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殺っちまおうぜ、今すぐ
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由比さんは決して、仕返しをやめたわけではなかった。ただ、基本的なミスに気づき、冷静さを取り戻したと言う。
「ダメだな、怒りに身を任せては。奈々子のためにも慌てず騒がず、確実に殺らなければ。計画を立てて、今度こそ……」
「そ、そうじゃなくて! 物騒なことはやめてください」
殺るだなんて。
例えではなく、ほんとうにやりかねないから恐ろしい。
「私はただ、話を聞いてほしかった。そして、あなたは受け止めてくれた。それだけでもう、十分なのです」
「……本当にいいのか」
いじめっ子に仕返ししなくてもいいのかーーと、彼は訊いている。まるで保護者のように、心配そうに、私の瞳を覗き込みながら。
「彼女については確かにトラウマですが、あなたに話して、なんだかとてもスッキリしました。それに」
私のために、自分のことのように怒りまくる由比さんを見て、なんていうか……嬉しかった。暴力はダメだけど、由比さんの気持ちが嬉しい。
たどたどしく伝えると、彼はまるごと私を包み、髪に頬ずりした。
「奈々子は可愛い。世界一優しくて、いい子だ」
ガラス越しの夜景が滲んで見えて、少し動揺した。
過去については封印し、感情を抑えて生きてきた。それなのに、一人の男性を前に、こんなにも素直でいられるなんて。
「デート、楽しかったな」
「はい」
由比さんはもう、綾華について言及しなかった。
私たちは寄り添い合う。
ごく普通の恋人同士のように。
「見ろ、奈々子。雪が降ってきたぞ」
「ほんとだ」
(あたたかい……どうしてこんなに、安心するのかしら……)
穏やかな時間を過ごし、すっかり落ち着いてからカフェを出た。
◇ ◇ ◇
「おっと、忘れてた。九郎さんのところに寄るんだったな」
エレベーターに乗ろうとして、由比さんが立ち止まった。
「何の用事か知らないが、こんな時間だ。ちょっと顔を見せて、すぐに引き揚げるとしようぜ」
そう言って上りのボタンを押す。
九郎さんというのは、このビルを建てたデベロッパーの代表者、羽根田社長である。
オフィスフロアでエレベーターを降りると、由比さんがまっすぐに歩いていく。何度も来たことがあるのか、慣れた足取りだ。
「由比様、いらっしゃいませ」
「どうも。じゃまするよ」
受付を顔パスして、奥のオーナー室の前まで来た。ドアをノックしようとするのを見て、私は慌てた。
「あ、あの! 私も一緒に入っていいのですか?」
羽根田社長は由比さんだけに会いたいのかもしれない。せめて許可を得てから入室すべきだと思った。
「いいに決まってるだろ。奈々子は俺のヨメさんなんだから」
「……え?」
ぽかんとする私を、由比さんが不満げに見下ろす。
「婚姻届はこれからだけど、俺たちは夫婦も同然。というより、夫婦!なんだぜ? ちょうどいいから、九郎さんに報告しておこう。結婚しましたよ~って」
「は、はあ……」
私の返事を待たず、ドアをノックする。
(えっ、え? 結婚の報告?)
ということは、私は由比さんの結婚相手として、羽根田社長に挨拶しなければならない。大企業の代表取締役に?
いきなりの大仕事である。
心の準備が間に合わずオロオロするうちに、ドアが開いてしまった。
「……!」
思わず息を呑んだ。
目の前に現れたのは、雲衝くような大男。ズイと出てきて、私たちを睨み下ろす。
「ひっ……?」
がっしりとした体躯。太い眉、ギョロリとした大きな目に、大きな口。
黒いスーツが迫力を倍加させている。
由比さんの『キング』とはまた違う、ヒグマのような迫力。睨まれただけで気絶しそうだった。
「おう、ようやく来たか」
廊下の隅々まで響くような、低い声。私は震え上がり、由比さんの腕にギュッと捕まった。
頭の中に、反社会的勢力の文字が過ぎる。
(まさか、この人が羽根田社長?)
「おいおい、いきなり出て来てビックリさせるなよ。相変わらず人相悪いよな、翼」
由比さんの軽口を聞いて、えっと思う。「九郎」さんではなく、「翼」?
恐る恐る顔を上げると、コワモテの大男が困ったように頭を掻いている。
「そんなつもりはなかったんだが……無骨ですんません」
「あ、いえ、こちらこそ、失礼しました」
我にかえり、由比さんの腕をパッと離した。私こそ怖がりすぎたと、恥ずかしくなる。
「奈々子。こいつは羽根田社長の息子で、羽根田翼。ガキの頃は一緒に空手道場に通った幼なじみだよ」
「えっ、息子さん?」
そういえば羽根田社長には、由比さんと同じ年の息子さんがいると聞いていた。彼がその人なのだ。
「そんなんで秘書が務まるのか? 取引先がビビって逃げ出すんじゃねえの」
「やかましい。お前こそ口の悪さを何とかしろ。この猫被りCEOが」
二人のやり取りを、ぽかんとして眺める。彼らが幼なじみというのは間違いなさそうだが……
「お前たち、ドアを開けっぱなしで何をやってるんだ。部屋が冷えるから、早く中に入りなさい」
奥から声が聞こえた。
どうやらその人が羽根田社長であると、お喋りをピタリとやめた二人を見て分かった。
「ダメだな、怒りに身を任せては。奈々子のためにも慌てず騒がず、確実に殺らなければ。計画を立てて、今度こそ……」
「そ、そうじゃなくて! 物騒なことはやめてください」
殺るだなんて。
例えではなく、ほんとうにやりかねないから恐ろしい。
「私はただ、話を聞いてほしかった。そして、あなたは受け止めてくれた。それだけでもう、十分なのです」
「……本当にいいのか」
いじめっ子に仕返ししなくてもいいのかーーと、彼は訊いている。まるで保護者のように、心配そうに、私の瞳を覗き込みながら。
「彼女については確かにトラウマですが、あなたに話して、なんだかとてもスッキリしました。それに」
私のために、自分のことのように怒りまくる由比さんを見て、なんていうか……嬉しかった。暴力はダメだけど、由比さんの気持ちが嬉しい。
たどたどしく伝えると、彼はまるごと私を包み、髪に頬ずりした。
「奈々子は可愛い。世界一優しくて、いい子だ」
ガラス越しの夜景が滲んで見えて、少し動揺した。
過去については封印し、感情を抑えて生きてきた。それなのに、一人の男性を前に、こんなにも素直でいられるなんて。
「デート、楽しかったな」
「はい」
由比さんはもう、綾華について言及しなかった。
私たちは寄り添い合う。
ごく普通の恋人同士のように。
「見ろ、奈々子。雪が降ってきたぞ」
「ほんとだ」
(あたたかい……どうしてこんなに、安心するのかしら……)
穏やかな時間を過ごし、すっかり落ち着いてからカフェを出た。
◇ ◇ ◇
「おっと、忘れてた。九郎さんのところに寄るんだったな」
エレベーターに乗ろうとして、由比さんが立ち止まった。
「何の用事か知らないが、こんな時間だ。ちょっと顔を見せて、すぐに引き揚げるとしようぜ」
そう言って上りのボタンを押す。
九郎さんというのは、このビルを建てたデベロッパーの代表者、羽根田社長である。
オフィスフロアでエレベーターを降りると、由比さんがまっすぐに歩いていく。何度も来たことがあるのか、慣れた足取りだ。
「由比様、いらっしゃいませ」
「どうも。じゃまするよ」
受付を顔パスして、奥のオーナー室の前まで来た。ドアをノックしようとするのを見て、私は慌てた。
「あ、あの! 私も一緒に入っていいのですか?」
羽根田社長は由比さんだけに会いたいのかもしれない。せめて許可を得てから入室すべきだと思った。
「いいに決まってるだろ。奈々子は俺のヨメさんなんだから」
「……え?」
ぽかんとする私を、由比さんが不満げに見下ろす。
「婚姻届はこれからだけど、俺たちは夫婦も同然。というより、夫婦!なんだぜ? ちょうどいいから、九郎さんに報告しておこう。結婚しましたよ~って」
「は、はあ……」
私の返事を待たず、ドアをノックする。
(えっ、え? 結婚の報告?)
ということは、私は由比さんの結婚相手として、羽根田社長に挨拶しなければならない。大企業の代表取締役に?
いきなりの大仕事である。
心の準備が間に合わずオロオロするうちに、ドアが開いてしまった。
「……!」
思わず息を呑んだ。
目の前に現れたのは、雲衝くような大男。ズイと出てきて、私たちを睨み下ろす。
「ひっ……?」
がっしりとした体躯。太い眉、ギョロリとした大きな目に、大きな口。
黒いスーツが迫力を倍加させている。
由比さんの『キング』とはまた違う、ヒグマのような迫力。睨まれただけで気絶しそうだった。
「おう、ようやく来たか」
廊下の隅々まで響くような、低い声。私は震え上がり、由比さんの腕にギュッと捕まった。
頭の中に、反社会的勢力の文字が過ぎる。
(まさか、この人が羽根田社長?)
「おいおい、いきなり出て来てビックリさせるなよ。相変わらず人相悪いよな、翼」
由比さんの軽口を聞いて、えっと思う。「九郎」さんではなく、「翼」?
恐る恐る顔を上げると、コワモテの大男が困ったように頭を掻いている。
「そんなつもりはなかったんだが……無骨ですんません」
「あ、いえ、こちらこそ、失礼しました」
我にかえり、由比さんの腕をパッと離した。私こそ怖がりすぎたと、恥ずかしくなる。
「奈々子。こいつは羽根田社長の息子で、羽根田翼。ガキの頃は一緒に空手道場に通った幼なじみだよ」
「えっ、息子さん?」
そういえば羽根田社長には、由比さんと同じ年の息子さんがいると聞いていた。彼がその人なのだ。
「そんなんで秘書が務まるのか? 取引先がビビって逃げ出すんじゃねえの」
「やかましい。お前こそ口の悪さを何とかしろ。この猫被りCEOが」
二人のやり取りを、ぽかんとして眺める。彼らが幼なじみというのは間違いなさそうだが……
「お前たち、ドアを開けっぱなしで何をやってるんだ。部屋が冷えるから、早く中に入りなさい」
奥から声が聞こえた。
どうやらその人が羽根田社長であると、お喋りをピタリとやめた二人を見て分かった。
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