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第十四章:白亜の牢獄、あるいは残酷な純真
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窓の外では、冬の終わりを告げる淡雪が、音もなく庭園を白く染めていた。
かつては憎しみに灼かれていたエルフレイデの心身も、いまではその雪景色のように清冽で、どこまでも空虚だった。
「記憶を失った」王妃の日常は、ギルベルトにとって、針のむしろに座るよりも苛烈な刑罰だった。
「陛下、本日の公務の合間に、近衛騎士団の若手の方々をお呼びしてもよろしいかしら?」
エルフレイデは銀のティーカップを静かに置き、向かいのギルベルトへ微笑を向けた。
それは、かつて毒を孕んだ刺すような美貌ではなく、初春の陽光のように――残酷なほど無垢な輝きだった。
「……騎士たちを? 急にどうしたのだ、エル」
ギルベルトはフォークを皿に置いた。わずかに指先が震える。
彼女に「陛下」と、初対面の賓客に向けるような声音で呼ばれるたび、心臓が見えざる爪で引き裂かれるような痛みに襲われるのだ。
「ええ。皆さま、私が記憶を失って不安でしょうと、毎日お花や詩を届けてくださるのです。あの、真っ直ぐな瞳で私を案じてくださる方々と触れ合っていると、沈んでいた心も――少しだけ温かくなる気がいたしますの」
「……あいつらが、お前に花を?」
低く、地を這う獣のような声が、ギルベルトの喉奥から零れた。
かつて自分が突き放し、傷つけ続けた時間を、名もなき騎士たちが埋めようとしている――その事実が、彼の独占欲を狂おしいほど刺激する。
「陛下、そんな怖い顔をなさらないで。……ああ、もしかして、あの方々と会うのがお嫌なのかしら? それなら、陛下が以前仰ったように、私はまた北塔へ戻りますわ。あそこなら、どなたにもお会いせずに済みますもの」
「……っ、違う! 北塔の話は、二度とするな!」
ギルベルトは思わず立ち上がり、テーブルを叩いた。銀器が甲高い音を立てて跳ねる。
エルフレイデは小さく肩を竦め、怯えを装うように睫毛を伏せた。
「……ごめんなさい、陛下。やはり、怒鳴っていらっしゃる時が一番『陛下らしい』のですね。私の断片的な記憶の中の貴方は、いつもそうして、私を怯えさせていたようです」
「エル……。違う、そんなつもりでは……」
ギルベルトは膝をつき、彼女の細い手を両手で包み込む。
だが、その手は微塵も、彼の熱へ応えようとしなかった。
「思い出してくれ、エル。私はお前を愛している。お前の記憶が戻るなら、王座も、この命さえも差し出そう。……騎士たちに向けるその優しい笑顔を、どうか私にも――向けてはくれないか」
王の嘆願。かつて誰も想像し得なかった、至高の権力者の敗北。
エルフレイデは彼の頭頂を見下ろしながら、その冷えた瞳の奥で、甘やかな悦びに身を浸していた。
(そうよ、ギルベルト。もっと私に縋りなさい。どれほど愛を囁こうとも、私はそれを『見知らぬ男の戯言』として聞き流してあげる)
彼女は、自らを――決して手の届かない場所へと置いた。
記憶喪失という名の「聖域」に。
「陛下。愛しているという言葉は、とても美しい響きですわね。……でも今の私には、窓の外に咲く名もなき花の方が、ずっと真実味を帯びて感じられるのです。あんなに近くにいらっしゃるのに、どうしてかしら……貴方の声だけが、とても遠く聞こえてしまうのです」
エルフレイデは、慈しむような所作でギルベルトの頬を撫でた。
それは愛の愛撫ではなく――道端に倒れた哀れな獣を憐れむような、無機質で残酷な慈悲だった。
その手の冷たさに耐えかね、ギルベルトは声を殺して泣いた。
愛を得るために真実を隠し、愛を失わぬために嘘を重ねた男。
その男に下された審判は――愛する女の瞳の中に、自らの居場所が欠片も残されていないという、「忘却」の地獄だった。
「……明日は、お庭を散歩いたしましょうか、陛下。……ああ、でも、騎士のカレンがエスコートしてくださると仰っていましたから、陛下はお忙しい公務にお戻りになった方がよろしいかもしれませんわ」
エルフレイデの唇から零れ落ちる、至高の毒。
二人の心は、触れられるほど近くにありながら、決して交わることのない平行線のまま――漆黒の深淵へと堕ちていく。
かつては憎しみに灼かれていたエルフレイデの心身も、いまではその雪景色のように清冽で、どこまでも空虚だった。
「記憶を失った」王妃の日常は、ギルベルトにとって、針のむしろに座るよりも苛烈な刑罰だった。
「陛下、本日の公務の合間に、近衛騎士団の若手の方々をお呼びしてもよろしいかしら?」
エルフレイデは銀のティーカップを静かに置き、向かいのギルベルトへ微笑を向けた。
それは、かつて毒を孕んだ刺すような美貌ではなく、初春の陽光のように――残酷なほど無垢な輝きだった。
「……騎士たちを? 急にどうしたのだ、エル」
ギルベルトはフォークを皿に置いた。わずかに指先が震える。
彼女に「陛下」と、初対面の賓客に向けるような声音で呼ばれるたび、心臓が見えざる爪で引き裂かれるような痛みに襲われるのだ。
「ええ。皆さま、私が記憶を失って不安でしょうと、毎日お花や詩を届けてくださるのです。あの、真っ直ぐな瞳で私を案じてくださる方々と触れ合っていると、沈んでいた心も――少しだけ温かくなる気がいたしますの」
「……あいつらが、お前に花を?」
低く、地を這う獣のような声が、ギルベルトの喉奥から零れた。
かつて自分が突き放し、傷つけ続けた時間を、名もなき騎士たちが埋めようとしている――その事実が、彼の独占欲を狂おしいほど刺激する。
「陛下、そんな怖い顔をなさらないで。……ああ、もしかして、あの方々と会うのがお嫌なのかしら? それなら、陛下が以前仰ったように、私はまた北塔へ戻りますわ。あそこなら、どなたにもお会いせずに済みますもの」
「……っ、違う! 北塔の話は、二度とするな!」
ギルベルトは思わず立ち上がり、テーブルを叩いた。銀器が甲高い音を立てて跳ねる。
エルフレイデは小さく肩を竦め、怯えを装うように睫毛を伏せた。
「……ごめんなさい、陛下。やはり、怒鳴っていらっしゃる時が一番『陛下らしい』のですね。私の断片的な記憶の中の貴方は、いつもそうして、私を怯えさせていたようです」
「エル……。違う、そんなつもりでは……」
ギルベルトは膝をつき、彼女の細い手を両手で包み込む。
だが、その手は微塵も、彼の熱へ応えようとしなかった。
「思い出してくれ、エル。私はお前を愛している。お前の記憶が戻るなら、王座も、この命さえも差し出そう。……騎士たちに向けるその優しい笑顔を、どうか私にも――向けてはくれないか」
王の嘆願。かつて誰も想像し得なかった、至高の権力者の敗北。
エルフレイデは彼の頭頂を見下ろしながら、その冷えた瞳の奥で、甘やかな悦びに身を浸していた。
(そうよ、ギルベルト。もっと私に縋りなさい。どれほど愛を囁こうとも、私はそれを『見知らぬ男の戯言』として聞き流してあげる)
彼女は、自らを――決して手の届かない場所へと置いた。
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「陛下。愛しているという言葉は、とても美しい響きですわね。……でも今の私には、窓の外に咲く名もなき花の方が、ずっと真実味を帯びて感じられるのです。あんなに近くにいらっしゃるのに、どうしてかしら……貴方の声だけが、とても遠く聞こえてしまうのです」
エルフレイデは、慈しむような所作でギルベルトの頬を撫でた。
それは愛の愛撫ではなく――道端に倒れた哀れな獣を憐れむような、無機質で残酷な慈悲だった。
その手の冷たさに耐えかね、ギルベルトは声を殺して泣いた。
愛を得るために真実を隠し、愛を失わぬために嘘を重ねた男。
その男に下された審判は――愛する女の瞳の中に、自らの居場所が欠片も残されていないという、「忘却」の地獄だった。
「……明日は、お庭を散歩いたしましょうか、陛下。……ああ、でも、騎士のカレンがエスコートしてくださると仰っていましたから、陛下はお忙しい公務にお戻りになった方がよろしいかもしれませんわ」
エルフレイデの唇から零れ落ちる、至高の毒。
二人の心は、触れられるほど近くにありながら、決して交わることのない平行線のまま――漆黒の深淵へと堕ちていく。
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