67 / 71
失ったモノ
65話 あなたの傍で
しおりを挟む
「花雫。君から薄雪と綾目の記憶を消すこともできるよ」
「……」
「記憶を消せば、今の辛さも忘れられる。君は1年前の生活に戻るだけだ」
「…それは、いや…」
「彼らと出会わなければよかったんだろう?だったら記憶を消すといい。彼らと出会っていないことにできる」
「ちがう。そうじゃないの」
「どうちがうんだい。同じだろう」
「喜代春が時間を巻き戻せるのなら、いっそ1年前に戻してほしいと思うよ。そうすれば薄雪と綾目も、こんなひどい目にあわなかったんだから。できる?」
「さすがの私でもそれはできないな」
「だったら意味がないの。私が忘れただけで、起こった出来事は変わらない。私が忘れたって薄雪は弱ったままだし、綾目は目が見えないまま」
「もちろんそうだね」
「なにも変わらないのなら、私は記憶を消したくない」
「……」
喜代春がため息をついた。もっと食い下がると思っていたのに、「そうか」と呟いただけだった。
「…消さないの?」
「君が拒むのであれば、そのままにしておく。そういう話になっているからね」
「…ありがとう」
「花雫」
「ん?」
「ひとつ言っておきたい。君はさきほど、薄雪と綾目が君と出会ったせいで不幸になったと考えていたね。それはちがうよ。彼らは君と出会えて幸せを感じていた。たとえ死にかけても、失明しても、彼らにとってはたいしたことではなかったんだ。君を失うことに比べれば、ね」
「っ……」
喜代春の言葉に涙が止まらなくなった。ちがう。しあわせだったのは私のほう。
私はなにもしていない。彼らをしあわせにすることなんて、なにも。
「花雫、ありがとう」
「…どうしてお礼を言うの」
「記憶を消せば楽だろうに。それを君は選ばなかった。薄雪と綾目との記憶を残してくれた。苦しくとも、彼らのことを忘れないように」
「当然でしょ。人生で一番楽しかったんだもん、薄雪と綾目と一緒に暮らした毎日が。忘れたいわけないじゃない」
「そういうモノかな」
「そうよ」
「想い、想われる。苦しくとも、悲しくとも、その想いが変わらない。あやかしにとって、それほど幸せなことはないのさ」
「うぅっ……うぇっ…」
私はおっさんのような声で泣いた。喜代春は苦笑いを浮かべて私の背中をさする。泣き止んだ頃には鼻水まみれになっていて、きったない音をたてて鼻をかんだ。
しばしの沈黙。私はやっぱり薄雪と綾目を探してしまう。
「ねえ、喜代春」
「なんだい」
「薄雪と綾目、いるんだよね?」
「ああ、いるよ」
「薄雪と綾目に私の声は聞こえるの?」
「声も聞こえるし姿も見える。彼らからは君に触れることもできるよ。君は触れられていることを感じられないけれど」
「そうなんだ。…ねえ薄雪」
私は目に見えなくなったモノに声をかけた。
返事はもちろん聞こえない。
「返事してくれた?」
喜代春に尋ねると、喜代春が目じりを下げて頷く。
「ああ、している」
私は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「えっと、薄雪。危ない目に遭わせてごめんね。守ってくれてありがとう。えっと…うぅ…、ぐすっ、あ、だめだ…。言葉出てこない。泣いちゃう…」
「言葉に出さずとも、私たちは心を読める」
「えっ…。それ健在なの?恥ずかしいなあ…」
涙を拭いながらそう言うと、喜代春がクスクス笑う。
「だから先ほどから君が、”薄雪がいないと生きていけないもう無理つらい病む”と心の中で叫んでいることは全員に聞こえているよ」
「ぎゃーーーーー!!!!」
「綾目に対しては、失明してしまったことへの罪悪感が大きいね。綾目は気にしていない。薄雪を通して君のことも見えている」
「それでも…。ごめんね、綾目…」
ごめんね。本当にごめん。
薄雪のことも、綾目のことも、大好きだったよ。
もちろん今もだいすきだよ。
ふたりが見えなくなって寂しい。
せっかく楽しくなってきた人生が、突然シャッターを下ろされた気分。
私、また独りに戻っちゃった。
正直に言うと、あやかしと過ごした1年間が楽しすぎて、このまま薄雪と綾目と一緒にわちゃわちゃしているうちに、おばあちゃんになるんだと思ってた。
でも違った。私はまた独り。
「いいえ。君はこれからも独りではないよ花雫」
「独りだよ…」
「薄雪と綾目は、君が命尽きるまで傍にいると言っています」
「え…」
顔を上げた私に、喜代春は頷き微笑んだ。
「たとえ君に姿が見えなくても傍にいたいと。なにがあっても傍にいると約束したからと。ふたりはそう言っているよ」
「そんな…無理しなくていいよ…。だって私はもう何も見えないんだよ…」
「たしかにきっかけは、あやかしを映すその目からだった。しかし今の彼らは君の目に惹かれているわけではないんだよ。花雫、君そのものを、彼らは大切に想っている」
「……」
「これからは本当に、傍で佇むことしかできないが。君の傍で共に過ごすことが、彼らにとっての幸せだそうだ」
「薄雪…綾目…」
流れた涙は、雫になる前にどこかへ消えた。きっと薄雪と綾目が拭ったのだろう。
いる。見えないけど、目の前にいてくれてる。
「私や蓮華、蕣もときたまココへ来るよ。次会うときは、私は君の目には映らないけれど。薄雪が嫉妬するのでね」
「ふふ…、ずっ…ぐす」
「それでは、私もそろそろあやかしの姿に戻るよ。…花雫。薄雪と綾目のことは、いつか忘れてしまってかまわない。君はヒトと幸せになりなさい。君はあやかしではない。ヒトなのだから」
「……」
喜代春が立ちあがった。扇子を広げ、風を起こそうとしたとき、何かを思い出したのか手を止めた。
「忘れるまでは…君が薄雪と綾目を想う間は、カスミソウを大切にするといい」
「…?」
「それでは花雫。もう君の目に映ることはないけれど、私も君を見守っているよ。では」
「あ…」
霧がかかったように喜代春の姿が霞んでいく。部屋に暖かい風が吹いた。
思わず目を瞑ると、開いたときにはいつもの和室に戻っていた。床に敷き詰められた花びらも、お香の煙も花の匂いもなくなっている。
残されたのは、たった一輪のカスミソウだけだった。
「……」
「記憶を消せば、今の辛さも忘れられる。君は1年前の生活に戻るだけだ」
「…それは、いや…」
「彼らと出会わなければよかったんだろう?だったら記憶を消すといい。彼らと出会っていないことにできる」
「ちがう。そうじゃないの」
「どうちがうんだい。同じだろう」
「喜代春が時間を巻き戻せるのなら、いっそ1年前に戻してほしいと思うよ。そうすれば薄雪と綾目も、こんなひどい目にあわなかったんだから。できる?」
「さすがの私でもそれはできないな」
「だったら意味がないの。私が忘れただけで、起こった出来事は変わらない。私が忘れたって薄雪は弱ったままだし、綾目は目が見えないまま」
「もちろんそうだね」
「なにも変わらないのなら、私は記憶を消したくない」
「……」
喜代春がため息をついた。もっと食い下がると思っていたのに、「そうか」と呟いただけだった。
「…消さないの?」
「君が拒むのであれば、そのままにしておく。そういう話になっているからね」
「…ありがとう」
「花雫」
「ん?」
「ひとつ言っておきたい。君はさきほど、薄雪と綾目が君と出会ったせいで不幸になったと考えていたね。それはちがうよ。彼らは君と出会えて幸せを感じていた。たとえ死にかけても、失明しても、彼らにとってはたいしたことではなかったんだ。君を失うことに比べれば、ね」
「っ……」
喜代春の言葉に涙が止まらなくなった。ちがう。しあわせだったのは私のほう。
私はなにもしていない。彼らをしあわせにすることなんて、なにも。
「花雫、ありがとう」
「…どうしてお礼を言うの」
「記憶を消せば楽だろうに。それを君は選ばなかった。薄雪と綾目との記憶を残してくれた。苦しくとも、彼らのことを忘れないように」
「当然でしょ。人生で一番楽しかったんだもん、薄雪と綾目と一緒に暮らした毎日が。忘れたいわけないじゃない」
「そういうモノかな」
「そうよ」
「想い、想われる。苦しくとも、悲しくとも、その想いが変わらない。あやかしにとって、それほど幸せなことはないのさ」
「うぅっ……うぇっ…」
私はおっさんのような声で泣いた。喜代春は苦笑いを浮かべて私の背中をさする。泣き止んだ頃には鼻水まみれになっていて、きったない音をたてて鼻をかんだ。
しばしの沈黙。私はやっぱり薄雪と綾目を探してしまう。
「ねえ、喜代春」
「なんだい」
「薄雪と綾目、いるんだよね?」
「ああ、いるよ」
「薄雪と綾目に私の声は聞こえるの?」
「声も聞こえるし姿も見える。彼らからは君に触れることもできるよ。君は触れられていることを感じられないけれど」
「そうなんだ。…ねえ薄雪」
私は目に見えなくなったモノに声をかけた。
返事はもちろん聞こえない。
「返事してくれた?」
喜代春に尋ねると、喜代春が目じりを下げて頷く。
「ああ、している」
私は深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
「えっと、薄雪。危ない目に遭わせてごめんね。守ってくれてありがとう。えっと…うぅ…、ぐすっ、あ、だめだ…。言葉出てこない。泣いちゃう…」
「言葉に出さずとも、私たちは心を読める」
「えっ…。それ健在なの?恥ずかしいなあ…」
涙を拭いながらそう言うと、喜代春がクスクス笑う。
「だから先ほどから君が、”薄雪がいないと生きていけないもう無理つらい病む”と心の中で叫んでいることは全員に聞こえているよ」
「ぎゃーーーーー!!!!」
「綾目に対しては、失明してしまったことへの罪悪感が大きいね。綾目は気にしていない。薄雪を通して君のことも見えている」
「それでも…。ごめんね、綾目…」
ごめんね。本当にごめん。
薄雪のことも、綾目のことも、大好きだったよ。
もちろん今もだいすきだよ。
ふたりが見えなくなって寂しい。
せっかく楽しくなってきた人生が、突然シャッターを下ろされた気分。
私、また独りに戻っちゃった。
正直に言うと、あやかしと過ごした1年間が楽しすぎて、このまま薄雪と綾目と一緒にわちゃわちゃしているうちに、おばあちゃんになるんだと思ってた。
でも違った。私はまた独り。
「いいえ。君はこれからも独りではないよ花雫」
「独りだよ…」
「薄雪と綾目は、君が命尽きるまで傍にいると言っています」
「え…」
顔を上げた私に、喜代春は頷き微笑んだ。
「たとえ君に姿が見えなくても傍にいたいと。なにがあっても傍にいると約束したからと。ふたりはそう言っているよ」
「そんな…無理しなくていいよ…。だって私はもう何も見えないんだよ…」
「たしかにきっかけは、あやかしを映すその目からだった。しかし今の彼らは君の目に惹かれているわけではないんだよ。花雫、君そのものを、彼らは大切に想っている」
「……」
「これからは本当に、傍で佇むことしかできないが。君の傍で共に過ごすことが、彼らにとっての幸せだそうだ」
「薄雪…綾目…」
流れた涙は、雫になる前にどこかへ消えた。きっと薄雪と綾目が拭ったのだろう。
いる。見えないけど、目の前にいてくれてる。
「私や蓮華、蕣もときたまココへ来るよ。次会うときは、私は君の目には映らないけれど。薄雪が嫉妬するのでね」
「ふふ…、ずっ…ぐす」
「それでは、私もそろそろあやかしの姿に戻るよ。…花雫。薄雪と綾目のことは、いつか忘れてしまってかまわない。君はヒトと幸せになりなさい。君はあやかしではない。ヒトなのだから」
「……」
喜代春が立ちあがった。扇子を広げ、風を起こそうとしたとき、何かを思い出したのか手を止めた。
「忘れるまでは…君が薄雪と綾目を想う間は、カスミソウを大切にするといい」
「…?」
「それでは花雫。もう君の目に映ることはないけれど、私も君を見守っているよ。では」
「あ…」
霧がかかったように喜代春の姿が霞んでいく。部屋に暖かい風が吹いた。
思わず目を瞑ると、開いたときにはいつもの和室に戻っていた。床に敷き詰められた花びらも、お香の煙も花の匂いもなくなっている。
残されたのは、たった一輪のカスミソウだけだった。
0
あなたにおすすめの小説
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる