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Day 6:さよなら、「次」なんて考えられなかった私
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スマートフォンの画面に、美咲の名前が表示された。
『こころ、お疲れ! 今日のランチどう? この前言ってた、駅前のカフェ!』
画面越しに、美咲の明るい声が聞こえてくるようだった。
昨日の夜、スマホを遠ざける努力をしたばかりなのに、結局はこうして通知に反応してしまう自分が情けない。
でも、このまま一人で部屋に閉じこもっていても、腐っていくだけだという予感もあった。
数分間、送信ボタンの上で指を迷わせた末に、私は返信した。
『うん、行きたい。』
たった一言打つだけで、ひどくエネルギーを消耗した。
◇
カフェに着くと、美咲はいつもの窓際の席に座っていた。店内は明るく、笑い声が響いている。
私が店に入った瞬間、彼女の表情がわずかに曇るのを、見逃さなかった。
「……こころ、なんかやつれた?」
席に着くなり、美咲は直球で聞いてきた。彼女はいつもそうだ。遠回しな表現ができない、真っ直ぐな人。
私は小さく頷くしかなかった。声を出せば、それだけで崩れてしまいそうだったから。
「別れたんだ」
私がかろうじて絞り出した言葉は、賑やかな店内のBGMにかき消されそうなくらい小さかった。
美咲は目を見開いたまま、数秒間、絶句した。
「え……嘘。優也くんと?」
再び、頷く。首を縦に振るだけの簡単な動作が、鉛のように重い。
◇
「そっか……。それは、しんどいね」
彼女の声音が、急に低く、柔らかくなった。
「しんどい」が胸の鍵を外し、感情が零れ落ちる。
美咲の笑顔が、残酷なほど眩しい。
賑やかなカフェの片隅で、私は顔を覆って泣き出した。
周りの客が怪訝な顔で見ているのがわかる。でも、もうどうでもよかった。止められない。止めたくもない。
美咲は何も言わず、ただ黙って、テーブル越しに私の手を握りしめてくれた。
彼女の手の温かさが、唯一、私を現実に繋ぎ止めていた。
◇
どれくらいそうしていただろう。
涙が枯れ果て、しゃくり上げる呼吸だけが残った頃、美咲はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫、こころなら大丈夫だよ。あんな男、さよならで正解」
彼女は努めて明るく、いつもの調子で言った。私を元気づけようとしてくれているのがわかる。
「次行こ、次! もっといい男、絶対いるって。あたしが探してあげるから!」
彼女のその屈託のない笑顔。前向きで、エネルギッシュで、少しも曇りのない善意。
それが、鋭利な刃物となって私の胸を抉った。
「次」なんて、考えられるわけがない。
私の中ではまだ「今」が終わっていないのに。優也との時間が、まだ現在進行形で続いているのに。
誰かを新しく好きになるなんて、想像しただけで吐き気がした。
もう二度と、こんな思いをするくらいなら、一生一人でいい。本気でそう思った。
◇
でも、それを口に出すことはできなかった。
美咲の優しさを、真っ向から否定することはできなかった。彼女は彼女なりのやり方で、私を救い出そうとしてくれているのだから。
私は引きつった笑顔を貼り付け、「うん、ありがと」と答えた。
その言葉は、喉の奥で砂のようにじゃりじゃりとした音を立てた。
カフェを出て、別れ際、美咲は私を強く抱きしめてくれた。
「いつでも連絡して。一人で抱え込まないでね」
彼女の髪から、甘いフローラルの香りがした。優也が好きだった匂いとは違う、女の子の匂い。
その温もりに包まれながら、私は少しだけ救われた気がした。
同時に、彼女の明るさが持つ残酷さに、少しだけ傷ついてもいた。
◇
家に帰り、一人になった部屋で、私は再び泣いた。
今度は、自分の惨めさと、美咲の優しさへの感謝と、そしてどうしようもない孤独感がない交ぜになった、複雑な涙だった。
世界は「次」へ進めと私を急かす。
でも、私の時間は、まだ優也がいた「昨日」で止まったまま。
そのギャップが、どうしようもなく痛い。
窓の外を見ると、夕日が街をオレンジ色に染めていた。
その温かな光が、今の私の心には、少しだけ眩しすぎた。
『こころ、お疲れ! 今日のランチどう? この前言ってた、駅前のカフェ!』
画面越しに、美咲の明るい声が聞こえてくるようだった。
昨日の夜、スマホを遠ざける努力をしたばかりなのに、結局はこうして通知に反応してしまう自分が情けない。
でも、このまま一人で部屋に閉じこもっていても、腐っていくだけだという予感もあった。
数分間、送信ボタンの上で指を迷わせた末に、私は返信した。
『うん、行きたい。』
たった一言打つだけで、ひどくエネルギーを消耗した。
◇
カフェに着くと、美咲はいつもの窓際の席に座っていた。店内は明るく、笑い声が響いている。
私が店に入った瞬間、彼女の表情がわずかに曇るのを、見逃さなかった。
「……こころ、なんかやつれた?」
席に着くなり、美咲は直球で聞いてきた。彼女はいつもそうだ。遠回しな表現ができない、真っ直ぐな人。
私は小さく頷くしかなかった。声を出せば、それだけで崩れてしまいそうだったから。
「別れたんだ」
私がかろうじて絞り出した言葉は、賑やかな店内のBGMにかき消されそうなくらい小さかった。
美咲は目を見開いたまま、数秒間、絶句した。
「え……嘘。優也くんと?」
再び、頷く。首を縦に振るだけの簡単な動作が、鉛のように重い。
◇
「そっか……。それは、しんどいね」
彼女の声音が、急に低く、柔らかくなった。
「しんどい」が胸の鍵を外し、感情が零れ落ちる。
美咲の笑顔が、残酷なほど眩しい。
賑やかなカフェの片隅で、私は顔を覆って泣き出した。
周りの客が怪訝な顔で見ているのがわかる。でも、もうどうでもよかった。止められない。止めたくもない。
美咲は何も言わず、ただ黙って、テーブル越しに私の手を握りしめてくれた。
彼女の手の温かさが、唯一、私を現実に繋ぎ止めていた。
◇
どれくらいそうしていただろう。
涙が枯れ果て、しゃくり上げる呼吸だけが残った頃、美咲はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫、こころなら大丈夫だよ。あんな男、さよならで正解」
彼女は努めて明るく、いつもの調子で言った。私を元気づけようとしてくれているのがわかる。
「次行こ、次! もっといい男、絶対いるって。あたしが探してあげるから!」
彼女のその屈託のない笑顔。前向きで、エネルギッシュで、少しも曇りのない善意。
それが、鋭利な刃物となって私の胸を抉った。
「次」なんて、考えられるわけがない。
私の中ではまだ「今」が終わっていないのに。優也との時間が、まだ現在進行形で続いているのに。
誰かを新しく好きになるなんて、想像しただけで吐き気がした。
もう二度と、こんな思いをするくらいなら、一生一人でいい。本気でそう思った。
◇
でも、それを口に出すことはできなかった。
美咲の優しさを、真っ向から否定することはできなかった。彼女は彼女なりのやり方で、私を救い出そうとしてくれているのだから。
私は引きつった笑顔を貼り付け、「うん、ありがと」と答えた。
その言葉は、喉の奥で砂のようにじゃりじゃりとした音を立てた。
カフェを出て、別れ際、美咲は私を強く抱きしめてくれた。
「いつでも連絡して。一人で抱え込まないでね」
彼女の髪から、甘いフローラルの香りがした。優也が好きだった匂いとは違う、女の子の匂い。
その温もりに包まれながら、私は少しだけ救われた気がした。
同時に、彼女の明るさが持つ残酷さに、少しだけ傷ついてもいた。
◇
家に帰り、一人になった部屋で、私は再び泣いた。
今度は、自分の惨めさと、美咲の優しさへの感謝と、そしてどうしようもない孤独感がない交ぜになった、複雑な涙だった。
世界は「次」へ進めと私を急かす。
でも、私の時間は、まだ優也がいた「昨日」で止まったまま。
そのギャップが、どうしようもなく痛い。
窓の外を見ると、夕日が街をオレンジ色に染めていた。
その温かな光が、今の私の心には、少しだけ眩しすぎた。
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2021/05/29 公開
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