『さよなら、彼に依存していた私―30日間の失恋回復ストーリー』

月下花音

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Day 7:さよなら、「他人の幸せ」に心を乱された私

 美咲と別れて部屋に戻ってからも、彼女の言葉が頭の中で反響し続けていた。

「次行こ!」

 善意でコーティングされたその言葉は、時間が経つほどに鋭さを増し、私の心をじわじわと蝕んでいく。

 次なんてない。私の時間は、あの日から一歩も進んでいないのに。

 ◇

 夜。ベッドに潜り込んでも、孤独感がシーツのように身体にまとわりついて眠れなかった。窓の外では、街灯が冷たく光っている。

 美咲の優しさに触れたことで、かえって一人でいることの輪郭が、くっきりと浮かび上がってしまったのだ。

 そして、やってはいけないとわかっていながら、私はその行為に手を伸ばした。

 スマートフォンのロックを解除し、指は無意識に、Day5の夜に隠したはずのフォルダを探し当てていた。

 そこにある、カラフルなグラデーションのアイコン。Instagram。

 開いてはいけない。そこは、幸せな人たちの世界だ。今の私が見るべき場所じゃない。

 頭ではわかっているのに、指が言うことを聞かない。

 まるで、傷口をわざわざ指でなぞって、痛みを再確認する自傷行為のようだった。

 ◇

 アイコンをタップする。

 目に飛び込んできたのは、友人たちの日常。ランチ写真、旅行風景— すべてが、私の空白を嘲笑う。

 そのすべてが、今の私とは無関係な、遠い惑星の出来事のように見えた。

 フィードをスクロールする指が、ふと、止まる。

 画面の一番上。ストーリーが更新されたアカウントが並ぶ列の、その先頭に。

 見慣れた、しかし今は見るのが恐ろしい、彼のアイコンがあった。

 その丸いアイコンの縁が、虹色に光っている。

 彼が、何かを更新した、という証。

 その光を見た瞬間、心臓が氷水に浸されたように冷たくなった。

 ◇

 震える親指で、そのアイコンをタップする。

 恐ろしくて、でも見ずにはいられない。

 画面が切り替わる。

 そこに映し出されたのは、夜景が見えるバーらしき場所で、友人たちとグラスを掲げる彼の姿だった。

 バーの笑顔、海の集合写真— 隣の女の笑いが、Day 23の背中を予感。

 動画だ。周囲の楽しげな声、軽快な音楽、そして、私が知らない男たちと笑い合っている、彼の笑顔。

 私といた時には見せたことがないような、心の底から解放されたような、屈託のない笑顔。

 次のストーリーへ進む。知らない海。誰かが運転する車の助手席から撮ったであろう風景。

 そして最後に、数人の男女で撮った集合写真。

 彼の隣には、私の知らない女の子が、親しげに寄り添って笑っていた。

 その笑顔が、あまりにも自然で、幸せそうで。

 時間が、止まった。

 いや、私の時間だけが、完全に停止した。

 彼は、もう先に進んでいる。

 ◇

 スマートフォンの画面から放たれる光が、私の顔を青白く照らし出す。

 その光が映す彼の笑顔は、私という存在が消えた人生を祝福していた。

 もう、無理だ。

 これ以上、彼の「今」を見続けることは、私をゆっくりと殺していく。

 その瞬間、悲しみを通り越して、静かな、冷たい怒りのような感情が湧き上がってきた。

 なぜ、私がこんな思いをしなくてはならないのか。

 なぜ、私だけが、彼のデジタルゴーストに毎晩うなされなくてはならないのか。

 私はベッドから身体を起こした。

 Instagramのアイコンを、強く長押しする。

 アイコンが震え始め、左上に「×」の印が表示された。

「Appを削除しますか?」

 システムからの無機質な問いかけ。

 私は、一瞬もためらわなかった。

 震える指で、「削除」の二文字を、強く、強くタップした。

 ◇

 アプリが画面から消える瞬間は、スローモーションのように見えた。

 カラフルなアイコンが、一瞬で私の世界から消え去る。

 そこには、ぽっかりと空白だけが残された。

 彼の世界へ繋がる、最後の扉が閉ざされた。

 ホーム画面に戻り、がらんとしたスペースを見つめる。

 それは喪失であり、同時に、初めて自分で勝ち取った聖域のようにも思えた。

 この空白を、いつか私自身の色で埋めていこう。

 これは逃避じゃない。

 これは、私の心を守るための、初めての積極的な選択だ。

 スマートフォンの電源を落とす。

 画面の光が消え、部屋は本当の闇に包まれた。

 その暗闇の中で、私はようやく、深く、深く息を吸い込むことができた。

 それは、今日一日で、初めて自分のためだけにした呼吸だった。
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