守るべきモノ

神崎

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柑橘

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 不思議な感覚で酒を飲んでいた。今日、初めて会った仕事上での付き合いの女で、春樹の幼なじみ。年上の女性と付き合ったことがないわけではないが、こういうタイプの女性は初めてだった。
 炭火焼きの煙が漂う店内で、真矢は焼酎のお湯割りを飲んでいた。これで何杯目だろう。酒には強くもないが、弱くもない伊織も同じものを飲んでいたが、真矢のペースに会わせていたらこっちが潰れる。明日も仕事なのだ。その辺は節度を持っていないといけないだろう。
「こうして女性と飲みに来ることって結構あるんですか。」
 真矢がそう聞くと、伊織は首を横に振る。
「そんなにないです。基本、食事は家で作るし飲みたいなと言うときは酒を買って帰ります。」
「私もそう。だけど、たまには外で飲みたくなるんです。知ってますか?あの駅のそばに病院があって、その病院の裏手に文芸バーがあるんです。」
「文芸バー?」
「一時間百円のチャージ。それからお酒を飲んだり、飲めない人はコーヒーとかお茶を飲んだりしながら本を読むんです。最近は漫画喫茶とかもありますけどそこは純粋に活字しかなくて、なおかつお酒を出すところですよ。」
「良い所みたいですね。でも……。」
「どうしました?」
「俺が行ったら絶対終電を逃すと思って。」
 すると真矢は少し笑う。
「朝六時までしているんです。始発に間に合うようにって。何度かそれで帰ったことがあります。だいたい、本を読んでいて続きがあるのに「さぁ終電だから帰りましょう」なんて出来ますか?」
「無理。」
「でしょう?」
 笑うと美人だと思った。地味にしているのはわざとかもしれない。姉がコンプレックスだと言っていた。だがきっとその姉も妹がコンプレックスだったのだろう。
 地元の高校にしか行けなかった姉と、離れているが偏差値の高い高校へ行った妹。伊織は自分と重なったと思っていた。
「俺にも姉がいるんです。」
「え?」
「弁護士をしてます。旦那は検事です。子供もいますが、結婚するとき「別姓」にすると言いきりました。仕事をする上で、名字が変わるといろいろと手続きが面倒だと言ってたから。」
「はっきりしてますね。」
「だから最初は俺、親の仕事の都合でヨーロッパの方にいたんですけど、転勤で今度は東南アジアの方へ行きました。そのとき姉が「そんなところに行きたくない」と言って、全く違うところに留学という形で単独で行ったんですよ。時代的に、汚いとか臭いとか、川がゴミだらけでなんなら排泄物も流れているとマスコミが言っていた時代だから。」
「実際はどうなんですか?」
 ふとあの体を売っていた女の子を思いだした。ずっと忘れかけていた人だったのに、あの国のことを話したからだろうか。
「綺麗なところでした。遺跡が沢山あって、文化もそこまで遅れてません。人によってはスマートフォンを持っている人もいます。だけどその文化を地元の人は忘れていない。麻で出来た民族衣装を普段着として着ている人もいますから。」
「この国もおかしな格好ではないんですよ。正式な場ではスーツやドレスを着ることもあるんでしょうが、着物を着ても誰もとがめません。」
「そうでしたね。」
 外国の要人が来ることがあれば、政治家が迎えに行くことがある。そのとき夫婦で来る人には、夫婦で迎えに行くのだ。そのとき奥さんは着物を着ていることもある。別におかしな格好ではないのだ。
「話は逸れましたけど、姉はその国で人一倍努力をして国際弁護士になったんです。それに親も外交官でした。だから俺も大学へ行こうという話になったとき、姉からも両親からも外国語大学へ行くべきだと言われました。それか文系の大学へ行けと。でも俺は絵が描くことが好きだったんで、美大へ行きました。姉からは今でもグチグチ言われますよ。」
「どうして?別にそんな大学へ行ったから、食べれないと言うわけではないんでしょう?」
「まぁ……俺みたいに質のいい会社には入れたのは運が良かったんです。仕事も選べるし、やればやっただけ給料に反映されるし。でも普通に企業で勤めるよりは、対価は少ないんです。独立すればもっと実入りがいいんでしょうけど。」
 だから小泉倫子の所に間借りをしているのだろうか。アパートでも何でも入れそうなのに。
「最近ずっと言われます。もし身を固めるようなことがあれば、奥さんに苦労をさせるだろうって。」
「苦労するかは、なってみないとわからないのに。それに……。」
「ん?」
「その実入りにあった生活をすればいいと思います。幸せって、別にお金じゃないんですよ。普段は慎ましい生活をしていても、たまに行く映画とか、外で食事をするとか、それこそ、本を一冊買うとかそういうことでも幸せを感じますからね。」
 まるで春樹と話しているようだ。そう思いながら、コップに口を付けようとした。だがもう酒がない。
「そろそろ帰りましょうか。」
「あぁ。もうこんな時間だったんですね。長く話してしまって。」
「いいえ。気が晴れたなら、それで良いです。」
 気を使ってくれたのだ。そう思った真矢は少し笑う。こんな年下の男に惹かれることはなかった。真矢は年上と付き合うことが多くて、頼りがいがある男を好きになっていたことが多い。だから同じ歳でも、話を聞いてくれる春樹に惹かれたのだろう。
「割り勘しましょうか。」
「私の方が飲んでますよ。多めに払います。」
「そのぶん、俺も食べたし良いですよ。」
 席を立って二人でお金を払う。そして外にでる富を着るような風が吹き抜けた。思わず身震いをする。
「あー……っ寒いっ。」
 こう言うところは年相応なのだ。真矢は少し笑って、マフラーを取ると伊織にかけた。
「え?」
「寒いんでしょう?私、家がこの近所なんですよ。すぐ帰れますから。」
「でも……。」
「今度図書館にでも持ってきてください。うちの図書館、蔵書も多いんですよ。」
「ありがとう。そうします。でも……近くって言ってもこの時間だし、送りましょうか。」
「え?そんなつもりで言ったんじゃなくて。」
「レイプ魔も出るらしいし、何かあってからじゃ困るから。」
 隣はドラッグストアだ。まだ開店しているのは、ここが十二時までだからだろう。ここにあって良かったと思う。
 わき道を行き、細い通りに出る。そのすぐそばにあるにかいだ手のアパートの一室に真矢の部屋があった。
「本当にすぐそばだ。駅からも近いし、電車の音とかどうなんですか?」
「別に気になりませんよ。」
 すると真矢はそのすぐそばにあった自動販売機に近づくと、お金を入れた。そして温かいミルクティーを伊織に手渡す。
「カイロ代わりに。」
「ありがとう。」
 手が触れた。手袋越しの感触だった。少し真矢はうつむいて、だがぱっとその手を真矢の方から離す。
「……ごめんなさい。あの……。」
 頬が赤くなっている。新鮮な感覚だった。すると伊織は離した手をまた握る。手袋越しにきゃしゃな手の感触が伝わってきた。
「お茶……飲みませんか。」
 すると伊織は我を思いだしたようにその手を離す。
「あ……いいえ。せっかく買ってもらったし、帰ります。」
「富岡さん。」
「倫子たちも帰っているかな。すいません。これで失礼します。」
 そういって伊織は来た道を歩いていった。その後ろ姿を見て、真矢はため息を付く。マフラーが首もとにあった。あれがあるなら、またあわないといけないだろう。それ以前に仕事相手だ。何でお茶なんか飲ませようとしたのだろう。そう思いながら、真矢はアパートの階段を上がろうとした。そのとき、ぐっと手を引かれた。
「え?」
 するとそこに入ったと思っていた伊織がまだそこにいた。
「富岡さん?」
「マフラー。やっぱ返します。」
 そういってマフラーを手渡した。
「どうして?」
「職場で言われると思うから。あなたにとっても悪いと思うし。」
「……そんなこと、気にしなくてもいいのに。」
 手がかじかんで、マフラーが階段に落ちた。それを拾い上げようと座り込む。伊織もまた拾い上げようと座り込んだ。すると目線があう。
 ゆっくりとお互いが近づき、伊織は真矢のその頬にふれながら唇を重ねた。
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