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第2章|ミレーユ初来訪、距離が近い挨拶
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翌日の午後、窓辺の茶会室は、いつもより早く整えられていた。
白いクロスに、銀のトレイ。砂糖壺とミルク差しの位置は、リディアが指示しなくても定まっている。侍女ミナと侍女長ヘレナが動く手は無駄がなく、王宮の“慣習”そのものだった。
——だからこそ、少しの違和感は、刺のように目に留まる。
「妃殿下。本日の茶会ですが……」
ミナが声を落とした。扉の向こう、控えの女官が短く頷くのが見える。
「伯爵令嬢ミレーユ様が、殿下にご挨拶をと……」
リディアは指先でカップの柄を押さえた。
そこに力が入ったことを、ミナだけが見逃さない。
「殿下に?」
口に出すと、思った以上に声が穏やかだった。王太子妃とは、そういうものだ。驚いてはいけない。動揺してはいけない。まして、嫉妬など——見せてはならない。
ミナは慎重に言葉を選ぶ。
「本来は、謁見の手順に従い、女官長を通して……ですが、令嬢は“午後の茶会に伺えばお会いできると伺いました”と」
誰がそんなことを。
誰が、そんな軽い入口を用意したの。
リディアは喉の奥で問いを飲み込んだ。
この王宮で、入口を作るのはいつも“権力”だ。そしてその権力は、夫の名を持つ。
「通しましょう」
ミナの目が一瞬だけ揺れる。止めたそうに見える。
けれど、リディアは頷いた。拒む理由がないからではない。拒めば、噂になる。王太子妃が“会わせない”と囁かれる。会わせれば、礼節の場で線を引ける。——そう判断しただけだった。
「ただし、席次の準備は崩さないで。いつも通り」
「……かしこまりました、妃殿下」
ミナは胸に手を当て、下がった。
その背中から、怒りの熱が伝わってくる気がした。
しばらくして、扉が開く。
入ってきた令嬢は、明るい金髪を大きく巻き、花のような香りをまとっていた。笑顔が先に届く。声も先に届く。歩幅も、王宮の慎ましさより一拍早い。
「まあ……! こちらが噂の窓辺の茶会室なのですね」
噂。
その言葉だけで、リディアの背筋が冷える。
令嬢は淑女の礼を取った。形は整っている。だが、視線が真っすぐにリディアへ向かう前に、室内を見回す。その視線の中心は、窓辺の“もう一つの席”——王太子の席に吸い寄せられている。
「伯爵令嬢ミレーユでございます。妃殿下にお目にかかれ、光栄に存じますわ」
言葉は丁寧。
なのに、距離が近い。
リディアは微笑んだ。自分でもわかるほど、表情が上手に固まる。
「王太子妃リディアです。ようこそ、王宮へ」
「本当に、ずっとお会いしたかったのです。殿下がいつも——」
そこで令嬢は、言葉を切った。
“殿下がいつも”の続きを、わざとぼかして、微笑む。余白が噂を呼ぶと知っている笑い方だった。
ミナが一歩、前へ出ようとした。
けれどリディアは、目線だけで制した。ここで侍女が動けば、主が焦っているように見える。
「本日はご挨拶だけかしら」
リディアの声は柔らかい。けれど、そこに“線”を引く。
礼節は、刃を隠す鞘だ。
「はい。……でも、もしよろしければ」
ミレーユは窓辺の席を見たまま言った。
「殿下がお見えになるまで、少しだけここで待たせていただいても?」
——待つ、という言い方。
なのに、まるで“ここが自分の場所”だと確信している目。
リディアはカップを持ち上げ、唇に触れさせた。香りだけ吸い込む。飲み込めば、心まで熱を持ちそうだった。
「ええ。どうぞ」
拒めば噂。許せば線を引ける。
そう、自分に言い聞かせる。
ミレーユは嬉しそうに頷き、そして——当然のように、窓辺へ歩き出した。
リディアの視界の端で、ミナの指が震える。
侍女長ヘレナが、目を伏せる。
女官たちの息が、一斉に止まる。
——まだ、“一撃目”は来ていない。
けれど、この令嬢は、来る前提で歩いている。
リディアは微笑みの形を崩さないまま、窓辺の光を見つめた。
この場所が“二人の城”だったのは、昨日までだ。
扉の外から、再びノックが響く。
王太子の足音が近づいてくる。
ミレーユは、振り返りもしない。
ただ、窓辺の席へ向かって、軽やかに手を伸ばした。
——妃の席に、先に。
白いクロスに、銀のトレイ。砂糖壺とミルク差しの位置は、リディアが指示しなくても定まっている。侍女ミナと侍女長ヘレナが動く手は無駄がなく、王宮の“慣習”そのものだった。
——だからこそ、少しの違和感は、刺のように目に留まる。
「妃殿下。本日の茶会ですが……」
ミナが声を落とした。扉の向こう、控えの女官が短く頷くのが見える。
「伯爵令嬢ミレーユ様が、殿下にご挨拶をと……」
リディアは指先でカップの柄を押さえた。
そこに力が入ったことを、ミナだけが見逃さない。
「殿下に?」
口に出すと、思った以上に声が穏やかだった。王太子妃とは、そういうものだ。驚いてはいけない。動揺してはいけない。まして、嫉妬など——見せてはならない。
ミナは慎重に言葉を選ぶ。
「本来は、謁見の手順に従い、女官長を通して……ですが、令嬢は“午後の茶会に伺えばお会いできると伺いました”と」
誰がそんなことを。
誰が、そんな軽い入口を用意したの。
リディアは喉の奥で問いを飲み込んだ。
この王宮で、入口を作るのはいつも“権力”だ。そしてその権力は、夫の名を持つ。
「通しましょう」
ミナの目が一瞬だけ揺れる。止めたそうに見える。
けれど、リディアは頷いた。拒む理由がないからではない。拒めば、噂になる。王太子妃が“会わせない”と囁かれる。会わせれば、礼節の場で線を引ける。——そう判断しただけだった。
「ただし、席次の準備は崩さないで。いつも通り」
「……かしこまりました、妃殿下」
ミナは胸に手を当て、下がった。
その背中から、怒りの熱が伝わってくる気がした。
しばらくして、扉が開く。
入ってきた令嬢は、明るい金髪を大きく巻き、花のような香りをまとっていた。笑顔が先に届く。声も先に届く。歩幅も、王宮の慎ましさより一拍早い。
「まあ……! こちらが噂の窓辺の茶会室なのですね」
噂。
その言葉だけで、リディアの背筋が冷える。
令嬢は淑女の礼を取った。形は整っている。だが、視線が真っすぐにリディアへ向かう前に、室内を見回す。その視線の中心は、窓辺の“もう一つの席”——王太子の席に吸い寄せられている。
「伯爵令嬢ミレーユでございます。妃殿下にお目にかかれ、光栄に存じますわ」
言葉は丁寧。
なのに、距離が近い。
リディアは微笑んだ。自分でもわかるほど、表情が上手に固まる。
「王太子妃リディアです。ようこそ、王宮へ」
「本当に、ずっとお会いしたかったのです。殿下がいつも——」
そこで令嬢は、言葉を切った。
“殿下がいつも”の続きを、わざとぼかして、微笑む。余白が噂を呼ぶと知っている笑い方だった。
ミナが一歩、前へ出ようとした。
けれどリディアは、目線だけで制した。ここで侍女が動けば、主が焦っているように見える。
「本日はご挨拶だけかしら」
リディアの声は柔らかい。けれど、そこに“線”を引く。
礼節は、刃を隠す鞘だ。
「はい。……でも、もしよろしければ」
ミレーユは窓辺の席を見たまま言った。
「殿下がお見えになるまで、少しだけここで待たせていただいても?」
——待つ、という言い方。
なのに、まるで“ここが自分の場所”だと確信している目。
リディアはカップを持ち上げ、唇に触れさせた。香りだけ吸い込む。飲み込めば、心まで熱を持ちそうだった。
「ええ。どうぞ」
拒めば噂。許せば線を引ける。
そう、自分に言い聞かせる。
ミレーユは嬉しそうに頷き、そして——当然のように、窓辺へ歩き出した。
リディアの視界の端で、ミナの指が震える。
侍女長ヘレナが、目を伏せる。
女官たちの息が、一斉に止まる。
——まだ、“一撃目”は来ていない。
けれど、この令嬢は、来る前提で歩いている。
リディアは微笑みの形を崩さないまま、窓辺の光を見つめた。
この場所が“二人の城”だったのは、昨日までだ。
扉の外から、再びノックが響く。
王太子の足音が近づいてくる。
ミレーユは、振り返りもしない。
ただ、窓辺の席へ向かって、軽やかに手を伸ばした。
——妃の席に、先に。
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