氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ

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第十五章:沈黙の褥(しとね)、あるいは愛という名の陵辱

 凍てつく冬の嵐が、王宮――白亜宮の堅牢な石壁を叩き続けていた。
 王妃の寝室は、もはや華やかな離宮ではない。情欲と絶望が絡み合い、どこにも逃げ道のない檻そのものと化していた。

 ギルベルトはエルフレイデを重厚な天蓋付きの寝台へ押し倒し、その両手首を片手で、折れんばかりの力で押さえつけていた。乱れた黒髪の下、黄金の瞳は理性の光を失い、焦燥と独占欲に灼かれて獣のようにぎらついている。

「陛下……急に何をなさるのですか。離して……っ、痛うございますわ」

 頬を紅潮させながらも、エルフレイデの瞳だけは鏡のように冷たい。
 「記憶を失った」という仮面は、今やギルベルトを狂わせるための、最も鋭利な凶器だった。

「……離さない。もう、一歩もこの部屋から出すものか。騎士たちへ微笑むのも、過去を懐かしむふりをするのも――すべて、今日で終わりだ」

 低く落ちた声が、彼女の首筋に熱くかかる。荒い呼吸を抑えぬまま、彼は薄い寝衣の襟元へ指をかけた。

「思い出させてやる。お前の身体が誰のものか。……お前が、この世で最も憎み、そして最も深く関わった男が誰かを。言葉で届かぬなら、刻み込むまでだ」

「まあ、陛下。つまり無理強いをなさると? 記憶のない私を、ただの肉の器として扱うと仰るのですね」

 エルフレイデは抵抗を解き、脱力したまま彼を見上げた。
 唇に浮かぶのは、憐れみを帯びた、残酷なほど美しい微笑。

「よろしゅうございます。どうぞ、存分にお使いくださいませ。……どうせ私の心は、ここにはありませんもの。貴方が私を抱くとき、私が見ているのは貴方ではなく、窓の外の雪――あるいは、優しく詩を詠んでくれた、あの若き騎士の面影かもしれませんわ」

「黙れ!!」

 怒号が天蓋の内側で鋭く反響する。
 ギルベルトは彼女の首筋に顔を埋め、獣が獲物に食らいつくように白い肌へ歯を立てた。痛みに肩が震えても、エルフレイデは声を上げない。虚空を見つめ、すべてを他人事のように受け流している。

「……エルフレイデ。頼む、拒絶してくれ。私を殴り、罵り、『憎い』と叫べ。あの日のように、私を殺そうとしたあの瞳で――私を見てくれ……!」

 指先が震えながら、彼女の肌をなぞる。
 彼が求めているのは従順な肉体ではない。自分を憎み、戦い、執着していた――あの頃のエルフレイデだった。忘却の壁に隔てられた今の彼女は、抱いても抱いても、指の間からこぼれ落ちる砂のように虚しい。

「……不快、ですわ」

 ぽつりと落ちたその一言が、注ぎかけていた情熱を一瞬で凍り付かせた。

「陛下。貴方が私を求めれば求めるほど、私の魂は遠ざかっていきます。今ここで私を貫いたとしても、私が感じるのは苦痛だけ。――そして明日、目覚めたときには、貴方を、昨日よりもなお『嫌悪すべき他人』として認識するでしょう」

 彼女は首筋に顔を伏せる王の髪へ、そっと指を絡めた。
 それは慈しみではない。死刑宣告を与えるための、仮初めの慈悲だった。

「……愛しておいでなのでしょう? ならば、壊せばよろしい。そうすれば、貴方の手元には――誰の記憶も持たぬ、美しい人形だけが残りますわ」

 ギルベルトの動きが、ぴたりと止まる。
 覆いかぶさったまま、彼は嗚咽を零した。

 王座を守り、国を統べ、多くの血を背負ってきた男が、一人の女の「虚無」の前に完膚なきまでに敗れた瞬間だった。

「……くそ……。なぜだ。お前を救いたかっただけの私が、どうして――お前にとって最大の怪物でなければならない……」

 拘束の手を解き、彼は崩れ落ちるように胸元へ額を落とした。
 エルフレイデは、その無防備な背を、闇の中で静かに見つめる。

(――ようやく壊れたわ、ギルベルト。愛も、誇りも、貴方のすべてが。……ああ、なんて甘美な復讐の味)

 嵐の夜。王妃の寝室には、勝者の冷ややかな沈黙と、敗者の乱れた呼吸だけが、いつまでも響き渡っていた。

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