王妃はただ、殺されないことを願う

柴田はつみ

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第3章:仮面の王妃

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禁書庫は王宮北翼――人の往来が久しく途絶えた、冷たい石造りの廊下の最奥にひっそりと佇んでいた。
重厚なオーク材の扉は、まるで何十年も開かれていないかのように煤け、王家の威光とは別種の圧を放っている。

王妃としての豪奢な装いを脱ぎ捨て、地味なモスグリーンのローブを纏ったリリアナは、静寂の中にひとり立っていた。宰相ヴァイスから渡された鍵は、細工の施された銀製で、驚くほど冷たく重い。
形式上は許可を与えられたが、その眼差しに宿っていたのは――
「どうせ隣国の娘に、この国の歴史など理解できまい」
という、あからさまな嘲りだった。

リリアナは無言で鍵を差し込み、強く扉を押し開けた。
途端、百年分の埃と羊皮紙の乾いた匂いが、ふっと彼女の顔を包んだ。

中は薄明るい蝋燭の光に照らされ、天井まで伸びる書架が迷路のように並んでいる。一度目の人生では足を踏み入れようともしなかったこの場所こそ、彼女を死へと追いやった**「呪い」の起源**を知り、生き延びる唯一の糸口だった。

(ここで見つけなければ、私はまた死ぬ。)

彼女は迷いなく、**「王妃」「血」「病」**と札が打たれた棚へと向かった。
どの文書も湿気でページが固まり、判読には根気が必要だったが、かつて殺されたという記憶が、今の彼女に異様な集中を与えていた。動きはもはや無邪気な王妃ではなく、静かに真実へと迫る学者のそれだった。

どれほど時間が経っただろう。
リリアナはついに、一冊の古い記録帳を見つけた。先代王妃の手による個人的な手記――その中に、「呪われた血」の記述が断片的に残されていた。

『……アルカディアの地は古くから“青い病”を抱える。それは王妃の血にのみ発症すると信じられている。しかし父は、あれは呪いではなく“毒素”なのだと主張していた……』

リリアナの鼓動が、危ういほど激しく跳ねた。

呪いではなく、毒――。

一度目の人生で体調を崩したときに見た青い苔のような斑点、微かな眩暈。あれは隣国が仕込んだ毒素による偽装症状だったのではないか。

(隣国は、私の処断が目的ではなかった……?
この国に隠された“毒素”の秘密こそが、本当の狙い……?)

運命が、初めて明確な輪郭を持って迫ってくるのを感じ、リリアナは唇を固く結んだ。

調査を進めるうち、禁書庫の外で何度も視線を感じた。
(……アレス様が、私を警戒し始めている。)

王妃が禁書庫に籠るなど、宮廷の常識ではあり得ない行動。
アレスは、彼女がただの“飾り”ではなく、何かを探っていると気づき始めたのだ。

リリアナは速やかに書庫を退出し、何事もなかったかのように王妃の居室へ戻った。
そこに彼女を待っていたのは、雪のように白い一輪の薔薇だった。

添えられた短い手紙には、アレスの筆跡でたった一言。

「健康に注意するように。リリアナへ」

それが優しさなのか。
それとも――“見ている”という警告なのか。

リリアナは薔薇を静かに見つめ、瞳から温度をすっと奪った。
どちらであろうと、半年後、彼の手によって自分が殺される未来は揺るがない。

彼女は薔薇を花瓶に活け、侍女には完璧な笑顔を見せる。

「陛下は、私を深くお気遣いくださっているわ。私も、陛下のご期待に応えなくてはね」

その声は澄み切っているのに、底には鋼の意志が潜んでいた。
リリアナは、冷たい仮面を武器としてまとったのだ。
――アレスの心を欺き、この宮廷の闇を暴き、自らの運命を書き換えるために。
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