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最終章 黒い羽と青のそら
絶対を示す手 1
しおりを挟む「レティ!」
レティシアの部屋に転移し、すぐさまレティシアに駆け寄った。
レティシアは、ベッドに横たわっている。
彼は、激しい動揺に襲われていた。
「レティ! レティ!」
両の頬を手でつつみ、声をかける。
が、レティシアは目を開かない。
呼吸はあるが、普通の眠りでないことは、わかっていた。
「ああ……レティ……どうして……」
もう何も危険はないはずだったのに。
目を開かないレティシアが、目の前にいる。
「見えてねーんだろ? アンタの糸」
声にも、振り向かない。
室内に、ジークがいることには、気づいていたからだ。
「……なぜ……こんなことを……」
そして、レティシアの眠りは、ジークが引き起こしたと、理解する。
言われたように、彼には見えなかった。
彼とレティシアを繋ぐ、糸。
それが、見えない。
たとえ離れていても、常に繋がれていた糸が消えている。
それは、彼とレティシアとを結ぶ血脈がないことを、意味していた。
こんなことができるのは、ジークだけだ。
この世界で、ただ1人、彼に並ぶ者。
彼の力を宿しながら、なおかつ、ジーク独自の能力も持つ。
彼にできないことを、ジークはできるのだ。
「オレは、やりたいことをやってきた。そんだけのことサ」
「これが……ジークのやりたかったことなのか?」
「そーだよ」
彼は、やはり振り向かない。
目を閉じたままのレティシアを見つめている。
「アンタのためじゃないぜ?」
言われずとも、わかっていた。
レティシアとの繋がりを断ち切りたいなどとは、思っていなかったからだ。
むしろ、恐れていた。
「でも、これでアンタは、この娘を気にしなくてもいいんだ。理由がねーもんな」
ジークの言う「理由」こそ、彼は必要としている。
彼とレティシアの間には、それしかなかった。
血の繋がりという「理由」があれば、今後も彼女に関わることはできる。
遠くから見守るだけの存在になったとしても、レティシアの人生から、完全に、締め出されることはないはずだった。
なのに。
今、彼とレティシアは、どんな関係でもなくなっている。
もう血の繋がりはないのだ。
彼は、レティシアに関わる「理由」を失った。
「これが……レティの望みかい?」
「たぶんね」
きゅうっと、胸が締めつけられる。
レティシアを拒んだのは、彼だ。
にもかかわらず、今後も彼女に関わろうだなんて、都合が良過ぎたのだろう。
血の繋がりがあるから、拒まれることはないと、高をくくっていた。
自分勝手で、愚かな自分。
これは、レティシアがくだした、自分への罰なのだ。
理由を失った彼はもう、彼女に関わることはできない。
「その娘、言ってたぞ。アンタを自由にしてやりたいってサ」
「自由……? そんなものは、いらないね……いらなかったよ、ジーク」
「だろーね」
そもそも、彼は、己の都合で、レティシアに関わり続けてきた。
血に縛られていたのは彼であり、レティシアではない。
正妃選びの儀の前、彼の本当の孫娘の魂は消えている。
守れなかったのだ。
「その娘は、アンタの孫娘じゃない」
わかっている。
わかって、いた。
レティシアに関わる理由など、とっくに失っている。
彼女を手放せなかったのは、彼の心の問題なのだ。
「言い訳なんて、アンタらしくないぜ?」
「しかたないだろう? 私は、この状況を喜んではいない」
「アンタが、禄でもねーってのは、変わらねーからな」
「そうとも……それは変わらないのだよ」
血の繋がりがなくなろうと、レティシアに相応しくない者であることに、変わりはない。
それこそ、どうにもならない部分なのだ。
自分の本質は、愚かで冷酷なものからできている。
だから、いつも、自分は間違えてばかりだ。
そんな彼に、レティシアは、寄り添おうとしてくれた。
『でも……お祖父さまの愛情は、目減りしないんでしょ?』
レティシアは、そう言って、彼の本質を優しくつつんでくれたのだ。
けれど、その手を、彼は振りはらっている。
己の都合で勝手に守り、愛情をそそぎ、己の都合で、勝手に手を放した。
「レティは、目を覚ますかい?」
「覚ますよ」
彼は、レティシアの頬を撫でる。
理由なくしては、もう彼女にふれることはできない。
レティシアが目覚めたら、終わりだ。
彼女の心のどこにも、彼の居場所はない。
遠くから見守ることすら、許されなくなった。
「アンタが迎えに行く必要も、理由もねーんだ」
「その通りだね」
それでも、彼は、レティシアの頬から手を放せずにいる。
彼女が目を覚ませば終わりだとわかっていても、目を開いてほしかった。
笑ってほしかった。
明るい日向の似合うレティシアが、どうしようもなく愛しかった。
くるくると変わる表情に、ヘンテコな言葉を使うレティシア。
彼女からもらった、いくつもの愛情の種。
それは、凍えた彼の心の奥で芽吹いている。
まるで、雪の下で春を待ち、少しずつ育つ花のように。
「アンタは、絶対なんかねえって言ってたな。でも、その娘が言うには、絶対ってのは、あるらしいぜ? ただし、絶対って思わなきゃ、そーならねーんだってサ」
彼は、大きな力を持っている。
レティシアには、なんの力もない。
「本当に、レティは……強いね」
心の在り様で言えば、レティシアのほうが、ずっと強かった。
逃げたいものからは逃げればいい、と、彼は思う。
まともに受け止めようとし過ぎれば、心が壊れてしまうこともあるからだ。
けれど、レティシアは、いつも最後には、自分の心と向き合う。
彼に、想いを告げてきた時でさえ。
「帰ろうぜ」
「どこに?」
「さぁね」
彼を待っていてくれる「孫娘」は、いない。
彼の世界には、彼しかいなかった。
繋がれていたはずの手も、放れている。
「アンタが迎えに行く必要も、理由もねーんだ」
繰り返されるジークの言葉に、心が揺れた。
血の繋がりに縋るという、自らの選択で、彼は、彼しかいない世界にいる。
レティシアの手を振りはらい、1人ぼっちに身を置いた。
彼女に拒まれても、しかたがないのだ。
「それでも……私は、迎えに行きたいのだよ」
彼の帰りを、いつも待っていてくれたレティシアを、今度は、自分が迎えに行きたい。
もう1度、レティシアと手を繋ぎたかった。
「アンタはもう、自由なんだぜ?」
彼は、レティシアの頬を両手でつつみ、その額に、自分の額を押し当てる。
目が覚めたら終わりでも、彼女を迎えに行きたかった。
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