僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい

文字の大きさ
18 / 49

王太子の浴室で

しおりを挟む
「ん……っ……」
 
 ――ここは……?
 
 周りを見渡すと、侯爵家の屋敷にある自分の部屋ではないと気が付いた。厚手の生地の窓掛けは光沢感があり、細部まで丁寧に金色の糸で刺繍が施されている。ベッドも大きく、弾力性がありふかふかだ。
 
「起きたか」
 
 扉が開いて、ギルバートが顔を向けて言う。
 マシューは驚いた。寝起きのまだ完全に働かない頭で必死に昨夜の出来事を思い出す。
 
「ここは俺の部屋だ。執務室でお前が寝たのでここへ連れて来た」
 
 昨日は治療と診療所までの往復などかなり動いたし極度の緊張もあった。どうやら薬のことを告白し、ほっとして眠ってしまったらしい。マシューは咄嗟に謝罪した。
  
「殿下、ご迷惑を――申し訳ございません」
「昨日は疲れたんだろう、構わない」
 
 マシューは自分の服を確認すると、マントとベルト、靴は脱がされているがそれ以外は昨日の装いのままだ。 
 良かった。シャツを着ているから、多分あれは見られていないと安心する。
 ギルバートはその様子を、フィルの時の顔をして見ている。口元が緩み、何か思い出している様子だ。マシューは自分がおかしなことをしたのかと不安になったが、「本当にお前は外見から得る印象と違うな」とギルバートは答える。

 その目は記憶の中の、ローレルを見つめる目と同じ優しさを含んでいるように見受けられた。
 なのでマシューは相手が王太子殿下ということを失念し、ローレルとフィルの間柄のように訊いてしまった。
 
「どこが?」
 
 ギルバートは全く気にしていないようで、ベッドの縁に近づきながら話す。
 流石は王太子殿下用という大きさと豪華さのベッドだが、ギルバートが座ったのはまだ毛布にくるまりながら体を起こしたマシューと、肩が触れるか触れないか……という感じの位置だ。
 
「昨日寝ていた時、お前が抱きついてずっと離れず俺を欲しがるので驚いたぞ。おかげで寝不足だ」
「…………」
 
 自分が無意識にそんなことをしていたとは衝撃だった。マシューは顔を真っ赤にして俯いた。
 
「殿下っ、大変失礼なことを――」
 
 ――というか、殿下と一緒に寝たってこと?僕、『フィル』って言ってないよね?
 羞恥心でいたたまれない。できることなら逃げ出してしまいたい。
 
「本当に……ご迷惑おかけして申し訳ありません」
「何も怒っていない。むしろ完璧な王子様と言われているお前があんな甘えてくっついてくるなんて……正直可愛くて驚いたぞ」
「………………!」
「照れているのか」
「王子様は……殿下では、ありませんか」
 
 真っ赤になりながらそう言うと、ギルバートは体を震わせながら笑う。普段聞いていた王太子殿下の人物像と違い、やはりローレルとバジルに見せていたフィルの方が、彼の人となりのようだ。
 でも、フィルはローレルの王子様。 
 その証拠に『印』が熱く反応している。
 
 ――やっぱり……
 
 そして――もうひとつのも。
 
 マシューは王太子に見つからないように、毛布を手繰り寄せた。これで膨らみは目立たないはずだ。だが、心臓の音は聞こえてしまうほどに速く鼓動している。
 
「さて、昨日はあのまま寝てしまったからな。浴室は隣の部屋の奥にある。着替えを用意させるので使ってくれ」 
「ありがとうございます。ですが、これ以上ご迷惑かけられません。屋敷へ戻り準備しますので……」 
「迷惑だと思っていたらそもそもこの部屋へ連れて来ていない。今日は昨日の怪我人を搬送する予定が詰まっている。着替えたらここで朝食を取って直接衛生部へ行け、そのほうが早いからオーウェンも助かるだろう」
 
 そう言われて反論するのは無駄だ。
 だがマシューはすぐに立ち上がれない。
 
「どうした? 疲れて動けないのか」 
「いえ、そういうことでは……」
 
 王太子が不思議そうにマシューを見る。
 
「あの……大変申し訳ありませんが、準備しますので……」
 
 だが、王太子殿下に「向こうに行ってほしい」など言えるわけがない。俯いて声にならない文字を口の中で遊ばせる。
 マシューは動くことができない。恥ずかしさからなのか興奮しているのかも自分では分からず、ただ顔を赤く染めている。
 一瞬戸惑った王太子だが、すぐに何か察したように視線をマシューのあの場所に向けた。
  
「もしかして……お前――」
「それ以上、言わないでください……」
 
 マシューは今にも泣き出しそうな声で言う。
 
「恥ずかしいことではない。若いので当たり前だろう」
「…………」
「最近していないのか?」
「……しておりません」
「特定の相手はいないのか?」
「……おりません」
「娼館の利用は?」
「…………しません」
「それは勤務が忙しくて時間がないからか?」
「…………いえ、行為を……したことがありません」
 
 マシューは本当に泣き出しそうになった。とはいえ、王太子が尋ねたことは普通の疑問だ。
 
「意外だな。俺が手伝うか?」
 
 心臓が飛び出るかと思うくらい驚いたが、そんなことは有り得ない。
 
「いえ……自分で何とかします。本当に申し訳ございませんが、浴室を貸していただけますか」
 
 マシューは羞恥心で顔を向けることができず、俯きながら消え入るような声で言った。 
 やっとの思いで脱衣所まで辿り着くと、服を脱いでから浴室に入りお湯を出す。
 広い造りの部屋とはいえ隣に王太子がいると思うと恥ずかしかったが、真ん中で立ち上がっているそれを手で掴み扱いていく。
 王太子が壁の向こう側にいるという意識がよりマシューを興奮させ、どろどろとした感情を一気に放出させた。 
 出し切るとマシューは頭からシャワーを浴びる。昨日の汚れが一気に落ちていき気持ちが良い。置いてあった石鹸を使ったが、普段王太子が使用しているものだと想像してしまう。出したはずの熱が再び戻ってくるようで、慌てて水温を下げた。
 
 
 マシューは体を洗い終えると、大きなタオルに身を包んだ。だが、用意すると言ってくれていた着替えはない。水滴を拭っていると扉の外からギルバートの声が聞こえてきた。
 服を持ってきてくれたようだ。扉を大きく開けられそうになり、マシューは羞恥心から少しだけ開いて隙間から右手だけを伸ばし、お礼を言い受け取る。
 ギルバートがマシューの体を確認するために、わざとマシューが脱衣所にいる時を狙って持って行ったのには気付かなかった。
 
 もちろんギルバートが見たかったのは『腹の刺し傷』と――ローレルとの『絆』だ。
 
 ――あるわけもないのに、何を俺は期待しているんだ……
 
 ギルバートは自分の考えを振り払うかのように一呼吸置いてから侍従を呼び、朝食の用意を命じた。



 マシューが部屋へ入ると、すでにテーブルの上にパンや卵、果物などが置かれていた。
 ギルバートの部屋は確かに広くて造りは凝っているが、置かれている家具は最低限という感じの少なさと質素さだ。もちろん部屋の雰囲気を損なわない程度ではある。だが、現在宰相の職に就いているとはいえ、一貴族である父セドリックの部屋の方が余程豪華だ。
 そのマシューの疑問を敏感に察したのか、「ここは俺の自室だ。昔から働いている二人しか基本的に入らない。外から見えないところまで王太子として飾る必要はない」と言う。マシューは自分が特別な感じがして少し浮かれそうになったが、『昨日は遅かったから仕方なくかも』と自身に言い聞かせた。
 
「おはようございます。お飲み物は紅茶でよろしいでしょうか」
 
 聞き覚えのない声で言われ振り向くと、同い年くらいの青年がいた。茶色の髪と明るい琥珀色の瞳、柔和な顔立ちと雰囲気は誰かを彷彿とさせる。

 するとギルバートが、「侍従のジェームズ・オールディン、ダヴィンドン伯爵家の三男だ」
「ジェームズ。こっちはマシュー・リュート、シャーディル侯爵の息子だ。現在衛生部所属なのは知っているだろう」と紹介してくれた。
 
 マシューはもちろん、彼がハリーが言っていた王太子殿下付きの侍従で、末の弟だと分かった。
 だがギルバートはそれを口にしない。ダヴィンドン伯爵家にとってハリーは聞きたくもない名前だからなのか、フィルとしてハリーを知っていることを言いたくないからなのかは不明だ。
 でも、身分証はこの侍従に用意してもらったはずだよな? それは交流する可能性がないからか……
 マシューの思案を止めるかのように、ジェームズが再度飲み物の確認をしてくる。
 淹れてもらった紅茶はウィルバーがいつも用意するものよりいくらか濃い。だが苦味はなく、体に染み渡りお腹が空いてくる。
 手早く朝食を食べ終えると、マシューは浴室で身支度を整えてから軍事宮にある衛生部へと向かった。
 
 ギルバートも侍従に着替えを手伝わせながらダリス王国に派遣した調査隊の進捗について尋ねた。
 
「使者によりますと、大方の調査を終え間もなく帰途につくとのことでしたから、おそらく二週間以内にご報告できると思います」
「分かった。それと怪しい動きをしている者はいたか」
「前に送った使者ですが、ダリス王国に入ってから消息が途絶えました。単なる事故かもしれませんが、調査隊の中の人物かダリス国内で動いている人物の仕業の可能性も否定できません。使者は変装に長けており慣れている者でしたので、確証はまだありませんがもし消されたのでしたら、内政宮の者と繋がっていることが考えられます」
「目星はついているのか」
「人物については現在調査中です」
 
 ギルバートが頷いてから、ジェームズが続ける。
 
「その他にですが――気になる情報をひとつ耳にしました」
「何だ?」
「今回のこととの関係性は分かりません」
「取り敢えず聞くぞ」
「…………」
「お前が言い淀むなんて、よっぽど言い難い人物なのか。構わない、言ってみろ」
「――国王陛下の愛妾でいらっしゃるゾーイ様とリュート宰相が人目を盗んで度々密会しているとの話です」
 
 ギルバートは侍従の口から出てきた意外な人物の名前に一瞬瞠目する。
 
「それをマシューは知っているのか」
「おそらくご存知ないかと……目撃したのは昔からいる王宮付きの忠実な使用人で、物事の判断に長けている男です」
 
 要するにいくら不義の密会現場を目撃したとしても、面白がって誰彼構わず言いふらす人物ではなく、今回ジェームズに打ち明けたのはそれが王太子に伝わることを見越してということだ。

 マルフォニアにおいて、伴侶以外と関係を持つことは褒められる話ではないが、珍しいことでもない。そもそも国王が半ば公に愛人を持っているのだ。
 ならば、その使用人が情事以外に何か懸念を抱いたと想像するのは容易い。だが、リュート宰相は今ままでそういった噂話を立てられたことはないし、本人はマシューのように真面目な男だ。
  
「俺は知らないが――以前から仲が良かったのか?」
「いえ、私の知る限りでは、二人に公務以外での接点はなかったかと。今回のことも知っているのは先ほどの彼も含め我々のみかと思います」
 
 マシューの父であるセドリック・リュートは宰相や大臣を輩出したことのある名門シャーディル侯爵家出身で、自身も約七年前から宰相を務めている。今と違い、まだ父が国王としての公務を担っていた頃だ。
 リュートは文官としての最高位まで登りつめたが、確かその父親と祖父はそこまで出世はしなかったはずだ。
 
「彼の評判はどうだ? 勤務態度や領地経営についてだ」
 ジェームズは頭の中の記憶を探るように、少し間をおいてから答えた。
「そういえば――以前書類を整理した時に気になったのですが……侯爵家の財政で少し不自然な金の流れがありました。先代が借金をしていたようです」
「借金? それは初耳だぞ。どちらかといえばあいつの家は裕福だと思うが」
「ええ。ですがすでに返済がすんでおり、現在は領地経営など、特に問題は聞こえておりません」
「返し終えたのはいつの話だ?」
「後ほど確認いたしますが――確か前侯爵が亡くなる直前、現侯爵が若い頃であったかと」
「マシューの父親か……」
 
 ギルバートは何かを考えるような顔をしてから、ゾーイとリュートの関係、借金の経緯を調べることをジェームズに指示し、軍事宮へ向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】たとえ彼の身代わりだとしても貴方が僕を見てくれるのならば… 〜初恋のαは双子の弟の婚約者でした〜

葉月
BL
《あらすじ》  カトラレル家の長男であるレオナルドは双子の弟のミカエルがいる。天真爛漫な弟のミカエルはレオナルドとは真逆の性格だ。  カトラレル家は懇意にしているオリバー家のサイモンとミカエルが結婚する予定だったが、ミカエルが流行病で亡くなってしまい、親の言いつけによりレオナルドはミカエルの身代わりとして、サイモンに嫁ぐ。  愛している人を騙し続ける罪悪感と、弟への想いを抱き続ける主人公が幸せを掴み取る、オメガバースストーリー。 《番外編 無垢な身体が貴方色に染まるとき 〜運命の番は濃厚な愛と蜜で僕の身体を溺れさせる〜》 番になったレオとサイモン。 エマの里帰り出産に合わせて、他の使用人達全員にまとまった休暇を与えた。 数日、邸宅にはレオとサイモンとの2人っきり。 ずっとくっついていたい2人は……。 エチで甘々な数日間。 ー登場人物紹介ー ーレオナルド・カトラレル(受け オメガ)18歳ー  長男で一卵性双生児の弟、ミカエルがいる。  カトラレル家の次期城主。  性格:内気で周りを気にしすぎるあまり、自分の気持ちを言えないないだが、頑張り屋で努力家。人の気持ちを考え行動できる。行動や言葉遣いは穏やか。ミカエルのことが好きだが、ミカエルがみんなに可愛がられていることが羨ましい。  外見:白肌に腰まである茶色の髪、エメラルドグリーンの瞳。中世的な外見に少し幼さを残しつつも。行為の時、幼さの中にも妖艶さがある。  体質:健康体   ーサイモン・オリバー(攻め アルファ)25歳ー  オリバー家の長男で次期城主。レオナルドとミカエルの7歳年上。  レオナルドとミカエルとサイモンの父親が仲がよく、レオナルドとミカエルが幼い頃からの付き合い。  性格:優しく穏やか。ほとんど怒らないが、怒ると怖い。好きな人には尽くし甘やかし甘える。時々不器用。  外見:黒髪に黒い瞳。健康的な肌に鍛えられた肉体。高身長。  乗馬、剣術が得意。貴族令嬢からの人気がすごい。 BL大賞参加作品です。

無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました

芳一
BL
無能扱いを受けていた聖職者が、聖女代理として瘴気に塗れた地に赴き諦めたものを色々と取り戻していく話。(あらすじ修正あり)***4話に描写のミスがあったので修正させて頂きました(10月11日)

待て、妊活より婚活が先だ!

檸なっつ
BL
俺の自慢のバディのシオンは実は伯爵家嫡男だったらしい。 両親を亡くしている孤独なシオンに日頃から婚活を勧めていた俺だが、いよいよシオンは伯爵家を継ぐために結婚しないといけなくなった。よし、お前のためなら俺はなんだって協力するよ! ……って、え?? どこでどうなったのかシオンは婚活をすっ飛ばして妊活をし始める。……なんで相手が俺なんだよ! **ムーンライトノベルにも掲載しております**

名もなき花は愛されて

朝顔
BL
シリルは伯爵家の次男。 太陽みたいに眩しくて美しい姉を持ち、その影に隠れるようにひっそりと生きてきた。 姉は結婚相手として自分と同じく完璧な男、公爵のアイロスを選んだがあっさりとフラれてしまう。 火がついた姉はアイロスに近づいて女の好みや弱味を探るようにシリルに命令してきた。 断りきれずに引き受けることになり、シリルは公爵のお友達になるべく近づくのだが、バラのような美貌と棘を持つアイロスの魅力にいつしか捕らわれてしまう。 そして、アイロスにはどうやら想う人がいるらしく…… 全三話完結済+番外編 18禁シーンは予告なしで入ります。 ムーンライトノベルズでも同時投稿 1/30 番外編追加

【完結】最初で最後の恋をしましょう

関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。 そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。 恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。 交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。 《ワンコ系王子×幸薄美人》

【完結】愛され少年と嫌われ少年

BL
美しい容姿と高い魔力を持ち、誰からも愛される公爵令息のアシェル。アシェルは王子の不興を買ったことで、「顔を焼く」という重い刑罰を受けることになってしまった。 顔を焼かれる苦痛と恐怖に絶叫した次の瞬間、アシェルはまったく別の場所で別人になっていた。それは同じクラスの少年、顔に大きな痣がある、醜い嫌われ者のノクスだった。 元に戻る方法はわからない。戻れたとしても焼かれた顔は醜い。さらにアシェルはノクスになったことで、自分が顔しか愛されていなかった現実を知ってしまう…。 【嫌われ少年の幼馴染(騎士団所属)×愛され少年】 ※本作はムーンライトノベルズでも公開しています。

侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます

muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。 仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。 成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。 何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。 汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。

冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~

大波小波
BL
 フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。  端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。  鋭い長剣を振るう、引き締まった体。  第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。  彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。  軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。  そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。  王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。  仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。  仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。  瑞々しい、均整の取れた体。  絹のような栗色の髪に、白い肌。  美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。  第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。  そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。 「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」  不思議と、勇気が湧いてくる。 「長い、お名前。まるで、呪文みたい」  その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。

処理中です...