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第1章
手当てと葛藤
しおりを挟む──身体が温かいもので包まれている。
この少し高めの体温を、アルフォルトは知っている。揺れる身体は安定していて、景色が流れて行く速度に、自分は今馬上なのだとぼんやりと理解する。すぐ近くにライノアの顔がある。
アルフォルトを抱えて、ライノアは城へと馬を走らせていた。
身動ぐと、「あと少しで着きますからね」とライノアの優しい声がする。
うん、と返事をしたつもりだが、声になっていたかわからない。そのまま、瞼を閉じる。
次に目を開けると、視界の先にあったのはライノアの顔ではなく、見慣れた寝台の天蓋だった。
アルフォルトがそっと身体を起こすと、身にまとっているのは破れたシャツではなく、肌ざわりの良い寝間着だ。
血塗れだった身体は清められていて、左肩の傷と両手首には包帯が巻かれている。
ぼんやりとする頭で離宮の寝室を見渡せば、窓の外は暗く、夜も更けた頃だと推測できる。
(······ライノアは何処だろう?)
探しに行こうと、アルフォルトがベッドから立ち上がると、目眩がして身体が傾いた。
「······あ、」
力が入らず床に倒れる──と目を瞑ったアルフォルトだが、身体に衝撃は訪れなかった。
かわりに、力強い腕に抱き止められる。
「目が覚めたのですね」
ホッとした顔で、ライノアがアルフォルトの身体をベッドへと戻す。
ベッド脇のサイドテーブルに置いてある水差しを手にすると、グラスに水を入れてアルフォルトに手渡した。
受け取ったグラスは冷たく、喉が渇いていたのだろう。アルフォルトは一気に水を飲み干した。
「······僕はどのくらい寝ていた?」
空になったグラスをライノアに手渡し、アルフォルトは尋ねた。
「半日以上、と言った所ですかね」
ライノアはグラスをテーブルに戻すと、アルフォルトの頬に手を添えた。そのまま顔が近づいて来る。アルフォルトと額を合わせると「熱は下がりましたね」と微笑んだ。吐息がかかる距離、近すぎてピントが合わずにライノアの顔がぼやけて見える。
そっと離れた手を名残惜しいとアルフォルトは思った。
どうやら精神的な負荷が大きかったのか熱が上がっていたらしい。道理で身体が重いのか、と納得した。
「包帯を替えるついでに傷の具合を確認してもよろしいですか?」
アルフォルトが素直に頷くと、ライノアの指が寝間着のボタンへと伸ばされる。
節榑だった長い指が、丁寧にボタンを一つ一つ外してゆくのをぼんやり眺めていると、視線に気づいたライノアが顔を上げ──ハッとした顔をして、ボタンから慌てて手を離した。
そのまま胸元のポケットからハンカチを取り出すと、アルフォルトの頬へそっと当てる。
頬が濡れた感触がして、そこではじめて自分が泣いていたのだと気付く。
「······あれ?」
泣いていると自覚した途端、ボロボロと涙が零れて、止めようとしても次々と溢れてくる。
「怖がらせてすみません······メリアンヌを、呼んできますね」
ライノアがそっと離れようとしたのを見て、アルフォルトは思わずしがみついた。
「行かないで、ライノア」
腰に縋り付くように腕を回すと、ライノアは躊躇いがちにアルフォルトを抱きしめた。
「······ライノアが怖くて泣いたわけではないよ」
下から見上げるように、ライノアを見つめる。
涙の膜で、滲んで見えるライノアの表情はよくわからなかった。
「その······安心したら、なんか涙腺が緩んだみたい」
ヴィラで襲って来た男は外套の留め金もシャツのボタンも引きちぎった。乱暴で、相手の事など考えない行為は思い出すだけで震えそうになる。
──でも、ライノアはそんな事をしない。
ボタンを外す指は丁寧で、爪はアルフォルトを傷つけないように、いつも綺麗に切り揃えられている。
どんな時もアルフォルトを大切にしてくれる従者が、アルフォルトは堪らなく好きだった。
照れたように笑えば、ライノアもようやく表情を緩める。
「では、脱がせてもいいですか?」
真顔で訪ねてくるライノアがなんだか可笑しくて、アルフォルトはくすくすと笑った。
「······なんか改まって言うと、いやらしいね」
ライノアは心外だと言わんばかりの表情でボタンを外し終えると、アルフォルトの華奢な身体が露になった。
肩に巻かれた包帯を外し、傷口を確認すると薬を塗ったガーゼを貼ってくれる。
「血は止まったようですね。このまま痕が残らなければ良いのですが」
新しい包帯を丁寧に巻き直しながら、ライノアは眉間にシワを寄せた。
「大袈裟だなぁ。別に傷痕くらい気にしないよ」
「ルトが気にしなくても、私が気にします······この綺麗な肌に傷痕は似合わない」
そっと、ライノアの指がアルフォルトの肌を辿る。くすぐったくて、ピクリと肩が跳ねる。
ライノアの指先はそのまま下へと肌の上を滑り、アルフォルトの左脇腹の古傷を撫でた。
「んっ······」
思わず声が出て、アルフォルトが恨みがましい目でライノアを見つめるが、ライノアは痛々しい表情のまま傷痕を見ていた。
「この傷も······あの頃の私を殴り飛ばしたい」
昔できた傷痕を、ライノアは自分のせいだと言う。アルフォルトが何度気にしていないと言っても、傷痕を見る度にライノアは落ち込む。ただ、今は正直それどころではなかった。
(く、くすぐったい······)
アルフォルトの白い肌に浮き上がる、少しだけ盛り上がった傷痕。それを辿る乾いた指先が、くすぐったくてたまらない。
(でも、ライノア真剣だし······笑える雰囲気じゃないけど······くすぐったくて無理)
声が出ないよう、口を手の甲で抑えるが、限界だった。
「ひぁっ······ら、らいのぁ······っ」
中途半端に口を抑えていたせいで、唇から零れた声が上擦ってしまった。
アルフォルトの声にハッとして、ライノアは手を離した。
「す、すみません······嫌でしたよね」
何故かライノアは顔を赤くして視線をそらした。
「······嫌ではないんだけど、くすぐったい」
傷痕をいくら触っても、無くなることはない。そんな事をわからない訳でもないだろうにと、アルフォルトは苦笑いした。
しかし、ライノアは何故かじっとアルフォルトを見つめると、おもむろに口を開いた。
「私が触るのは、嫌じゃないんですね」
「うん?当たり前じゃないか。ライノアが触れるのを嫌だと思った事はないよ。あ、でもくすぐったいのはちょっと苦手だけど」
ライノアはどんな時も、アルフォルトに触れる時は優しい。傷付けないように、怖がらせないように。
──大事にされているのがわかる。
「ライノアに触れられるのは、好き」
アルフォルトが微笑むと、ライノアは何故かそのままベッドに突っ伏した。
「えっライノア!?大丈夫?」
予想外の従者の行動に、アルフォルトは戸惑った。ベッドに埋めた顔から、よくわからないうめき声が聞こえ、いよいよ心配になる。
(どうしよう······ライノアが変だ)
色々と心配をかけてしまった事を思い出し、アルフォルトはオロオロと狼狽えた。
とりあえず、そっと頭を撫でる。ピクっと反応したライノアの真っ直ぐな黒髪はサラサラしていて、アルフォルトの細い指の間をすり抜けてゆく。同じ黒でも自分の柔らかい細い髪とは違う。
しばらく撫でていると、ベッドに顔を埋めてたライノアはアルフォルトを恨みがましい目でみつめてきた。
「······人の気も知らないで」
ボソッと呟いた声は上手く聞き取れず、アルフォルトは聞き返したが、ライノアは「何でもありません」とだけ答えた。
そのままライノアは身体を起こすと、縄で擦れてできた両手首の傷の手当を済ませて寝間着を着せ直してくれる。
夜もだいぶ遅い時間になってしまった。
外はまだ暗いが、明るくなるのは時間の問題だろう。
「ライノア、寝る時間ある?」
ずっと付き添ってくれていたのがわかり、心配で尋ねるとライノアは微笑んだ。
「今日の内に急ぎ処理すべき事は終わらせました。なので、明日は一日お休みを頂いてますよ」
くしゃり、と頭を撫でられる。気持ち良くて目を細めたアルフォルトに「相変わらず猫みたいですね」と呟いた。
「あ、じゃあさ、久しぶりに一緒に寝ようよ」
「え」
アルフォルトの提案にライノアは固まった。
「色々あって嫌な夢見そうだから、ライノアが一緒に寝てくれたら大丈夫な気がするんだけど······僕と寝るのは嫌?」
ライノアの腕に包まれて寝たら、きっと嫌な事など忘れて眠れるに違いない、とアルフォルトは思った。
「······嫌な訳、ないじゃないですか」
「その割には間があったよね?」
「まさか。······着替えてきますね」
何故かものすごくぎこちない笑顔で、ライノアは頷いた。
その晩、アルフォルトはライノアに抱きしめて貰い、すやすやと眠りに落ちた。
温かく、優しい腕の中で見た夢は朝起きたら思い出せなかったが、とても幸せな夢だった。
アルフォルトはよく寝れたが、従者は何故か寝不足のようで、その日一日でライノアは三回壁にぶつかった。
一晩中、アルフォルトの寝顔を見続けたライノアが「人の気も知らないで」と再び呟いた事を、アルフォルトは知らない。
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