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かなしみの匂い②
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ユリウスの話を聞いたマリウスが、ふむと頷き、顎をさすった。
「かなしみの匂い、か。おまえに心当たりはないのか、ユーリ」
「あればとっくに手を打ってます」
ユリウスは足を組み、クッション張りの椅子の背もたれにバフっともたれた。
いったい、リヒトのかなしみの原因はなんなのか。
ユリウスのオメガをあれほどにかなしませるものがどこかにあるのだとしたら、それはゆるしがたいことである。
無論放置などできない。
しかしその『原因』が見つからない。
もしかしたらユリウスの知らないところで、屋敷の使用人たちに嫌がらせをされたのでは、と有り得なくはない想像もしてみたが、テオバルドの話によると、先日リヒトは使用人たちのところをわざわざ訪れて、「ありがとうございます」とお礼を言って回ったとのことだった。(テオバルドは半泣きでそれを報告してきた。アルファたちとは会わないようしっかり管理したのでセーフですよね、とあまりに悲壮な声で訴えられたので、この件についてはお咎めなしとした。僕も寛大な主だなぁ、とユリウスが呟いたら、ロンバードとテオバルドがそっくりな茶色の瞳を疑わしげに半眼にしていた。実に不敬な親子である。)
そのときにリヒトと接した使用人たちは、当然のことながら皆とてもやさしくリヒトに応えたということである。リヒト本人からも、
「皆さんとってもやさしかったです」
と満面の笑みでの報告を受けているので、これは間違いないだろう。
ユリウスは肘掛けに頬杖をつき、ふぅ、と吐息した。
末弟のその物憂げな様子に、二人の兄が顔を見合わせる。
「ユーリ」
クラウスに呼ばれて、ユリウスは次兄へと視線を向けた。
「今回のリヒトの治癒の件、私も兄上とともにシモンから報告を受けた」
「はい」
「リヒトは元々五感を損なってはいなかった。だがデァモントによって催眠状態となっていた。味覚と嗅覚を取り戻すために、シモンは新たな暗示の上書きを行ったな」
「はい。リヒトはもう治っている。それを邪魔しているものがあるだけだ、と」
ユリウスの返事に、うむ、とクラウスが頷いた。
「シモンはそれをストレスと言った」
「はい」
「ユーリ。おまえのオメガはまだなにか、ストレスを抱えているんじゃないか? それがかなしみの匂いの原因になっている」
兄にそう指摘され、ユリウスは指先を唇に当てた。
「う~ん……それも皆目見当がつかないんですよね。リヒトはもうすべて僕に話してくれました。ハーゼだったことも、それによって抱えていた苦しみのことも。それにいまはもうリヒトを傷つける人間は居ません」
それなのに、なにがそんなにかなしいんだろう……。
ユリウスの小さな呟きを耳にして、マリウスが顎をさすりながら首を傾げた。
「ふむ。俺が思うに、リヒト自身に起因するものでないなら、原因はおまえしかないな」
「はぁっ?」
ユリウスは思わず立ち上がっていた。
ガタンっ、と椅子が背後に傾き、そのまま横倒しになった。
それに構わずユリウスは、長兄の前にツカツカと歩み寄ると、指を突き付けた。
「この僕がリヒトを傷つけるわけないでしょう!」
「落ち着け、ユーリ」
マリウスの大きな手が、ユリウスの指ごと手を包み、ぎゅっと握り込んでくる。
「考えてみろ。リヒトはもうおのれがハーゼであったことを乗り越え、五感を取り戻した。おまえに、リヒトのストレスの心当たりがないというなら、それはリヒトの内側にあるものではなく、外側にあるものだろう。ユーリ。リヒトにとって最もこころを揺らされる存在は誰だ」
国王マリウスの声はよく通る。
凛としたその声で問われ、ユリウスは息を飲んだ。
リヒトにとって最もこころを揺らされる存在。
それは……。
「それは、僕です」
答えた語尾が掠れた。
マリウスはゆっくりと頷いている。
「そうだ。おまえだ。おまえしか居まい」
自分が、リヒトのかなしみの原因。
これまで考えもしなかった視点に、ユリウスは束の間茫然となった。
僕が知らないうちにリヒトを傷つけている? 自問し、有り得ないと切り捨てる。
だって本当に覚えがない。
リヒトのことなら誰よりも大切にしているし、誰よりも愛しているし、誰よりもしあわせにしたいと願ってる。
それなのに。
「原因は、僕……?」
ユリウスはひたいを押さえ、唇を噛んだ。
「ユーリ。そう深刻になるな。兄上の言葉がすべて正解だとは限らない」
クラウスが横からそっと囁きかけてくる。マリウスがじろりとそちらを睨み、
「騎士団長殿は俺の言葉を疑うのか」
と片方の眉を上げた。
「兄上。リヒトの五感が治った祝福をと言いながら、ユーリを追い詰めてどうする」
「仕方あるまい。ユーリの相談事を聞いた結果、俺の考えはこうだったというだけだ。逆におまえはどう思うんだ、クラウス」
「いや、私は……」
兄上とほぼ同じ考えですが、と次兄がひそひそと答える声を聞いて、ユリウスは絶望的な思いになった。
やっぱり僕が原因なのか……と煩悶するようにおのれの行動を振り返る。
ごほん、とマリウスが空咳をした。
「ユーリ。悪かった。おまえのかなしい顔は見たくない。天使のユーリ、笑ってくれ」
「はぁ? 笑えるわけないでしょう」
長兄の無茶な要求を、ユリウスは冷ややかに跳ね返した。
頭の中はリヒトのことでいっぱいだ。
いったい自分のなにがリヒトを傷つけているのか、それを分析しないことには改善策が見いだせない。
う~ん、と悩んでいるユリウスの横で、
「クラウス、ユーリが冷たい」
「いまのは兄上が悪いですよ」
二人の兄が囁き合っている。
マリウスが「よし!」と声を張って、てのひらをパンと打ち鳴らした。
その乾いた音に意識を引き戻されて、ユリウスはハッと兄の方を見た。
「ユーリ。楽しい話題に変えよう。おまえのオメガの快気祝いだ。欲しいものがあればなんでも買ってやるぞ」
「ありません」
「ユーリ。兄上にもう少しやさしくだな」
「できません」
それよりもリヒトだ、と取り付く島もない末弟の態度にめげることなく、マリウスがまたてのひらを鳴らした。
「そうだ、ユーリ」
「なんですか、もう」
「おまえたちがつがいになった祝いもせねばならんな!」
「…………」
ユリウスはひたいを押さえ、はぁ、とため息を吐き出した。
「兄上。僕はまだリヒトを噛んでませんよ」
ユリウスの返事に、マリウスの目が丸くなる。
「なぜだ? 嗅覚が戻ったならおまえの匂いが」
「僕の匂いはわかっても、リヒトにまだ発情期がありませんから」
「「発情期がない?」」
マリウスとクラウスの言葉がかぶった。
リヒトに嗅覚が戻ると同時にユリウスが休暇を取ったので、二人はリヒトが発情期を迎えたものだと思っていたらしい。
休暇の理由を、リヒトが熱を出したから看病のためときちんと記したはずなのにそれが曲解されており、ユリウスはまたため息をついた。
「ユーリ、おまえまだ抑制剤を飲んでいるのか?」
クラウスが怪訝な表情で問いかけてきた。それに頷いて答えると、
「なぜだ?」
とマリウスが首を傾げた。
「なぜって、リヒトは発情期が来ていないんですよ」
わかりきったことをいまさら尋ねられ、ユリウスは小さく鼻を鳴らした。
発情のないリヒトに無体な真似はできない。だからうっかりリヒトに手を出したりすることのないよう、抑制剤を服用し、その上でおのれに溜まった欲望はべつの場所で発散させているのだ。
ユリウスの説明に、マリウスがますます首を傾ける。
「発情期が来ないからと言って、抱き合うことを禁じられているわけではないだろうが」
「かなしみの匂い、か。おまえに心当たりはないのか、ユーリ」
「あればとっくに手を打ってます」
ユリウスは足を組み、クッション張りの椅子の背もたれにバフっともたれた。
いったい、リヒトのかなしみの原因はなんなのか。
ユリウスのオメガをあれほどにかなしませるものがどこかにあるのだとしたら、それはゆるしがたいことである。
無論放置などできない。
しかしその『原因』が見つからない。
もしかしたらユリウスの知らないところで、屋敷の使用人たちに嫌がらせをされたのでは、と有り得なくはない想像もしてみたが、テオバルドの話によると、先日リヒトは使用人たちのところをわざわざ訪れて、「ありがとうございます」とお礼を言って回ったとのことだった。(テオバルドは半泣きでそれを報告してきた。アルファたちとは会わないようしっかり管理したのでセーフですよね、とあまりに悲壮な声で訴えられたので、この件についてはお咎めなしとした。僕も寛大な主だなぁ、とユリウスが呟いたら、ロンバードとテオバルドがそっくりな茶色の瞳を疑わしげに半眼にしていた。実に不敬な親子である。)
そのときにリヒトと接した使用人たちは、当然のことながら皆とてもやさしくリヒトに応えたということである。リヒト本人からも、
「皆さんとってもやさしかったです」
と満面の笑みでの報告を受けているので、これは間違いないだろう。
ユリウスは肘掛けに頬杖をつき、ふぅ、と吐息した。
末弟のその物憂げな様子に、二人の兄が顔を見合わせる。
「ユーリ」
クラウスに呼ばれて、ユリウスは次兄へと視線を向けた。
「今回のリヒトの治癒の件、私も兄上とともにシモンから報告を受けた」
「はい」
「リヒトは元々五感を損なってはいなかった。だがデァモントによって催眠状態となっていた。味覚と嗅覚を取り戻すために、シモンは新たな暗示の上書きを行ったな」
「はい。リヒトはもう治っている。それを邪魔しているものがあるだけだ、と」
ユリウスの返事に、うむ、とクラウスが頷いた。
「シモンはそれをストレスと言った」
「はい」
「ユーリ。おまえのオメガはまだなにか、ストレスを抱えているんじゃないか? それがかなしみの匂いの原因になっている」
兄にそう指摘され、ユリウスは指先を唇に当てた。
「う~ん……それも皆目見当がつかないんですよね。リヒトはもうすべて僕に話してくれました。ハーゼだったことも、それによって抱えていた苦しみのことも。それにいまはもうリヒトを傷つける人間は居ません」
それなのに、なにがそんなにかなしいんだろう……。
ユリウスの小さな呟きを耳にして、マリウスが顎をさすりながら首を傾げた。
「ふむ。俺が思うに、リヒト自身に起因するものでないなら、原因はおまえしかないな」
「はぁっ?」
ユリウスは思わず立ち上がっていた。
ガタンっ、と椅子が背後に傾き、そのまま横倒しになった。
それに構わずユリウスは、長兄の前にツカツカと歩み寄ると、指を突き付けた。
「この僕がリヒトを傷つけるわけないでしょう!」
「落ち着け、ユーリ」
マリウスの大きな手が、ユリウスの指ごと手を包み、ぎゅっと握り込んでくる。
「考えてみろ。リヒトはもうおのれがハーゼであったことを乗り越え、五感を取り戻した。おまえに、リヒトのストレスの心当たりがないというなら、それはリヒトの内側にあるものではなく、外側にあるものだろう。ユーリ。リヒトにとって最もこころを揺らされる存在は誰だ」
国王マリウスの声はよく通る。
凛としたその声で問われ、ユリウスは息を飲んだ。
リヒトにとって最もこころを揺らされる存在。
それは……。
「それは、僕です」
答えた語尾が掠れた。
マリウスはゆっくりと頷いている。
「そうだ。おまえだ。おまえしか居まい」
自分が、リヒトのかなしみの原因。
これまで考えもしなかった視点に、ユリウスは束の間茫然となった。
僕が知らないうちにリヒトを傷つけている? 自問し、有り得ないと切り捨てる。
だって本当に覚えがない。
リヒトのことなら誰よりも大切にしているし、誰よりも愛しているし、誰よりもしあわせにしたいと願ってる。
それなのに。
「原因は、僕……?」
ユリウスはひたいを押さえ、唇を噛んだ。
「ユーリ。そう深刻になるな。兄上の言葉がすべて正解だとは限らない」
クラウスが横からそっと囁きかけてくる。マリウスがじろりとそちらを睨み、
「騎士団長殿は俺の言葉を疑うのか」
と片方の眉を上げた。
「兄上。リヒトの五感が治った祝福をと言いながら、ユーリを追い詰めてどうする」
「仕方あるまい。ユーリの相談事を聞いた結果、俺の考えはこうだったというだけだ。逆におまえはどう思うんだ、クラウス」
「いや、私は……」
兄上とほぼ同じ考えですが、と次兄がひそひそと答える声を聞いて、ユリウスは絶望的な思いになった。
やっぱり僕が原因なのか……と煩悶するようにおのれの行動を振り返る。
ごほん、とマリウスが空咳をした。
「ユーリ。悪かった。おまえのかなしい顔は見たくない。天使のユーリ、笑ってくれ」
「はぁ? 笑えるわけないでしょう」
長兄の無茶な要求を、ユリウスは冷ややかに跳ね返した。
頭の中はリヒトのことでいっぱいだ。
いったい自分のなにがリヒトを傷つけているのか、それを分析しないことには改善策が見いだせない。
う~ん、と悩んでいるユリウスの横で、
「クラウス、ユーリが冷たい」
「いまのは兄上が悪いですよ」
二人の兄が囁き合っている。
マリウスが「よし!」と声を張って、てのひらをパンと打ち鳴らした。
その乾いた音に意識を引き戻されて、ユリウスはハッと兄の方を見た。
「ユーリ。楽しい話題に変えよう。おまえのオメガの快気祝いだ。欲しいものがあればなんでも買ってやるぞ」
「ありません」
「ユーリ。兄上にもう少しやさしくだな」
「できません」
それよりもリヒトだ、と取り付く島もない末弟の態度にめげることなく、マリウスがまたてのひらを鳴らした。
「そうだ、ユーリ」
「なんですか、もう」
「おまえたちがつがいになった祝いもせねばならんな!」
「…………」
ユリウスはひたいを押さえ、はぁ、とため息を吐き出した。
「兄上。僕はまだリヒトを噛んでませんよ」
ユリウスの返事に、マリウスの目が丸くなる。
「なぜだ? 嗅覚が戻ったならおまえの匂いが」
「僕の匂いはわかっても、リヒトにまだ発情期がありませんから」
「「発情期がない?」」
マリウスとクラウスの言葉がかぶった。
リヒトに嗅覚が戻ると同時にユリウスが休暇を取ったので、二人はリヒトが発情期を迎えたものだと思っていたらしい。
休暇の理由を、リヒトが熱を出したから看病のためときちんと記したはずなのにそれが曲解されており、ユリウスはまたため息をついた。
「ユーリ、おまえまだ抑制剤を飲んでいるのか?」
クラウスが怪訝な表情で問いかけてきた。それに頷いて答えると、
「なぜだ?」
とマリウスが首を傾げた。
「なぜって、リヒトは発情期が来ていないんですよ」
わかりきったことをいまさら尋ねられ、ユリウスは小さく鼻を鳴らした。
発情のないリヒトに無体な真似はできない。だからうっかりリヒトに手を出したりすることのないよう、抑制剤を服用し、その上でおのれに溜まった欲望はべつの場所で発散させているのだ。
ユリウスの説明に、マリウスがますます首を傾ける。
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