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失ったモノ
64話 いるはずのモノ
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暗く狭い、湿った場所に閉じ込められていた。
助けを呼んでも誰も来てくれない。体中に絡みつくあの女の人の髪。息が苦しい。空気が淀む。無性に悲しくなり、死にたくなった。
独りで泣いていると、一粒の雫が落ちてきた。暗闇の中でただひとつ、それだけが光り輝いていた。
私は手を伸ばしてそれを掴む。すると髪がほどけ、息苦しさが和らいだ。だんだんと闇が晴れていく。澄んだ空間には、ヒラヒラと花びらが舞っていた。
青白い手と小さな手が私の手を握った。顔は見えないけど誰かは分かった。
二人は泣いていた。泣きながら微笑んで、私の手を離した。
行かないでって言ってるのに彼らは振り返らない。どんどん遠くなっていく。
花だけを残し、彼らは私の前からいなくなった。
◇◇◇
「……」
「目が覚めたね」
「喜代…春…」
眠りから覚めると、枕元に喜代春が腰をおろしていた。どこから持ってきたのか煙管を吸っている。良い香り。花の香りがする。
私はあたりを見渡した。和室には桜の花びらが敷き詰められている。お香が焚かれているのか、甘い香りと煙が充満している。喜代春の他には、誰もいない。
「あの女の人は…?」
「薄雪がムコウ側へ誘った。つまり死んだよ」
「あの人、やっぱりあやかしだったの?」
「ああ。元はヒトだったあやかし」
「そっか。…私、また薄雪に助けてもらったのね。それで、薄雪は?綾目は?」
「……ここにいる。君の隣に、ふたりとも」
「え?」
「……」
私は煙をかき分けた。それでも見えない。いない。
「いないよ。嘘つかないで喜代春。薄雪と綾目はどこ?」
「嘘はついていない。そこにいる」
「ごまかさないでよ。もしかしてアチラ側に連れ帰っちゃったの?」
「……」
喜代春が眉を寄せて俯いた。どうしてあんたがそんな辛そうな顔するの?
それじゃあまるで、本当にここに二人がいるみたいじゃない。
「…ちょっと待って」
「……」
「喜代春…私になにかした?」
「…そうだね。私がやった」
「…なにしたの」
「君の目にもうあやかしが映らないようにした。薄雪も、綾目も、蕣、蓮華も。…私以外のあやかし全部」
「うそでしょ?」
「本当だよ」
「っ…」
私は喜代春の襟首を掴んだ。ふー、ふーと荒い息を立てて詰め寄る。
「なんでそんなことしたの!!勝手にそんな…なんで!?私そんなことしてって頼んだ!?」
「いや。私の独断だ」
パン、と和室に音が鳴り響いた。喜代春の頬をぶった手のひらがヒリヒリする。喜代春は腫れた頬を庇おうともせず、俯いた。
「……」
「…?」
喜代春が唇を噛んでるように見えた。目をきつく瞑ったかと思えば、またいつもの余裕の笑みを浮かべて私を見る。…っていうかあれ?なんかおかしい。
「悪いね花雫。私はいつもヒトを怒らせてしまう。良かれと思ってやったん…」
「ん?んー…?」
「…どうしたんだい」
私は喜代春の話を聞きもせずに目を細めたりかっぴらいたりしていた。
「いや…なんかすっごい視界がぼやけてる…」
「?」
「この見え方は…コンタクトしてるのに眼鏡かけた感覚だわ」
「こんたくととは…?」
「私って視力悪いのよね。だから目の中にうっすい透明のプヨプヨしたやつを入れて矯正してるの」
「今もこんたくとをしているのですか?」
「はい。あー、つけたまま寝ちゃったから目が痛い…。ちょっと外してくる」
ふらふらと立ち上がり、洗面所でコンタクトを外した。鏡を見ると、外したときの方が視界がクリアになっている。ていうかコンタクトしてたときより見えやすい。2.0くらいありそうなくらいクッキリ。乱視も入ってなさそう。
「……」
私は鏡に映る自分の顔を見た。あやかしのせいか仕事の疲れのせいか分からないけどゲッソリしてる。目は…いつもと変わらない。
「ねえ喜代春。私の視力がありえないくらい良くなってるんだけど」
「そ、そうかい」
喜代春の口がヒクヒクしてる。うさんくさい笑みまで浮かべてやがる。
「なぁんか怪しいなあ…」
「……」
「喜代春。私に嘘ついてる?」
「…いいや?」
これは、嘘ついてるな。
「あやかしって嘘下手だよね」
「……。コチラ側のヒトが嘘に慣れすぎているだけだ。まったく…」
観念した喜代春は、ため息をついて頭を掻いた。
彼の前に仁王立ちしていた私は、片足で喜代春の股間を押さえつけた。
「…ん?なんだいこの足は」
「本当のことを話さないと、ここにかかと落としをします」
「……」
それからの喜代春は従順だった。何度か嘘を混ぜたりしてたけど、そんな下手な嘘が営業の私に通用するはずがない。今まで何人の話し相手してきたと思ってるの?嘘ついてるかどうかなんてすぐ分かるっての。
喜代春が嘘をつくたびに足に体重をかけていくと、最終的に彼はダラダラと汗を流して「もう嘘はつかないからやめてくれ」とお願いしてきた。それからは本当のことを話してくれた。
ウメというあやかしのこと。私がヒトと思って話しかけたのは、非常にタチの悪いあやかしだったこと。
今回の件で薄雪の力がほとんど失われてしまったこと。
綾目が失明した私に目を与えてくれたこと。
朝霧が100年の眠りについたことも。
…そして、瞼にかけられた呪いのこと。
やっぱり喜代春は嘘をついていた。あやかしが目に映せなくなったのは、喜代春の術ではなくて呪いのせい。それはつまり、喜代春たちでさえ私の目を元に戻すことができないということ。
私はどうあがいたって、薄雪と綾目を二度と目に映すことはできない。
あやかしを目に映せなくなったことは息ができないほど辛かった。でもそれよりも、私のせいで薄雪が死にかけて、綾目が失明してしまったことのほうが辛かった。
「ごめんなさい…」
「花雫が謝ることはないよ」
「私のせいで…私が悪いあやかしに声をかけちゃったせいで、また薄雪が死にかけちゃったんでしょ。それに綾目も…目を…私に…」
「……」
私のせいだ。私がウメを家に連れてきちゃった。ヒトだと思ってあやかしに声をかけたせいで、薄雪と綾目が私を守るためにひどい目に遭わせてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。
こんなことなら二人に出会わなければよかった。私のせいで大好きなあやかしが不幸になっちゃうくらいなら、はじめっから出会わなければよかったのに…。
助けを呼んでも誰も来てくれない。体中に絡みつくあの女の人の髪。息が苦しい。空気が淀む。無性に悲しくなり、死にたくなった。
独りで泣いていると、一粒の雫が落ちてきた。暗闇の中でただひとつ、それだけが光り輝いていた。
私は手を伸ばしてそれを掴む。すると髪がほどけ、息苦しさが和らいだ。だんだんと闇が晴れていく。澄んだ空間には、ヒラヒラと花びらが舞っていた。
青白い手と小さな手が私の手を握った。顔は見えないけど誰かは分かった。
二人は泣いていた。泣きながら微笑んで、私の手を離した。
行かないでって言ってるのに彼らは振り返らない。どんどん遠くなっていく。
花だけを残し、彼らは私の前からいなくなった。
◇◇◇
「……」
「目が覚めたね」
「喜代…春…」
眠りから覚めると、枕元に喜代春が腰をおろしていた。どこから持ってきたのか煙管を吸っている。良い香り。花の香りがする。
私はあたりを見渡した。和室には桜の花びらが敷き詰められている。お香が焚かれているのか、甘い香りと煙が充満している。喜代春の他には、誰もいない。
「あの女の人は…?」
「薄雪がムコウ側へ誘った。つまり死んだよ」
「あの人、やっぱりあやかしだったの?」
「ああ。元はヒトだったあやかし」
「そっか。…私、また薄雪に助けてもらったのね。それで、薄雪は?綾目は?」
「……ここにいる。君の隣に、ふたりとも」
「え?」
「……」
私は煙をかき分けた。それでも見えない。いない。
「いないよ。嘘つかないで喜代春。薄雪と綾目はどこ?」
「嘘はついていない。そこにいる」
「ごまかさないでよ。もしかしてアチラ側に連れ帰っちゃったの?」
「……」
喜代春が眉を寄せて俯いた。どうしてあんたがそんな辛そうな顔するの?
それじゃあまるで、本当にここに二人がいるみたいじゃない。
「…ちょっと待って」
「……」
「喜代春…私になにかした?」
「…そうだね。私がやった」
「…なにしたの」
「君の目にもうあやかしが映らないようにした。薄雪も、綾目も、蕣、蓮華も。…私以外のあやかし全部」
「うそでしょ?」
「本当だよ」
「っ…」
私は喜代春の襟首を掴んだ。ふー、ふーと荒い息を立てて詰め寄る。
「なんでそんなことしたの!!勝手にそんな…なんで!?私そんなことしてって頼んだ!?」
「いや。私の独断だ」
パン、と和室に音が鳴り響いた。喜代春の頬をぶった手のひらがヒリヒリする。喜代春は腫れた頬を庇おうともせず、俯いた。
「……」
「…?」
喜代春が唇を噛んでるように見えた。目をきつく瞑ったかと思えば、またいつもの余裕の笑みを浮かべて私を見る。…っていうかあれ?なんかおかしい。
「悪いね花雫。私はいつもヒトを怒らせてしまう。良かれと思ってやったん…」
「ん?んー…?」
「…どうしたんだい」
私は喜代春の話を聞きもせずに目を細めたりかっぴらいたりしていた。
「いや…なんかすっごい視界がぼやけてる…」
「?」
「この見え方は…コンタクトしてるのに眼鏡かけた感覚だわ」
「こんたくととは…?」
「私って視力悪いのよね。だから目の中にうっすい透明のプヨプヨしたやつを入れて矯正してるの」
「今もこんたくとをしているのですか?」
「はい。あー、つけたまま寝ちゃったから目が痛い…。ちょっと外してくる」
ふらふらと立ち上がり、洗面所でコンタクトを外した。鏡を見ると、外したときの方が視界がクリアになっている。ていうかコンタクトしてたときより見えやすい。2.0くらいありそうなくらいクッキリ。乱視も入ってなさそう。
「……」
私は鏡に映る自分の顔を見た。あやかしのせいか仕事の疲れのせいか分からないけどゲッソリしてる。目は…いつもと変わらない。
「ねえ喜代春。私の視力がありえないくらい良くなってるんだけど」
「そ、そうかい」
喜代春の口がヒクヒクしてる。うさんくさい笑みまで浮かべてやがる。
「なぁんか怪しいなあ…」
「……」
「喜代春。私に嘘ついてる?」
「…いいや?」
これは、嘘ついてるな。
「あやかしって嘘下手だよね」
「……。コチラ側のヒトが嘘に慣れすぎているだけだ。まったく…」
観念した喜代春は、ため息をついて頭を掻いた。
彼の前に仁王立ちしていた私は、片足で喜代春の股間を押さえつけた。
「…ん?なんだいこの足は」
「本当のことを話さないと、ここにかかと落としをします」
「……」
それからの喜代春は従順だった。何度か嘘を混ぜたりしてたけど、そんな下手な嘘が営業の私に通用するはずがない。今まで何人の話し相手してきたと思ってるの?嘘ついてるかどうかなんてすぐ分かるっての。
喜代春が嘘をつくたびに足に体重をかけていくと、最終的に彼はダラダラと汗を流して「もう嘘はつかないからやめてくれ」とお願いしてきた。それからは本当のことを話してくれた。
ウメというあやかしのこと。私がヒトと思って話しかけたのは、非常にタチの悪いあやかしだったこと。
今回の件で薄雪の力がほとんど失われてしまったこと。
綾目が失明した私に目を与えてくれたこと。
朝霧が100年の眠りについたことも。
…そして、瞼にかけられた呪いのこと。
やっぱり喜代春は嘘をついていた。あやかしが目に映せなくなったのは、喜代春の術ではなくて呪いのせい。それはつまり、喜代春たちでさえ私の目を元に戻すことができないということ。
私はどうあがいたって、薄雪と綾目を二度と目に映すことはできない。
あやかしを目に映せなくなったことは息ができないほど辛かった。でもそれよりも、私のせいで薄雪が死にかけて、綾目が失明してしまったことのほうが辛かった。
「ごめんなさい…」
「花雫が謝ることはないよ」
「私のせいで…私が悪いあやかしに声をかけちゃったせいで、また薄雪が死にかけちゃったんでしょ。それに綾目も…目を…私に…」
「……」
私のせいだ。私がウメを家に連れてきちゃった。ヒトだと思ってあやかしに声をかけたせいで、薄雪と綾目が私を守るためにひどい目に遭わせてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい。
こんなことなら二人に出会わなければよかった。私のせいで大好きなあやかしが不幸になっちゃうくらいなら、はじめっから出会わなければよかったのに…。
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