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第2-1章 紅玉宮妃→????(新版)
「深き愛の果てがこれだなんて」
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この日を境に魅音へ向けられる眼差しが変わった。
それまで女性陣はあまりの美しさに嫉妬する者と、それがどうしたと余裕を持つ者とで分かれていた。けれど、全体の何割か敬遠するか極力関わらないようになった。
「ねえ、この前来た西伯候閣下の娘、皇太子妃様をご乱心させたんですって」
「あんなに立派な方が!? もしかして皇太子殿下がその娘に一目惚れしたせい?」
「皇太子妃様は療養が必要だって診断されたんだそうよ」
「嘘。どうなっちゃうのかしら……?」
こんな会話はほんの一例。つまり、自分の夫を掠め取られないか、そして自分まで発狂しないか。そんな恐れが魅音から取る距離に直結したわけだ。
「いや、正しい選択だと思うよ。平穏を乱されたくないからじゃないかな?」
「魅音の影響を受けたくない一心なんでしょうね」
残りのうち、何割かはなお魅音との付き合いを保った。彼女ほどの美貌になるとその場にいるだけで周りに多大な影響を及ぼしてしまい、それを無視出来ないから、が理由らしい。ただ警戒しつつ交流するためか、どこかぎこちなさが見られた。
中にはそれでも余裕を崩さない者もおり、どうもわたしもそのうちの一人に数えられていたらしい。それはあくまでわたしが暁明様と愛し愛されていたから。もしわたしの愛しい方が奪われたら、多分彼を連れて逃げるか彼女を消していたでしょうね。
「ん? それじゃあ残りは?」
「実は、聞いても信じられないかもしれないですけれど……」
なんと、女性からも魅音に魅了された者が現れ始めたのだ。
それはまるで花の蜜に惹かれる蝶々のようで、美しくも悍ましい光景だった。
尤も、当の魅音はそういった輩とは一番関わりたくないんでしょうけれど。
「だから魅音との付き合いを保っている方ってもう結構少ないみたいですね」
「僕の妃を除くとどんな人達?」
「えっと、猫目宮殿下に青玉宮妃様。それと主に自分に絶対の自信を持つ方や、恋に寛大な方が多い傾向ですよ」
「んー。いっそ紅玉宮から出ないでって僕から命じるべきかな?」
「命令とあれば従うでしょうけれど、この間の皇太子殿下のような凶行がまた繰り返されないとも限りません。もはやその措置でも不十分じゃないですかね」
「厄介だなあ……。僕はもっと穏やかに僕の妃と過ごしたいんだけれど」
こんな感じにわたしは暁明様と常に意思疎通を図る……というより自分達で育んだ愛を確かめあった。あれだけ立派だった皇太子すらあのザマなのだから、この愛しい想いは変わっていないか不安で仕方がなかったからだ。
一方、魅音はお茶会を得ても特に変わりはしなかった。
あくまで彼女は紅玉宮殿下の妃として振る舞うだけ。決して出しゃばらず、暁明様の意を汲み、わたしに敬意を払う。その佇まいはさながら清流。不気味なぐらいに落ち着いていた。
「魅音様。そんなに外見で判断されるのが嫌なんでしたら、紅玉宮に居ない間は素顔を隠されては如何ですか?」
「天命があればそうしましょう」
夕食時に思い切って災いの元凶を封じる提案をしたものの、彼女からの反応は芳しくなかった。不満、というよりはそんな手段は無駄だとの諦めに近い感情を抱いているようだった。
「自分からはしない、と?」
「以前仮面を被っていた時期もありましたが、それでも求婚を受けたりしました。どうもその方々は露出していたうなじや指先に惹かれたらしく……」
つまり魅音が一目惚れされないようにするには肌を一切露出させないよう全身を覆う他無いんだそうだ。事実西伯候領では外出の際はそうしていたらしい。
けれど、隠してもその隠された部位に対する想像を膨らませる者も現れていったらしい。首元、足首や手先、髪を隠しても一時しのぎ。なんと終いには幽閉同然になってもなお深窓の麗人美女との噂が絶えなかったんだとか。
「あまりにも自分の顔が嫌になって、一度は自分の顔に二度と癒えない傷をつけようと試みたこともあります」
「えっ?」
「覚悟さえあれば簡単ですよ。刃物で切りつけずとも、熱湯や油に顔をつければいいだけですから。残念ながら止められて未遂に終わりましたけれど」
じゃあどうして西伯候は彼女を皇帝に差し出したのか? まだ季節をまたいでいないのに帝都はこの体たらくだ。妃として献上すれば春華国そのものを揺るがす大混乱に陥るのは目に見えていた筈なのに。
「簡単ですよ。父はわたしが恐ろしくなったんです」
「臣下が魅音様に骨抜きにされてしまうからですか?」
「それもありますが……自分が理性を失うのが、でしょうね」
「理性を失う……あっ!」
分かった。分かってしまった。
西伯候の手に負えなくなったから皇帝に委ねたんだ。
魅音曰く、西伯候は最初のうちは娘である彼女を守っていた。けれど、成長するにつれて次第に彼女を見る目が変わっていった。あろうことか、娘に対する慈愛から、女性に向ける劣情へと。
変貌したのは西伯候だけじゃなかった。兄弟は邪な感情を抱き、姉妹や母は嫉妬する始末。西伯候が口を酸っぱくして厳命してかろうじて抑え込まれていたものの、とうとう当の本人が陥落寸前まで追い込まれた。
やがて我慢しきれなくなった西伯候は実の娘たる魅音の寝室に忍び込み……、
「もう良いです。辛いのでしたらそれ以上説明しなくても……!」
「い……いえ、雪慧様には知っていただきたいんです。これから紅玉宮殿下を守り立てていく同志なんですから」
魅音は青ざめたまま自分を抱きしめて身を震わせた。
わたしは夜鈴に頼んでお茶を用意させた。魅音は震えたままの手で受け取ると一気にあおぐように飲み干した。口元を乱雑に拭う様子すら色気を感じるのだから、恐ろしいものだ。
「幸いにもその時は未遂に終わりました。どうやら父上は理性を総動員して堪えきったみたいでして、私への謝罪と後悔を口にしながら部屋を後にしました」
魅音が帝都に献上されることに決まったのはそれからたった数日後のこと。出発前日の真夜中、もう駄目だと嘆く西伯候の背中はとても小さく見えたんだそうな。
「ですから、もう嫌になったので開き直りました」
「はい?」
「相手が心奪われようと乱れようと知ったことではありません。わたしは相手なんて気にせず、堂々と生きていこう、と」
もはやその美貌は呪いの類。天の定めだとしたら、隠れるのではなく立ち向かう。それは魅音の身勝手ではなく覚悟の表れだった。それがどれほど周りに迷惑をかけようと、人を惑わそうとも。
魅音は後悔の無い在り方を望んだんだ。
「……余計な提案でしたね。お詫びします」
「いえ、紅玉宮妃様のご提案は当然だと思います。反対の立場でしたらわたしだって同じように勧めたでしょうから」
わたしは魅音の決意を尊重した……わけじゃない。単にそれが一番事を荒立てないでしょうと踏んだに過ぎなかった。もはや彼女が姿を見せた段階で皆に与えた影響が甚大で、それ以上の良策がなかっただけだもの。
いっそあのか細い首をこの手で締めてしまおうか? そうすればわたしは暁明様を独り占め出来る上に皆彼女に惑わされずに済む。そんな最悪な手段すら脳裏によぎって、すぐに振り払った。
この時はまだ楽観視していたんでしょうね。美しく整えられた庭も見慣れれば飽きるように、魅音についても日常の一部になって次第に興味を失っていくだろう。この問題は時間が解決してくれる。そんな感じに。
「ん? アレは……青玉宮妃様?」
甘かった、と後悔したのはそれから数日後のことだった。
その日、わたしが夫人方と交流を深めるために外出すると、青玉宮妃が禁軍の衛兵を連れて足早に移動している姿が目に映った。衛兵達は皇帝を守るような精鋭、近衛兵の特徴である赤い鎧兜で武装していたので余計に目立った。
青玉宮妃はそれまで見たこと無かったぐらいに焦っていた。
そんな彼女の方に向かったのは気になったからだけじゃなく、直感に近いものが働いたからか。何にせよわたしは裾をたくし上げて侍女の夜鈴を置き去りに駆け出した。
「おはようございます、青玉宮妃様」
「紅玉宮妃様か。悪いが急いでいる。構っている暇は無い」
「殿方のお勤めが始まっていない朝早くに何事ですか? 貴女様ほどのお方が直々に出向かれるなんて」
「だから貴女様と……いや、もはやそうやりとりしている時間すら惜しい」
わたしは青玉宮妃達の邪魔にならないよう彼女と並走する形で付いていった。
彼女達が足を運んだ先はなんと金剛宮。宮門を守る兵士達が立ちはだかるも、青玉宮妃が懐から出した木簡を確認して道を譲った。青玉宮妃達はすぐさま境内へと踏み込み、金剛宮へと押し入っていった。
金剛宮務めの使用人や女官達は突然の来訪者達に大慌てで、青玉宮妃は木簡を突きつけて左右へと散らしていった。向かった先には覚えがあった。確か皇太子と皇太子妃の寝室や私室がある建屋だったか。
「皇太子妃様、早まっては――!」
戸を叩かず声もかけず、青玉宮妃は無遠慮にも部屋へと押し入った。そして金剛宮の主へと声をかけ……途中で言葉を失った。厳しい訓練を経た一流の近衛兵達も目の前に広がる光景に驚きをあらわにした程だった。
部屋の中では皇太子が皇太子妃に抱き締められていた。
皇太子の顔が皇太子妃の豊満な胸にうずくまっていたけれど、その皇太子妃の胸の周りは朱色に染まっていたではないか。
皇太子の身体は力なく皇太子妃にもたれかかっていて、そんな異常な夫に向けて皇太子妃はまるで子供をあやすような優しい微笑みを浮かべ、頭をなでていた。上手く聞き取れなかったけれど、口ずさんでいたのは子守唄かしら?
床に散乱していたのは朝食と思われ、半分以上が残されていた。銀細工のものと陶器のものが混在していて、陶器に入れられていた汁物がこぼれた先で銀食器が濡れており、鮮やかだった銀色がやや黒ずんでいた。
「ふふっ……。皇太子殿下、愛しております。誰にも渡すものですか」
何も出来ずにいた青玉宮妃一同とわたしを全く意に解することもなく、机の上に残された陶器に手を伸ばし、一気に中のものを飲み干した。我に返った青玉宮妃が飛び出したものの、傍に寄った時には皇太子妃の口からおびただしい血が溢れ出た。
「愛しの旦那様、死後も寂しくないようわたくしがそばにおりますから……――」
手当をする暇もなかった。皇太子妃は既に指一本動かなかった皇太子に覆いかぶさるように倒れ込んだ。青玉宮妃が上体を起き上がらせるけれど、皇太子妃の身体からはまるで大きな人形のように力が完全に抜けていた。
この日、春華国は皇太子ご夫妻を同時に失った。
それまで女性陣はあまりの美しさに嫉妬する者と、それがどうしたと余裕を持つ者とで分かれていた。けれど、全体の何割か敬遠するか極力関わらないようになった。
「ねえ、この前来た西伯候閣下の娘、皇太子妃様をご乱心させたんですって」
「あんなに立派な方が!? もしかして皇太子殿下がその娘に一目惚れしたせい?」
「皇太子妃様は療養が必要だって診断されたんだそうよ」
「嘘。どうなっちゃうのかしら……?」
こんな会話はほんの一例。つまり、自分の夫を掠め取られないか、そして自分まで発狂しないか。そんな恐れが魅音から取る距離に直結したわけだ。
「いや、正しい選択だと思うよ。平穏を乱されたくないからじゃないかな?」
「魅音の影響を受けたくない一心なんでしょうね」
残りのうち、何割かはなお魅音との付き合いを保った。彼女ほどの美貌になるとその場にいるだけで周りに多大な影響を及ぼしてしまい、それを無視出来ないから、が理由らしい。ただ警戒しつつ交流するためか、どこかぎこちなさが見られた。
中にはそれでも余裕を崩さない者もおり、どうもわたしもそのうちの一人に数えられていたらしい。それはあくまでわたしが暁明様と愛し愛されていたから。もしわたしの愛しい方が奪われたら、多分彼を連れて逃げるか彼女を消していたでしょうね。
「ん? それじゃあ残りは?」
「実は、聞いても信じられないかもしれないですけれど……」
なんと、女性からも魅音に魅了された者が現れ始めたのだ。
それはまるで花の蜜に惹かれる蝶々のようで、美しくも悍ましい光景だった。
尤も、当の魅音はそういった輩とは一番関わりたくないんでしょうけれど。
「だから魅音との付き合いを保っている方ってもう結構少ないみたいですね」
「僕の妃を除くとどんな人達?」
「えっと、猫目宮殿下に青玉宮妃様。それと主に自分に絶対の自信を持つ方や、恋に寛大な方が多い傾向ですよ」
「んー。いっそ紅玉宮から出ないでって僕から命じるべきかな?」
「命令とあれば従うでしょうけれど、この間の皇太子殿下のような凶行がまた繰り返されないとも限りません。もはやその措置でも不十分じゃないですかね」
「厄介だなあ……。僕はもっと穏やかに僕の妃と過ごしたいんだけれど」
こんな感じにわたしは暁明様と常に意思疎通を図る……というより自分達で育んだ愛を確かめあった。あれだけ立派だった皇太子すらあのザマなのだから、この愛しい想いは変わっていないか不安で仕方がなかったからだ。
一方、魅音はお茶会を得ても特に変わりはしなかった。
あくまで彼女は紅玉宮殿下の妃として振る舞うだけ。決して出しゃばらず、暁明様の意を汲み、わたしに敬意を払う。その佇まいはさながら清流。不気味なぐらいに落ち着いていた。
「魅音様。そんなに外見で判断されるのが嫌なんでしたら、紅玉宮に居ない間は素顔を隠されては如何ですか?」
「天命があればそうしましょう」
夕食時に思い切って災いの元凶を封じる提案をしたものの、彼女からの反応は芳しくなかった。不満、というよりはそんな手段は無駄だとの諦めに近い感情を抱いているようだった。
「自分からはしない、と?」
「以前仮面を被っていた時期もありましたが、それでも求婚を受けたりしました。どうもその方々は露出していたうなじや指先に惹かれたらしく……」
つまり魅音が一目惚れされないようにするには肌を一切露出させないよう全身を覆う他無いんだそうだ。事実西伯候領では外出の際はそうしていたらしい。
けれど、隠してもその隠された部位に対する想像を膨らませる者も現れていったらしい。首元、足首や手先、髪を隠しても一時しのぎ。なんと終いには幽閉同然になってもなお深窓の麗人美女との噂が絶えなかったんだとか。
「あまりにも自分の顔が嫌になって、一度は自分の顔に二度と癒えない傷をつけようと試みたこともあります」
「えっ?」
「覚悟さえあれば簡単ですよ。刃物で切りつけずとも、熱湯や油に顔をつければいいだけですから。残念ながら止められて未遂に終わりましたけれど」
じゃあどうして西伯候は彼女を皇帝に差し出したのか? まだ季節をまたいでいないのに帝都はこの体たらくだ。妃として献上すれば春華国そのものを揺るがす大混乱に陥るのは目に見えていた筈なのに。
「簡単ですよ。父はわたしが恐ろしくなったんです」
「臣下が魅音様に骨抜きにされてしまうからですか?」
「それもありますが……自分が理性を失うのが、でしょうね」
「理性を失う……あっ!」
分かった。分かってしまった。
西伯候の手に負えなくなったから皇帝に委ねたんだ。
魅音曰く、西伯候は最初のうちは娘である彼女を守っていた。けれど、成長するにつれて次第に彼女を見る目が変わっていった。あろうことか、娘に対する慈愛から、女性に向ける劣情へと。
変貌したのは西伯候だけじゃなかった。兄弟は邪な感情を抱き、姉妹や母は嫉妬する始末。西伯候が口を酸っぱくして厳命してかろうじて抑え込まれていたものの、とうとう当の本人が陥落寸前まで追い込まれた。
やがて我慢しきれなくなった西伯候は実の娘たる魅音の寝室に忍び込み……、
「もう良いです。辛いのでしたらそれ以上説明しなくても……!」
「い……いえ、雪慧様には知っていただきたいんです。これから紅玉宮殿下を守り立てていく同志なんですから」
魅音は青ざめたまま自分を抱きしめて身を震わせた。
わたしは夜鈴に頼んでお茶を用意させた。魅音は震えたままの手で受け取ると一気にあおぐように飲み干した。口元を乱雑に拭う様子すら色気を感じるのだから、恐ろしいものだ。
「幸いにもその時は未遂に終わりました。どうやら父上は理性を総動員して堪えきったみたいでして、私への謝罪と後悔を口にしながら部屋を後にしました」
魅音が帝都に献上されることに決まったのはそれからたった数日後のこと。出発前日の真夜中、もう駄目だと嘆く西伯候の背中はとても小さく見えたんだそうな。
「ですから、もう嫌になったので開き直りました」
「はい?」
「相手が心奪われようと乱れようと知ったことではありません。わたしは相手なんて気にせず、堂々と生きていこう、と」
もはやその美貌は呪いの類。天の定めだとしたら、隠れるのではなく立ち向かう。それは魅音の身勝手ではなく覚悟の表れだった。それがどれほど周りに迷惑をかけようと、人を惑わそうとも。
魅音は後悔の無い在り方を望んだんだ。
「……余計な提案でしたね。お詫びします」
「いえ、紅玉宮妃様のご提案は当然だと思います。反対の立場でしたらわたしだって同じように勧めたでしょうから」
わたしは魅音の決意を尊重した……わけじゃない。単にそれが一番事を荒立てないでしょうと踏んだに過ぎなかった。もはや彼女が姿を見せた段階で皆に与えた影響が甚大で、それ以上の良策がなかっただけだもの。
いっそあのか細い首をこの手で締めてしまおうか? そうすればわたしは暁明様を独り占め出来る上に皆彼女に惑わされずに済む。そんな最悪な手段すら脳裏によぎって、すぐに振り払った。
この時はまだ楽観視していたんでしょうね。美しく整えられた庭も見慣れれば飽きるように、魅音についても日常の一部になって次第に興味を失っていくだろう。この問題は時間が解決してくれる。そんな感じに。
「ん? アレは……青玉宮妃様?」
甘かった、と後悔したのはそれから数日後のことだった。
その日、わたしが夫人方と交流を深めるために外出すると、青玉宮妃が禁軍の衛兵を連れて足早に移動している姿が目に映った。衛兵達は皇帝を守るような精鋭、近衛兵の特徴である赤い鎧兜で武装していたので余計に目立った。
青玉宮妃はそれまで見たこと無かったぐらいに焦っていた。
そんな彼女の方に向かったのは気になったからだけじゃなく、直感に近いものが働いたからか。何にせよわたしは裾をたくし上げて侍女の夜鈴を置き去りに駆け出した。
「おはようございます、青玉宮妃様」
「紅玉宮妃様か。悪いが急いでいる。構っている暇は無い」
「殿方のお勤めが始まっていない朝早くに何事ですか? 貴女様ほどのお方が直々に出向かれるなんて」
「だから貴女様と……いや、もはやそうやりとりしている時間すら惜しい」
わたしは青玉宮妃達の邪魔にならないよう彼女と並走する形で付いていった。
彼女達が足を運んだ先はなんと金剛宮。宮門を守る兵士達が立ちはだかるも、青玉宮妃が懐から出した木簡を確認して道を譲った。青玉宮妃達はすぐさま境内へと踏み込み、金剛宮へと押し入っていった。
金剛宮務めの使用人や女官達は突然の来訪者達に大慌てで、青玉宮妃は木簡を突きつけて左右へと散らしていった。向かった先には覚えがあった。確か皇太子と皇太子妃の寝室や私室がある建屋だったか。
「皇太子妃様、早まっては――!」
戸を叩かず声もかけず、青玉宮妃は無遠慮にも部屋へと押し入った。そして金剛宮の主へと声をかけ……途中で言葉を失った。厳しい訓練を経た一流の近衛兵達も目の前に広がる光景に驚きをあらわにした程だった。
部屋の中では皇太子が皇太子妃に抱き締められていた。
皇太子の顔が皇太子妃の豊満な胸にうずくまっていたけれど、その皇太子妃の胸の周りは朱色に染まっていたではないか。
皇太子の身体は力なく皇太子妃にもたれかかっていて、そんな異常な夫に向けて皇太子妃はまるで子供をあやすような優しい微笑みを浮かべ、頭をなでていた。上手く聞き取れなかったけれど、口ずさんでいたのは子守唄かしら?
床に散乱していたのは朝食と思われ、半分以上が残されていた。銀細工のものと陶器のものが混在していて、陶器に入れられていた汁物がこぼれた先で銀食器が濡れており、鮮やかだった銀色がやや黒ずんでいた。
「ふふっ……。皇太子殿下、愛しております。誰にも渡すものですか」
何も出来ずにいた青玉宮妃一同とわたしを全く意に解することもなく、机の上に残された陶器に手を伸ばし、一気に中のものを飲み干した。我に返った青玉宮妃が飛び出したものの、傍に寄った時には皇太子妃の口からおびただしい血が溢れ出た。
「愛しの旦那様、死後も寂しくないようわたくしがそばにおりますから……――」
手当をする暇もなかった。皇太子妃は既に指一本動かなかった皇太子に覆いかぶさるように倒れ込んだ。青玉宮妃が上体を起き上がらせるけれど、皇太子妃の身体からはまるで大きな人形のように力が完全に抜けていた。
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