御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第3章 新居とぎこちない新生活 

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包丁を置き、私はくるりと振り返った。

「私、律さんの料理人じゃないんだけど!」

その瞬間――律さんの目が、驚きに大きく開かれていた。

あんな表情、初めて見たかもしれない。

「……千尋。」

ただ一言、私の名前を呼ぶ声が、少しだけ震えていた。

「……ごめん。俺、そんなつもりじゃ……」

掴まれた腕が温かいのに、涙が出そうになる。

律さんが悪いわけじゃないのに。

でも、私だって頑張ってる。仕事も、家のことも、結婚生活も。

律さんはそっと、私の肩に手を添えた。

「ごめん。俺、昨日千尋に――俺に料理作りたいって言われたのが、すごく嬉しかったんだ。」

その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅんと音を立てた気がした。

「だから、今日も仕事、猛スピードで終わらせてきてさ。」

……ああ、そうだよね。律さんは、悪くない。

なのに私は、勝手にイライラして、勝手に寂しくなって――。

「ごめぇん……」

自然と涙がこぼれ落ちた。

拭う暇もなく溢れてきて、自分でもびっくりするくらい。

「泣かないで。ほら、料理が煮立ちすぎてるよ。」

慌てて律さんがコンロの火を止めてくれる。

グツグツと音を立てていた鍋の中からは、やさしい匂いが立ちのぼる。

「ほら、千尋。美味しそうだよ。」

そう言って、にこっと笑うその顔――。

私が大好きな、律さんの笑顔だった。

ああ、そうだった。

私、こういう顔が見たくて。

「おいしい」って言ってもらいたくて、毎日頑張ってたのに。

「うっ、うっ、律さん……」

「えっ?千尋?」

「うわああん!」

とうとう我慢できずに、声をあげて泣いてしまった。

律さんは、何も言わずに私を抱きしめてくれた。

ぎゅっと、まるで子供をあやすみたいに。

その温もりが、全部を許してくれた気がした。

しばらくして、無理がたたったのか、私は熱を出して寝込んでしまった。

「仕事のし過ぎじゃない?」

そう言って律さんが体温計を差し出してくれる。

「いつもこんな程度で熱を出すような人間じゃないんだけど……」

言いながら、私は体温計を脇の下に挟んだ。

ピピピッと音がして取り出すと、36.9度。

微妙ー……。

なのに、何なの?この火照り。身体が重くて仕方ない。

「環境が変わると免疫が落ちるって言うから、あまり無理しない方がいいよ。」

そう言って、律さんはベッドの奥にある小さな書斎スペースに腰を下ろした。

「律さん、今日仕事は?」

「今日は午前だけ会議があったけど、リモートに切り替えた。千尋が寝込んでるのに、家を空けられるわけないだろ。」

その言葉が、なんだか嬉しかった。

でも同時に、申し訳なさも湧いてきて――。

「そんな……ごめんね。私のせいで……」
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