僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい

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マシューの秘密

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 マシューがそのまま立ち竦んでいると、ギルバートは立ち上がり、部屋の右側にあるソファーに腰をかけた。
 
「さて……リュート。ゆっくり話そうか」
 
 若干声に柔らかさが混ざったように感じる。だが表情は硬く、あの濃い青色の目の感情は読めない。
 
「…………」
「薬はどこから手に入れた?」
「…………」
「先ほど、言おうとしていなかったか?」
「それは……ですが、答えると迷惑をかけてしまう人がいて」
 
 ギルバートの視線がマシューの左腕に向いたのは気のせいか。
「国王代理である、俺の命令が聞けないとでも? 国王陛下に対する不敬だぞ」
 
 マシューはそれでも口を噤む。
 どうしたら……少しだけ話して納得してもらえる感じではない。おそらく全て話さないといけなくなる。ローレルのことは? 信じてもらえるはずがないし……
 
「仕方がない、訊き方を変えよう。迷惑をかけると思っている相手は、平民街にある診療所のハロルド医師、そうだな?」
 
 ――見抜かれている。
 
「…………はい」
「侯爵子息で王国軍所属のお前が、なぜ平民街にあるあの診療所を知っている?」
「それは――衛生部に変更になった後、勤務のために少し調べた時に知りました」
 
 ギルバートは相変わらず、凍てつく氷のようでもあり闇夜のようでもある青い瞳でマシューを注視している。 
 どうにか納得してもらえたか……マシューはそう期待しながら、ギルバートからの視線を受け止めつつ立っている。今までの経験もあり震えは辛うじて抑えられているが、できることなら今すぐここから逃げ出したい気持ちだ。

 
 少しの沈黙の後、ギルバートが口を開いた。
 
「ハロルドは平民には人当たりが良い医者との評判だが、実際は相当に偏屈な人物だ。普通に頼んでも貴重な薬草をくれはしない。ましてや相手が貴族なら尚更だ。だが、どうしてお前は短時間で持って来れたのだ?」
「それは……誤爆事故が起きて薬が足りないと説明したら――くれました」
「貴族を心底嫌っている男だ。緊急事態だからと、そんな理由で平民のための薬を貴族にくれるような男ではない」
 
 マシューの願いも虚しく、ギルバートはハリーの性格を見抜いているようだ。
 何て答えようと必死に考えるマシューの焦りは、聡いギルバートには簡単に伝わっているだろう。
 ギルバートが深いため息をついた。それからマシューの目を真っすぐ見つめる。
 
「あの医者は、平民街ではハリーとしか名乗っていない。衛生部勤務のために調べたぐらいではハロルドという名前までたどり着かないはずだ。だのに先ほどから俺がハロルドと言っているのに、お前が何も驚いていないのは――なぜかな?」
「あっ…………」
 
 ギルバートはマシューの反応を楽しむような目で、相変わらず視線を逸らさない。だが、濃い青色の中に歓喜の色が少しずつ混ざり、段々と輝きを増しているように見える。
  
「お前は元々ハリーと知り合いだからだろ。ハロルドの名を知るくらい親密に。貴族嫌いのハリーがお前と交流を持つということは何か理由がある。それを答えろ」
「理由なんて……ただハリーは人を助ける医者で優しいので……」
 
 マシューがそう言うと、突然ギルバートが声をあげて笑いだした。マシューは目を丸くしてギルバートを見る。
 
「以前訓練場でお前を見かけた時はもっと冷静で賢い思っていたのだが、印象と違うな」
 
 マシューはからかわれたと思い、顔を赤くして下に向けた。
 
「以前って……?」
「ああ、あれは――二年くらい前だったか。平民街にある訓練場でだ。卓越した剣の腕前で――どんな屈強な猛者かと思ったら、思わず目を見張るほどの眉目秀麗な青年で驚いたぞ」
 
 意外だった。
 フィルが僕のこと知っていたなんて――
 マシューはどういう対応をして良いか分からず、返事ができない。
 
「それで先ほどの質問だが、肯定で良いんだな?」
「……はい、そうです」
 
 ごまかすことは無理だと思い、素直に答えた。ローレルのことを信じてもらえるかは分からないが、どう考えてもフィルは殺した犯人では無い。こちらの手札を見せた方がむしろ話が早いだろう。
 
「なぜハリーと繋がりがある。お前が今日上官の命令を破って抜けた件、薬のおかげで助かった隊員もいるし正直に話せば処分はしない」
「それは――」

 
 どうやって切り出そうか考えようとするが、頭の中を不安がぐるぐると回っているだけで何も答えは出ず、マシューは緊張のあまり息をすることも儘ならず、不覚ながら倒れそうになった。
 するとギルバートが立ち上がってマシューを支えてくれ、そのままマシューの腰に手を回しながらソファーの自分の横に座らせてしまった。背中を優しく撫でている大きな手の温もりを感じ、マシューは今まで詰めていた息を吐き出し、鼓動がだんだんと落ち着いてくる。
 だが、我に返って王太子殿下に大変なことをさせていることに気が付いた。
 
「王太子殿下っ……いけません。こんなことを――」
「ここにいるのは俺とお前の二人だけだ、咎めるものはいないぞ」
「ですが――」
 
 マシューは体を横にずらしてギルバートの手から離れ、ギルバートの方に顔を向けた。圧倒的な存在感と美貌、そして冷徹な青い瞳――王族として生まれた者が持つ、自然とひれ伏したくなる雰囲気を纏っている。
 マシューも外見を褒められることが多いが、どちらかと言えば中性的な美しさだ。 
 あ、また左腕が熱い。
 マシューは思わず自分に付けられた、袖の下にある『印』に目を向けてしまった。当然ながら、その視線の動きをフィルは見逃さない。
  
「少し落ち着いたようだな。話を戻そう。ハリーとの関係について教えてくれ」
 
 頭の中を整理するため沈黙している間、ギルバートは何も言わずマシューが話し出すのを待ってくれた。マシューより二歳年下だが、この完璧と崇められているギルバートからすれば、子供が悪戯を親に叱られて言い訳を考えるのと同じようなものなのかもしれない。
 
 マシューはゆっくりと頭をあげ、ギルバートに向かい合う。
 
「殿下……恐れながら……申し上げます。発端は――最近噂されている隣国ダリス王国の問題でした――」


 マシューは、父親が宰相であるため情報を得やすいこと、ダリス国内に生息し始めた草について偶然知ったこと、調べるために可能性のありそうな平民街の診療所に近づいたこと、自分の体調が悪いから少し勉強したいと頼み込んだことなどを説明した。
 経緯については曖昧に話したのは、ローレルの記憶のことを言わないためだ。

 だが、それはすでに以前と同じ理由ではないことをマシューは薄々感じていたが、心に浮かんでくる気持ちを認めることはせずに蓋をし、『どうせ信じてもらえないから』と自分を無理やり納得させる。
 マシューが話している間、ギルバートは何も尋ねたりせず、話し終えても考え込んでいる様子だ。

 ギルバートの右手はマシューの左足の上に置かれている。それに気が付いたマシューは、そこが体温を感じ、熱を帯びているのが分かった。

『左腕の内側』ではなく『左足の上』が。
 
 ローレルには決して触れなかったフィル。マシューの心が痛む。
 長い沈黙を経て、ギルバートがゆっくりと口を開いた。

「…………ハリーの診療所で使っている薬草を作っていた人がいた。知っているか」

 それはいつも冷静沈着な王太子と思えぬ威厳を無くした声で、微かに震えている。
 泣いているのかとマシューは感じ、草を思わせる緑色の瞳を向けたが、ギルバートの目は潤んではいなかった。

 ――悲しくないんじゃなくて、多分現実を見ることができないくらい好きだったんだ。

 マシューは心に渦巻いている、もやもやした感情に名を与えず、一番深い場所に押し込んでから返事をする。

「はい」

 ギルバートの目が僅かに揺れる。

「どうして知っている?」
「それは……ハリーに聞きました」
「何を聞いた?」
「薬草に関してとても優秀だったこと。それと……彼女はもういないことを」
「いなくなった理由は……」
「それも、ハリーから」
「そうか……」

 夜を思わせる濃青色の瞳、その端が微かに揺れ、ギルバートのローレルへの感情が僅かに外へと出ているのが分かった。

 ――あれだけ想っていたローレルが殺されても、王太子だから……こうやってひとりで耐えているんだ。

 この国では、王族と貴族、平民の隔たりは大きく、支配階級にとって平民は自分たちの生活を作る部品という意識を持つものも少なくない。
 マシューの両親は表立って権高に振る舞うことはしないが、貴族としての生活に疑問をいだいている節はない。恐れ多くも愛妾に入れ込んで、国王としての公務の殆どを息子である王太子に押し付けている国王のニコラスも同じ考えであろう。

 むしろハリーが異端で、貴族にとってはごく一般的な思考だ。そんな環境の中にいる王太子だ。平民が好きと言うどころか、仲良くしているだけでも変わっていると思われて王位継承者としての立場を疑われるかもしれない。
 王太子本人の考えは不明だが、現在この国において唯一王位継承権がある人物で、ダリス王国出身の母アデレイドのことも考えれば、軽々しく己の感情を吐露することは不可能だ。 

 マシューは儀礼も忘れ、自分の足の上に置かれているフィルの手をそっと包み込んだ。ギルバートの手に力が入る。 
 ローレルへの気持ちを確かめたいが、僕がそれを知っていることを怪訝に思われるだろうと考える。だがローレルは『フィルに伝えて……』と記憶の中で訴えていた。
 彼女のためにはそうすべきだとマシューは自分に言い聞かせようとした。頭では分かっている。
 だが、自分の感情が言いたくない気持ちで占められており、卑怯だと思うが今は時期じゃないと無理やり理由をつける。
 
 マシューは文武両道で眉目秀麗な侯爵子息として何不自由なく育てられた。純粋培養とまではいかないが、明るい場所のみを歩いてきた人生だ。誘われることは数多くあっても、興味が湧かなかったため、誰かと深い関係になったこともない。
 そんなマシューなので、自分の中に初めて生まれたどろどろとした、ねっとりとこびりつく黒い物の処理の方法を未だ見つけられずにいる。
 おそらくギルバートはまだ色々と訊きたいことがあるだろうが、今はただマシューに寄り添い、お互いの手の熱を感じ取った。
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