一億円の花嫁

藤谷 郁

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殺っちまおうぜ、今すぐ

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 由比さんが私を見つめる。
 とてつもなく優しい眼差しだった。
 同情とは違う、心からの思いやりが伝わるような、熱のこもる瞳で。

「それで奈々子は、パニックになったんだな。ついさっき、西野綾華という女と遭遇したから」
「はい……」

 上ずった声で返事する。

「そんな事情があったとは……」

 14歳だった私に起きたこと。そして、どんな風に生きてきたのかも、由比さんに話した。過去について、これほど詳細に誰かに語ったのは初めてだった。
 あらゆる感情が去来し、気持ちが高ぶっている。だけど、不思議とスッキリした気分でもあった。

「かわいそうに……本当に、なんてこった」
「……!?」

 思いきり抱きしめられた。勢いが凄すぎて、ソファに倒れそうになる。
 それに、ものすごく身体が熱い。

「ゆ、ゆいさん……!? あの、ちょっと、く、くるし……」

 腕の中でもがくと、彼が慌てて解放した。だが今度は肩を抱き寄せ、私を胸にもたれさせた。

「すまない、つい……大丈夫か」
「え、ええ。少し、びっくりしただけです」

 由比さんがほっと息をつく。
 そして、しばらくそのままの姿勢でいた。逞しい身体から、やはり熱が伝わってくる。この人も感情を高ぶらせているのだ。

「そんなつらいことがあったなんて、知らなかった。特務室のリサーチ担当も、そこまで精査できなかったんだな……だが」

 由比さんはそっと身体を離し、見上げる私を覗き込んだ。

「なんとなく、感じてはいたんだ。こんなに可愛いのに、なぜか奈々子は自信を持てず、いつもどこか怯えている。だけど、もしも傷ついているのなら、それを抉るような真似はしたくない。俺はちょっと無神経なところがあるが、惚れた女を守ってやりたいし、大事にしたいからな」
「由比さん……」
「もっと自信を持て。奈々子はよく頑張った。バケモンにいたぶられても、活路を見出し、前進したじゃないか」
「……」
「大したもんだ。この俺が褒めてやる!」

 不思議だった。
 今の言葉で、14歳の自分が報われた気がする。
 みじめな過去を、由比さんには知られたくなかった。きっと、軽蔑されるから。
 そんな風に考えていた私は、この人をまったく理解していなかったのだ。

「奈々子」
「由比さん……」

 もう大丈夫。
 綾華に遭遇し、あれほど乱れた感情がすっかり落ち着いている。
 過去なんてもう忘れよう。忘れられると思った。由比さんと一緒なら。

っちまおうぜ、今すぐ」
「…………はい?」


 やっちまおうぜ、とは?


 意味がわからず、ぼんやりと見つめ返す私に、由比さんが微笑みかける。
 とてつもなく美しく、残酷な表情かおだった。

「ゆ、由比さん?」
「愛する奈々子をいたぶった女……俺は絶対に許さねえぞ」

 彼は立ち上がり、拳を握りしめた。

「探してくる。まだその辺にいるかもしれない」
「ええっ!?」

 私はようやく、言葉の意味を理解した。 
 やっちまおうの「や」の字は、「殺」。彼の逞しい体躯が、怒りのオーラと殺気に包まれている。

「ま、待ってください」
「止めるな、奈々子。過去の悪業を詫びるどころか、クソ図々しく絡んでくるようなクソ女の腐った性根を、俺がこの手で叩き直してくれる!!」

 この人は本気だ。
 私は瞬間、由比さんの正体がキングであることを思い出す。
 そして、彼の宣言も。

 
ーーもしくだらん理由で君を傷つけるやつがいたら、誰であろうと俺は絶対に許さないし、完膚なきまでにボコボコにしてやる!


「やめてください!!」
「なんでだよ。ここで会ったが百年目、今すぐ殺っちまうべきだろう」
「ぼ、暴力はダメです。私はそんなこと望んでいませんっ」
「俺が殺っちまいたいんだ。奈々子はここで待ってろ!」
「あっ」

 必死で止める私を振り切り、彼は店を飛び出した。あまりにも凄い勢いなので、店員も他の客も驚いている。

「どうしよう……そんな、私のために仕返しなんて」

 あの剣幕では、本当に殺しかねない。過去について打ち明けたのは迂闊だった。私は、なんてことをしてしまったのか。

 綾華に対するトラウマとか、辛さとか、そんなものどうでもいいくらいの恐怖に襲われる。
 もし由比さんが綾華をボコボコにしたら、本当にやってしまったら……
 間違いなく彼の人生が終わる。
 私なんかのために、一生が台無しになってしまう。

「由比さん!」

 よろけながら、彼を追いかけようとした。絶対に止めなければ。

「えっ?」

 店のドアが開き、由比さんが現れた。スタスタと歩いてきて、私の前に立つ。

「ゆ、由比さん……?」

 殺気が消えている。
 冷静になってくれたのだろうか。

「ああ……良かった。戻ってきてくれたんですね」

 思い直してくれたのだ。
 由比さんが人殺しにならなくて、本当に良かった。心から安堵し、体から力が抜ける。
 へたり込みそうな私を、彼の頼もしい胸がしっかりと受け止める。

「怖かったです。私、どうしようかと……」
「すまない、奈々子。俺としたことが、とんだマヌケだぜ」
「……?」

 顔を上げると、気まずそうに彼が言った。

「よく考えたら、クソ女がどんなツラなのか知らねーわ」

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