溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

文字の大きさ
57 / 118
かなしみの匂い

しおりを挟む
 不敬覚悟でなんとかユリウスを部屋から追い出すことができたシモンは、大仕事をやり終えた気分でふぅと息を吐いた。

 この国のアルファが愛情深いことはよく知っているが、ユリウスの独占欲はひと一倍だなと思う。さすが王族、とでも言うべきか。おのれのオメガに対する執着は、ユリウスに比べればまだ国王マリウスの方がマシ……というわけではないが、まだ理性が働いている……というわけでもないが、それでもシモンの個人的な印象からするとマリウスの方がほんの僅かに話が通じる気がする。

 しかし、これまでの道程を鑑みると、ユリウスの過保護は仕方ないのかもしれない。
 シモンは不安げに瞳を揺らす小柄なオメガを見下ろし、片眼鏡モノクルの位置を整えた。

 リヒト、という名をユリウスから直々に与えられたオメガは、師のベルンハルト曰く「生死の狭間を彷徨っていて気を休める暇が一寸もないほどだった」という有様だったらしい。

 シモン自身がリヒトと実際に顔を合わせたのは、ベルンハルトが逝去した後のことだったが、これが噂のユリウス殿下の掌中の珠か、と深い感慨を味わった。

 極度の栄養不足で抵抗力が落ちており、皮膚病や眼病を患っていたという子ども。その子が二十を超えてここまで健やかに成長できたのは、ベルンハルトが施した治療以上に、ユリウスの献身が大きい。

 ベルンハルトから折に触れてリヒトの様子を聞いていたシモンにしても、もはやリヒトはおのれの孫のような存在である。もっともシモンはベルンハルト同様、医術に一生を捧げており妻帯はしていないのだが。

「リヒト様、こちらへどうぞ」

 主不在の部屋でどうすればいいのか、と途方に暮れたように立ち尽くすリヒトへと椅子を勧め、シモンも彼と膝を突き合わせるようにして座った。
 リヒトは膝の上に置いた手を握りしめ、金色の瞳を頼りなく瞬かせた。

「あの……どうして……」

 迷う口調で言葉を切ったリヒトへと、シモンはやわらかく笑いかける。

「ユリウス殿下に申し上げた通りです。あなたはもうご自分で、ご自分のことが理解できる。治療の甲斐がありましたなぁ」

 五感に乏しかったころのリヒトを思えば、奇跡的な回復だ。
 目が見え、耳が聞こえ、皮膚感覚も戻っている。

 丸二年偽薬プラセボを飲み続けたリヒトの辛抱強さと、芯の強さもさることながら、やはりユリウスの力が大きいとシモンは思った。
 治療の効果を得られないと泣くリヒトを慰め、つねにリヒトのために気を配り、逃げ道を用意しながらも必ず治ると言い聞かせてきたユリウスの存在がなければ、恐らくこの子はここまで回復しなかっただろう。

 愛は時に、医術を凌駕する。
 そんな陳腐な感想がシモンの胸に浮かび、我知らず苦笑した。ベルンハルトが生きていればなんと言っただろうか。医術をたしなむ者がそんな夢想家ロマンチストのようなことを言うなと叱られるだろうか。
 いや、ベルンハルトならきっと、シモンと同じ感想を抱くはずだ。
 ユリウス殿下の愛は、死の淵からおのれのオメガを取り戻し、さらには宗教という名の神からも取り戻したのだ、と。

「さてそれで、この老いぼれに相談とはなんですかなぁ」

 シモンは敢えてゆっくりとした話し方で可憐なオメガへと問いかけた。
 この部屋を訪れたときから、彼がシモンになにかを話したがっているのは伝わってきていた。そして、それをユリウスや侍従には聞かれたくなさそうな素振りを見せていたことも。

「殿下には秘密のお話でもありますかな?」

 冗談めかした口調で尋ねると、案の定リヒトが目を真ん丸に見開いた。まるで満月のような瞳だ。

「なんで……わかるんでしょうか。あの、僕が、ユーリ様に……」

 もごり、と口ごもったリヒトの手を取り、シモンはいつものように脈拍を図りながらのんびりと笑った。

「ほっほ。素直なところはあなた様の美徳ですなぁ。私で良ければなんでもお話しください。大丈夫。殿下にも申した通り、診察というのは極めて個人的なもので、これまでが例外だっただけです。医師には守秘義務というものもございます。たとえユリウス殿下であっても、医師の口を割らせることはできません」

 シモンの言葉を聞いたリヒトが、「しゅひぎむ」と呟いた。秘密はまもるということですよと説明をすると、リヒトの頬からようやく緊張が解ける。

 シモンは立ち上がり、往診カバンから体温計と聴診器を取り出した。リヒトが受け取った体温計を腋下に挟み、体温測定の間にシモンは胸の音を聞く。
 互いに慣れた動作だ。ユリウスの世話を受けるのが当然だったリヒトは、医師に体を預けることにもまったく抵抗を見せない。
 宝石のような見目のオメガが、これほど無防備な様子を見せるのだから、ユリウスの心配を行き過ぎと笑い飛ばすのも気の毒だ。

 シモンがアルファであったなら、ユリウスは断固としてリヒトと二人になることをゆるさなかっただろう。

 医師はサーリーク王国で恐らく唯一、そのバース性をベータに限る、と法律で規定されている職種だ。
 なぜなら、こんなふうに患者と密室で二人きりになる場面が多く、アルファならオメガの、オメガならアルファの香りに精神が乱されて、誤診してしまう危険性が無視できないからだった。
 発情期のオメガの誘惑香は、ときにベータにまで影響を及ぼすことはあるが、それでも理性をなくすアルファほどではない。

 だが、匂いがわからないというだけで、可愛いものを可愛いと判じる感覚はアルファもオメガもベータも変わりがない。

 自分を信じ切った様子で身を任せているリヒトは、シモンの目から見ても大層可愛く、庇護欲を掻きたてられた。
 この子のためならなんでも力になってやりたい。そう思いながらシモンは、検温を終えたリヒトから体温計を受け取り、診療の記録をサラサラと書きつけつつ、リヒトが話すのを待った。

 リヒトは口を開こうとしてはやめ……を何度か繰り返し、ついに、
「あの……」
 と声を発した。

 事前にユリウスからは、味覚と嗅覚が戻らないことについてリヒトから相談があるかもしれない、ということを聞いている。
 だからシモンはどう答えるべきかを、リヒトの表情を注意深く見ながら考えていたのだが……。

 リヒトが口にしたのは、まったくべつのことだった。

「えっと、あの……発情期ヒートが来るようになるお薬は、ありますか?」


 
  
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。 アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。 氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。 「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」 辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。 これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!

偽りベータの宮廷薬師は、氷の宰相に匂いを嗅がれ溺愛される

水凪しおん
BL
「お前の匂いがないと、私は息ができない」 宮廷薬師のルチアーノは、オメガであることを隠し、自作の抑制薬でベータと偽って生きてきた。 しかしある日、冷徹無比と恐れられる「氷の宰相」アレクセイにその秘密がバレてしまう。 処刑を覚悟したルチアーノだったが、アレクセイが求めたのは、ルチアーノの身体から香る「匂い」だった!? 強すぎる能力ゆえに感覚過敏に苦しむ宰相と、彼の唯一の安らぎとなった薬師。 秘密の共有から始まる、契約と執着のオメガバース・ロマンス!

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました

水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。 原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。 「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」 破滅フラグを回避するため、俺は決意した。 主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。 しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。 「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」 いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!? 全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ! 小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!

婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした

水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」 公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。 婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。 しかし、それは新たな人生の始まりだった。 前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。 そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。 共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。 だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。 彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。 一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。 これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。