Home, Sweet Home

茜色

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災難

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 駅の喧騒から少し離れたタクシー乗り場付近で、私と藤堂さんはそれぞれ電話をかけた。
 藤堂さんはマンションの管理会社に。私は一応社長の携帯に、無事出張から帰ってきた報告を。

「おーっ。お帰り、ご苦労さん!藤堂くんなら何も問題なかっただろう?安心安心。月曜日に報告よろしくねん。ごめん、今飲んでるからまたねー」
 酔った声で社長が一方的に喋って電話は切れた。社長がこんなにいい加減でいいのだろうか。50近いのに、相変らず週末になると飲んだくれている気のいいオジサンだ。まあ、だからこそ私たちもあまりストレスをためずに働けているのだけれど。
 今回の出張は、京都のデパートにうちの輸入食材いくつか置いてもらえることになったので、その打ち合わせと売り場確認をするというのが目的だった。ついでに京都市内の様々な店舗を見て回り、どんな商品が人気なのかも調査した。調査と言いつつ、実際は藤堂さんと二人でほとんど食べまくって終わった気がする。
 でも私は楽しかった。藤堂さんと距離が近づいてドギマギしたけれど、不謹慎なほどすごく楽しくて嬉しかった。

 9月の半ば、まだまだ夜も蒸し暑い。金曜の晩の賑わいを横目に見ながら、私は藤堂さんの電話が終わるのを待った。
 結構長引いているようなのでチラリと見ると、顔がわりと深刻そうだった。どうしたのだろうと思って様子を伺っていると、ようやく電話を終えた藤堂さんがやや途方に暮れた顔で私を見た。
「・・・どうしたんですか?何か問題でも?」
「マンションの上の階で火事があったって。火は消えたけど、俺の部屋まで水浸しらしい」
「ええっ!大変じゃないですか!部屋には入れるんですか?」
「とりあえず、一度戻ってきてくれって。ただ、しばらく部屋は使えないみたいだ。・・・参ったな」
「すぐ、行きましょう!」
 私は思わず藤堂さんのワイシャツの袖を引っ張っていた。
「いや、庄野までつきあわせるわけにはいかない。おまえは家に帰れ」
「いえ、一緒に行きます。何か手伝えるかもしれないし」
 ためらっている藤堂さんの言い分も聞かず、私は空車のタクシーにさっさと乗り込んで藤堂さんを手招きした。

 藤堂さんが住んでいるのは、夏に賃貸契約したばかりのマンションだそうだ。
 札幌から東京に戻ってきて住む場所を考えたとき、年齢的にもそろそろ家を買っておいたほうがいいと思ったのだと言う。それで良い物件が見つかるまでの仮住まいのつもりで、駅近という理由だけで今のマンションを借りたとのことだった。
 藤堂さんが前職で札幌の支社にいた頃、出張で北海道を訪れたうちの社長と何度か飲んだことがあったらしい。その度に「うちの会社に来てくれないか」」と社長に誘われていて、今年の春頃とうとう商社を辞めて転職する決心をしたのだと言う。大手企業の駒の一つでいるより、小規模な会社でもっと中身の濃い実践的な仕事がしたいと以前から思っていたそうだ。5年前のフードフェスティバルでうちの会社と関わったときから、密かにそう考えていたというのだから驚いた。
 東京に戻り、仕事も変え、近いうちに家も買う。まさに心機一転のつもりだったのだろう。
「今のマンションに長居する気はなかったから、荷物も極端に少ないんだ。こうなると、高い家電とか買わないでおいて良かったよ」
 タクシーの中で、藤堂さんは溜め息交じりに呟いた。消火のために大量の水を放水されただろうし、古いマンションなら下の階の被害も侮れないだろう。
 出張から疲れて帰ってきたらこんなことになっているなんて。私は自分のことのように不安で仕方なかった。家具や衣類などは大丈夫だろうか?藤堂さんはしばらくホテル暮らしにでもなるのだろうか・・・?

 藤堂さんの部屋は想像以上に悲惨な状態だった。
 家具が少ないのがせめてもの救いだったけれど、ベッドもテレビもパソコンデスクも、ほとんどが水を被っている。壁紙はぐっしょり濡れて変色していて、部屋全体が煙臭くてたまらない。火事による怪我人が出なかったことは幸いだったが、被害を受けた住人たちがうんざりした顔で荷物を運び出していた。
「大変申し訳ありませんが、お部屋のリフォームが必要になりますので、しばらく別のお住まいを借りていただいて・・・」
「とりあえず今夜はホテルにでも・・・」
 管理会社の人が廊下で藤堂さんにしどろもどろに説明している。その間に、私は藤堂さんに断ってもう一度部屋の中を見て回った。
「庄野、悪いけど服とか箪笥の中身、使い物になるか確認しといてくれないか」
 そう言われ、とりあえず衣類や靴など無事なものがあるかチェックすることにした。

 下駄箱やクローゼットの中身は比較的被害が少なかった。スーツも半分以上は無事のようだ。管理人さんに段ボール箱でももらって、まだ使用できる衣類や日用品を詰めて今夜中に運んだ方がいいかもしれない。
 ・・・どこに運ぶ?・・・もちろん、私の家に。
 私はそう思いつき、急に使命感を抱いて張り切りだした。そうだ、こういうときこそ藤堂さんの役に立ちたい。5年前、私の馬鹿げた願いを聞き入れてくれた人に、今こそお礼をしなければ。

 私が管理人室から段ボール箱を調達して戻ってくると、管理会社のスタッフと話し終えた藤堂さんが驚いた顔をして私を見た。
「藤堂さん、着る物とかすぐ使いそうなものだけ運び出しちゃいましょう」
「あ、ありがとう。さすが庄野。段取り早いな」
 一緒に部屋に入るとクローゼットや引き出しを片っ端から開け、とりあえず必要そうな衣類や貴重品などを手早く段ボールに詰めていった。途中で藤堂さんが手を止めて、まじまじと私の横顔を見た。そんなふうに真っすぐ見られると緊張してしまう。
「・・・やっぱり頼りになるな。庄野が一緒に来てくれて良かった。男は意外とこういうとき頭が回らなくてダメだな」
「そんなことないです。私が当事者だったらもっとパニックになってますよ。藤堂さんはこういうときでもすごく落ち着いてて、さすがです」
「いや、落ち着いてるんじゃなくて実感湧いてないだけだよ。越してきて間もないし、住み慣れてないからかな・・・」
 そう言いながらもやはりそれなりにショックなのだろう。手を止めたまま部屋を見渡して、フウッと溜め息をついている。

「とりあえず駅の近くのビジネスホテルにでも泊るよ。庄野、悪いんだけどそこに荷物を運ぶまでつきあってくれるか?今度必ずお礼するから」
「お礼なんていいんです。それより藤堂さん、今からホテル探して荷物運ぶの面倒ですよ。うちに来てください」
「・・・えっ?」
 藤堂さんが驚いて私を振り返った。
「うちに泊ってください。部屋、ありますから」
「いやいや、そこまでおまえに迷惑をかけるわけには・・・」
「全然、迷惑じゃないです。私もその方が安心だから、来てください。同じ沿線だし」
「いや、あのな。女の子の一人暮らしの部屋にお邪魔するのはさすがに・・・」
「あの、本当に大丈夫です。うちは一軒家なんで、すごく古いけど部屋はあります。祖母が一人で住んでた家なんですけど、亡くなってから私が一人で使ってるんです。だから、遠慮しないでください」
「そりゃ、すごいありがたいけど・・・でも・・・」
 ちょっと強引だろうか。もしかしたら藤堂さんは迷惑かもしれないと、一瞬弱気になった。けれども今からホテルを探して大荷物で移動する面倒を考えたら、やっぱりうちに来てもらう方が手っ取り早いし負担も少ないと思った。
「藤堂さん、今日、疲れてるでしょう・・・?お風呂に浸かってぐっすり寝たくないですか?だったら遠慮しないでうちに来てください。その方が私も安心できます。お願いします」
 私は頼み込む形で説得した。申し訳なさそうにしていた藤堂さんも、最後には「助かるよ。本当にありがとう」と笑顔を見せてくれた。

 藤堂さんが逡巡したのは、単に女の一人暮らしの家に泊るのを遠慮しただけではないと思う。たぶんきっと、5年前のあの夜の出来事を藤堂さんも想い出したからだ。
 私たちは再会して以来、どちらも一度だってあの夜のことを口にしていない。暗黙のうちに、あのことはお互い触れずにいようという空気が漂っていた。藤堂さんはとても優しい人だから、きっと私に気まずい想いをさせないよう気を遣って黙っているのだろう。私もまた、藤堂さんが仕事をしにくい状況になるのは避けたかったので、あのときのことはなかったものとして自分の胸の奥にしまい込んでいる。
 だからこそ、思わぬアクシデントがきっかけで今夜藤堂さんをうちに連れて行くことになって、心の奥であのことを意識せずにはいられなくなってしまった。
 藤堂さんが複雑な気持ちになっているのは、気配で伝わってくる。でも私はそれを押し切ってでも、藤堂さんに我が家に来てほしかった。


「着きました。あそこです」
 家の少し手前の路地でタクシーを止めてもらう。私たちは段ボールと荷物を抱え、タクシーから降り立った。
「おっ・・・。これは、随分と粋な造りの家だな。古民家みたいじゃないか。へぇ、東京のこの辺りでは珍しいな」
 藤堂さんは我が家を見て感慨深そうな声を出した。
「見た目はかなり古めかしいですけど、一応ちょこちょこ直してるので中は普通に暮らせますよ。どうぞ、入ってください」
 もう夜の11時近かったので、私は声を潜めつつバッグから鍵を取り出した。古びた鉄製の門扉を開けると、最近ではすっかり見かけなくなった引き戸式の玄関がお目見えする。私はできるだけ音を立てないように戸を開けると、明かりを点けて藤堂さんを招き入れた。


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