歌舞伎役者に恋をしました。

野咲

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第5章

あいさつ回り

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 ホテルのバーは照明を落として、街の灯りが反射してとてもきれいだった。
 ちょっと雰囲気が良すぎだ、と綾之助は思った。先にチェックインを済ませた拓真は、さっきから無言のままホテルの部屋のキーを片手で弄んでいる。それがなにか綾之助を落ち着かない気持ちにさせた。
「二人きりの食事にはついていかないんじゃなかったんですか。それとも、これは飲みだからアリ?」
 感情の読めない声で拓真が言った。
「それは……あなたが、主人のご贔屓だからです」
「あなたのご贔屓になったらこういうのもアリ?」
 真面目な顔で真っ直ぐに見つめられて、綾之助はすぐには返事できなかった。
「すみません。意地悪なこと言いました」
 ふっと目をそらして、拓真は酒を飲んだ。
「正直に言うと、すごく今、僕は混乱しているんです。あなたに言われたから、僕はあなたとは距離を取って付き合わなければならないと思ってやってきたのに。僕が必要になったら突然、こんな風に二人で会えるようになる。あなたにとって、僕はなんなんだろうって」
 綾之助は、何一つ気の利いた返事を思いつかず、黙り込んでしまった。
「こんなこと言われても困りますよね。すみません」
 確かに、自分たちの言っていることは勝手が過ぎると思う。ご贔屓という制度にまだ馴染みの薄い拓真ならばなおさらだろう。
「さっきははっきりとは言えなかったけれど、僕はあなたの後援会には入らない。本当のことを言うと、相模屋の後援会にも、居たくはない。こういうのに僕は向いていないと思うんです。ご贔屓として付き合えば付き合うほど、あなたという人が分からなくなる」
 相変わらず部屋のキーを弄ぶ拓真の手元を、綾之助はじっと眺めていた。
「あなたと普通に出会えていたら、と時々考えています」
「それは、」
 うちかて。
 あなたが主人のご贔屓でなかったなら、と思っていた。口から飛び出しそうなその言葉を綾之助は結局言葉にできず、拓真から多すぎるタクシー代をもらって帰った。
 そんなところだけ本当にご贔屓らしくて、綾之助はとても悲しくなった。

 中日に専務が劇場に来て、応接室に呼び出された。
「愛する会の会長さんともお話してな、五月には襲名の発表をして、そのままの流れで七月を迎えるというのがきれいやろう、ということになった。会長さんも大喜び。せやからもう、急ピッチで根回しせなあかん」
 愛する会というのは七月の大阪大歌舞伎の主催者である。
「そんな、早いもんなんですか」
「だって、これ逃したら次は十〇月やで。年末はちょっとなあ」
 関西での興行前にこだわっているらしい。確かに、顔見世前は綾之助も気が引けた。
「根回し終わったら、記者会見しよか」
 果たして自分に記者会見して記者を集められるほどの知名度と人気があるだろうか? と綾之助は思った。
「需要あるんですか」
「関西の記者は飛びつくで」
「そうでしょうか」
 綾之助は小首をかしげる。半信半疑だった。
「襲名を発表して、それが話題になるやろ。まだ七月は襲名披露ではないけれど、みんな綾之助を観に来るやろ。そして七月大歌舞伎は賑賑しく千秋楽を迎え、襲名披露公演は来年の、そうやな、正月の竹田座でいけるやろ」
 いざ具体的なスケジュールを切られると、綾之助は抑えきれない不安を覚えた。そもそも、襲名にかかるお金もどこから調達するのかちゃんと決まっていない。結局葦嶋からは、正式に立花屋の後援を断る旨の返事が来ていた。
「綾ちゃん、なに言われても、何されても、毅然としてたらええねやからな」
「……はい」
 その専務のことばが、綾之助の心をさらに曇らせた。そんなことを言うということは、綾之助の襲名をゴリ押ししている専務もなにか言われているのではないのだろうか。

 しかし、思い悩んでいる暇などない。唐突に綾之助の身辺はバタバタとし始めた。とりあえず、綾之助の父親の仕事関係の人がお金を出してくれることになって、綾之助は挨拶回りに必要な品々を揃え、命じられるままに挨拶に回った。
 総じて東京の役者は好意的だった。あまり自分に関係ないからである。
 初代芳沢杜若は、西鶴の小説にも名が出てくるほど元禄時代に大坂で人気を博した役者だが、上方の名跡によくあるように長らく絶えていた名跡だ。当代杜若は上方ではかかせない脇役で、上方の歌舞伎ファンなら知らぬ人はいないだろうが、東京で通用する名前ではない。
 杜若、綾之助と二代続けて相模屋の弟子筋が襲名したことで、立花屋は相模屋の分家筋のような性格が出てしまったため、東京からすると、相模屋の弟子が一人新たに幹部に昇進した、くらいの思いしかない。ちょっと若すぎるんじゃないか、くらいのことは言われたが、上方に役者が足りないことも知っているので、だいたいは納得してくれた。
 むしろ問題なのは、地元・上方の役者たちだった。
 相模屋は長く続いてきた上方の大名跡であるし、先代、当代ともに弟子の育成にも熱心で、戦後の上方歌舞伎を支えてきたのは相模屋だといっても過言ではない。
 だが、目立ちすぎた。
 立花屋の名跡を二代続けて相模屋の弟子が継ぐのは、相模屋の勢力拡大と受け取られても仕方がなかった。

「うう、胃が痛いです」
「なにを弱気になっとんの」
 何軒かの上方系の家を回って、ちくちくと釘をさされて、綾之助の心はボロボロだった。
「すごい、緊張してます」
 なんと言っても、今日伺うのは大竹宗家である。戦前の大阪で絶対的スターだった大竹音右衛門家。居住は東京に移っても、相模屋と並ぶ上方の大看板であることに変わりはない。
「帰りたいです」
「あなた、緊張するとよう喋るねえ」
 紋司郎が感心したように言う。
「心配せんでも、音右衛門兄さんは杜若さんのこと好きやから大丈夫や」
「杜若さんがお好きでも、別にうちのことはお好きやないでしょう」
「そやなあ。あなたのことは、なんとも思てはらへんやろなあ」
「それやったら、大丈夫ちゃいますよ」
「いけるいける」
 なんの根拠もない紋司郎の後押しを受けて、綾之助は大竹の門をくぐった。

 病気で挨拶に来れない杜若に代わって、紋司郎が挨拶を述べる。大竹音右衛門は真面目な面持ちでじっとそれを聞いていた。
(表情に出さはらへんから、どう思ってはるか分からん)
 音右衛門が、息子の三也から綾之助のことをどう聞いているのかも気になった。ええようには言うてはらへんはずや。うちのこと、どう思ってはるんやろう。
「綾之助くん、この間は三也がお世話になりました」
「い、いえ。こちらこそ」
 紋司郎の挨拶が終わると、音右衛門が口を開いた。
「芝居というのは、脇の役者が巧いと、芯の役者が多少足らん奴でも、当代一の役者に見えたりするもんです。私も杜若さんには、よう助けてもらいました」
「いややわ、兄さん。兄さんは若い時からそりゃもうええ役者さんでしたえ」
 紋司郎がしなを作って言う。この人はもう何年もあまり女方を演じていないが、昔は音右衛門の相手役をよく務めていたので、音右衛門の前だとややたおやかな印象になる。
「そんなことあらへん。若いうちは誰でも、しょうもない演技もしてまうもんや。せやから、六代目杜若さんの襲名披露狂言の時には、私も及ばずながら、支えさしてもらいたいと思います」
 綾之助はびっくりしてしまって、お礼を言うタイミングを逃してしまった。
「えぇ! それはマア、願ってもないほどありがたいお話ですけれど」
 代わりに紋司郎が声を上げた。
「こういうのは持ちつ持たれつや。綾之助くん、よう精進して、いつかウチのんを支えてやってください」
 そう言って、大竹宗家は、綾之助にきっちり頭を下げた。
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