王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第2章:半年の猶予

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窓外の雪明かりが、王妃の私室に厳かな朝の光を運び込んでいた。
リリアナは、身につけた豪奢な朝のローブの重みを感じながら、静かに心を整える。
昨日まで胸に抱いていた「純粋な愛」という感情は、いまや遠い残像に過ぎなかった。

侍女マルグリットが恭しく入室し、朝の支度を始める。

「王妃様。本日は、陛下と庭園での朝食がおありです。お支度を急がねばなりません」

その言葉に、リリアナは心の中で日付を確かめる。
今日は――婚礼後、初めて迎える二人きりの公式な朝食会。
一度目の人生では胸躍らせて臨んだ時間だ。だが、今回は違う。

(冬至まで、あと百七十日。この半年は “陛下の妻”ではなく、この宮廷の“観察者”として生きる。)

リリアナの唇に、完璧な「お飾りの王妃」の微笑みが浮かぶ。
美しいが、どこにも温度を宿さない、冷たい仮面のような微笑みだった。



庭園奥の温室へ向かう道すがら、リリアナは自分の振る舞いを丁寧に調整した。

アレスを真正面から見つめず、あくまで一歩引いた位置で敬意だけを示す。

感情を交えず、すべて“公務としての王妃”の立場に基づく内容に。

温室へ入ると、アレスはすでに席に着いていた。
豪奢な朝食のテーブルの前で、リリアナの姿を見つけた彼の瞳に、かすかな期待と安堵が浮かぶ。
リリアナは、その一瞬の色を見逃さなかった。

(まだ、陛下は私を愛している。
その愛ゆえに、半年後、自らを苦しめることになるのに――)

「陛下。おはようございます。お招きいただき、光栄に存じます」

完璧な敬礼とともに告げた声は、あたたかさを一切含まない外交儀礼の調子だった。

アレスは少し戸惑ったように立ち上がる。

「リリアナ、おはよう。そんなに堅苦しくなくていい。今日は二人きりだ」

彼は自然な仕草でリリアナの手を取り、指先に口づけようとした。



その瞬間、リリアナは礼儀を崩さぬまま、そっと手を引いた。

「恐れ入ります、陛下。
公の場では節度を守るべきかと存じます。
隣国との情勢も不安定な今、軽率に隙を見せるわけにはまいりません」

柔らかく微笑んではいたが、そこには一片の情もない。
アレスは、彼女との間に透明な壁が立ちはだかったことを悟った。

一瞬、彼の表情に戸惑いが浮かぶ。
しかしすぐに、それを隠すように笑みを繕った。

「……そうか。君は以前にも増して、王妃としての自覚が強いようだ。
君がこの国のために尽くしてくれるのは嬉しいよ」

言葉と裏腹に、アレスの胸には不吉な疑念が芽生えていた。
目の前のリリアナは――あまりに『理想の王妃』すぎた。

(昨夜まで、あれほど愛らしかったというのに……。
まるで、何かが彼女の中で静かに死んでしまったようだ――)


朝食の間、リリアナは冷静に宮廷の情報を整理していった。

1. 情報の鍵:一度目の人生で、アレスが倒れた際に目にした禁書庫の鍵はどこに隠されていたか。
2. 裏切り者:宰相ヴァイス。彼は“呪い”を証明するための偽りの証拠を、必ず宮廷のどこかに隠している。
3. 信頼できる者:老騎士ゼオン。彼だけは最後まで自分を信じようとした。どう接触すべきか。

リリアナの思考に、もはや愛の温度はなかった。
心に描くのは、緻密な地図のような計画のみ。

「陛下。
王妃として、この国の歴史と外交について深く学びたく存じます。
禁書庫への立ち入りを、お許しいただけますでしょうか」

リリアナは優雅に、しかし揺るぎない意志を込めて尋ねた。

アレスの目が驚きに細められる。
禁書庫には、王家の秘密と“呪い”の起源が記されている――
本来、リリアナが興味を持つはずのない場所だ。

「……リリアナ。あそこは古く、埃の多い場所だ。君には相応しくない」

「ですが、それが私の務めです。陛下」

その“務め”という響きに、アレスは返す言葉を失った。
彼は、リリアナが何を考えているのかまったく読めない。
ただ、ひとつだけ確かだった。

――目の前の彼女は、もう「昨日のリリアナ」ではない。

「……分かった。宰相に伝えよう。禁書庫への通行を許可する」

その返答に、リリアナの胸に静かな確信が宿った。
冷たく澄んだ勝利の気配だった。
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