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第十二章:奈落の晩餐、あるいは毒を以て毒を制す
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王宮の空気は、もはや呼吸するだけで肺が凍りつくほどに冷え切っていた。かつて祝祭の篝火に照らされていた「白亜宮」も、今はエルフレイデという名の冷徹な支配者が放つ、刺すような緊張感に支配されている。
リヴィアは暗い私室で、一本の小さな薬瓶を握りしめていた。エルフレイデの策略によって、予算も、侍女も、そして何よりギルベルトの「視線」さえ奪われつつある今――彼女に残された道は、ただ一つしかない。
「……あの女さえいなくなれば。あんな可愛げのない、氷の彫刻みたいな女……」
その夜、エルフレイデは数日ぶりに「公式晩餐会」を開くよう命じた。
会場は、王宮最深部の小食堂。重厚な黒檀のテーブルに並ぶ席に着くのは、ギルベルト、エルフレイデ、そしてリヴィア――ただ三人のみである。
エルフレイデは、夜の闇を溶かし込んだような黒真珠のドレスを纏い、無表情のまま主座へと腰を下ろした。
「陛下。今夜は、お二人の輝かしい未来を祝して、特別な葡萄酒を用意いたしましたわ」
滑らかでありながら、研ぎ澄まされた刃を思わせる声。
彼女は自らデキャンタを手に取り、ギルベルト、そしてリヴィアのグラスへと深紅の液体を注いでいく。
「エルフレイデ……もうやめろ。互いの喉元に刃を突き立てるような食事など、何の意味がある」
ギルベルトの声は、擦り切れた古文書のように枯れていた。
かつて愛を誓ったはずの妻が、今や自らの破滅をもっとも楽しみにしている――その事実が、彼の心を内側から削っていく。
「あら、意味? 意味などございませんわ、陛下。私はただ、貴方が望まれたとおり、有能な“置物”として国を整え、貴方の大切な幼馴染をもてなしているだけですもの」
そう言って、エルフレイデはリヴィアのグラスを指し示した。月光に透けるほど白い指先が、冷ややかに揺れる。
「リヴィア様、どうぞ。貴女の故郷アステラの太陽を浴びて育った、最高級の葡萄でございます。……まさか、“毒蛇の娘”が注いだ酒に毒でも入っていると、お疑いにはならないでしょうね?」
リヴィアの肩がびくりと震えた。
実のところ、彼女は事前に給仕を抱き込み、エルフレイデのグラスへ遅効性の毒を仕込ませていた――はずだった。
だが、いま目の前で微笑を浮かべるエルフレイデの顔。その笑みは、地獄の業火すら凍りつかせるほどの冷たさを帯びている。
「い、いただき……ますわ……」
「リヴィア、飲むな」
鋭い声がそれを遮る。
ギルベルトは悟っていた。エルフレイデの瞳の奥に宿る、自らを犠牲にしてでも他者を奈落へ引き摺り込もうとする“狂気”を。
「陛下、なぜ止められるのです? 私はただ、“毒蛇の娘”として最後のおもてなしをしたいだけですのに。……あら、召し上がらないのね。では、私が代わりに」
エルフレイデは、ためらい一つなく自らのグラスを手に取った。
「エル、やめろ!!」
叫びは虚しく、深紅の液体は一気に彼女の喉へと流れ込んでいく。
数秒の沈黙――
そして。
「……っ、がはっ……!」
激しい咳とともに、彼女の唇から鮮血が溢れた。
白真珠のドレスの胸元に、どす黒い染みが瞬く間に広がっていく。
「エルフレイデ!!」
ギルベルトは椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、崩れ落ちる躯を抱きとめた。
「ああ、陛下……。リヴィア様が、私に贈ってくださった……精一杯の“お祝い”の味ですわ。……ふふ、案外……甘いものですのね」
血に濡れた唇を吊り上げ、彼女は満足げに微笑む。
その瞳には、ついにギルベルトの心を完全に打ち砕いたという、歪んだ勝利の光が宿っていた。
「……何をした、リヴィア! 貴様、彼女に何を飲ませた!!」
怒号が石壁を震わせる。
「ち、違う! 私は、私はただ……あんな女がいなくなればいいって……!」
腰を抜かし、床に崩れ落ちるリヴィア。
その姿を見下ろしながら、エルフレイデはギルベルトの耳元で、今にも消え入りそうな声を紡ぐ。
「陛下……。これで、もう彼女を“守る”ことはできませんわね。……彼女を処刑なさるか、それとも、私を見殺しにした王として――永遠に、民からも、自分自身からも軽蔑されるか。……さあ、選んで……くださいませ……」
「エル! 目を閉じるな、頼む、死ぬな! 私はお前を救いたかっただけだ……毒蛇なのはお前の父で、私はお前を――!」
慟哭が、冷たい石の廊下へと反響していく。
だが、エルフレイデの意識はすでに深い闇へ沈みつつあった。
(……ようやく、貴方のその傲慢な愛を……絶望で塗り潰せたのね、ギルベルト……ざまあ、みろ……)
その唇に浮かんでいたのは、愛を求めた少女の面影ではない。
復讐を成し遂げた女王の、あまりにも美しく、あまりにも残酷な微笑だった。
リヴィアは暗い私室で、一本の小さな薬瓶を握りしめていた。エルフレイデの策略によって、予算も、侍女も、そして何よりギルベルトの「視線」さえ奪われつつある今――彼女に残された道は、ただ一つしかない。
「……あの女さえいなくなれば。あんな可愛げのない、氷の彫刻みたいな女……」
その夜、エルフレイデは数日ぶりに「公式晩餐会」を開くよう命じた。
会場は、王宮最深部の小食堂。重厚な黒檀のテーブルに並ぶ席に着くのは、ギルベルト、エルフレイデ、そしてリヴィア――ただ三人のみである。
エルフレイデは、夜の闇を溶かし込んだような黒真珠のドレスを纏い、無表情のまま主座へと腰を下ろした。
「陛下。今夜は、お二人の輝かしい未来を祝して、特別な葡萄酒を用意いたしましたわ」
滑らかでありながら、研ぎ澄まされた刃を思わせる声。
彼女は自らデキャンタを手に取り、ギルベルト、そしてリヴィアのグラスへと深紅の液体を注いでいく。
「エルフレイデ……もうやめろ。互いの喉元に刃を突き立てるような食事など、何の意味がある」
ギルベルトの声は、擦り切れた古文書のように枯れていた。
かつて愛を誓ったはずの妻が、今や自らの破滅をもっとも楽しみにしている――その事実が、彼の心を内側から削っていく。
「あら、意味? 意味などございませんわ、陛下。私はただ、貴方が望まれたとおり、有能な“置物”として国を整え、貴方の大切な幼馴染をもてなしているだけですもの」
そう言って、エルフレイデはリヴィアのグラスを指し示した。月光に透けるほど白い指先が、冷ややかに揺れる。
「リヴィア様、どうぞ。貴女の故郷アステラの太陽を浴びて育った、最高級の葡萄でございます。……まさか、“毒蛇の娘”が注いだ酒に毒でも入っていると、お疑いにはならないでしょうね?」
リヴィアの肩がびくりと震えた。
実のところ、彼女は事前に給仕を抱き込み、エルフレイデのグラスへ遅効性の毒を仕込ませていた――はずだった。
だが、いま目の前で微笑を浮かべるエルフレイデの顔。その笑みは、地獄の業火すら凍りつかせるほどの冷たさを帯びている。
「い、いただき……ますわ……」
「リヴィア、飲むな」
鋭い声がそれを遮る。
ギルベルトは悟っていた。エルフレイデの瞳の奥に宿る、自らを犠牲にしてでも他者を奈落へ引き摺り込もうとする“狂気”を。
「陛下、なぜ止められるのです? 私はただ、“毒蛇の娘”として最後のおもてなしをしたいだけですのに。……あら、召し上がらないのね。では、私が代わりに」
エルフレイデは、ためらい一つなく自らのグラスを手に取った。
「エル、やめろ!!」
叫びは虚しく、深紅の液体は一気に彼女の喉へと流れ込んでいく。
数秒の沈黙――
そして。
「……っ、がはっ……!」
激しい咳とともに、彼女の唇から鮮血が溢れた。
白真珠のドレスの胸元に、どす黒い染みが瞬く間に広がっていく。
「エルフレイデ!!」
ギルベルトは椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、崩れ落ちる躯を抱きとめた。
「ああ、陛下……。リヴィア様が、私に贈ってくださった……精一杯の“お祝い”の味ですわ。……ふふ、案外……甘いものですのね」
血に濡れた唇を吊り上げ、彼女は満足げに微笑む。
その瞳には、ついにギルベルトの心を完全に打ち砕いたという、歪んだ勝利の光が宿っていた。
「……何をした、リヴィア! 貴様、彼女に何を飲ませた!!」
怒号が石壁を震わせる。
「ち、違う! 私は、私はただ……あんな女がいなくなればいいって……!」
腰を抜かし、床に崩れ落ちるリヴィア。
その姿を見下ろしながら、エルフレイデはギルベルトの耳元で、今にも消え入りそうな声を紡ぐ。
「陛下……。これで、もう彼女を“守る”ことはできませんわね。……彼女を処刑なさるか、それとも、私を見殺しにした王として――永遠に、民からも、自分自身からも軽蔑されるか。……さあ、選んで……くださいませ……」
「エル! 目を閉じるな、頼む、死ぬな! 私はお前を救いたかっただけだ……毒蛇なのはお前の父で、私はお前を――!」
慟哭が、冷たい石の廊下へと反響していく。
だが、エルフレイデの意識はすでに深い闇へ沈みつつあった。
(……ようやく、貴方のその傲慢な愛を……絶望で塗り潰せたのね、ギルベルト……ざまあ、みろ……)
その唇に浮かんでいたのは、愛を求めた少女の面影ではない。
復讐を成し遂げた女王の、あまりにも美しく、あまりにも残酷な微笑だった。
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