愛を忘れた令嬢が平民に扮した公爵子息様に娶られる話

rifa

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「……あの並木通りで私が襲われて、グランに助けてもらったあの日の前日……私は18の誕生日を迎えたの。いつもどおり、埃だらけの自室で、誰にも祝われない誕生日を」
「…………」
「でも、今回の誕生日だけは例年と違って、私は熱を出して寝込んでいたの。お母さまの形見のベッドを、壊されたボロボロのアリサのベッドと無理やり交換させられて、数少ないお母さまのドレスをすべて目の前で切り裂かれて、ショックで寝込んでいたの」
 思い出すだけであの時の恐怖が蘇るようだ。
 恐怖で身体が震えだしそうになるのを、グランが包み込んだミレーの指先にキスをして、柔和に微笑んだ。
「大丈夫だ、ミレー。ここには誰もミレーを傷つける人はいない。だから、安心して話してくれ」
 その笑顔に、強張っていた緊張がほぐれていくようで、誘われるように口が勝手にあの日のことを話していた。
 熱に浮かされているのに暖もまともに取れない毛布に包まって、必死に寒さと戦っているミレーに、氷水の入ったタライをミレーの後頭部に投げつけたこと。
 そのことで意識が朦朧としているミレーに構うことなく、アリサが社交界で話題のオリヴァーという公爵子息を狙っているので、汚らしいミレーという姉の存在が邪魔だから死んでほしいと言われたこと。
「……そこからは、もうよく覚えていないわ、ただ、気づいたら朝になっていて、明るくなった部屋で、私の体調も楽になっていて……」
「…………」
 グランが穏やかな表情を努めようとしているのがわかった。自分の手を優しく包み込んでいたグランの手から、怒りに耐えるような震えが伝わってきたからだ。
 背後で毛布をあてがってくれていたイリーも、ぐっと手に力が入ったようで、肩にわずかな圧を感じたが、そんなことは気にならなかった。
 他人の怒りを肌で感じても怖くないと思ったのは、生まれて初めてだった。
 そんなことを思いながら、ミレーは続けた。
「だから、グランと結婚するのなら……平民と結婚するのなら、許されるんじゃないかって、思っていたの。私は、グランを見下してしまっていたんだと思うわ」
 その言葉に、グランは頭を振る。
「それは見下していたんじゃない。ミレーがグランという存在に安心して自分を預けてくれようとしたってことなんだ。……それなのに、こんなに怖がらせて、オレこそごめん」
 優しく諭され、ミレーの目の視界が見えなくなる。
 双眸からあふれ出した熱い液状のせいで、視界が歪んでしまったのだ。
 ただとめどなく溢れてくるものが邪魔で、自分の手の甲で乱暴に拭いたいのに、グランがその手をしっかりと握っているからそれができない。
 そうでなくても、今のミレーには身体を自分で動かす気力もなかったのだ。
 今まで許されずに緊張で強張っていた身体が、ようやく許され、息を吸うことが出来たようで、安堵して身体の力が抜けてしまっていた。
 力が抜けたことで、ミレーが前へ倒れ、グランの胸に身体を預ける形となった。
 それを、グランは受け入れるように包み込んで、優しく抱きしめてくれた。
「……グラン」
 また涙があふれ出してしまう。
 その雫はすべて、グランの衣服に染み込んでいってしまう。
 グランの着ている上等な布地は、それを吸っても痕にならない。
 少し前まで、下町に暮らしているグランがどうしてこのように上等そうな衣服を身に付けているのか不思議に思わなくもなかったが、爵位ある立場だと知った今なら納得がいった。
「……可愛いミレー、いままでずっと泣けずに、一人で頑張って生きてきたんだな。偉いぞ。これからは、今まで一人で苦しんできた以上の時間を、オレとの幸せのために使ってはくれないか?」
「……オリヴァーであるあなたは、こんな丁寧な話し方をするのね」
 顔を上げたミレーの目元にたまった雫が、グランの厚い指で拭われた。
 ハッキリした視界の先で、愛おしいひとが微笑んでいる。
 艶やかな黒い前髪の隙間から覗く黒曜石の瞳がミレーを見つめて、夜の空に星が散りばめられているように美しく見えた。
「……私、あなたがグランでもオリヴァーでも、変わらない一人の人間として愛したいです。それでも、良いですか?」
「……それは、とっても嬉しい」
「……ありがとう。私、死を恐れないで、あなたと添い遂げることを望みます。たとえ結果的に義妹に命を奪われようとも……」
 しっかりとグランを見据えて告げた決心は、グランの唇に閉ざされ吸い込まれた。
「っ」
 ミレーの唇に乗ったあたたかいぬくもりに驚きつつ、眼前いっぱいに広がる黒曜の空とそこに瞬く星の光を眺めながら、ミレーも瞳を細めて受け入れた。
「……やらせねぇよ。今言ったばかりだろうが。今までミレーが独りぼっちで苦しんできた以上の時間を、オレと幸せに生きることに使ってくれって。ミレーのことはオレが守るから。
これからのミレーの人生を幸せで満たすために、オレと一緒に生きてほしい。約束してくれ。これからの長い時間を、オレと一緒に生きてくれるって」
 それは、途方もない夢のことのように思えた。
 そのようなことが、本当に可能なのだろうかと目を見開く。
 だが、本当に叶えられても、ただの夢に過ぎなかったとしても、ミレーは構わなかった。
「約束します。だから、私からも一つお願いをしていい?」
「なんだ?」
 優しく微笑んでミレーを見つめるグランに、ミレーは『おねがい』をした。
 物心ついた頃から、ミレーにはおねだりやおねがいをすることが許されなかった。それは義妹のアリサだけに許された特権だった。
 だから、もしこれが本当に現実の幸福であるというのなら、それを教えてもらいたかったのだ。
 昨日食べたハニートーストより甘い味で、自分の舌を溶かしてほしいと、ねだったのだ。
 そう伝えるとグランは、余裕をなくした熱のこもった表情を近づけて、ミレーの唇に吸い付いた。
 そして暖かい舌をミレーの唇に強引に滑りこませ、ミレーの口内を蹂躙していった。
「ぐら……っ」
 息ができなかった。
 息を吸う間さえ与えられず、ミレーもグランの呼吸を奪うようにグランの口内へ舌を伸ばした。
 何度も何度もそうやって互いの舌を絡みあわせて、ようやく満足したようにお互いの唇が離れた。
 ミレーはそれを名残惜しく感じないこともないが、正直呼吸が限界だったので、助かったと思う気持ちも同時に湧いた。
 お互いの呼吸しか聞こえなくなったと思っていた空間に、気まずそうな咳払いが割り込んでいた。
「んっんんっ!」
 惚けた脳が次第に覚醒していく。
 我に返ったミレーの視界の先で、マルクが顔を真っ赤にして目を逸らせながら「そろそろここを出る支度をしても良いかい? 町のみんなも起きてくる頃だ」と告げた。
 ようやく冷静さを取り戻したと同時に、理性を失ってとんでもないことをしていた自覚をして、また冷静さを失った。
 恥ずかしさを押し殺しながら、ミレーは必死にこくこくと頷いた。
 グランはそんなミレーの様子を安心したように眺めながら、ミレーの赤い髪をかき乱すように乱暴に撫でた。
 それは、彼なりの照れ隠しだろうか。
 彼の見せた新鮮な一面を知れ、ミレーは心がこそばゆくなるのを覚えながら、すでに支度をはじめているイリーのほうへ向かった。
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