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第2-1章 紅玉宮妃→????(新版)
「貴妃様は皇后に勝ち誇りたいようです」
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「紅玉宮妃様。私に何か隠し事をしておりませんこと?」
「隠し事と申されましても、心当たりがございません」
「とぼけないで。青玉宮妃様と示し合わせて私を蚊帳の外に置くとはね」
皇帝と皇后がお住まいになっている皇居までの道中、わたしと翠玉宮妃は最後尾で喋りながら足を進めていた。
前方では徳妃様と貴妃様が遠慮のない雑談を交え、貴妃様付き侍女二名と侍女長方は貴妃様方に話を振られたら受け答えしていた。四名共熟練の方ばかりなので、主が多少危険な発言をしても聞かなかったかのように受け流していた。
わたしは後宮にいた頃の懐かしい衣装に着替え、印象が変わるように若干濃く化粧し、髪型も大胆に変えた。けれど後宮時代を知る貴妃様方には一発でバレた。考えることは一緒ね、と笑って済ませてくれたけれど。
一方の翠玉宮妃様はかなり不満げだった。ふりとはいえ女官になるなんて彼女の誇りが許さなかったからかしら。
正直まさかあの気高く、そして輝いて見えた翠玉宮妃がここまで芋っぽくなるなんて想像すらしていなかった。
笑いを堪えたわたしを褒めてほしい。
「そうは言いましても、青玉宮妃様とわたしが把握している事情なんて翠玉宮妃様は既に伝え聞いているのではないかと」
「いいえ。青玉宮妃様にもお聞きしましたけれど、私に話すことは何も無い、ですって! ああ今思い出しただけでも腹立たしいですわ!」
(青玉宮妃様ぁ! もっと言い方ってものがあるでしょうよ! おかげでこっちまで疑われちゃってるじゃないの!)
思わず心の中で毒づいても当人がその場にいなかった以上は愚痴でしかなかった。
極力そんな内面を出さないよう耐えながら、わたしはいかにも申し訳ありませんって顔をして頭を垂れた。
「でしたらわたしからも話す事はありません。いえ、正確には話せません」
「話せない? 私も貴女様と同じ皇子妃ですわ。不利益だと感じているようでしたら口外しないとお約束しますから」
「……これ以上はお話できません」
「だから――いえ。『話さない』のではなく『話せない』ですのね」
そう、皇帝から直々に命令が下ったため、翠玉宮妃には事情を説明出来ない。かと言って適当にはぐらかしたり言葉を濁したくなかったから、青玉宮妃は単刀直入に拒絶したのでしょう。
翠玉宮妃は深く考え込み、瞳だけをこちらに向けてきた。
「これだけは教えてほしいのですが、私や私の殿下には関係ありますの?」
「あります。単に皇太子殿下がお亡くなりになった以上に深刻だと認識頂ければ」
「……成程。でしたら今回、貴妃様に無理強いされた件はむしろ感謝することになるかもしれませんわね」
「出来ればそうなってほしくないのですが、ね」
それ以外は他愛ない話で盛り上がった。例えば最近季節が変わった感想とか、宮で出される料理とか、最近何にはまっているか、とか。立場が一緒なので話していてとても気楽だったし、有意義な時間を過ごせたと思う。
そうこうしていると、やがて皇居が見えてきた。
宮廷内でも更に厳重な警備がされており、入る前に入念な身体検査が行われた。簪の没収は当たり前、なんと爪が伸びているからと切らされる場合もあったとか。貴妃様と徳妃様はそれを熟知していて、お見舞いの品が無かったのはこのためかと納得した。
案内された皇居の奥、皇后の寝室に皇后は横たわっていた。
わたし達正一品の妃付き侍女は部屋の片隅で待機、貴妃様と徳妃様だけが皇后の傍へと寄っていった。けれど皇后は来客が姿を見せても起き上がろうとせず、顔だけを向けた。
「皇后様。この度、後宮を代表してあたくしと徳妃がお見舞いに参りました」
「……久しいな、貴妃。後宮の皆は元気か?」
「ええ、元気にしておりますとも。ぜひ皇后様もいらしてください。歓迎いたしますから」
「……そうか。それも楽しそうだな」
皇后は思わず悲鳴をあげたくなるほどやつれていた。
頬の肉は削げ落ち、目の下にはくまが刻まれ、首筋は枯れ木のよう。はっきり言うと生気を全く感じず、次に寝たら永久に目覚めないのでは、と心配になってくる程衰弱していたのだ。
「何か元気が付くものをお見舞いの品として持参出来れば良かったのですが、この厳戒態勢ですからね。また今後の機会に致しましょう」
「皇后様。皆が貴女様の復帰を待ち望んでいます。嘆く気持ちは分かりますが、何卒気力を奮い立たせてください」
「……貴妃は相変わらず優しいな。徳妃も変わりなく厳しくて何よりだ。嗚呼、とても懐かしい」
皇后方は昔話に花を咲かせた。例えば皇帝に即位したばかりの頃は皇后を定まっていなかった。男子を乳離れする程度に育てた妃を次の皇后とすると決められたせいで当時の後宮は陰謀渦巻き、地獄同然だった。三人が一眼となって勝ち抜いた。等。
「幾人も子を失った。結局無事成長した我が子は皇太子となったあの子だけだったが……もう私には何も残されていない」
皇后の目から涙が垂れ、枕を濡らした。声は震え、遠くにいたわたしにもその悲しみが伝わってきた。皇后は袖で涙を拭い……二人の妃を見据えた。
「……だが、ようやく悟ったぞ。私はまだ死ぬわけにはいかない」
「そのお気持ちが大事です。生きていればこの不幸と釣り合う幸運も舞い込むかもしれませんもの」
「幸運などもう私には必要ない。これからの私は復讐のみに生きる」
あまりに物騒な発言に動揺が広がった。わたしや翠玉宮妃はおろか、各侍女達や近衛兵までもが驚いた様子だった。
「復讐、と申されましたが、あたくし共は皇太子妃様が皇太子殿下と無理心中した、としか聞かされていませんが?」
「その皇太子妃を唆し、危機感を煽り、毒を準備した輩がいたのだ。事もあろうに其奴は太上皇后のためだとぬかしおった……!」
まさかの爆弾発言に一同騒然となった。
翠玉宮妃が思わずこちらを見つめてきたので、わたしは気づかないふりをしつつ視線を反らした。だって皇后が口を滑らせるなんて想定外だもの。わたしは悪くない。
「皇太后様は危惧されていた。私、または次の代で必ずや太上皇后のような女狐、傾国の類が現れ、宮廷に混乱を招くだろう、とな」
「それが西伯候の娘の到来で確信に変わった、と」
「あの者が女狐かは分からぬが、太上皇后を慕っていた者共にとってはそれが合図だったのだろう。次に現れる女狐の為に凶行を働くとは予測出来ていたが……力が足らなかったわ」
「つまり、復讐の相手とはまさか、本当に再来するかも分からない女狐ですか?」
皇后は笑った。そんな弱った身体のどこから絞り出したんだと疑問に思うぐらい大きく、高らかに。
皇后付き侍女は怯え、翠玉宮妃は悲鳴を懸命に堪え、わたしも恐怖を覚えて自分で自分を抱き締めた。
そして皇后は笑ったまま二人の正一品の妃を今一度見つめた。
その瞳に宿っていたのは……狂気、そして執念だった。
「春華国の歴史上度々現れる女狐めの特徴はどれも同じだ。皇太子以外の皇子の妃となり、皇太子を謀殺し、次の皇后にまで上り詰め、実権を握る。我が息子はその陰謀に巻き込まれて殺されたのだ!」
「お待ち下さい皇后様。今はまだ断定出来ませんよ。太上皇后様を慕う方々が勝手に思い込んで暴走している可能性もあるではありませんか」
「手緩い! 手始めに太上皇后に絶対の忠誠を誓っていた老輩を拷問にかけたが、彼奴らもまだどの娘が次の女狐なのか分からないようだな」
一体何をしているんだ、と内心で批判した。青玉宮妃から調査の権限を取り上げておいてやったのが拷問だなんて。これでは罪を犯していない、そして無関係の者まで犠牲になりかねない。
こんなのはもはや暴走だ。
「だがもう良い。残った皇子達の妃は数多いが、いずれ皇后となれる者は限られる。該当者は各皇子の正妃四名とあの傾国の娘だけだったな」
「皇后様、まさか――」
「そのまさかだ! 皇子妃共を血祭りにあげ、我が息子の墓前に捧げてくれよう!」
この皇后、なんて恐ろしいことを企んでいるんだ。疑わしきを全て葬り去るつもりか。
例えわたし達に何の罪がなくても皇后が黒だと断じてしまえばもはや異を唱える者はいない。実質、これは死刑宣告も同然だった。
「そ、んな……!」
たまらず愕然とした翠玉宮妃だったが、その反応は実にまずかった。
慌てて貴妃様付き侍女が彼女に声をかけるも時既に遅し。青ざめて体を震わせる翠玉宮妃へと皇后がその眼を向けた。さながら、獲物を見つけた肉食獣のように。
「飛んで火に入る夏の虫とは貴様の事だなぁ翠玉宮妃よ。それからよくよく見ればそっちの娘は紅玉宮妃だったか?」
「ひ、ぃ……! お、お慈悲を……!」
悲鳴をあげて後ずさる翠玉宮妃は無情にも部屋の壁に背中がぶつかった。わたしは彼女をかばうように前に立ちはだかった。
素早く周囲に視線を走らせ、どうこの場を切り抜けるかを頭を全力で回転させて考え……単独ならともかく徳妃様達を守っての脱出は極めて困難と結論づけた。
「丁度いい。我が息子の敵め。皆の者、皇后として命ずる……!」
「お止めください皇后様! 命じたら最後、取り返しのつかないことになります!」
「黙れ! その小娘共を討ち取るのだッ!」
貴妃様の制止にも聞く耳を持たず、皇后は命令を下した。
身構えるわたし、怯える翠玉宮妃。他にも各々が様々な反応を示した。
けれど……近衛兵は誰一人として動こうとしなかった。
「な……何故だ!? どうして動かぬ」
「ふ……ふふふっ、あっはははは!」
狼狽える皇后を尻目に突然笑い出したのは貴妃様だった。腹を抱えるほどの大笑いをするなんて初めて見る光景がとても異様だった。
更に、皇后を見下ろす貴妃様は、勝ち誇ったように口角を釣り上げていた。
「だから言ったじゃないの。取り返しがつかなくなる、ってね」
「はあ、貴妃様は相変わらず恐ろしい女じゃのう」
皇后を含めて混乱する一同を余所に、徳妃様だけが呆れたようにため息を漏らした。
この構図からも誰が勝利者なのかは明らかだった。
「一から説明してほしい? 皇太子殿下を失った皇后様はもう価値なんて無いんですって。いずれ皇帝になる皇子から正妃を奪おうだなんて許されるわけないでしょう」
「補足するとじゃな、妾も貴妃様も寝床で皇帝陛下に願ったわけだな。明確な根拠もなく皇子妃達を葬ろうとするのなら、皇后から禁軍や近衛兵への命令権を取り上げてほしい、とな」
徳妃様は懐から書面を取り出して皇后へと突きつけた。途端に皇后の顔色が白くなる。
皇后が手を伸ばして書面を掴もうとするので徳妃様は慌てて懐へとしまい直した。尤も、奪って破り捨てたところで貴妃様も似たような許しを得ている段階で詰んでいる。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ! お前達、私を謀っているのだろう! 恐れ多くも陛下のお言葉をでっち上げおって!」
「どうして? 単に陛下が天秤にかけただけでしょう。皇太子殿下の無念を晴らすのが先決か、次の世代までに事態を落ち着かせるか、をね」
「あの方は皇后様や妾達が愛する男としてではなく、この春華国を統べる君主として決断を下したまで。それが分からぬ貴女様ではあるまい」
「そんな筈はない! 陛下が私を大切に思ってくださっているなら私の願いを最優先に聞き届けてくれるのに……!」
皇后は髪を振り乱して現実を受け入れようとしない。
貴妃様も徳妃様もそんな皇后に憐れみをふんだんに込めた眼差しを送った。二人は一瞬視線を交え、皇后の許しを得ないまま踵を返した。
「陛下ぁ……。私は、私、は……」
「皇后様、貴女は疲れているのよ。これは友人としての意見だけれど、隠居とまでは行き過ぎだけれど、しばらくの静養をお勧めするわ」
「そう焦らずとも陛下がじきに次の女狐を捕らえてくれる。それまで暴走せずに辛抱するがよかろう」
貴妃様も徳妃様も用は済んだとばかりに部屋を後にした。九死に一生を得たわたしや翠玉宮妃は大人しく彼女らに従って退室する他無かった。安心して腰が抜けたのか、わたしが翠玉宮妃に肩を貸す形になったのは余談だ。
「……で、徳妃様。皇后様はどうだと思う?」
「息子娘を尽く奪われた時も皇太子殿下が存命だったからこそ立ち直れたんだったな。今回は……望み薄じゃろうな」
「残念ね。彼女が皇太后に即位したらお疲れさまでしたって盛大に祝おうかと思っていたのに」
「全くだ。天も意地悪なことをなさる」
帰り道でこのように話す貴妃様と徳妃様ではあったけれど、二人共あくまで皇后個人は案じていたものの、皇后という立場の女性に向けてはちっとも情を向けてはいなかった。むしろ、厄介者が脱落した、とばかりに喜んですらいたようだった。
「これで次はあたくしの青玉宮かしらね」
「分からぬぞ。妾の紅玉宮かもしれぬ」
それを物語るように、二人の妃は未来を見据えていた。
――皇后が自ら命を絶ったのはそれから数日後のことだった。
「隠し事と申されましても、心当たりがございません」
「とぼけないで。青玉宮妃様と示し合わせて私を蚊帳の外に置くとはね」
皇帝と皇后がお住まいになっている皇居までの道中、わたしと翠玉宮妃は最後尾で喋りながら足を進めていた。
前方では徳妃様と貴妃様が遠慮のない雑談を交え、貴妃様付き侍女二名と侍女長方は貴妃様方に話を振られたら受け答えしていた。四名共熟練の方ばかりなので、主が多少危険な発言をしても聞かなかったかのように受け流していた。
わたしは後宮にいた頃の懐かしい衣装に着替え、印象が変わるように若干濃く化粧し、髪型も大胆に変えた。けれど後宮時代を知る貴妃様方には一発でバレた。考えることは一緒ね、と笑って済ませてくれたけれど。
一方の翠玉宮妃様はかなり不満げだった。ふりとはいえ女官になるなんて彼女の誇りが許さなかったからかしら。
正直まさかあの気高く、そして輝いて見えた翠玉宮妃がここまで芋っぽくなるなんて想像すらしていなかった。
笑いを堪えたわたしを褒めてほしい。
「そうは言いましても、青玉宮妃様とわたしが把握している事情なんて翠玉宮妃様は既に伝え聞いているのではないかと」
「いいえ。青玉宮妃様にもお聞きしましたけれど、私に話すことは何も無い、ですって! ああ今思い出しただけでも腹立たしいですわ!」
(青玉宮妃様ぁ! もっと言い方ってものがあるでしょうよ! おかげでこっちまで疑われちゃってるじゃないの!)
思わず心の中で毒づいても当人がその場にいなかった以上は愚痴でしかなかった。
極力そんな内面を出さないよう耐えながら、わたしはいかにも申し訳ありませんって顔をして頭を垂れた。
「でしたらわたしからも話す事はありません。いえ、正確には話せません」
「話せない? 私も貴女様と同じ皇子妃ですわ。不利益だと感じているようでしたら口外しないとお約束しますから」
「……これ以上はお話できません」
「だから――いえ。『話さない』のではなく『話せない』ですのね」
そう、皇帝から直々に命令が下ったため、翠玉宮妃には事情を説明出来ない。かと言って適当にはぐらかしたり言葉を濁したくなかったから、青玉宮妃は単刀直入に拒絶したのでしょう。
翠玉宮妃は深く考え込み、瞳だけをこちらに向けてきた。
「これだけは教えてほしいのですが、私や私の殿下には関係ありますの?」
「あります。単に皇太子殿下がお亡くなりになった以上に深刻だと認識頂ければ」
「……成程。でしたら今回、貴妃様に無理強いされた件はむしろ感謝することになるかもしれませんわね」
「出来ればそうなってほしくないのですが、ね」
それ以外は他愛ない話で盛り上がった。例えば最近季節が変わった感想とか、宮で出される料理とか、最近何にはまっているか、とか。立場が一緒なので話していてとても気楽だったし、有意義な時間を過ごせたと思う。
そうこうしていると、やがて皇居が見えてきた。
宮廷内でも更に厳重な警備がされており、入る前に入念な身体検査が行われた。簪の没収は当たり前、なんと爪が伸びているからと切らされる場合もあったとか。貴妃様と徳妃様はそれを熟知していて、お見舞いの品が無かったのはこのためかと納得した。
案内された皇居の奥、皇后の寝室に皇后は横たわっていた。
わたし達正一品の妃付き侍女は部屋の片隅で待機、貴妃様と徳妃様だけが皇后の傍へと寄っていった。けれど皇后は来客が姿を見せても起き上がろうとせず、顔だけを向けた。
「皇后様。この度、後宮を代表してあたくしと徳妃がお見舞いに参りました」
「……久しいな、貴妃。後宮の皆は元気か?」
「ええ、元気にしておりますとも。ぜひ皇后様もいらしてください。歓迎いたしますから」
「……そうか。それも楽しそうだな」
皇后は思わず悲鳴をあげたくなるほどやつれていた。
頬の肉は削げ落ち、目の下にはくまが刻まれ、首筋は枯れ木のよう。はっきり言うと生気を全く感じず、次に寝たら永久に目覚めないのでは、と心配になってくる程衰弱していたのだ。
「何か元気が付くものをお見舞いの品として持参出来れば良かったのですが、この厳戒態勢ですからね。また今後の機会に致しましょう」
「皇后様。皆が貴女様の復帰を待ち望んでいます。嘆く気持ちは分かりますが、何卒気力を奮い立たせてください」
「……貴妃は相変わらず優しいな。徳妃も変わりなく厳しくて何よりだ。嗚呼、とても懐かしい」
皇后方は昔話に花を咲かせた。例えば皇帝に即位したばかりの頃は皇后を定まっていなかった。男子を乳離れする程度に育てた妃を次の皇后とすると決められたせいで当時の後宮は陰謀渦巻き、地獄同然だった。三人が一眼となって勝ち抜いた。等。
「幾人も子を失った。結局無事成長した我が子は皇太子となったあの子だけだったが……もう私には何も残されていない」
皇后の目から涙が垂れ、枕を濡らした。声は震え、遠くにいたわたしにもその悲しみが伝わってきた。皇后は袖で涙を拭い……二人の妃を見据えた。
「……だが、ようやく悟ったぞ。私はまだ死ぬわけにはいかない」
「そのお気持ちが大事です。生きていればこの不幸と釣り合う幸運も舞い込むかもしれませんもの」
「幸運などもう私には必要ない。これからの私は復讐のみに生きる」
あまりに物騒な発言に動揺が広がった。わたしや翠玉宮妃はおろか、各侍女達や近衛兵までもが驚いた様子だった。
「復讐、と申されましたが、あたくし共は皇太子妃様が皇太子殿下と無理心中した、としか聞かされていませんが?」
「その皇太子妃を唆し、危機感を煽り、毒を準備した輩がいたのだ。事もあろうに其奴は太上皇后のためだとぬかしおった……!」
まさかの爆弾発言に一同騒然となった。
翠玉宮妃が思わずこちらを見つめてきたので、わたしは気づかないふりをしつつ視線を反らした。だって皇后が口を滑らせるなんて想定外だもの。わたしは悪くない。
「皇太后様は危惧されていた。私、または次の代で必ずや太上皇后のような女狐、傾国の類が現れ、宮廷に混乱を招くだろう、とな」
「それが西伯候の娘の到来で確信に変わった、と」
「あの者が女狐かは分からぬが、太上皇后を慕っていた者共にとってはそれが合図だったのだろう。次に現れる女狐の為に凶行を働くとは予測出来ていたが……力が足らなかったわ」
「つまり、復讐の相手とはまさか、本当に再来するかも分からない女狐ですか?」
皇后は笑った。そんな弱った身体のどこから絞り出したんだと疑問に思うぐらい大きく、高らかに。
皇后付き侍女は怯え、翠玉宮妃は悲鳴を懸命に堪え、わたしも恐怖を覚えて自分で自分を抱き締めた。
そして皇后は笑ったまま二人の正一品の妃を今一度見つめた。
その瞳に宿っていたのは……狂気、そして執念だった。
「春華国の歴史上度々現れる女狐めの特徴はどれも同じだ。皇太子以外の皇子の妃となり、皇太子を謀殺し、次の皇后にまで上り詰め、実権を握る。我が息子はその陰謀に巻き込まれて殺されたのだ!」
「お待ち下さい皇后様。今はまだ断定出来ませんよ。太上皇后様を慕う方々が勝手に思い込んで暴走している可能性もあるではありませんか」
「手緩い! 手始めに太上皇后に絶対の忠誠を誓っていた老輩を拷問にかけたが、彼奴らもまだどの娘が次の女狐なのか分からないようだな」
一体何をしているんだ、と内心で批判した。青玉宮妃から調査の権限を取り上げておいてやったのが拷問だなんて。これでは罪を犯していない、そして無関係の者まで犠牲になりかねない。
こんなのはもはや暴走だ。
「だがもう良い。残った皇子達の妃は数多いが、いずれ皇后となれる者は限られる。該当者は各皇子の正妃四名とあの傾国の娘だけだったな」
「皇后様、まさか――」
「そのまさかだ! 皇子妃共を血祭りにあげ、我が息子の墓前に捧げてくれよう!」
この皇后、なんて恐ろしいことを企んでいるんだ。疑わしきを全て葬り去るつもりか。
例えわたし達に何の罪がなくても皇后が黒だと断じてしまえばもはや異を唱える者はいない。実質、これは死刑宣告も同然だった。
「そ、んな……!」
たまらず愕然とした翠玉宮妃だったが、その反応は実にまずかった。
慌てて貴妃様付き侍女が彼女に声をかけるも時既に遅し。青ざめて体を震わせる翠玉宮妃へと皇后がその眼を向けた。さながら、獲物を見つけた肉食獣のように。
「飛んで火に入る夏の虫とは貴様の事だなぁ翠玉宮妃よ。それからよくよく見ればそっちの娘は紅玉宮妃だったか?」
「ひ、ぃ……! お、お慈悲を……!」
悲鳴をあげて後ずさる翠玉宮妃は無情にも部屋の壁に背中がぶつかった。わたしは彼女をかばうように前に立ちはだかった。
素早く周囲に視線を走らせ、どうこの場を切り抜けるかを頭を全力で回転させて考え……単独ならともかく徳妃様達を守っての脱出は極めて困難と結論づけた。
「丁度いい。我が息子の敵め。皆の者、皇后として命ずる……!」
「お止めください皇后様! 命じたら最後、取り返しのつかないことになります!」
「黙れ! その小娘共を討ち取るのだッ!」
貴妃様の制止にも聞く耳を持たず、皇后は命令を下した。
身構えるわたし、怯える翠玉宮妃。他にも各々が様々な反応を示した。
けれど……近衛兵は誰一人として動こうとしなかった。
「な……何故だ!? どうして動かぬ」
「ふ……ふふふっ、あっはははは!」
狼狽える皇后を尻目に突然笑い出したのは貴妃様だった。腹を抱えるほどの大笑いをするなんて初めて見る光景がとても異様だった。
更に、皇后を見下ろす貴妃様は、勝ち誇ったように口角を釣り上げていた。
「だから言ったじゃないの。取り返しがつかなくなる、ってね」
「はあ、貴妃様は相変わらず恐ろしい女じゃのう」
皇后を含めて混乱する一同を余所に、徳妃様だけが呆れたようにため息を漏らした。
この構図からも誰が勝利者なのかは明らかだった。
「一から説明してほしい? 皇太子殿下を失った皇后様はもう価値なんて無いんですって。いずれ皇帝になる皇子から正妃を奪おうだなんて許されるわけないでしょう」
「補足するとじゃな、妾も貴妃様も寝床で皇帝陛下に願ったわけだな。明確な根拠もなく皇子妃達を葬ろうとするのなら、皇后から禁軍や近衛兵への命令権を取り上げてほしい、とな」
徳妃様は懐から書面を取り出して皇后へと突きつけた。途端に皇后の顔色が白くなる。
皇后が手を伸ばして書面を掴もうとするので徳妃様は慌てて懐へとしまい直した。尤も、奪って破り捨てたところで貴妃様も似たような許しを得ている段階で詰んでいる。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ! お前達、私を謀っているのだろう! 恐れ多くも陛下のお言葉をでっち上げおって!」
「どうして? 単に陛下が天秤にかけただけでしょう。皇太子殿下の無念を晴らすのが先決か、次の世代までに事態を落ち着かせるか、をね」
「あの方は皇后様や妾達が愛する男としてではなく、この春華国を統べる君主として決断を下したまで。それが分からぬ貴女様ではあるまい」
「そんな筈はない! 陛下が私を大切に思ってくださっているなら私の願いを最優先に聞き届けてくれるのに……!」
皇后は髪を振り乱して現実を受け入れようとしない。
貴妃様も徳妃様もそんな皇后に憐れみをふんだんに込めた眼差しを送った。二人は一瞬視線を交え、皇后の許しを得ないまま踵を返した。
「陛下ぁ……。私は、私、は……」
「皇后様、貴女は疲れているのよ。これは友人としての意見だけれど、隠居とまでは行き過ぎだけれど、しばらくの静養をお勧めするわ」
「そう焦らずとも陛下がじきに次の女狐を捕らえてくれる。それまで暴走せずに辛抱するがよかろう」
貴妃様も徳妃様も用は済んだとばかりに部屋を後にした。九死に一生を得たわたしや翠玉宮妃は大人しく彼女らに従って退室する他無かった。安心して腰が抜けたのか、わたしが翠玉宮妃に肩を貸す形になったのは余談だ。
「……で、徳妃様。皇后様はどうだと思う?」
「息子娘を尽く奪われた時も皇太子殿下が存命だったからこそ立ち直れたんだったな。今回は……望み薄じゃろうな」
「残念ね。彼女が皇太后に即位したらお疲れさまでしたって盛大に祝おうかと思っていたのに」
「全くだ。天も意地悪なことをなさる」
帰り道でこのように話す貴妃様と徳妃様ではあったけれど、二人共あくまで皇后個人は案じていたものの、皇后という立場の女性に向けてはちっとも情を向けてはいなかった。むしろ、厄介者が脱落した、とばかりに喜んですらいたようだった。
「これで次はあたくしの青玉宮かしらね」
「分からぬぞ。妾の紅玉宮かもしれぬ」
それを物語るように、二人の妃は未来を見据えていた。
――皇后が自ら命を絶ったのはそれから数日後のことだった。
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