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失ったモノ
65話 あなたの傍で
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「花雫。君から薄雪と綾目の記憶を消すこともできるよ」
「……」
「記憶を消せば、今の辛さも忘れられる。君は1年前の生活に戻るだけだ」
「…それは、いや…」
「彼らと出会わなければよかったんだろう?だったら記憶を消すといい。彼らと出会っていないことにできる」
「ちがう。そうじゃないの」
「どうちがうんだい。同じだろう」
「喜代春が時間を巻き戻せるのなら、いっそ1年前に戻してほしいと思うよ。そうすれば薄雪と綾目も、こんなひどい目にあわなかったんだから。できる?」
「さすがの私でもそれはできないな」
「だったら意味がないの。私が忘れただけで、起こった出来事は変わらない。私が忘れたって薄雪は弱ったままだし、綾目は目が見えないまま」
「もちろんそうだね」
「なにも変わらないのなら、私は記憶を消したくない」
「……」
喜代春がため息をついた。もっと食い下がると思っていたのに、「そうか」と呟いただけだった。
「…消さないの?」
「君が拒むのであれば、そのままにしておく。そういう話になっているからね」
「…ありがとう」
「花雫」
「ん?」
「ひとつ言っておきたい。君はさきほど、薄雪と綾目が君と出会ったせいで不幸になったと考えていたね。それはちがうよ。彼らは君と出会えて幸せを感じていた。たとえ死にかけても、失明しても、彼らにとってはたいしたことではなかったんだ。君を失うことに比べれば、ね」
「っ……」
喜代春の言葉に涙が止まらなくなった。ちがう。しあわせだったのは私のほう。
私はなにもしていない。彼らをしあわせにすることなんて、なにも。
「花雫、ありがとう」
「…どうしてお礼を言うの」
「記憶を消せば楽だろうに。それを君は選ばなかった。薄雪と綾目との記憶を残してくれた。苦しくとも、彼らのことを忘れないように」
「当然でしょ。人生で一番楽しかったんだもん、薄雪と綾目と一緒に暮らした毎日が。忘れたいわけないじゃない」
「そういうモノかな」
「そうよ」
「想い、想われる。苦しくとも、悲しくとも、その想いが変わらない。あやかしにとって、それほど幸せなことはないのさ」
「うぅっ……うぇっ…」
私はおっさんのような声で泣いた。喜代春は苦笑いを浮かべて私の背中をさする。泣き止んだ頃には鼻水まみれになっていて、きったない音をたてて鼻をかんだ。
しばしの沈黙。私はやっぱり薄雪と綾目を探してしまう。
「ねえ、喜代春」
「なんだい」
「薄雪と綾目、いるんだよね?」
「ああ、いるよ」
「薄雪と綾目に私の声は聞こえるの?」
「声も聞こえるし姿も見える。彼らからは君に触れることもできるよ。君は触れられていることを感じられないけれど」
「そうなんだ。…ねえ薄雪」
私は目に見えなくなったモノに声をかけた。
返事はもちろん聞こえない。
「返事してくれた?」
喜代春に尋ねると、喜代春が目じりを下げて頷く。
「ああ、している」
私は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「えっと、薄雪。危ない目に遭わせてごめんね。守ってくれてありがとう。えっと…うぅ…、ぐすっ、あ、だめだ…。言葉出てこない。泣いちゃう…」
「言葉に出さずとも、私たちは心を読める」
「えっ…。それ健在なの?恥ずかしいなあ…」
涙を拭いながらそう言うと、喜代春がクスクス笑う。
「だから先ほどから君が、”薄雪がいないと生きていけないもう無理つらい病む”と心の中で叫んでいることは全員に聞こえているよ」
「ぎゃーーーーー!!!!」
「綾目に対しては、失明してしまったことへの罪悪感が大きいね。綾目は気にしていない。薄雪を通して君のことも見えている」
「それでも…。ごめんね、綾目…」
ごめんね。本当にごめん。
薄雪のことも、綾目のことも、大好きだったよ。
もちろん今もだいすきだよ。
ふたりが見えなくなって寂しい。
せっかく楽しくなってきた人生が、突然シャッターを下ろされた気分。
私、また独りに戻っちゃった。
正直に言うと、あやかしと過ごした1年間が楽しすぎて、このまま薄雪と綾目と一緒にわちゃわちゃしているうちに、おばあちゃんになるんだと思ってた。
でも違った。私はまた独り。
「いいえ。君はこれからも独りではないよ花雫」
「独りだよ…」
「薄雪と綾目は、君が命尽きるまで傍にいると言っています」
「え…」
顔を上げた私に、喜代春は頷き微笑んだ。
「たとえ君に姿が見えなくても傍にいたいと。なにがあっても傍にいると約束したからと。ふたりはそう言っているよ」
「そんな…無理しなくていいよ…。だって私はもう何も見えないんだよ…」
「たしかにきっかけは、あやかしを映すその目からだった。しかし今の彼らは君の目に惹かれているわけではないんだよ。花雫、君そのものを、彼らは大切に想っている」
「……」
「これからは本当に、傍で佇むことしかできないが。君の傍で共に過ごすことが、彼らにとっての幸せだそうだ」
「薄雪…綾目…」
流れた涙は、雫になる前にどこかへ消えた。きっと薄雪と綾目が拭ったのだろう。
いる。見えないけど、目の前にいてくれてる。
「私や蓮華、蕣もときたまココへ来るよ。次会うときは、私は君の目には映らないけれど。薄雪が嫉妬するのでね」
「ふふ…、ずっ…ぐす」
「それでは、私もそろそろあやかしの姿に戻るよ。…花雫。薄雪と綾目のことは、いつか忘れてしまってかまわない。君はヒトと幸せになりなさい。君はあやかしではない。ヒトなのだから」
「……」
喜代春が立ちあがった。扇子を広げ、風を起こそうとしたとき、何かを思い出したのか手を止めた。
「忘れるまでは…君が薄雪と綾目を想う間は、カスミソウを大切にするといい」
「…?」
「それでは花雫。もう君の目に映ることはないけれど、私も君を見守っているよ。では」
「あ…」
霧がかかったように喜代春の姿が霞んでいく。部屋に暖かい風が吹いた。
思わず目を瞑ると、開いたときにはいつもの和室に戻っていた。床に敷き詰められた花びらも、お香の煙も花の匂いもなくなっている。
残されたのは、たった一輪のカスミソウだけだった。
「……」
「記憶を消せば、今の辛さも忘れられる。君は1年前の生活に戻るだけだ」
「…それは、いや…」
「彼らと出会わなければよかったんだろう?だったら記憶を消すといい。彼らと出会っていないことにできる」
「ちがう。そうじゃないの」
「どうちがうんだい。同じだろう」
「喜代春が時間を巻き戻せるのなら、いっそ1年前に戻してほしいと思うよ。そうすれば薄雪と綾目も、こんなひどい目にあわなかったんだから。できる?」
「さすがの私でもそれはできないな」
「だったら意味がないの。私が忘れただけで、起こった出来事は変わらない。私が忘れたって薄雪は弱ったままだし、綾目は目が見えないまま」
「もちろんそうだね」
「なにも変わらないのなら、私は記憶を消したくない」
「……」
喜代春がため息をついた。もっと食い下がると思っていたのに、「そうか」と呟いただけだった。
「…消さないの?」
「君が拒むのであれば、そのままにしておく。そういう話になっているからね」
「…ありがとう」
「花雫」
「ん?」
「ひとつ言っておきたい。君はさきほど、薄雪と綾目が君と出会ったせいで不幸になったと考えていたね。それはちがうよ。彼らは君と出会えて幸せを感じていた。たとえ死にかけても、失明しても、彼らにとってはたいしたことではなかったんだ。君を失うことに比べれば、ね」
「っ……」
喜代春の言葉に涙が止まらなくなった。ちがう。しあわせだったのは私のほう。
私はなにもしていない。彼らをしあわせにすることなんて、なにも。
「花雫、ありがとう」
「…どうしてお礼を言うの」
「記憶を消せば楽だろうに。それを君は選ばなかった。薄雪と綾目との記憶を残してくれた。苦しくとも、彼らのことを忘れないように」
「当然でしょ。人生で一番楽しかったんだもん、薄雪と綾目と一緒に暮らした毎日が。忘れたいわけないじゃない」
「そういうモノかな」
「そうよ」
「想い、想われる。苦しくとも、悲しくとも、その想いが変わらない。あやかしにとって、それほど幸せなことはないのさ」
「うぅっ……うぇっ…」
私はおっさんのような声で泣いた。喜代春は苦笑いを浮かべて私の背中をさする。泣き止んだ頃には鼻水まみれになっていて、きったない音をたてて鼻をかんだ。
しばしの沈黙。私はやっぱり薄雪と綾目を探してしまう。
「ねえ、喜代春」
「なんだい」
「薄雪と綾目、いるんだよね?」
「ああ、いるよ」
「薄雪と綾目に私の声は聞こえるの?」
「声も聞こえるし姿も見える。彼らからは君に触れることもできるよ。君は触れられていることを感じられないけれど」
「そうなんだ。…ねえ薄雪」
私は目に見えなくなったモノに声をかけた。
返事はもちろん聞こえない。
「返事してくれた?」
喜代春に尋ねると、喜代春が目じりを下げて頷く。
「ああ、している」
私は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「えっと、薄雪。危ない目に遭わせてごめんね。守ってくれてありがとう。えっと…うぅ…、ぐすっ、あ、だめだ…。言葉出てこない。泣いちゃう…」
「言葉に出さずとも、私たちは心を読める」
「えっ…。それ健在なの?恥ずかしいなあ…」
涙を拭いながらそう言うと、喜代春がクスクス笑う。
「だから先ほどから君が、”薄雪がいないと生きていけないもう無理つらい病む”と心の中で叫んでいることは全員に聞こえているよ」
「ぎゃーーーーー!!!!」
「綾目に対しては、失明してしまったことへの罪悪感が大きいね。綾目は気にしていない。薄雪を通して君のことも見えている」
「それでも…。ごめんね、綾目…」
ごめんね。本当にごめん。
薄雪のことも、綾目のことも、大好きだったよ。
もちろん今もだいすきだよ。
ふたりが見えなくなって寂しい。
せっかく楽しくなってきた人生が、突然シャッターを下ろされた気分。
私、また独りに戻っちゃった。
正直に言うと、あやかしと過ごした1年間が楽しすぎて、このまま薄雪と綾目と一緒にわちゃわちゃしているうちに、おばあちゃんになるんだと思ってた。
でも違った。私はまた独り。
「いいえ。君はこれからも独りではないよ花雫」
「独りだよ…」
「薄雪と綾目は、君が命尽きるまで傍にいると言っています」
「え…」
顔を上げた私に、喜代春は頷き微笑んだ。
「たとえ君に姿が見えなくても傍にいたいと。なにがあっても傍にいると約束したからと。ふたりはそう言っているよ」
「そんな…無理しなくていいよ…。だって私はもう何も見えないんだよ…」
「たしかにきっかけは、あやかしを映すその目からだった。しかし今の彼らは君の目に惹かれているわけではないんだよ。花雫、君そのものを、彼らは大切に想っている」
「……」
「これからは本当に、傍で佇むことしかできないが。君の傍で共に過ごすことが、彼らにとっての幸せだそうだ」
「薄雪…綾目…」
流れた涙は、雫になる前にどこかへ消えた。きっと薄雪と綾目が拭ったのだろう。
いる。見えないけど、目の前にいてくれてる。
「私や蓮華、蕣もときたまココへ来るよ。次会うときは、私は君の目には映らないけれど。薄雪が嫉妬するのでね」
「ふふ…、ずっ…ぐす」
「それでは、私もそろそろあやかしの姿に戻るよ。…花雫。薄雪と綾目のことは、いつか忘れてしまってかまわない。君はヒトと幸せになりなさい。君はあやかしではない。ヒトなのだから」
「……」
喜代春が立ちあがった。扇子を広げ、風を起こそうとしたとき、何かを思い出したのか手を止めた。
「忘れるまでは…君が薄雪と綾目を想う間は、カスミソウを大切にするといい」
「…?」
「それでは花雫。もう君の目に映ることはないけれど、私も君を見守っているよ。では」
「あ…」
霧がかかったように喜代春の姿が霞んでいく。部屋に暖かい風が吹いた。
思わず目を瞑ると、開いたときにはいつもの和室に戻っていた。床に敷き詰められた花びらも、お香の煙も花の匂いもなくなっている。
残されたのは、たった一輪のカスミソウだけだった。
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