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第2-1章 紅玉宮妃→????(新版)
「嫉妬がここまで人を変貌させるとは」
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「魅音、だったか? 中々強かなようだな」
翠玉宮妃との雑談を終え、次に青玉宮妃に挨拶に伺った。彼女もまた真っ先に本人がわたしを出迎えてくださった。
尤も、挨拶もそこそこに彼女の口から出てきた話題は、案の定つい先程まで喋り相手だった魅音についてだったけれど。
「男性を味方に、女性を敵に回しかねない方だとの第一印象でしたけれど、話してみると彼女の賢さに驚かされましたね」
「信頼できる、とは言わないのだな」
「信頼してもいいと思いますが、心許せるとまではいかないかと。今見せている態度が演技である可能性だって否定出来ませんから」
「もし紅玉宮妃様の言うとおりなら大した娘だ。こんな短時間で皇太子殿下を始め、あの場にいた殿方のほとんどの心を射抜いたんだからな」
青玉宮妃の言葉とは裏腹にその表情は面白くなさそうだった。彼女のもとに集っていた夫人方も同じらしく、青玉宮妃に同調してこれでもかと魅音をこきおろした。ただその大半が妬みからくる妄想だったので話半分でしょうねと聞き流した。
「彼女こそを春華国に伝わる傾国の女狐、とでも呼ぶべきだろう」
「傾国の女狐……」
魅音こそが傾国の女狐なのかしら? 見た目に惑わされない相手を望むとの心境は嘘で、わたしを含めた全員を騙している?
そして……歴代の女狐と同じく暁明様を皇帝に据え、自分は皇后の座に収まるつもりとでも?
けれど彼女が語った思いは嘘ではないと信じたかった。そう思っている時点で魅音の術中にはまっているのかもしれない。
結局の所、暁明様の平穏を最優先するなら、わたしは彼女と上手く付き合っていく他無いのだった。
「青玉宮殿下はどのようにお考えで?」
「あの場で主張していた通りだ。これ以上混乱を招かないよう一刻も早い処断が必要だと今も頻繁に言っている。あまりにしつこくてうんざりしているぐらいだ」
「それだけ危険視なさっているのでしょう。わたしとしては何事もなく事態が収束していけばと思うのですが……」
「あの様子だと怪しいな。陛下の命に逆らってでも、と我が殿下が結論を下すのはもはや時間の問題な気がしてならない」
皇太子のように妃をないがしろにしてでも振り向いてもらいくなろうと、第二皇子のように危険視して排除しようと企もうと、第三皇子のように敵国との駆け引きに利用出来ると算盤を弾こうと、一向に構わない。
けれどもはや魅音にもたらされる異変は暁明様にも直結してしまっている。わたしの殿下が不幸な目に遭うようなら報いは受けてもらう。それが例え義理の兄たる皇子達であっても、ね。
「紅玉宮妃様は巻き添えをくらわないよう用心した方がいいだろう」
「ご忠告ありがたく頂戴します」
そんな覚悟をひた隠しにしてわたしは青玉宮妃に感謝を述べた。
青玉宮妃は魅音の誘惑の効果が薄いのか比較的理性を保てている判断出来た。彼女がこのまま皇子と寄り添っていれば事態もやがては沈静化に向かうのでは、と期待が持てた。
当の魅音は今度はわたしと入れ替わる形で翠玉宮妃と話しているようだった。一見和やかに言葉を交わしているようだけれど、取り巻き集の様子から伺うに、魅音を相当警戒しているようだった。
各派閥も常に皇子妃の周りでまとまっているわけではなく、交流の輪は大小様々ながらも幾つか出来ていた。第二皇女は黒曜宮妃方と打ち解けているようで、会話していない夫人も一時休憩がてらにお茶や料理に手を伸ばしているようだった。
ところが、どんなに見渡しても、こういった場に必ず姿を見せていた、そして必ずいるべき人物がどこにもいなかった。
「そう言えば皇太子妃様のお姿が見られませんが、本日は欠席でしょうか?」
「いや、そんな話は聞いていないが……」
青玉宮妃も周囲を見渡して首を傾げた。おかしいと思うのはわたしだけじゃなかったので少し安心する。
「皇太子殿下が謹慎処分を受けている間に自分だけ楽しむのは不謹慎、とお考えになったのか?」
「そうは言いましても、あの方がここ最近動きを活発化させている青玉宮妃様や翠玉宮妃様を牽制する絶好の機会を逃すでしょうか?」
「それもそうだ」
どさくさに紛れて思い切って踏み込んだ問いかけをしたものの、青玉宮妃は拍子抜けするぐらいあっさりと認めてきた。どうやら彼女は皇太子と皇太子妃の影響力を削ぐにも隠れてこそこそとはしないようだった。裏表が無いのは第二皇子と同じか。
「皇太子妃様は私や紅玉宮妃様が思っている以上に繊細な方だったのかもしれない。それとも……」
お茶会の場に悲鳴が響き渡ったのはその時だった。
すぐさまそちらへと振り向くと、悲鳴をあげたのは確か文官の夫人だったか。怯えながらもそれ以上相手を刺激しないよう必死に口元を抑えている。他の夫人方もゆっくりと歩を進めるその人物を避けるように距離を置いた。恐怖に彩られながら。
「皇太子妃様……?」
と口にしたものの、わたしはその人物を皇太子妃とは信じたくなかった。
何しろ、現れた彼女は頬が痩せこけ、目が落ちくぼみ、髪は乱れ、服は豪華ながらも着崩れ、足取りも軽快さとは無縁のすり足気味。
そんな彼女が見開いた血走る目で辺りを睨みつける有様は鬼を思い起こさせた。
皇太子妃はお目当ての娘、魅音を見つけ出すと手を震わせ、歯ぎしりし、大股で彼女へと向かっていった。慌てて第二皇女が呼び止めるものの全く聞く耳をもたない。もはや彼女の意識は完全に怨敵へと向いていた。
「魅音! よくも、よくもわたくしの殿下を誑かしてくれたなっ!」
彼女はかろうじて髪束に刺さっていた簪を引き抜くと、それを凶器として魅音に襲いかかった。
彼女を囲っていた翠玉宮妃の取り巻きだった文官の夫人達は悲鳴をあげつつ一目散に逃げ出し、翠玉宮妃も足がすくんで動けないようだった。
皇太子妃と魅音との間に立ちはだかる者はいなかった。
「おやめください、皇太子妃様!」
「よさないか! こんな事をして何になる!?」
真っ先に動いたのは青玉宮妃、続いてわたし。
青玉宮妃は皇太子妃に突進して彼女を押し倒し、立ち上がろうとする彼女をわたしと二人がかりで組み伏せた。
「離し、なさい! 青玉宮妃も紅玉宮妃も邪魔するの!?」
皇太子妃は執念からか想像を絶する物凄い力で暴れてくる。青玉宮妃もわたしも身体がなまらないよう訓練を積んでいるのに、一体どこからこんな底力が出てくるのか、本当にかろうじて抑えられていた。
「この女狐め! お前さえ、お前さえいなければわたくしの殿下が変わることなんてなかったのに!」
顔を歪め、口汚く罵る姿はこれまでの皇太子妃からは考えられなかった。伴侶たる夫の愛を失った女が嫉妬と憎悪の炎で身を焦がした、などという話はたまに聞いたものの、まさか皇太子妃が体現するなんて誰が想像したかしらね?
「絶対に許さないっ! 殺す、殺してやるっ!」
「皇太子妃様、もう止めましょうよ! 一体どうしちゃったんですか……!?」
「心中お察しするがお門違いだろう! 何故こんな最悪な手段に出る前に陛下に申し開きをしないんだ……!」
だからこそわたしと青玉宮妃は嘆き悲しみばかりだった。
皇太子妃としての勤めを立派に果たす、わたし……いえ、わたし達皇子妃……も不十分。全ての夫人方の模範だった方の発狂だもの。失望や恐怖よりもその感情が浮かぶのは当然だと今でも断言できる。
「離しなさい! わたくしを誰だと心得ているの!?」
「皇太子妃様はお疲れだ! 早く金剛宮にお送りしろ!」
やがて夫人の一人が連れてきた衛兵達がわたし達に代わって皇太子妃を取り押さえた。宮廷を警護する禁軍の衛兵達は第二皇子の部下達、青玉宮妃の命令を受け、暴れる皇太子妃を連行していく。
「どうしてわたくし達の前に現れたのよ! それまでは何もなかったのに、幸せだったのに! わたくしの旦那様を返してよぉぉ!」
皇太子妃が放つ憎しみと妬みはやがて嘆き悲しみへと変わり、最後の方は力なく泣き崩れながらその場から連れ去られた。
残されたわたし達は、ただただ皇太子妃に圧倒されるばかりだった。誰もが皇太子妃がいなくなった方へと視線が固定され、そして誰も喋りだそうとしなかった。どんな反応をして良いのか、それすら分からないとばかりに。
そんな中、例外が一人だけいた。
「あの、魅音様……大丈夫でしょうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣い頂きありがとうございます」
当の魅音はあれだけ皇太子妃のぐちゃぐちゃした感情を向けられたにも拘わらず、怯えても怒ってもいなかった。
あえて言うなら、失望。そう、敵意を剥き出しにした皇太子妃を嘆いたかのように憮然としたんだ。
翠玉宮妃の派閥の夫人が一人心配そうに彼女に声をかけても落ち着いた様子は崩れない。それどころか動けずにいた他の夫人を尻目に、用意されていた菓子へと手を伸ばす余裕すらあった。
「魅音様。あの方の心の整理が付いた頃で構いませんから、謝罪するべきですわ」
それを咎めるように翠玉宮妃が穏便に事態を収束させようと魅音に促したのだが、直後には悲鳴をあげて後ずさった。
「謝罪? わたしが? 皇太子妃様に?」
魅音が翠玉宮妃に向けた感情は、憤りだった。
逆鱗に触れるとは正にこの事、と思わせる程に。
「それだけは死んでもお断りいたします」
「何、故……?」
明確に拒否されても翠玉宮妃が絞り出せたのは理由の問い質しだけ。それほどまでに彼女は魅音に気圧されていた。
「皇太子殿下が勝手にわたしを見初め、皇太子妃様が勝手に嫉妬した。はっきり言いますがわたしには迷惑なだけです」
「……っ! けれど、貴女が調和を乱したのは間違いないのでは?」
「であれば先程青玉宮妃様が仰ったように、そのような采配を下した皇帝陛下に異議申し立てをすべきでした。早く災厄の原因となるわたしを追放なり幽閉なりするように、と。わたしは天命に従い、その役割を全うしているに過ぎませんので」
「つまり……皇太子殿下と皇太子妃様が破滅へ向かっているのは自業自得、だと?」
翠玉宮妃の表情は複雑だった。自分の理解が及ばないモノへの困惑か、それとも得体のしれないモノへの恐怖か。
とにかく、魅音は翠玉宮妃の問いには答えなかった。いや、正確には口にはしなかったけれど、言うまでもないと言わんばかりに平然としたままだった。
結局このまま続けられるはずもなく、お茶会は早々にお開きになった。
ただし、そのお茶会の影響は残念ながらその日に留まらなかった。
その最たる例が、皇太子夫婦の終焉だと言えよう。
翠玉宮妃との雑談を終え、次に青玉宮妃に挨拶に伺った。彼女もまた真っ先に本人がわたしを出迎えてくださった。
尤も、挨拶もそこそこに彼女の口から出てきた話題は、案の定つい先程まで喋り相手だった魅音についてだったけれど。
「男性を味方に、女性を敵に回しかねない方だとの第一印象でしたけれど、話してみると彼女の賢さに驚かされましたね」
「信頼できる、とは言わないのだな」
「信頼してもいいと思いますが、心許せるとまではいかないかと。今見せている態度が演技である可能性だって否定出来ませんから」
「もし紅玉宮妃様の言うとおりなら大した娘だ。こんな短時間で皇太子殿下を始め、あの場にいた殿方のほとんどの心を射抜いたんだからな」
青玉宮妃の言葉とは裏腹にその表情は面白くなさそうだった。彼女のもとに集っていた夫人方も同じらしく、青玉宮妃に同調してこれでもかと魅音をこきおろした。ただその大半が妬みからくる妄想だったので話半分でしょうねと聞き流した。
「彼女こそを春華国に伝わる傾国の女狐、とでも呼ぶべきだろう」
「傾国の女狐……」
魅音こそが傾国の女狐なのかしら? 見た目に惑わされない相手を望むとの心境は嘘で、わたしを含めた全員を騙している?
そして……歴代の女狐と同じく暁明様を皇帝に据え、自分は皇后の座に収まるつもりとでも?
けれど彼女が語った思いは嘘ではないと信じたかった。そう思っている時点で魅音の術中にはまっているのかもしれない。
結局の所、暁明様の平穏を最優先するなら、わたしは彼女と上手く付き合っていく他無いのだった。
「青玉宮殿下はどのようにお考えで?」
「あの場で主張していた通りだ。これ以上混乱を招かないよう一刻も早い処断が必要だと今も頻繁に言っている。あまりにしつこくてうんざりしているぐらいだ」
「それだけ危険視なさっているのでしょう。わたしとしては何事もなく事態が収束していけばと思うのですが……」
「あの様子だと怪しいな。陛下の命に逆らってでも、と我が殿下が結論を下すのはもはや時間の問題な気がしてならない」
皇太子のように妃をないがしろにしてでも振り向いてもらいくなろうと、第二皇子のように危険視して排除しようと企もうと、第三皇子のように敵国との駆け引きに利用出来ると算盤を弾こうと、一向に構わない。
けれどもはや魅音にもたらされる異変は暁明様にも直結してしまっている。わたしの殿下が不幸な目に遭うようなら報いは受けてもらう。それが例え義理の兄たる皇子達であっても、ね。
「紅玉宮妃様は巻き添えをくらわないよう用心した方がいいだろう」
「ご忠告ありがたく頂戴します」
そんな覚悟をひた隠しにしてわたしは青玉宮妃に感謝を述べた。
青玉宮妃は魅音の誘惑の効果が薄いのか比較的理性を保てている判断出来た。彼女がこのまま皇子と寄り添っていれば事態もやがては沈静化に向かうのでは、と期待が持てた。
当の魅音は今度はわたしと入れ替わる形で翠玉宮妃と話しているようだった。一見和やかに言葉を交わしているようだけれど、取り巻き集の様子から伺うに、魅音を相当警戒しているようだった。
各派閥も常に皇子妃の周りでまとまっているわけではなく、交流の輪は大小様々ながらも幾つか出来ていた。第二皇女は黒曜宮妃方と打ち解けているようで、会話していない夫人も一時休憩がてらにお茶や料理に手を伸ばしているようだった。
ところが、どんなに見渡しても、こういった場に必ず姿を見せていた、そして必ずいるべき人物がどこにもいなかった。
「そう言えば皇太子妃様のお姿が見られませんが、本日は欠席でしょうか?」
「いや、そんな話は聞いていないが……」
青玉宮妃も周囲を見渡して首を傾げた。おかしいと思うのはわたしだけじゃなかったので少し安心する。
「皇太子殿下が謹慎処分を受けている間に自分だけ楽しむのは不謹慎、とお考えになったのか?」
「そうは言いましても、あの方がここ最近動きを活発化させている青玉宮妃様や翠玉宮妃様を牽制する絶好の機会を逃すでしょうか?」
「それもそうだ」
どさくさに紛れて思い切って踏み込んだ問いかけをしたものの、青玉宮妃は拍子抜けするぐらいあっさりと認めてきた。どうやら彼女は皇太子と皇太子妃の影響力を削ぐにも隠れてこそこそとはしないようだった。裏表が無いのは第二皇子と同じか。
「皇太子妃様は私や紅玉宮妃様が思っている以上に繊細な方だったのかもしれない。それとも……」
お茶会の場に悲鳴が響き渡ったのはその時だった。
すぐさまそちらへと振り向くと、悲鳴をあげたのは確か文官の夫人だったか。怯えながらもそれ以上相手を刺激しないよう必死に口元を抑えている。他の夫人方もゆっくりと歩を進めるその人物を避けるように距離を置いた。恐怖に彩られながら。
「皇太子妃様……?」
と口にしたものの、わたしはその人物を皇太子妃とは信じたくなかった。
何しろ、現れた彼女は頬が痩せこけ、目が落ちくぼみ、髪は乱れ、服は豪華ながらも着崩れ、足取りも軽快さとは無縁のすり足気味。
そんな彼女が見開いた血走る目で辺りを睨みつける有様は鬼を思い起こさせた。
皇太子妃はお目当ての娘、魅音を見つけ出すと手を震わせ、歯ぎしりし、大股で彼女へと向かっていった。慌てて第二皇女が呼び止めるものの全く聞く耳をもたない。もはや彼女の意識は完全に怨敵へと向いていた。
「魅音! よくも、よくもわたくしの殿下を誑かしてくれたなっ!」
彼女はかろうじて髪束に刺さっていた簪を引き抜くと、それを凶器として魅音に襲いかかった。
彼女を囲っていた翠玉宮妃の取り巻きだった文官の夫人達は悲鳴をあげつつ一目散に逃げ出し、翠玉宮妃も足がすくんで動けないようだった。
皇太子妃と魅音との間に立ちはだかる者はいなかった。
「おやめください、皇太子妃様!」
「よさないか! こんな事をして何になる!?」
真っ先に動いたのは青玉宮妃、続いてわたし。
青玉宮妃は皇太子妃に突進して彼女を押し倒し、立ち上がろうとする彼女をわたしと二人がかりで組み伏せた。
「離し、なさい! 青玉宮妃も紅玉宮妃も邪魔するの!?」
皇太子妃は執念からか想像を絶する物凄い力で暴れてくる。青玉宮妃もわたしも身体がなまらないよう訓練を積んでいるのに、一体どこからこんな底力が出てくるのか、本当にかろうじて抑えられていた。
「この女狐め! お前さえ、お前さえいなければわたくしの殿下が変わることなんてなかったのに!」
顔を歪め、口汚く罵る姿はこれまでの皇太子妃からは考えられなかった。伴侶たる夫の愛を失った女が嫉妬と憎悪の炎で身を焦がした、などという話はたまに聞いたものの、まさか皇太子妃が体現するなんて誰が想像したかしらね?
「絶対に許さないっ! 殺す、殺してやるっ!」
「皇太子妃様、もう止めましょうよ! 一体どうしちゃったんですか……!?」
「心中お察しするがお門違いだろう! 何故こんな最悪な手段に出る前に陛下に申し開きをしないんだ……!」
だからこそわたしと青玉宮妃は嘆き悲しみばかりだった。
皇太子妃としての勤めを立派に果たす、わたし……いえ、わたし達皇子妃……も不十分。全ての夫人方の模範だった方の発狂だもの。失望や恐怖よりもその感情が浮かぶのは当然だと今でも断言できる。
「離しなさい! わたくしを誰だと心得ているの!?」
「皇太子妃様はお疲れだ! 早く金剛宮にお送りしろ!」
やがて夫人の一人が連れてきた衛兵達がわたし達に代わって皇太子妃を取り押さえた。宮廷を警護する禁軍の衛兵達は第二皇子の部下達、青玉宮妃の命令を受け、暴れる皇太子妃を連行していく。
「どうしてわたくし達の前に現れたのよ! それまでは何もなかったのに、幸せだったのに! わたくしの旦那様を返してよぉぉ!」
皇太子妃が放つ憎しみと妬みはやがて嘆き悲しみへと変わり、最後の方は力なく泣き崩れながらその場から連れ去られた。
残されたわたし達は、ただただ皇太子妃に圧倒されるばかりだった。誰もが皇太子妃がいなくなった方へと視線が固定され、そして誰も喋りだそうとしなかった。どんな反応をして良いのか、それすら分からないとばかりに。
そんな中、例外が一人だけいた。
「あの、魅音様……大丈夫でしょうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣い頂きありがとうございます」
当の魅音はあれだけ皇太子妃のぐちゃぐちゃした感情を向けられたにも拘わらず、怯えても怒ってもいなかった。
あえて言うなら、失望。そう、敵意を剥き出しにした皇太子妃を嘆いたかのように憮然としたんだ。
翠玉宮妃の派閥の夫人が一人心配そうに彼女に声をかけても落ち着いた様子は崩れない。それどころか動けずにいた他の夫人を尻目に、用意されていた菓子へと手を伸ばす余裕すらあった。
「魅音様。あの方の心の整理が付いた頃で構いませんから、謝罪するべきですわ」
それを咎めるように翠玉宮妃が穏便に事態を収束させようと魅音に促したのだが、直後には悲鳴をあげて後ずさった。
「謝罪? わたしが? 皇太子妃様に?」
魅音が翠玉宮妃に向けた感情は、憤りだった。
逆鱗に触れるとは正にこの事、と思わせる程に。
「それだけは死んでもお断りいたします」
「何、故……?」
明確に拒否されても翠玉宮妃が絞り出せたのは理由の問い質しだけ。それほどまでに彼女は魅音に気圧されていた。
「皇太子殿下が勝手にわたしを見初め、皇太子妃様が勝手に嫉妬した。はっきり言いますがわたしには迷惑なだけです」
「……っ! けれど、貴女が調和を乱したのは間違いないのでは?」
「であれば先程青玉宮妃様が仰ったように、そのような采配を下した皇帝陛下に異議申し立てをすべきでした。早く災厄の原因となるわたしを追放なり幽閉なりするように、と。わたしは天命に従い、その役割を全うしているに過ぎませんので」
「つまり……皇太子殿下と皇太子妃様が破滅へ向かっているのは自業自得、だと?」
翠玉宮妃の表情は複雑だった。自分の理解が及ばないモノへの困惑か、それとも得体のしれないモノへの恐怖か。
とにかく、魅音は翠玉宮妃の問いには答えなかった。いや、正確には口にはしなかったけれど、言うまでもないと言わんばかりに平然としたままだった。
結局このまま続けられるはずもなく、お茶会は早々にお開きになった。
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