守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 話を聞きたいからおそらく大和を食事の席に同席させた。「淫靡小説」の編集長である夏川英吾を若くしたような男の印象だったから、倫子は興味を持ったのだ。だが肝心の倫子は酒ばかり飲んでいて、あまり話をしなかった。それに割と上の空だったと思う。
 やはりあの貸しオフィスで何かあったのだろう。政近が月子のために仕事をおいて出て行った。それが引っかかっているのだろうか。
 上野敬太郎の古本屋に取り置きしておいた本を受け取ると、二人は並んで駅へ向かう。泉たちとは居酒屋の前で別れた。このままホテルにでも行って話を聞きたい。だがそれを倫子が望んでいるのだろうか。春樹の中で葛藤が始まる。
「赤塚さんも結構お酒が強い方だね。」
 すると倫子は少し思い出したように笑う。
「どうしたの?」
「居酒屋であの人、店員さんに「身分を証明できるものはありますか」って聞かれてたわね。」
「未成年に見えたんだろう。俺もそう思った。でも慣れているみたいだったね。」
 免許証を見せて、店員は納得したように酒を運んでいた。まさか三十歳とは思っていなかったのだろう。大学生にも見えないのだ。
「あの人、きっと泉に気があるわ。」
「倫子もそう思った?」
「礼二と働くこともあるのだろうし、きっと礼二よりも仕事は出来るんでしょうね。たじたじになっているのが想像できるわ。でも……個人の感情となれば別。泉に手を出したら承知しないわ。」
 倫子はそういってて拳に力を入れる。泉だって相当悩んで今の道を決めたのだ。礼二に奥さんがいることも、礼二の尻が軽いのも、全て受け入れて選んだのだから、それを邪魔するようなことをされたくない。
「俺には礼二さんとよく似ている人だという印象だったな。」
「礼二と?」
「粗野なだけだと思う。だけど自分の好きなことにはまっすぐだ。仕事が好きで、きっと倫子の小説も好きなんだろう?」
「えぇ。サインが欲しいと最初に言われたわ。」
「あまりそういう人っていないだろう?倫子とわかっていてもサインを欲しがる人なんて。」
「そうね……。芦刈さん以来だったかな。」
 真矢の名前に少し動揺した。まさかここで真矢の名前がでると思っていなかったからだ。
「芦刈さんは図書館で、サインが欲しいって言ってきたの。だけど差し出されたのはメモ帳だったわ。だからさすがに来れにサインをして欲しいって言われてもって思って、持ってきたクリアファイルにサインをしたの。」
「芦刈さんは、君のファンだと言っていた。」
「えぇ。初期の頃から。」
 すると倫子は足を止めて春樹に言う。
「今日、芦刈さんと話をしたわ。」
「え?」
 もしかしたらこの間のことを言ったのだろうか。自転車が来なければ、真矢を抱きしめていた。それは自分の感情からだったのか、それとも男として我慢が出来なかったのだろうか。それはわからない。もしかしたら同情から、そういう行動をしたのかもしれない。
「あなたが好きだった時期があると言っていた。中学生の頃……図書館で本の受け渡しをするだけの関係だったのに、あなたのことをずっと見ていたと。」
「……うん。そうなんだろうと思っていたよ。」
 春樹は倫子に近づくと、その手を握る。冷たい手だった。
「あなたは気が付いていたの?」
「気づいてた。だけど俺はあの時の俺は人を特別な目で見ることがなかったんだ。周りは多感な頃で「好き」と「嫌い」だけで割り切れる感情しか認めなかったのが違和感でね。」
 足を進めると、春樹はその握っている手に力を入れる。
「俺の家には土蔵があってね。春には壊されるらしいんだけど、その中で古い本を読むのが好きだった。その中には、春画もあってね。」
「エロ本?」
「そう。昔のエロ本。男女の営みはそれで知った。まぁ、しばらくすれば友達なんかとAVを見ることもあったけれど。」
「学校で教えてくれないことよね。見ても別に不思議じゃないわ。」
「うん。それをみて、俺は誰とも別にそういうことをしたいと思わなかったし、むしろ気持ち悪いと思ってた。靖が今そんな時期なのかな。同じことを言っていた。」
 ちょうど中学生くらいだろう。靖もそれで悩んでいた。
「それくらいの時に、芦刈さんには双子のお姉さんがいるんだけれど、ちょっと派手な人でね。周りにいつも人がいて、明るくて、美人だった。そんな人がいきなり俺に「付き合ってあげてもいいよ」って言ってきたんだ。「別にいいよ」と言ったはずなんだけどね。その「良い」は「付き合って良い」に聞こえたんだろう。俺は「別に必要ない」の意味の「いい」と言ったつもりなんだけどね。」
「日本語って難しいわね。」
「それから一緒に帰った。他人のことが中心でね。あの人は「あぁある」とか「この人は嫌い」だとかあの人ははっきりした性格だったね。俺が本ばかり読んでいるのを「暗い」と言っていたし、泳いでいたら「魚かよ」って言ってたし。」
「何で付き合ったのかしら。」
「俺は、妹に嫌がらせの意味でしたのかなって思ってた。妹の方の芦刈さんが、俺のことが好きなのはわかっていたから。」
「同じことを芦刈さんも言っていたわ。姉は嫌がらせで付き合っていたって。別に好きとかそういうんじゃない。今、再会して春樹が独身になったし、結婚したいって言っていたわ。そんなつもりで結婚ってするのかしら。」
「俺の歳になったらそう思うんだろうね。特に女性で、芦刈さんのように一人で子供を育てている人にしたら、経済的にもきついんだろう。」
 あの田舎のスーパーで、しかもコンビニが入ってきたあの土地では、子供を大学までに行かせることが出来るのだろうかと不安に思うのかもしれない。
「でも、芦刈さんは別ね。」
「妹?」
「うん。……きっとあなたと再会して、またあなたのことが好きになったはずよ。」
 倫子の手が震えている。歳が近くて、気が合って、対等で入れるあいての方が春樹だって楽なはずだ。自分は作家で、春樹に頼っている。それが重荷になっていないだろうかと思う。
 それに自分はまだ医者にかからないといけないほど不安定なのだ。きっと何の問題もないような、真矢のような人だったら春樹はもっと楽になれる。
 心のどこかで誰かが囁く。「傷物の女にだれも手はさしのべない」と。地元での声と、青柳の高笑いと、下腹部の痛みをまだ忘れたことはないのだ。
「俺が芦刈さんを好きになることはないよ。」
「え?」
 思わず春樹を見上げた。
「俺が好きなのは倫子だけだから。」
「……私……。」
「自信を持って良い。さっきも言ったけれど、俺は人の気持ちに敏感なはずなのに、自分の気持ちには鈍感だ。妻ですら、本当に好きだったのかもわからないまま結婚をしたんだから。」
「……。」
「君は、俺の初恋なんだ。ずっと守らせて欲しい。」
 その言葉に倫子は涙をこぼした。すると春樹は立ち止まり、またハンカチを取り出した。
「こんなところで泣いてはいけない。誰が見ているかわからないんだから。」
「うん……。」
 涙をハンカチで拭うと、春樹は少し微笑んだ。
「今日は、寄り道をして帰ろうか。俺の家に来る?」
 すると倫子は涙声で言った。
「連れて帰って。」
 春樹はその言葉に少し笑って、また倫子の手を握る。そして駅の方へ向かっていった。
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