沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ

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最終章 沈黙の指輪

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 湖畔の春は、静かに満ちていた。
 朝靄が晴れるころ、薔薇の庭には淡い陽が差し込み、
 紅と白の花が光の粒を抱くように咲いていた。

 屋敷の窓辺に座り、シャルロッテは指輪を撫でた。
 白金の輪に刻まれた小さな薔薇、そして金の細い継ぎ目。
 それはふたりの歩んだ時間の跡だった。
 ――壊れても、形を変えて残るもの。
 その美しさを、彼女は初めて理解できた気がした。

 扉の向こうから、柔らかなノックの音。
 「入っていい?」
 「もちろん」
 カリウスが現れた。
 白いシャツの袖をまくり、指先にはわずかに土がついている。
 「薔薇の苗を植えたんだ。去年、君が選んだ“永遠”の品種だよ」
 「ふふ……懐かしいわ。あのときも、あなたが土をこぼして」
 「今度は失敗しないさ」

 彼は笑いながら、彼女の隣に腰を下ろした。
 外では風がやさしく揺れ、カーテンの裾を撫でていく。
 沈黙が降りる――けれど、もう怖くはなかった。

 「ねえ、カリウス」
 「ん?」
 「“沈黙”って、少し似てると思うの。薔薇の蕾に」
 「どうして?」
 「何も語らないけれど、その中に未来がある。
  触れ方を間違えなければ、ちゃんと咲くのよ」

 カリウスは微笑み、彼女の手を取った。
 「君が教えてくれた。沈黙は終わりじゃない、始まりだって」
 「……わたしたち、少し遠回りをしたわね」
 「遠回りしたぶん、もう二度と離れない」

 彼が指輪を軽く触れ、光を確かめるように言う。
 「この指輪を見ていると、不思議と安心する。
  壊れた過去も、間違いも、全部ここにある。
  でも、それを受け入れた今の僕たちが、一番強い」
 「ええ……私もそう思う。
  “沈黙の指輪”は、あなたとわたしの誓いそのものね」

 湖面に光が広がり、ふたりの影を包み込む。
 シャルロッテは胸に顔を寄せ、そっと目を閉じた。
 彼の鼓動が、静かに響く。
 その音が、世界でいちばんやさしい沈黙だった。

 「カリウス様」
 「ん?」
 「もう一度、言って」
 彼は微笑み、耳元で囁いた。
 「――“よく待ったな、姫君”」
 「“遅いです、旦那さま”」

 ふたりの笑い声が重なり、薔薇の花弁がひらりと舞い上がる。
 指輪が光を返し、金の線が小さくきらめいた。

 ――沈黙の指輪。
 それは、言葉を超えた愛の証。
 声にしなくても、互いの想いが届くことを知った今、
 ふたりはようやく、本当の意味で結ばれた。

 湖畔を渡る風が、春の香りを運ぶ。
 薔薇の庭に咲く花々が、柔らかな光を受けて揺れた。
 その中心で、ひとつの誓いが静かに息づいている――

 沈黙の中に、永遠の愛を。
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