える。
誰かの隣で笑っている彼女を見ることには、耐えられそうもなかった。
夜会や行事で、そんな彼女の姿を、遠目で見ているだけの存在になる気はない。
心はどうあれ、彼女を自分のものにする。
(俺は、粘着なのだろ?)
しつこいを百倍増しにしたくらいに、しつこい。
彼女の言葉と表情を思い出し、ユージーンは小さく笑った。
胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。
この感覚がなんなのか、言葉にできない。
ユージーンは知らなかった。
この世には「せつない」という感情があることを。
頭を横に振って、その感覚を追いはらう。
いつまでも感傷に浸ってはいられない。
決断をくだした以上、前に進む必要があった。
(レティシア・ローエルハイド、お前は俺の傍にいるだけでよい)
それ以上は、もうなにも。
胸の奥が、じりじりと痛む。
こんな経験も初めてだった。
初恋に気づいて5分、即失恋。
そんなことも、めったにないことだろう。
が、ユージーンは「初恋」のなんたるかも知らないし、失恋がなにかも知らずに生きてきたのだ。
彼女を好きなのだと気づいた際の、ふわっとした感覚や、今の胸の痛みがどこからくるのか、わからずにいる。
わかっているのは、彼女に笑いかけてもらえる日が、永遠にやってこないということだけだった。
夜会で大公に向けていた彼女の笑顔を思い出す。
幼い子供のように無防備で、とても愛らしかった。
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自分都合で、思い込んでいた自分が嘆かわしい。
(あれは、いつも怒っていたではないか。そもそも俺は、あれの好みではない。笑いかける道理がなかろう)
そう、彼女はいつも怒っていた。
けれど、無視はしなかった。
父や母のように、ユージーンの存在をまるで「無い」もののようには扱わなかったのだ。
会話が成り立っていたのかはともかく、ちゃんと相手をしてくれた。
面倒くさいとまで言っていたのに。
大きくて黒い瞳。
吸い込まれそうな、あの黒の中、まっすぐに、真正面から、ユージーンを映していた。
あんなふうにユージーンを見る者は、他にはいない。
なんでも「お似合いです」としか言わない侍従のように、周りは当然にユージーンを特別扱いする。
王太子であり、王位継承者なのだから、特別ではあるのだろう。
ユージーン自身も、自分の特別さを責任と捉えていた。
だから、気づかなかったのだ。
誰も「自分」を見ていないことに。
彼はユージーン・ガルベリーであって、ユージーン・ガルベリーではない。
彼は王太子だった。
自分の中に存在していた皮肉な事実。
なぜ己だけが違うと思っていられたのか、不思議になる。
(俺でなくともよいのだ……ならば、ぜんまい仕掛けの人形でも置いておけ)
それはユージーンにも言えることなのだ。
また彼女の言葉が頭に浮かぶ。
まさしく的を射た言葉だったと、今ならわかる。
『あなたじゃなくてもいい』
『ちっとも偉くなんかないの』
その通りだった。
みんなが傅いているのは王太子であり、ユージーンに、ではない。
生まれながらにユージーンの「個」は、無視され続けている。
そんな簡単なことに、今まで気づけずにいた。
(だが……しかたなかろう……俺には、その道しかなかったのだ……それしか、俺は知らんのだ……)
ユージーンは、1人、執務室にいる。
イスの背に体を深くあずけ、肘置きに腕を投げ置いていた。
目を閉じ、彼女のことを思う。
たった1人、ユージーンを見てくれた彼女。
思えば、レティシアはユージーンを、ただの1度も「王太子」もしくは「殿下」と呼ばなかった。
いつも「王子様」と呼ぶ。
にもかかわらず、ユージーンも、それを1度も不快に感じなかった。
おそらく、声音に皮肉や嘲り、侮蔑といった負の要素が混じっていなかったからだろう。
とてもあっさりと「普通」に呼ぶのだ。
きっと彼女は、はなからユージーンを「偉い人」だの「特別な人」だのとは、認識していない。
だから、対等に振る舞うし、対等に話してくる。
彼女の前でだけ、ユージーンはユージーンだったのだ。
胸の奥が、またキリキリと痛む。
そんな彼女を遠ざけてしまった。
しかも、自らの手で、永遠にとどかない場所に追いはらっている。
取り返しのつかないことをした。
これから先、どんなに彼女の心を求めても、けして手には入らない。
命を落としかけるほど自分を傷つけた男を、誰が求めるだろう。
諦めるしかないのだ。
手を伸ばしてもとどかないとわかっていて、手を伸ばすなど愚かに過ぎる。
ユージーンは、ひたすら胸の痛みに耐えていた。
いずれ、この痛みもなくなるのかもしれない。
もしなくならなかったとしても、慣れることくらいはできるだろう。
(それでも、俺は王太子なのだ。王位を継ぐ責任がある)
そこにしか、ユージーンは己の存在意義を見出せずにいる。
ずっと、そう思って生きてきたからだ。
王太子である自分を否定すれば、過去のユージーンを否定することにもなる。
それは、なんのために生きてきたかわからなくなる、ということに等しい。
今さらゼロからやり直せるはずもなかった。
仮にやり直す方法があっても、彼女の心が手に入るわけでもない。
(サイラスに、また苦労をかける……俺がしくじったばかりに……)
彼の立てていた策を台無しにしたのは間違いない。
任せておけば万事うまくいったはずだ。
それを、余計な口出しをして邪魔をしてしまった。
サイラスは大きな計画変更を余儀なくされているだろう。
『殿下の望みが、私の望みですから』
そう言って、サイラスはいつでも自分の望みを叶えてくれていた。
今度もきっと奔走している。
面倒ごとをすべて引き受けて、なお自分のことを想ってくれているのだ。
何が最も正しいか、何が最善であるかを考え、教えてくれる。
サイラスに任せておけば間違いはないと思ってきた。
なのに、彼女のこととなると、感情が理性を押しのけてしまう。
(……彼女の心など、いらん。俺に必要なのは、ローエルハイドの血を継ぐ正妃なのだ)
感情に押し流されかかるのを、無理に抑え込む。
そして、自分に言い聞かせた。
彼女の心は手に入らないものだ。
が、彼女自身は手に入れられる。
サイラスが、はっきりと約束してくれたのだから。
ユージーンは、ふう…と、大きく息を吐き出した。
胸の、じくじくはおさまっていない。
それでも、ずっとここに留まってはいられないのだ。
(今度こそ間違わんようにせねばな。サイラスの苦労を、無にはできん)
ユージーンは王太子だった。
責任を果たすことが己の存在意義だと強く認識してもいる。
だからこその決断だ。
彼女の望む「愛し愛される」関係を、切り捨てる。
どの道、自分がいくら望もうと、その願いが叶うことはない。
ユージーンは執務机の上から、彼女についての報告書を手に取った。
それを屑籠に放り込む。
感情が騒ぎたてそうになるのを抑えるためだった。
ともすると、彼女の心がほしいと暴れ出しそうになる。
胸が、ひどく苦しい。
こんなことなら、彼女を好きだと気づかなければよかった。
そう思うと同時に、もしもっと早く気づいていたなら何かが変わっていただろうかとも考える。
さりとて、すでに進める道は1本しか残されていない。
引き返そうにも、引き返す道すらなかった。
彼女の心は諦める。
が、彼女を他の「誰か」に渡す気もない。
怒らない彼女でも、笑わない彼女でも、いないよりはいいと思える。
誰かの隣で笑っている彼女を見ることには、耐えられそうもなかった。
夜会や行事で、そんな彼女の姿を、遠目で見ているだけの存在になる気はない。
心はどうあれ、彼女を自分のものにする。
(俺は、粘着なのだろ?)
しつこいを百倍増しにしたくらいに、しつこい。
彼女の言葉と表情を思い出し、ユージーンは小さく笑った。
胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。
この感覚がなんなのか、言葉にできない。
ユージーンは知らなかった。
この世には「せつない」という感情があることを。
頭を横に振って、その感覚を追いはらう。
いつまでも感傷に浸ってはいられない。
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