守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 呆れるほど酒を飲む女だ。倫子は焼酎をストレートで飲んでいたはずなのに、それがもしかしたら水なのかもしれないとまで思う。だがしっかり酒だ。
 それでもまだ少し寄るところがあるからと、春樹とともに居酒屋をでて歓楽街の方へ行く足取りはまるで素面だ。
「すげぇな。全く変わらねぇの。」
「それ、一緒に飲む人からいつもそう言われますね。酔わないみたい。」
「たまにそういう奴って居るよな。藤枝さんの方が酔ってる感じ。」
「春樹さんは顔色だけですよ。」
 少し前に春樹が職場の人たちと行った居酒屋だというところは、チェーン店のような感じに見えたのに、一手間が美味しいところだった。厚切りのハムが入ったポテトサラダも、ニンニクの香りがする唐揚げも熱々で、今度は礼二と来たいと思った。
「でも……なんか、あれだな。」
「どうしました?」
「小泉先生、前となんか違う。元気がないっていうか。」
 倫子にしては確かにおかしかった。大和のことが気になったから、食事の席を同席させたのだろうに、あまり口数は多くなかったのは何かあったのだろうか。あまり携帯電話を変えたくない、データを残しておきたいと言っていた割には、あっさり携帯電話の機種を変えていたのも不自然だ。
「倫子もそういう日もありますよ。」
「わかったような口を切きやがって。」
「もうつきあいも長くなったし、一緒に住んでるし。」
「それだけどさ。」
「え?」
 大和は足を止めて泉に言う。
「お前、その家って出れねぇの?」
「何でですか?」
「んー……。まぁ、さっき人事部から言われたってのもあるけどさ。同居人って、デザイン会社とか編集者もいるだろ?」
「居ますね。」
 伊織と春樹のことだ。
「俺は気にすることはないと思うんだけど……。こういう所って情報なのよ。結局。ファミレスなんかはパクリ合いばっかしてるじゃん。」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。同じようなメニューがあるのはそのせい。けど、うちの会社ってオリジナリティを追求してんのよね。今回の春のメニューもどっかのカフェが探ろうとして居るみたいだし……。」
「デザイン会社も編集者も、情報を扱うからって事ですか?」
「うん。まぁ……それに、そのデザイン会社と付き合いがあるわけじゃないけど、もしそのポスターとかで採用されたら別の会社から、ひいきにされているって言われて付き合いづらくなるんだよ。」
 会社にはいるとそんなモノなのだろうか。だがそれを理由に、倫子の家を出たくない。
 春樹も伊織も会社のことを家に持ち込んだりしない。伊織だけは、会社でできなかったことを部屋でしているが、それに対して意見を求めたりしない。一度、意見を聞こうとして伊織から止められたこともある。それから泉も気を付けているのだ。
 だが疑うのも気持ちが分からないでもない。しかし倫子を置いていけない。泉の中で葛藤が始まった。
 その様子を見て、大和は少し笑う。
「今すぐ出ろってわけじゃねぇんだよ。そういう意見を言う奴もいるって事だ。」
「意見を言う奴?」
「人事部に行ったんだったら知ってんだろ?人事部長。がっちがちの頭の奴。」
「あぁ、背の高い……。」
「あいつ、苦手なんだよな。」
 どこか有名な大学をでているらしいのに、まだそんなに規模として大きくなかった「ヒジカタコーヒー」の事務員をしていたのだ。それから人事部に入ったり、広報部に入ったこともあったが、結局、人事部に戻ってきた。
「あいつも苦労してんのはわかるし、満足な家庭で育ってねぇのもわかるよ。騙そうとしたりする奴も多かっただろうな。だからって全ての人を疑わなくてもいいと思う。」
「……赤塚さんは、そういう人に会ったんですか。」
「んー……まぁな。ここの社長。」
「あぁ……。」
 一度会ったことのある人だ。ニヒルな髭の男。そんなイメージだった。
「バイトで入ってた店で、ちょうど社長が来たんだよ。コーヒーを淹れて出したら、すげぇ気に入ってくれてさ。」
 まともに仕事を就けるわけがない。そう言われていたのに、社長が目をかけてくれた。外国へ行って欲しいと言われて、せめて英語が出来ればいいとスクールに通わせてくれた。バリスタの資格も取らせてくれた。
 まともに生活が出来るのは、この人のおかげかもしれない。
「だから独立しないんですか。」
「しないな。」
 学歴の問題ではない。大きな企業の社長だって、学がない人も沢山いるのだ。だが独立をしないのは、おそらく社長への恩義からだ。
「礼二も言ってました。礼二は……前科があるからまともな職は就けないって。だからここにこれたのは運が良かった。社長に感謝してるって。」
「そうだっけな。あいつも中卒だっけ。」
 それなのに礼二の方が大人びて見えるのは、おそらく歳のせいだけではない。だが接客もコーヒーを淹れる腕も、やはり大和の方が上だ。おそらくそのコーヒーの監修をしているという女性の下に付いたこともあるからだろう。
「今度、コーヒーを監修している方の所に行くじゃないですか。」
「あぁ。電車な。」
 礼二が急に来れなくなったと行ってきたのだ。どうやら実家の方で何かごたごたがあったらしい。
「お土産とかいるんですか?」
「いらねぇよ。お前、それよりもその新作スイーツ作っとけ。」
「えー……?」
 倫子の家はオーブンなんかはあるが、先ほど情報の話をした。そのため少し気が引けるのだ。
「そっか……家で出来ねぇか。だったらうちでするか。」
「赤塚さんの家ですか?」
「うん。一応オーブンもあるし、前日に来いよ。」
 港の方だった。一度礼二の車で家の前にまでは行ったことがあるが、とても古い家だった。倫子が住んでいたアパートを思い出す。
「えっと……だったら業務用スーパーに行って……。」
 ぶつぶつと何か考えているようだ。家に来るというのに、泉は何の抵抗もないのだろうか。男と女なのになにもないと思っているのだろうか。
「サクランボのピューレがいるんですよ。」
「サクランボか。どれくらいいる?」
「一度に焼けるのは八個。中に入れるピューレの量は……。」
 すらすらと出てくる分量に、真剣にデザート作りに取り組んでいたのがわかる。社長もそう言う視線をみていたのだ。
 いつか社長が言っていた。男と女という枠がなければいい。仕事が出来ればいいと君は思っているのだろうが、それだけというのも味気がない。
 ほんの少しのスパイスで、人間に魅力が出てくる。そうすればもっと人間を引きつけるよ。
 少しのスパイスというのは、おそらく恋愛感情のことだろう。その相手が泉と思いたくなかった。こんなにちんちくりんで、男か女かわからないような女を、好きになるはずがない。そう思っていた。
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