2 / 64
本編
第二話
しおりを挟む青帝陛下御一行が視察を終えて都に戻られた数日後、私は都に向かう馬車の中にいた。
「あんたも一緒でよかったわ。さすがに独りだと心細くて」
美しく着飾った連油に話しかけられながら、私は遠い目をして窓の外を眺めていた。
「何よ、せっかく都に行けるっていうのに。辛気臭い顔しちゃって。嬉しくないの?」
「……なんで私まで」
「村長の娘であるあんたを差し置いて、あたしだけ特別待遇ってわけにはいかないでしょ」
案の定、連油は、青帝陛下のお付きの人の目にとまり、宮女として後宮に入ることになった。ただし下級宮女としてではなく、上級宮女としてだ。くわえて支度金が与えられ、必要な衣装や装飾品まで用意してもらえるというのだから、破格の待遇といえる。
ゆえに彼女の両親も、諸手を挙げて娘を送り出したというが、
「もしかして裏取引した?」
ずばり切り込むと、連油は決まり悪そうに視線をそらした。確かに彼女は村一番の美人だし、細身のわりに出るとこは出ていて、男性の好みそうな体型をしている。けれどそれだけだ。連油より美しい宮女など、都にいけばごまんといる。絶対に何かあると、私は踏んでいた。
「連油……」
「そんな目で見ないでよ。別に悪いことなんてしていないんだから」
本当に?
「あんただって、ずっと都に行きたがっていたくせに」
「今は違う」
私はすぐさま答えた。確かに上級宮女であれば、妓女のような教育を受けずに済むし、夜伽に呼ばれることもないだろう。けれど、
「宮女にはなりたくないの、どうしても」
「翡翠に操でも立ててるつもり?」
ずっと思い出さないようにしていたのに。
突然、幼馴染の名まえを出されて、私はうろたえた。
「あんた、あいつのこと好きだったもんね」
私は父の本当の子どもではない。
私の生みの親は罪人で、島流しの刑に処されて、護送中に死んでしまった。私はその道中で生まれたらしく、私を取り上げた老女が、母親代わりに面倒を見てくれた。
母が売れっ子の妓女だったことは老女から聞いた。
そんな母に似ていると言われても、私は少しも喜べなかった。
十一歳の時に老女が亡くなると、私は食べ物を求めて村を渡り歩くようになった。
けれど、何処の馬の骨ともわからない、薄汚れた子どもに食べ物を恵んでくれるような大人はほとんどいなくて、私はまもなく力尽きて、動けなくなってしまった。
そんな私の前に現れたのが、父の知り合いの息子、翡翠だった。
私が養女として村長の家に引き取られたのも、彼のおかげだ。
「だって、命の恩人だから」
「一体どこに行ったんだろうね、あいつ」
私が十三になった年に、翡翠は姿を消した。
別れの挨拶もなく、ある日忽然と姿を消してしまったのだ。
「自分の家に帰ったみたい。もう二度と村に来ることはないだろうって父も言ってたし」
「なんかワケアリっぽかったもんね」
「とにかく、私は宮女にはならないし、後宮にも入らないからね」
頑なに言い張ると、連油は苦笑いを浮かべて言った。
「だったら、あのまま村に残るほうが良かった?」
「それは……嫌だけど」
あの村にいると、翡翠のことばかり思い出して、辛いから。
「どのみち、職探しはするつもりだったし」
「宮女が嫌なら下女はどう? 宮城の敷地は広いんだから、いくらでも仕事はあるわよ」
なるほど、その手があったかと私はほっとした。
後宮にさえ入らなければ、青帝陛下の目に止まることはまずないだろう。
「あたしと一緒に来てくれるわよね? あんたがいないと、心細くて死んじゃうかも」
らしくない台詞。
上目遣いで懇願されて、仕方がないなと私はうなずく。
その日の夜、久しぶりに翡翠の夢を見た。
…………
………
……
「食えよ」
空腹のあまり動けずにいた私の鼻先に、ホカホカの饅頭を押し付けながら彼は言った。
「ほら、食えってば」
まるで野良犬にでも餌を与えるような口ぶりで。
言っている本人は、そんなこと思っていないのかもしれないけど。
でも実際、私は野良犬みたいなものだと思う。
無人のあばら家を拠点に、食べ物を探して村のあちこちをうろうろしている。
そして村の人たちは、私を見かけても知らん顔。
下手に餌を与えて、居着かれたら困るから。
「いらないなら俺が食っちまうぞ」
本当は「いらない」と言って拒みたかった。
あんたの哀れみなんかいらないって。
だって彼はどう見ても私と同じ、十二歳くらいの子どもだったから。
相手が大人なら喜んで恵んでもらうのに。
どうしてだろう。
けれど生存本能には逆らえなくて、私はそろそろと饅頭にかじりついた。
直後に肉汁が溢れ出して、美味しい……食べることに夢中になって、危うく咳き込みそうになったけど。
そんな私を見て、彼はにこにこと満足そうな顔をしていた。
「おまえ、うちに来いよ」
見るからに裕福そうな身なりをした少年は言った。
「うちに来れば好きなだけうまい飯が食えるぞ」
野良犬だったら喜んで彼についていくと思う。けれど私は人間だから「いやだ」って言わなきゃ。でないと一生、私はこの男の子に頭が上がらない。奴隷みたいになってしまう。
「ほら、もう一つ饅頭やるからさ。来いよ」
私は口いっぱいにお饅頭を頬張りながら、「うん」とうなずいていた。
人は餓死しかけると、心まで野良犬になってしまうらしい。
「おまえ、名は?」
「珊瑚」
珊瑚、と彼は噛み締めるように私の名前を口にする。
「俺は翡翠だ」
村長のお屋敷で、下女として働くようになってからというもの、翡翠は事あるごとに私に絡んできた。黙っていれば、その名の通り、綺麗な翡翠色の目をした、端正な顔立ちの少年なのに。
「なんだ、こんなところにいたのか」
翡翠の正体はさる高官の息子で、静養目的で村長の屋敷に身を寄せているのだという。道理で偉そうなわけだと、私は納得した。
「なあ、何してんだよ」
「見て分からない? お洗濯してるの」
「馬鹿だなぁ、そんなの使用人にやらせとけばいいのに」
「私がその使用人なんだけど」
「そんなことより外に遊びに行こうぜ」
「仕事の邪魔をしないで――きゃっ」
いつだって、いいように振り回されてしまう。実のところ、私は翡翠のことが苦手だった。
底抜けに明るくて、自由奔放で、私にはないものをたくさん持っていたから。
「だいたい、俺はうちに来いとは言ったけど、使用人になれとは言っていないぞ」
「そもそもここ、あんたのうちじゃないし」
私のツッコミを無視して、翡翠は続ける。
「だいたい、おまえはまだ子どもだろ」
子どもなのはお互い様でしょと言い返しつつも、頬を膨らませる。
「居候の身で、何もしないわけにはいかないよ」
「勉強すればいいじゃん。家庭教師がいるんだから」
「いつもさぼってる翡翠に言われたくない」
呆れながら、私は言う。
「そんなんで科挙に合格できるの?」
「いや、俺、科挙なんか受けるつもりないし」
「え、でも、翡翠のお父様は偉いお役人でしょう? 後継あとつぎがいないと困るんじゃ……」
「俺のことはどうでもいいんだよ。それよりおまえ、もっと食えよ。ガリガリじゃないか」
話をごまかさないで言うと、口に甘い飴玉を押し付けられる。
「俺、おまえがもの食ってるとこ、見るの好き」
欲張って口いっぱいに飴を頬張る私に、翡翠は言った。
「そんなこと言われたら食べにくいんだけど」
「なんで? 可愛いのに」
そういうことをさらりと言うから、苦手だ。
「いっぱい食って、早くでかくなれよ、珊瑚。待っててやるから」
それから瞬く間に月日は流れ、二年が経ち、翡翠は私の前から姿を消した。
いつかはこの日が来るとわかっていたし、覚悟もしていた。
けれどまさか、何も言わずに行ってしまうなんて。
そんな薄情な人だとは、思いもよらなかった。
――翡翠の馬鹿。
けれど、私のほうがもっと馬鹿だ。
私は翡翠のことが好きだった。けれど私は子どもで、ひねくれてて、その感情を素直に受け入れることができなかった。だから本人に好きだと告げたことは一度もない。そのことをずっと後悔していた。
23
あなたにおすすめの小説
【完結】初恋の人に嫁ぐお姫様は毎日が幸せです。
くまい
恋愛
王国の姫であるヴェロニカには忘れられない初恋の人がいた。その人は王族に使える騎士の団長で、幼少期に兄たちに剣術を教えていたのを目撃したヴェロニカはその姿に一目惚れをしてしまった。
だが一国の姫の結婚は、国の政治の道具として見知らぬ国の王子に嫁がされるのが当たり前だった。だからヴェロニカは好きな人の元に嫁ぐことは夢物語だと諦めていた。
そしてヴェロニカが成人を迎えた年、王妃である母にこの中から結婚相手を探しなさいと釣書を渡された。あぁ、ついにこの日が来たのだと覚悟を決めて相手を見定めていると、最後の釣書には初恋の人の名前が。
これは最後のチャンスかもしれない。ヴェロニカは息を大きく吸い込んで叫ぶ。
「私、ヴェロニカ・エッフェンベルガーはアーデルヘルム・シュタインベックに婚約を申し込みます!」
(小説家になろう、カクヨミでも掲載中)
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる