『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ

文字の大きさ
1 / 49

序章「政略婚の夜」

しおりを挟む
白い花弁が舞う大理石の回廊。
夜会場の天井からは無数のシャンデリアが淡い金色の光をこぼし、
祝宴のざわめきが静かに揺れていた。

シャルロットはその中心に立ち、ひとつ息を吸った。

今日、彼女は公爵カルロスの妻になった。
それは名誉であり、家が望んだ政略でもあった。
けれど胸にあるのは、祝福よりも──ひどく冷たい静けさだった。

「……寒くないか?」

低く落ち着いた声が隣から響く。
カルロスは優しく、礼儀正しく、まるで絵画の騎士のような人だった。

ただ、その優しさには “温度” がなかった。

「いいえ、公爵さま」

笑って答えた瞬間、胸の奥が小さくきしむ。
夫なのに、名前で呼べない。
その距離が、二人の関係を正確に物語っていた。

カルロスの視線がふと逸れる。
人々の間をゆっくりと探すように。
シャルロットの心臓が、かすかに沈んだ。

その表情は、
──自分ではなく“誰かの面影”を追っている。

(やっぱり……前妻エリザベラ様を想っているのね)

噂は耳にしていた。
気高く、美しく、誰からも愛された公爵夫人。
亡くなって一年。
それでも“彼女は今もここにいる”と社交界は囁く。

「少し席を外す。すぐ戻る」

柔らかな声音でそう告げると、カルロスは軽く会釈し歩き出した。
その背中を見つめながら、シャルロットは
胸元のコサージュをそっと握りしめる。

(私は……影の代わりに選ばれただけ)

ふと、メイドのローザが駆け寄ってきた。

「奥さま……さきほど、公爵さまが……」

息をのみながら、ローザは声をひそめる。

「指輪を、お外しになっていました」

「指輪……?」

「前妻エリザベラ様とおそろいだったという──
あの銀の指輪です」

シャルロットの胸がゆっくりと冷えていく。

(どうして……?
 忘れたいから?
 それとも、思い出したくなかったの……?)

答えはない。
ただ胸の奥で、割れそうな痛みだけが広がる。

そのとき、祝宴の向こうで婦人たちの声が聞こえた。

「カルロス様……あの笑顔、エリザベラ様に向けていたときにそっくりだわ」

「やはり後妻では……あの影は消せないのね」

──影の夫人。

その言葉が耳に刺さる。

シャルロットはそっと視線を落とした。
カルロスが誰かと話している。
その微笑みは、先ほど自分に向けられたものより
ずっと柔らかく、自然だった。

(私は……あなたの光にはなれないの?)

淡い金色の光がゆれて、
新しい公爵夫人の瞳に静かに涙の光を映した。

──そして彼女はまだ知らない。
カルロスが指輪を外した理由が、
“前妻”のためではなく、
彼女自身を守るためだったことを。

物語は、ここから静かに動き出す。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

不愛想な婚約者のメガネをこっそりかけたら

柳葉うら
恋愛
男爵令嬢のアダリーシアは、婚約者で伯爵家の令息のエディングと上手くいっていない。ある日、エディングに会いに行ったアダリーシアは、エディングが置いていったメガネを出来心でかけてみることに。そんなアダリーシアの姿を見たエディングは――。 「か・わ・い・い~っ!!」 これまでの態度から一変して、アダリーシアのギャップにメロメロになるのだった。 出来心でメガネをかけたヒロインのギャップに、本当は溺愛しているのに不器用であるがゆえにぶっきらぼうに接してしまったヒーローがノックアウトされるお話。

【完結】妻の日記を読んでしまった結果

たちばな立花
恋愛
政略結婚で美しい妻を貰って一年。二人の距離は縮まらない。 そんなとき、アレクトは妻の日記を読んでしまう。

私がいなくなっても構わないと言ったのは、あなたの方ですよ?

睡蓮
恋愛
セレスとクレイは婚約関係にあった。しかし、セレスよりも他の女性に目移りしてしまったクレイは、ためらうこともなくセレスの事を婚約破棄の上で追放してしまう。お前などいてもいなくても構わないと別れの言葉を告げたクレイであったものの、後に全く同じ言葉をセレスから返されることとなることを、彼は知らないままであった…。 ※全6話完結です。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

婚約者に値踏みされ続けた文官、堪忍袋の緒が切れたのでお別れしました。私は、私を尊重してくれる人を大切にします!

ささい
恋愛
王城で文官として働くリディア・フィアモントは、冷たい婚約者に評価されず疲弊していた。三度目の「婚約解消してもいい」の言葉に、ついに決断する。自由を得た彼女は、日々の書類仕事に誇りを取り戻し、誰かに頼られることの喜びを実感する。王城の仕事を支えつつ、自分らしい生活と自立を歩み始める物語。 ざまあは後悔する系( ^^) _旦~~ 小説家になろうにも投稿しております。

処理中です...