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第八章 屈辱の援助と、公然の対立
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クリス公爵は、行動を躊躇しなかった。
侯爵家への大規模な融資を「公爵家による戦略的投資」として公表し、同時に侯爵家の経営諮問委員会へ、公爵家側の人間を送り込んだのである。
それは、カイル侯爵にとって、耐え難い屈辱だった。
侯爵邸の執務室で、カイルはクリスから届いた正式な通知書を握り潰した。
そこには、侯爵家が事実上、公爵家の指導下に置かれること、そして今後の重要決定には公爵家の承認が必要であることが、冷酷なまでに明記されていた。
「……奴め。
私からリリアーヌを奪った上に、この家まで奪うつもりか」
カイルは、クリスの行動を、リリーへの愛を誇示し、自分を侯爵家から排除するための策略だと解釈した。
クリスがすでにリリーの心を手に入れたと信じている彼にとって、この経済的支配は、「リリーは私のものだ」という公然たる勝利宣言に他ならなかった。
クリスはリリーを愛し、リリーもまたクリスを愛している。
だからこそ彼は、リリーが愛する侯爵家を守り、その夫である自分を屈服させようとしている――。
その歪んだ確信が、カイルの劣等感と憎悪を、限界まで煽り立てていた。
クリスが侯爵家の経営に介入したと知り、リリーは即座に危機を察した。
公爵家が関与している以上、侯爵家にスキャンダルが持ち上がることは、絶対に許されない。
彼女は、クリスの代理として委員会に派遣された公爵家側の担当者と接触し、侯爵家の詳細な財務資料を提出した。そこには、彼女自身がこれまで密かに行ってきた財政的支援の記録も含まれていた。
「こちらをご覧ください。
侯爵家は決して破綻寸前ではありません。私が責任をもって、立て直します」
リリーの目的は明確だった。
**「クリスが懸念するほど、侯爵家は危機的ではない」**と証明し、彼の関与を最小限に抑えること。
それは、クリスの未来を思っての行動だった。
彼の立場と時間を、取るに足らない侯爵家の問題に費やさせたくなかったのだ。
だが、この行動は、担当者を通じて、そのままクリスの耳に入った。
提出された完璧な資料を前に、クリスは別の結論に辿り着く。
――リリー夫人は、カイル侯爵と共に、侯爵家が安定していることを示し、私の関与を拒んでいる。
「私たちだけで解決できる」
その意思が、これ以上ない形で突きつけられたのだ。
クリスの胸に広がったのは、安堵ではなく、静かな絶望だった。
彼女の固い決意を前に、もはや踏み込む余地はない――そう思い知らされたのである。
その日の夕刻。
公爵家から派遣された顧問たちが、正式な謁見のため、侯爵邸を訪れた。
応接の場で、リリーが深々と頭を下げ、侯爵家のために尽力する姿を目にした瞬間、カイルの忍耐は限界に達した。
「侯爵様。こちらの契約内容について、夫人からご説明いただけますか。
夫人のご提案により、いくつかの条件が有利に修正されております」
顧問の一人が、クリスから託された書類をリリーに差し出す。
自分が完全に蚊帳の外に置かれ、妻が――憎むべきクリスの代理人と対等に交渉している。
その現実が、カイルの理性を打ち砕いた。
「待て! それを、私に寄越せ!」
彼は書類を乱暴に奪い取り、床へと叩きつけた。
「リリアーヌ!
お前は私に、クリスの手先になって、この家を差し出せと言うのか!
なぜ、そこまで私を侮辱する!」
怒号が、部屋に響き渡る。
リリーは一瞬、身を強張らせた。
だがすぐに、感情を押し殺した冷たい表情に戻る。
この醜態こそが、クリスの立場を悪くし、侯爵家を破滅へと導く。
リリーは悟った。
――ならば、すべての憎悪を、自分が引き受けるしかない。
「カイル様。
私は侯爵家の未来と、貴方の体面を守ろうとしているだけです。
貴方が私を嫌っていようと、義務を放棄するわけにはいきません」
その場にいた顧問たちは、息を呑んだ。
公然の場で晒された、修復不可能な夫婦の亀裂。
そしてカイルは、その言葉を、
「私はあなたに嫌われていると知っている。だが、私はクリスのために侯爵家を守る」
という、リリーの変わらぬ愛の証だと受け取った。
カイルは衝動的に手を振り上げたが、寸前で踏みとどまった。
彼の瞳に宿っていたのは、リリーへの憎悪だけではない。
彼女を止めることすらできない、自らの無力さへの絶望だった。
この一件は、侯爵夫妻の破綻を公に示し、
そして――クリス公爵の介入が、二人の関係を決定的に壊したことを、関係者すべてに強く印象づける結果となったのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
誰もが「守るため」に選んだ行動が、結果として相手を追い詰めてしまう。
この章では、そのすれ違いが決定的になる瞬間を描きました。
愛も、責任も、正しさも――
視点が違えば、凶器になることがあります。
ここから先、三人の選択は、もう後戻りできないところまで進んでいきます。
どうか最後まで、見届けていただけたら嬉しいです。
侯爵家への大規模な融資を「公爵家による戦略的投資」として公表し、同時に侯爵家の経営諮問委員会へ、公爵家側の人間を送り込んだのである。
それは、カイル侯爵にとって、耐え難い屈辱だった。
侯爵邸の執務室で、カイルはクリスから届いた正式な通知書を握り潰した。
そこには、侯爵家が事実上、公爵家の指導下に置かれること、そして今後の重要決定には公爵家の承認が必要であることが、冷酷なまでに明記されていた。
「……奴め。
私からリリアーヌを奪った上に、この家まで奪うつもりか」
カイルは、クリスの行動を、リリーへの愛を誇示し、自分を侯爵家から排除するための策略だと解釈した。
クリスがすでにリリーの心を手に入れたと信じている彼にとって、この経済的支配は、「リリーは私のものだ」という公然たる勝利宣言に他ならなかった。
クリスはリリーを愛し、リリーもまたクリスを愛している。
だからこそ彼は、リリーが愛する侯爵家を守り、その夫である自分を屈服させようとしている――。
その歪んだ確信が、カイルの劣等感と憎悪を、限界まで煽り立てていた。
クリスが侯爵家の経営に介入したと知り、リリーは即座に危機を察した。
公爵家が関与している以上、侯爵家にスキャンダルが持ち上がることは、絶対に許されない。
彼女は、クリスの代理として委員会に派遣された公爵家側の担当者と接触し、侯爵家の詳細な財務資料を提出した。そこには、彼女自身がこれまで密かに行ってきた財政的支援の記録も含まれていた。
「こちらをご覧ください。
侯爵家は決して破綻寸前ではありません。私が責任をもって、立て直します」
リリーの目的は明確だった。
**「クリスが懸念するほど、侯爵家は危機的ではない」**と証明し、彼の関与を最小限に抑えること。
それは、クリスの未来を思っての行動だった。
彼の立場と時間を、取るに足らない侯爵家の問題に費やさせたくなかったのだ。
だが、この行動は、担当者を通じて、そのままクリスの耳に入った。
提出された完璧な資料を前に、クリスは別の結論に辿り着く。
――リリー夫人は、カイル侯爵と共に、侯爵家が安定していることを示し、私の関与を拒んでいる。
「私たちだけで解決できる」
その意思が、これ以上ない形で突きつけられたのだ。
クリスの胸に広がったのは、安堵ではなく、静かな絶望だった。
彼女の固い決意を前に、もはや踏み込む余地はない――そう思い知らされたのである。
その日の夕刻。
公爵家から派遣された顧問たちが、正式な謁見のため、侯爵邸を訪れた。
応接の場で、リリーが深々と頭を下げ、侯爵家のために尽力する姿を目にした瞬間、カイルの忍耐は限界に達した。
「侯爵様。こちらの契約内容について、夫人からご説明いただけますか。
夫人のご提案により、いくつかの条件が有利に修正されております」
顧問の一人が、クリスから託された書類をリリーに差し出す。
自分が完全に蚊帳の外に置かれ、妻が――憎むべきクリスの代理人と対等に交渉している。
その現実が、カイルの理性を打ち砕いた。
「待て! それを、私に寄越せ!」
彼は書類を乱暴に奪い取り、床へと叩きつけた。
「リリアーヌ!
お前は私に、クリスの手先になって、この家を差し出せと言うのか!
なぜ、そこまで私を侮辱する!」
怒号が、部屋に響き渡る。
リリーは一瞬、身を強張らせた。
だがすぐに、感情を押し殺した冷たい表情に戻る。
この醜態こそが、クリスの立場を悪くし、侯爵家を破滅へと導く。
リリーは悟った。
――ならば、すべての憎悪を、自分が引き受けるしかない。
「カイル様。
私は侯爵家の未来と、貴方の体面を守ろうとしているだけです。
貴方が私を嫌っていようと、義務を放棄するわけにはいきません」
その場にいた顧問たちは、息を呑んだ。
公然の場で晒された、修復不可能な夫婦の亀裂。
そしてカイルは、その言葉を、
「私はあなたに嫌われていると知っている。だが、私はクリスのために侯爵家を守る」
という、リリーの変わらぬ愛の証だと受け取った。
カイルは衝動的に手を振り上げたが、寸前で踏みとどまった。
彼の瞳に宿っていたのは、リリーへの憎悪だけではない。
彼女を止めることすらできない、自らの無力さへの絶望だった。
この一件は、侯爵夫妻の破綻を公に示し、
そして――クリス公爵の介入が、二人の関係を決定的に壊したことを、関係者すべてに強く印象づける結果となったのです。
お読みいただき、ありがとうございました。
誰もが「守るため」に選んだ行動が、結果として相手を追い詰めてしまう。
この章では、そのすれ違いが決定的になる瞬間を描きました。
愛も、責任も、正しさも――
視点が違えば、凶器になることがあります。
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どうか最後まで、見届けていただけたら嬉しいです。
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