僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい

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マシューとフィル

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 一方命令を無視したマシューは、ここから南西方向にあるハリーの診療所へ向かって馬を走らせる。
 許可を得なかったので、この行動は規律違反だ。診療所に薬がどれだけあるか……それにハリーがもしくれなかったら、僕はもう軍に居場所はないだろう。そもそも薬があったとしても、何らかの処分は免れないと覚悟する。だがそれを今考えても仕方がなく、先を急ぐ他に道はない。

 人が少ない通りを選んでいたが、さすがに診療所に近づくにつれ民家や店が多くなり、賑わってきた。ここからは馬では無理だ。
 人気のない一角に馬を停め、マシューは顔を隠すようにマントのフードを被り早足で街を歩く。軍の制服ではないだけまだ良いが、王宮内で勤務するための服装だし、体格が良く歩き方も軍人のそれなので、マシューはとにかく目立った。すれ違う人々が自分を見ている視線を感じずにはいられなかったが、気に止めることなく歩き続ける。

 
 診療所に着くと、外まで順番を待つ患者で溢れていた。だがマシューはその者たちを横目にそのまま入口に向かう。マシューが自然に醸し出す高貴な雰囲気を察して、咎めるような平民はいない。
 マシューが扉を開けると、ニックが振り向いて近寄ってきた。
 
「すみません。並んでもらっているんで、外で待っててもらってもいいですか」
 
 ニックは診察に来た患者だと思い声をかけてくる。
 
「僕は患者ではない、ハリー医師に緊急で用がある。呼んでくれ」
 
 マントで顔を隠したままだが声でマシューと気付いただろうか。少なくとも、話し方でこの来客が貴族だとは察したであろう。
 
「少しお待ちを」とマシューに、診断中だった患者には、「すぐ戻る」と告げ奥にいるハリーの元へ行った。
 
「あの……一番奥の部屋に入ってと言われました」
 
 ニックは戻ってくると、恐る恐るというようにマシューにハリーからの伝言を告げた。
 マシューは「分かった」と言い、慣れた様子で一度外に出て、裏口から奥の部屋に入った。
 変わってないな……懐かしい……
 少ししてハリーがやってきた。少し戸惑っている――いや、怒っているように見える。
 
「どういうつもりかな? なぜこの前みたいに人を使わない? いま目立つのは良くないことくらい、優秀な君なら分かると思うが。それとも平民になら、何を知られても問題ないとでも?」
 
 ハリーは苛立ちを隠そうとせず、棘のある言い方をしてくる。
 
「そうですが――緊急だったので構っていられなくて……悪いが薬草を分けて欲しい……」
「理由は?」
「軍の演習中の誤爆で負傷者が……薬が足らなくて。このままだと手遅れになる隊員もいるんです」
「だが、ここに来る平民にも薬草は必要だ。まさか、貴族が優先とか言うつもりかな?」
「もちろん違う――応急処置が済んだら、僕が作りに来ます」
「そんな暇はないだろう。軍にはどう説明するんだ」
「それは……後で考えます。とにかく早くしないと隊員たちが……国を守るためにも、ハリーお願いだ」
 
 マシューはハリーに頭を下げた。
 
「…………」
 
 少しの沈黙の後、ハリーが口を開いた。
 
「……どの薬が必要なんだ?」
「ハリー! ありがとうございます」
 
 マシューは薬草を手に急いで来た道を戻る。馬を走らせるのには技術と体力を使う。マシューは息が上がってきたが、瞬歩の合図を明確に出し駆け抜けて行く。森に着いた時は夕方で、まだ灯りを必要とするほど暗くはないが、急がなければより治療が難しくなるのは明確だ。
 
 マシューは到着後急いでオーウェンを探す。ちょうど近くにいた隊員に尋ねると、「上官らの会議のために張られた天幕にいる」と返された。その前まで近づくと、周りは警備をしている隊員が囲んでいて入口にも見張り役がいる。幸い高等教育学校時代の顔見知りだった。
 
「メイレッド大尉、オーウェン先生に会いたいんだが、入れるか」
「リュート中佐、現在はどなたも立ち入り禁止となっております」
「では伝言をすぐに頼めるかな」
「申し訳ございません。例外なく入るなと言われております」
 
 ――治療のための会議のはずなのに、なぜこんなに厳重なんだ……天幕も二重に張られているみたいだし。
 
 マシューは不思議に思いつつも緊急を要するため、オーウェンに繋いでもらえるよう、メイレッド大尉に詳しく説明する。
 
「薬を調達してきた、治療ができる。時間がない、急いでオーウェン先生に――」
「…………はいっ――分かりました」
 
 薬が足らないことを知っていた大尉は、命令と状況を素早く天秤にかけた様子だったが、すぐに天幕の中へと消え、伝言を聞いたであろうオーウェンが急いで出て来てマシューに問いかける。
  
「薬があるって?」
「オーウェン先生、先ほどは申し訳ございませんでした。薬はこちらです」
 
 オーウェンは外側の天幕の内側にマシューを招き入れて、灯りの下で薬を確認していく。
 
「これは火傷用で、こっちは麻酔薬か」
 
 ぶつぶつとつぶやきながら薬を見ているオーウェンの背中越しに、内側の天幕から出て来る人影が見えた。
 
 ――フィル……
 
 マシューは王太子を見て高揚し、不意にあの浴室での行為が頭によぎった。一気に血が巡って顔が赤くなっているのを実感する。だが今はそんなことを考えている場合ではない。急いで頭を切り替え、敬礼する。
 
 ――王太子殿下もいらっしゃっているということは、相当問題になっているのか……僕が? いやそれは流石にないだろう。薬か――誤爆に関してか。
 
 マシューが恭順の姿勢でいると、オーウェンはギルバートを振り返り、目で訴えるような仕草をした。
 
「マシュー君。確かに薬だが、これはどこから?」
「それは……」
「薬は貴重だし、これは見たところ精度も高い。普通には手に入らないと思うが」
「後で説明します……怪しいものではありません、治療を急がないと――お願いします」
 
 オーウェンはマシューを見つめた。ギルバートからの視線も痛いほど感じる。
 
 ――目を逸らしてはいけない。
 
 左腕の『印』が熱い――マシューはローレルの記憶、ハリーのこと、全てが露見するかもしれない恐怖を感じたが、震えを抑え目で訴える。
「分かった、治療だ。隊員らを呼んでくれ」
 オーウェンがマシューに言い、二人はもうひとつの負傷者がいる天幕の方へと走った。

「ふぅー、これで一段落ついた」
 
 オーウェンがそう言うと、まだ継続して治療が必要な者もいるが、一通りの応急処置が終わった衛生部隊員たちは安堵の表情を見せた。
 
「ここからは交代で任務に当たってもらう、入口脇に貼ってある紙に時間と名が書いてある。各自確認しておくように」
 
 オーウェンが続ける。
 
「今夜担当の隊員とリュート中佐は残って。他の者は一度帰宅し、明日は軍事宮での任務になる、では解散」
 
 薬の顛末を知っている隊員たちの何人かは、マシューに視線を合わせ少しざわついたが、そこは彼らも軍人なので、すぐに好奇心を抑えそれぞれ命じられた行動をとった。オーウェンは今夜勤務につく隊員たちに、負傷者の詳しい容体や明日の対応について説明している。
 それが終わると、マシューの方へ来て指示を出した。
 
「リュート中佐。貴殿は私とともにこれから王宮へ向かう」
 
 マシューはオーウェンの後に付いて行く。来た時は馬に乗ってきたが、オーウェンは騎馬は不得手らしい、馬車で帰路を急いだ。


 王宮へ着くとオーウェンは、自分の衛生部へは行かず奥へと進む。内政宮内にある宰相である父の所へ行くのかと一瞬考えたがそうではなく、最奥にある執務室の前で止まり扉を叩いた。
 繊細な細工が施されている豪華な扉は、外から見ても厚さが他の部屋と違うのが分かる。
 
 ――えっ……王族の部屋? 国王陛下……いや、多分――王太子殿下フィルだろうか。
 
 中から声が聞こえ、オーウェンとマシューは室内へと進む。侯爵子息なので幼い頃から儀礼を叩き込まれ、実際に必要とする場面にも慣れている。
 それだのに、ここのふわふわしている絨毯と緊張のせいで、足がもつれそうで動きがぎこちなくなってしまう。
 ギルバートが大きな部屋の奥に置かれた執務机に座っているのが見えた。こちらも部屋の造りに負けない豪華な机だが、その広い机上はほぼ書類で埋まっている。
 
「敬礼を解け」
 
 マシューはそれでも顔は直視せず、王族に対する姿勢を崩さない。
 一方、王太子と普段から接する機会の多いオーウェンは大した礼を取らず向き合っているが、ギルバートも咎めることはしていない。
 
「リュート中佐、顔を上げて構わない」
 
 マシューがゆっくりと視線を上に上げると、やはりギルバートが自分を突き刺すような目で見ている。
 ギルバートは怒っているのだろうか。濃い青色の目が以前に見た時よりも濃さを増している気がする。
 
「オーウェン、報告してくれ」
「ギルバート殿下。全ての応急処置が終わり、現在は交代で対応しています。負傷者は明朝以降、順次衛生部内の治療室か自宅療養か、怪我の状況を見て搬送を開始する予定になっています。また、薬の件ですが……」
 
 オーウェンがそう言い始めると、より一層ギルバートからの圧力が強くなった気がする。
 
「こちらのリュート中佐が持って来た薬が役立ちました。精度も高く、この薬がなければ危なかった隊員もいて……正直――衛生部で今まで使っていた薬よりも相当優れています。一体誰が作ったのか……」
「リュート」
 
 ギルバートが呼ぶ。
 
「それで、この薬はどこで調達したのかな」
「私も聞きたいのはそれです。後で話してくれると言いましたよね?」
「…………それは……」
 
 何か上手くごまかせないか……マシューは必死に考える。咄嗟だったとはいえこのままではハリーに迷惑をかけてしまう。
 
「お前が抜けた時間はせいぜい一刻くらいだったはずだ。その時間で一から作れるはずもない。ならどこからかもらって来たのだろう? 森から一刻以内で往復でき、薬草を保管しているような場所は限られる。違うか」
「……違いません」
「ではそれはどこだ」
「――それは」
 
 ――ハリー、すまない……
 
「いや、少し待て」
 
 ギルバートはマシューが言いだそうとするのを制し、オーウェンに退室を促した。
 
「オーウェン、すまないが後で報告する。リュートと二人にしてくれ」
 
 オーウェンは虚をつかれた様子だったが当然ながら何も反論せずに出ていく。扉が閉まった音が聞こえた後は、重い空気だけが部屋を支配した。
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