アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色

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珠里の休日

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「いいのが買えて良かったね~」
 幸せそうにフレンチトーストを頬張りながら、同期の福田麻実子がにっこり微笑んだ。麻実子は三度の食事はすべてスイーツでも構わないと豪語している甘党だ。

 日曜日、珠里は麻実子と一緒にショッピングに出掛けていた。ちょうどセールが後半に差し掛かった時期で、ふたりとも夏物を随分安く手に入れることができた。今はデパートの中にある麻実子お勧めのカフェレストランで、ランチとお茶を兼ねたレディースコースを満喫している最中だった。

「珠里ちゃん、あの浴衣絶対似合うと思う。色白だから、ああいう淡い色が映えるよね」
「私は麻実ちゃんみたいに紺とか紫が似合う人に憧れるよ。大人っぽくて羨ましい」
「私はさー、和風顔だから可愛い系がホント似合わないのよね。ま、お互い、ないものねだりかもねえ」
 笑うと弧を描くような細い眼で麻実子が微笑む。気さくな和風美人といった雰囲気が魅力の麻実子は、入社間もない頃からやけに珠里に懐いていた。研修の時に生理痛で青くなっていた麻実子を心配し、珠里が付き添ったのが仲良くなったきっかけだ。あれ以来ふたりは一緒に行動することが多くなり、自然とプライベートな付き合いもするようになった。

 今日の買い物の一番の目的は、浴衣を買うことだった。
 同期の仲間たちと集まって、月末に開催される花火大会を見に行く計画が持ち上がっている。珠里はあまり気乗りしていなかったが、家から近い地域で行われる有名な大会であることと、麻実子がお目当ての工藤くんと近づくチャンスなので協力してほしいと頼んできたので、結局行く羽目になったのだ。

「門倉くんなんて、珠里ちゃんの浴衣姿見たら絶対テンション上がりそうだよね」
 門倉が珠里を狙っていることは、同期の多くが気づいているらしい。入社してわずか3ヶ月の新卒たちは、まだまだ学生気分が抜けきらずに「誰が誰に気がある」とか「つきあってるらしい」などと噂しあっている。珠里はそういう話が苦手だしあまり興味もないので聞き流しているが、門倉が最近やけに自分に近づいてくることには、正直戸惑いを感じていた。

「珠里ちゃん、門倉くんみたいなタイプ、どうなの?」
「うーん……。本音を言うと、ちょっと苦手かな。あんまりぐいぐい来られると……」
「あー、たしかに空気読まずに押せ押せだよね。あのね、実は工藤くんからチラッと聞いたんだけどね。門倉くん、花火大会で絶対珠里ちゃんとふたりっきりになるって画策してるらしいよ。周りに協力仰いでるって。それって珠里ちゃん的にどう?」
「えっ、そうなの……?ちょっと、それ困る。……行くの、やめようかな」
 不意に誠也の不機嫌そうな顔が浮かび、珠里は慌てた。花火大会で男の子とふたりきりだなんて、誠也が知ったら絶対文句を言われる。それに珠里自身、門倉とふたりで花火を見たいなどとはまったく思わない。

「えー!不参加はダメダメ!せっかくみんなで集まれるんだし、門倉ごときのせいで花火を諦めちゃダメ!よし、分かった。当日はなるべくみんなでワイワイやって、ツーショになるの避けよう」
「ありがとう。でも、麻実ちゃんは工藤くんとふたりになりたいんでしょ?私は大丈夫。みんなと一緒に行動するから、門倉くんとふたりきりにはならないよ」
 そう言って、珠里はベリーソースのかかったパンケーキを口に運んだ。

 せっかく浴衣を着るなら、いっそ誠也と一緒に花火を見に行けたらいいのにと密かに思う。
 一緒に暮らすようになった翌年の夏、11歳のときに一度だけ誠也とふたりで花火を見に行ったことがあった。屋台でリンゴ飴を買ってもらい、金魚すくいで誠也が手に入れたデメキンを持ち帰って、しばらく飼った記憶がある。
それ以降の年はどうだったか。珠里は学校の友達と近所の川沿いまで見に行ったりしたけれど、誠也はたいてい家で仕事していた。ベランダから遠くに見える花火を少しだけ眺め、後は仕事部屋で机に向かっていたはずだ。だから珠里もそのうち出掛けなくなり、アイスを食べながらベランダで花火を見るようになった。

「珠里ちゃんは彼氏作るの大変そうだよね。従兄いとこのお兄さん厳しそうだし、それに……カッコいいんでしょう?誠也さん、だっけ?」
 こっそり誠也のことを考えていたら、見透かしたように麻実子に話を振られたのでドキッとした。
 麻実子には誠也の仕事内容を教えてある。あまりおおっぴらにするのも気が引けるので一応内緒にしてと頼んであるが、麻実子は誠也がアダルト漫画を描いていると聞いても、決して嫌がったり色眼鏡で見るような素振りを見せなかった。

「そういうさ、存在感のあるカッコいい身内がそばにいると、並大抵の男じゃ物足りないよね。少なくとも、門倉じゃ無理だわ」
 麻実子はどこまで珠里の本心を見抜いているのだろう。返す言葉が見つからず、どぎまぎしているうちに頬が熱くなってきた。

「ね、従兄さんはカノジョとかいるの?」
「……いない、と思う。たぶん、長いこといなそう……」
「じゃあ、チャンスあるじゃん!」
「ええっ!チャンスって……。私、別に……っ」
 麻実子は珠里の赤い顔を見てニンマリしている。それ以上突っ込むのは野暮だと思ったのか、麻実子はニコニコしたまま「やっぱこれ美味しい~」と食べることに専念し始めた。

 パンケーキのかけらを口に運びながら、珠里は過去の出来事をぼんやり思い返した。
 珠里が10代前半くらいの頃だったろうか、誠也に「彼女」らしき相手がいたような時期は何度かあった。
 はっきり確かめたわけではない。ただ気配を感じ取っただけだ。部屋に籠って誰かと電話で話していたり、いつもより洒落た格好で出掛けたり。思春期の少女は、大人が思う以上にそういうことに敏感で勘が働くものだ。
 けれど、どの時も期間は短かった気がする。少しつきあって、いつの間にか終わっている。そう推測されることが何度かあって、そのうちほとんどなくなった。

 今思えば、誠也が女性と縁遠くなったのは珠里のせいだとはっきり分かる。
 思春期の女の子を引き取って面倒を見ているという点だけでも、恋愛には大きなハンデだったろう。しかも当時の誠也は仕事の転換期で収入も不安定だった。そんな大変なときに珠里という存在を抱え、まともに恋愛もできなかったと思うとやはり申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
 でも珠里は心の奥で安堵していた。誠也が自分との生活を優先し、他の女性との恋愛を選ばなかったことを。自分を見捨てず、この年までそばに置いてくれたことを。

 けれど。これからはどうなのだろう。もう珠里は社会人だ。独り立ちしようと思えばいつでもできる。
 誠也はどうしたいと思っているのか。まだ珠里と一緒にいたいと思ってくれているのか、それとも、そろそろ巣立ってほしい、いい加減自由が欲しいと思っているのか……。
 ぐちゃぐちゃ考えていたら頭がパンクしそうになった。珠里はいったん誠也のことを頭から追い払い、すっかりぬるくなってしまった紅茶のカップに口を付けた。

 
 麻実子はこのあと家族に頼まれた買い物をして帰ると言うので、レストランを出たところで別れた。
 珠里は地下の食料品売り場で何か食材を買って帰ろうと思った。就職してから平日はあまり料理をしていないので、休みの日くらいはまともなものを作って誠也に食べさせてあげたい。

 下りのエスカレーターに乗っていると、途中のフロアで下着売り場が目に入った。
 花が咲いたように色とりどりのランジェリーが所狭しと並べられていて、つい視線が引き寄せられる。マネキンに着せられているのは、清楚な白、挑発的な赤、水着のようにカラフルな花柄と眼にも鮮やかだ。

 先日、誠也の仕事部屋で見つけたセクシーな黒い下着を思い出した。
 着てみたい、捨ててしまうなら自分が欲しいと、思い切ったことを口にしてみたが、誠也にはあっさりきっぱり拒否された。「似合わない」とまで言われてしまった。
 今思うと、随分大胆で恥ずかしいセリフを口にしてしまったものだ。でも珠里はああ言うことで、少しでも誠也に「女」として意識してもらいたかったのだ。

 我ながら稚拙な発想なのは分かっている。ただ、珠里だっていつまでも子供のままではなく、成人した女性なのだと伝えたかった。
 残念ながら、あっけなく玉砕したが。きっと誠也から見れば、珠里はいつまで経っても親戚の子供のままなのだろう。いや、きっと、そういう眼で見なければいけないと、誠也自身が思い込んでいる。珠里は密かにそう感じていた。

 なぜなら。誠也が珠里を見つめる瞳に、時折生々しい熱が生じることに気づいたからだ。そしてそれはいつでも一瞬の色を放った後、すぐさま瞳の奥に閉じ込められる。
 まるで解き放ってはいけない魔法を封印するように、いつだって固く閉ざされてしまうのだ。

 あの封印が解かれることはないのだろうか。珠里がいくら望んでみても、誠也は保護者の顔を決して捨て去ろうとはしないのだろうか。



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