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第1章:冷たい目覚め
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身体を包むのは、真綿のように柔らかな最上級のシルク。
そっと鼻先をかすめるのは、白檀とユリが混ざり合った、落ち着いた高貴な香りだった。
リリアナは、重く閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
視界に広がったのは、金糸で美しい刺繍が施された天蓋付きのベッド。
深紅のベルベットで覆われた壁、窓の外に反射する淡い雪明かり――
どれも懐かしく、胸の奥に温かさと痛みを同時に呼び覚ます光景だった。
ここは、アルカディア王国の王妃の私室。
そして、一度目の人生で、彼女が半年間暮らした場所でもあった。
そのことを思い出した瞬間、リリアナの胸にひやりとした衝撃が走り、
思わず上体を起こした。
心臓の鼓動が、自分でも驚くほど速く、耳元で響いている。
「ああ……また……ここに……」
掠れた声が、豪奢な部屋にそっと溶けていく。
胸元にそっと触れると、かすかに古い瘢痕が残っているのがわかった。
あのとき受けた深い傷はすでに癒えている。
けれど、胸の奥――心に刻まれた記憶だけは、優しい痛みとともに鮮明に残っていた。
ゆっくりとベッドを降り、冷たい大理石の床に足をつける。
足元には、純白の婚礼衣装の名残が静かに散らばっていた。
その光景が、彼女に現実を静かに告げていた。
(私は……一度、命を落とした。
そして、時が巻き戻ったのだわ。)
一度目の人生でアレスと出会い、この部屋で目覚めた日から、まだ数日しか経っていない。
あの幸福で満ちた結婚生活が、半年後の冬至の夜会で終わりを迎える――
そんな未来を、彼女だけが知っている。
アレスが涙を浮かべて「許してくれ」と囁いた声。
その直後に訪れた冷たい運命。
それらは憎しみではなく、胸の奥に静かに沈む恐れと深い悲しみとなって、今も彼女を揺らしていた。
(私は、また半年後、彼に殺される運命なのね。)
リリアナは身を震わせながら窓辺へと歩み寄った。
窓の外に広がる庭園には、あの日と同じように雪が深く積もり、静かな白い世界が広がっていた。
庭の片隅に置かれた古びたカレンダーが、彼女にひとつの事実を告げている。
――婚礼から、まだ三日目。
運命の夜会まで、あと五ヶ月半。
一度目の人生で、リリアナはまっすぐにアレスを愛し、ただひたむきに寄り添った。
けれどその愛は、「呪われた血」という偽りの影によって、深く傷つけられてしまった。
だからもう、以前のように素直に恋慕うことはできない。
彼女の瞳からは、かつての無邪気な光がそっと消え、
代わりに、静かな湖面のように澄んだ、冷ややかな決意の色が宿った。
リリアナは大きく息を吸い込み、背筋をすっと伸ばす。
王妃としてふさわしい穏やかな微笑みが、その顔に自然と落ち着いていった。
――もう、ただ運命を受け入れて終わるつもりはない。
これから先の人生は、自分自身の手で選び取る。
その思いが、彼女の胸の奥に静かに芽生えていた。
(――陛下。私はもう、あの頃の無垢な妻ではありません。
愛も憎しみも、もはやあなたに向けるべきものではない。
これからの半年、私は“王妃”としてではなく……あなたを静かに見守る者となるのです。)
リリアナは、この冷え冷えとした宮廷の闇にも、与えられた宿命にも、静かに立ち向かうことを心に決めた。
そうして視線を巡らせたとき、部屋の隅に丁寧に畳まれた国王アレスの衣が目に入った。
昨夜、彼がそこにそっと置いていったもの――。
まるで、その存在が彼女の覚悟を静かに試しているかのようだった。
そっと鼻先をかすめるのは、白檀とユリが混ざり合った、落ち着いた高貴な香りだった。
リリアナは、重く閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
視界に広がったのは、金糸で美しい刺繍が施された天蓋付きのベッド。
深紅のベルベットで覆われた壁、窓の外に反射する淡い雪明かり――
どれも懐かしく、胸の奥に温かさと痛みを同時に呼び覚ます光景だった。
ここは、アルカディア王国の王妃の私室。
そして、一度目の人生で、彼女が半年間暮らした場所でもあった。
そのことを思い出した瞬間、リリアナの胸にひやりとした衝撃が走り、
思わず上体を起こした。
心臓の鼓動が、自分でも驚くほど速く、耳元で響いている。
「ああ……また……ここに……」
掠れた声が、豪奢な部屋にそっと溶けていく。
胸元にそっと触れると、かすかに古い瘢痕が残っているのがわかった。
あのとき受けた深い傷はすでに癒えている。
けれど、胸の奥――心に刻まれた記憶だけは、優しい痛みとともに鮮明に残っていた。
ゆっくりとベッドを降り、冷たい大理石の床に足をつける。
足元には、純白の婚礼衣装の名残が静かに散らばっていた。
その光景が、彼女に現実を静かに告げていた。
(私は……一度、命を落とした。
そして、時が巻き戻ったのだわ。)
一度目の人生でアレスと出会い、この部屋で目覚めた日から、まだ数日しか経っていない。
あの幸福で満ちた結婚生活が、半年後の冬至の夜会で終わりを迎える――
そんな未来を、彼女だけが知っている。
アレスが涙を浮かべて「許してくれ」と囁いた声。
その直後に訪れた冷たい運命。
それらは憎しみではなく、胸の奥に静かに沈む恐れと深い悲しみとなって、今も彼女を揺らしていた。
(私は、また半年後、彼に殺される運命なのね。)
リリアナは身を震わせながら窓辺へと歩み寄った。
窓の外に広がる庭園には、あの日と同じように雪が深く積もり、静かな白い世界が広がっていた。
庭の片隅に置かれた古びたカレンダーが、彼女にひとつの事実を告げている。
――婚礼から、まだ三日目。
運命の夜会まで、あと五ヶ月半。
一度目の人生で、リリアナはまっすぐにアレスを愛し、ただひたむきに寄り添った。
けれどその愛は、「呪われた血」という偽りの影によって、深く傷つけられてしまった。
だからもう、以前のように素直に恋慕うことはできない。
彼女の瞳からは、かつての無邪気な光がそっと消え、
代わりに、静かな湖面のように澄んだ、冷ややかな決意の色が宿った。
リリアナは大きく息を吸い込み、背筋をすっと伸ばす。
王妃としてふさわしい穏やかな微笑みが、その顔に自然と落ち着いていった。
――もう、ただ運命を受け入れて終わるつもりはない。
これから先の人生は、自分自身の手で選び取る。
その思いが、彼女の胸の奥に静かに芽生えていた。
(――陛下。私はもう、あの頃の無垢な妻ではありません。
愛も憎しみも、もはやあなたに向けるべきものではない。
これからの半年、私は“王妃”としてではなく……あなたを静かに見守る者となるのです。)
リリアナは、この冷え冷えとした宮廷の闇にも、与えられた宿命にも、静かに立ち向かうことを心に決めた。
そうして視線を巡らせたとき、部屋の隅に丁寧に畳まれた国王アレスの衣が目に入った。
昨夜、彼がそこにそっと置いていったもの――。
まるで、その存在が彼女の覚悟を静かに試しているかのようだった。
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