御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第1章 0日婚の申し込みととまどい

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家に帰ってソファに沈み込むと、社用のスマホが震えた。

画面には、“神楽木律”の文字。

──はやっ。もう連絡きた。

開くと、シンプルな一文が表示されていた。

《お仕事、お疲れ様です。今日はどうでしたか?》

……いや、それを訊きたいのはこっちの方ですよ。

でも、社用のスマホに来たメールは、基本的に“前件返信”が鉄則。

スルーするわけにもいかず、私はひとまず無難に返した。

「驚きましたっと……」

送信ボタンを押した直後、スマホがすぐに震えた。

《僕は、運命の出会いだったと思いました。》

……でしょうね。
だって、プロポーズしてきたんだもん。初対面で。

画面を見つめたまま、私は思わずため息をついた。

この人、常に本気で来るんだよな……。

「それは……よかったです?」

返信しながらも、自分でもこの“絶妙な距離感”がよくわからない。

敬語をやめていいのか、続けるべきなのか。

結婚を申し込まれた相手に、私は今、どう接するべきなのか。

──って、こんなことで悩む日が来るなんて。

私の頭は今日一日で、キャパオーバー寸前だった。

──でも、この感じでずっと、社用のスマホに甘い言葉が届くのだろうか。

仕事用とはいえ、やり取りは“返信必須”。

神楽木さんの言葉はどこまでも真摯で、どこまでも距離が近くて──このままだと、気持ちの線引きが曖昧になる気がする。

本当は、取引先との個人的な連絡先の交換は禁止されている。
でも。

……でも、この甘い言葉のやり取りを、もし他の社員に見られたら、それはそれで死ぬほど気まずい。

「……ええい。」

私は思い切って、短くメッセージを打った。

《次からはこちらへ。》

そして、個人の連絡先を添える。

ほんの数秒後──
画面が点滅した。

《嬉しいです。これで君を口説けるかな。》

……この人、本気なんだ。

理性が静かに揺れて、感情がどっと押し寄せる。

私は思わず、スマホを顔の横に放り投げ、ベッドにダイブした。

「なにしてんの、私……!」

顔が熱い。鼓動がうるさい。

まだ“好き”でもないのに、こんなに心が動くなんて。

けれど、その一言だけは、確かに胸の奥に残った。

──“これで君を口説けるかな。”

これから始まる“恋”の音が、静かに聞こえた気がした。

翌朝、出社するとすぐに呼び出された。

「朝倉さん、ちょっと。」

部長室に入ると、部長の厳しい目線が待っていた。

「個人の連絡先、取引先に教えたよね?」

……ああ、やっぱりバレた。

「はい。心得ております。」

「ウチの会社の規定、知ってるよね。」

「はい……。申し訳ありません。」

すると部長は引き出しから一枚の紙を取り出し、スッと私に差し出した。

「じゃあ、始末書。理由もきっちり書いといて。」

「……はい。」

私は黙ってそれを受け取り、ペンを持った。

──どうする?何て書く?

社内違反の理由なんて……恋です、なんて書ける?

いや……でも、これは事実だ。

私は迷わずペンを走らせた。

《理由:この先、恋愛に発展すると思われたため。》

書き終えて渡すと、部長の目が一瞬、文字を追って──
次の瞬間、まるで変なスイッチでも押されたように吹き出した。

「うっ……ぷはっ!」

「……?」

「ちょ、え?神楽木の御曹司と?本気で?」

「はい。」

部長は目を丸くして、言葉を失っていた。

「……いやいやいや、ちょっと待って?あの神楽木さんって、あの神楽木ホールディングスの!?しかも、初対面で“恋愛に発展”て……朝倉さん、どんだけすごいの?」

「いえ、私も驚いております。」

すると部長は机に肘をついて、腕を組み、真顔になった。

「……あのさ。万が一付き合うにしても、スキャンダルにならないように、全力で気をつけてね。うちはまだ小さい会社だから、絶対に変な噂は避けたい。」

「……承知しております。」

「ていうか、始末書って、そういう使い方もあるんだな……」

部長はしみじみと書類を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
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