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3 一瞬で失った恋
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夜明け前。
控えめに叩かれた扉の音を聞きベルタは飛び起きた。あれから眠る事が出来ず、泣き疲れて微睡んでいた時だった。
「ニルス!」
まだ暗い外に立っていたのはニルスだった。着替えていない所を見ると家には帰っていないようだった。
「中に入って……」
引き寄せようとしたニルスからふわりと甘い香水の匂いがする。伸ばした手は無意識に止まっていた。
「どこに行っていたの?」
「泣いたのか?」
「どこに行っていたのよ!」
伸びてきた手を振り払っていた。
「あれから職場の仲間達に会って酒場に連れて行かれたんだ。あいつら飲むとなったら朝までなんだよ。ほんと馬鹿だよ」
「……あいつらなんて言われても誰の事を言っているのか分からないわ。それにあんな風に家を出たのによく飲みに行けたわね」
「誤解しないでくれ、僕は一滴も飲んでないよ。でも上官もいたから帰りづらくて機会を伺っていたんだ」
ベルタは背を向けて家の中に入っていった。ニルスが夜の風と共に後を追ってくる。その風には先程感じた女性物の香水の匂いが混ざっていた。
「あんな風に家を出るべきじゃなかった。さっきの話だけど、やっぱり僕もカミラ達に会おうと思う。ベルタの大切な友人を信じるよ」
「もういいの」
「どういう事だ?」
「会わなくていいと言ったの。酒場でもなんでも好きな所に行けばいいじゃない」
ニルスが歩く度に傷んだ床が軋む音がする。ベルタは細く息を吐いてなんとか高ぶる気持ちを抑えようとした。
「何か勘違いをしているようだけど、僕は誓って君を裏切ってはいないよ。ただ仕事の付き合いもあるから……」
「仕事って何? お城勤務って一体どんな仕事をしているの?」
「だからそれはまだ話せないんだ。でもいつか話せる関係になりたいと思っている」
「それは今じゃ駄目なの? その酒場にいた女性達はあなたのお仕事仲間にも会っているのよね。という事はどんな仕事かも大体分かっているんじゃないかしら。お酒を飲めばどうしたって男は仕事の話をしたがるもの!」
その瞬間、ニルスはぐいっと肩を引いてきた。
「君の口から他の男の話など聞きたくない。それに誰と比べているのか知らないが、僕達はそんなに口は軽くないよ」
「ええそうだったわね。だって私はニルスがどこに住んでいるのかさえ知らないんだもの」
「ベルタ落ち着いてくれ、だからそれはいずれ順を追って……」
視界の端にキラリと光る物が目に入った。それはネックレスについたアメジストの輝きか、クヌートから預かったナイフの装飾か。ベルタはとっさに棚の上に手を伸ばしていた。そして両手でぎっちりとナイフを掴んで自分の顔に向けた。
「もうこんな関係はうんざりよ! 私はあなたの本名さえ知らないのよ! 何故お城勤務なのに月に一度しか会えないの? 私はニルスの何なの!?」
「ベルタ……そんな物どこで手に入れたんだ。危ないから離すんだ。さあナイフをこちらに寄越して」
「嫌! ニルスこそ今ここで全部を話して! 話してくれないならもうここでお別れよ!」
「本気で言っているのか?」
「私は本気よ!」
暗い部屋の中、激しい息遣いだけが浮き立っている。涙を流したくなくて唇を思い切り噛み締めた。
「まずは頼むからそのナイフを置いてくれ」
「私はニルスの愛人なの? ねえ、答えて!」
「どこからそんな考えになるんだ全く……人の気も知らないで」
呆れたようなニルスの声が頭上から振ってくる。もう嫌われてしまった、言ってはいけない事を言ってしまったのだ。
絶望で手の力が抜け、ナイフが僅かに下がった時だった。思い切りニルスの方に引かれ、床に倒れ込んでしまった。
「ベルタ! 大丈夫かベル……」
勢いよく肩を打った痛みで起き上がれないでいると、悲痛そうなニルスの顔が目の前にあった。どこか一点を凝視したまま動かないニルスの視線を追っていく。そこには自分の胸に刺さったように見えるナイフだった。勢いで仕込んであった血糊の袋が破れ、まるで胸から流れた血のようだった。
「違うの、これは」
「喋るな! 喋らない方がいい」
肩が痛くで腕が動かせない。
「嘘だ、大丈夫だ。絶対に大丈夫……」
ニルスはそう呟くように言うと、慌てて家を飛び出して行ってしまった。
控えめに叩かれた扉の音を聞きベルタは飛び起きた。あれから眠る事が出来ず、泣き疲れて微睡んでいた時だった。
「ニルス!」
まだ暗い外に立っていたのはニルスだった。着替えていない所を見ると家には帰っていないようだった。
「中に入って……」
引き寄せようとしたニルスからふわりと甘い香水の匂いがする。伸ばした手は無意識に止まっていた。
「どこに行っていたの?」
「泣いたのか?」
「どこに行っていたのよ!」
伸びてきた手を振り払っていた。
「あれから職場の仲間達に会って酒場に連れて行かれたんだ。あいつら飲むとなったら朝までなんだよ。ほんと馬鹿だよ」
「……あいつらなんて言われても誰の事を言っているのか分からないわ。それにあんな風に家を出たのによく飲みに行けたわね」
「誤解しないでくれ、僕は一滴も飲んでないよ。でも上官もいたから帰りづらくて機会を伺っていたんだ」
ベルタは背を向けて家の中に入っていった。ニルスが夜の風と共に後を追ってくる。その風には先程感じた女性物の香水の匂いが混ざっていた。
「あんな風に家を出るべきじゃなかった。さっきの話だけど、やっぱり僕もカミラ達に会おうと思う。ベルタの大切な友人を信じるよ」
「もういいの」
「どういう事だ?」
「会わなくていいと言ったの。酒場でもなんでも好きな所に行けばいいじゃない」
ニルスが歩く度に傷んだ床が軋む音がする。ベルタは細く息を吐いてなんとか高ぶる気持ちを抑えようとした。
「何か勘違いをしているようだけど、僕は誓って君を裏切ってはいないよ。ただ仕事の付き合いもあるから……」
「仕事って何? お城勤務って一体どんな仕事をしているの?」
「だからそれはまだ話せないんだ。でもいつか話せる関係になりたいと思っている」
「それは今じゃ駄目なの? その酒場にいた女性達はあなたのお仕事仲間にも会っているのよね。という事はどんな仕事かも大体分かっているんじゃないかしら。お酒を飲めばどうしたって男は仕事の話をしたがるもの!」
その瞬間、ニルスはぐいっと肩を引いてきた。
「君の口から他の男の話など聞きたくない。それに誰と比べているのか知らないが、僕達はそんなに口は軽くないよ」
「ええそうだったわね。だって私はニルスがどこに住んでいるのかさえ知らないんだもの」
「ベルタ落ち着いてくれ、だからそれはいずれ順を追って……」
視界の端にキラリと光る物が目に入った。それはネックレスについたアメジストの輝きか、クヌートから預かったナイフの装飾か。ベルタはとっさに棚の上に手を伸ばしていた。そして両手でぎっちりとナイフを掴んで自分の顔に向けた。
「もうこんな関係はうんざりよ! 私はあなたの本名さえ知らないのよ! 何故お城勤務なのに月に一度しか会えないの? 私はニルスの何なの!?」
「ベルタ……そんな物どこで手に入れたんだ。危ないから離すんだ。さあナイフをこちらに寄越して」
「嫌! ニルスこそ今ここで全部を話して! 話してくれないならもうここでお別れよ!」
「本気で言っているのか?」
「私は本気よ!」
暗い部屋の中、激しい息遣いだけが浮き立っている。涙を流したくなくて唇を思い切り噛み締めた。
「まずは頼むからそのナイフを置いてくれ」
「私はニルスの愛人なの? ねえ、答えて!」
「どこからそんな考えになるんだ全く……人の気も知らないで」
呆れたようなニルスの声が頭上から振ってくる。もう嫌われてしまった、言ってはいけない事を言ってしまったのだ。
絶望で手の力が抜け、ナイフが僅かに下がった時だった。思い切りニルスの方に引かれ、床に倒れ込んでしまった。
「ベルタ! 大丈夫かベル……」
勢いよく肩を打った痛みで起き上がれないでいると、悲痛そうなニルスの顔が目の前にあった。どこか一点を凝視したまま動かないニルスの視線を追っていく。そこには自分の胸に刺さったように見えるナイフだった。勢いで仕込んであった血糊の袋が破れ、まるで胸から流れた血のようだった。
「違うの、これは」
「喋るな! 喋らない方がいい」
肩が痛くで腕が動かせない。
「嘘だ、大丈夫だ。絶対に大丈夫……」
ニルスはそう呟くように言うと、慌てて家を飛び出して行ってしまった。
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